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『ディープラブ ホスト編』を読んでみる―第5章「空」―

「あんた、この犬、臭いんだよ
「えっ、ごめんなさい」
アユは、申し訳なさそうに謝った。

5章では、冒頭から祖母の妹の家でいびられているアユちゃんが描かれます。この謝罪から推測するに、いじめで不当に言われているとかではなく、パオは本当に臭いような気がします。




祖母の妹の住む新しい家では、アユちゃんは毎日つらい思いをしているとか。目が見えないので階段から落ちたり、味噌汁でやけどしそうになったり。ただし、眼が見えていてもアユちゃんは階段から落ちていました。




それでも寄り添って生きていこうとするアユちゃんとパオ。パオのためにご飯を残すアユちゃん、アユちゃんが泣くと即座に自分の顔をすりつけるパオ。フランダースの犬』でしかお目にかかれないような連携プレーもばっちりです。




そんなある日の早朝、異変が起こります。



ごう音と共に、激しく家が揺れた。
ガン……ゴン……グラグラグラグラ……
「キャー」
(中略)それは、昭和39年に死者を出した新潟地震以来の地震だった。あっという間に新潟の町は廃墟と化した。


ありえないくらい稚拙な文章で明らかになるのは、「とにかくすんごい大きな地震が起こったこと」です。それにしては緊迫感のない叫び声や擬音です。地震よりも、むしろ語り手のボキャブラリーの少なさに驚きます。




ほぼ同時期に、義之は「ピクリ」と反応、かつての友達アユさんが死んだ時と同じ感覚になり、アユちゃんの声が聞こえたような気がしちゃいます。その時、客から偶然電話が入り、都合よく地震震源地が新潟であることを知った義之さんは、部下の制止にも関わらず、部下に原付バイク(正式には原動機付き自転車)を借りて新潟を目指そうとします。無茶です。一応理由としては、部下が、まだ早朝なので「電車も走ってない」と忠告したことがきっかけなのですが、解説によれば既に朝日が昇っているとのこと。その時点で普通に電車は走っていると思います。




語り手は「外の気温は5℃以下。バイクで新潟まで行くには、とても無理な気温だ。新潟の山には、まだ雪が残るほどだ」と解説します。この時期、新潟ならちょうど積雪状態だと思うのは、たんなるchikiの雪国への偏見でしょうか?




原付バイク(正式には原動機付き自転車)で新潟を目指そうとした義之さんは、偶然公園でアユちゃんの祖母に出会い、住所を教えてもらいます。…祖母は病気で入院しているんじゃなかったんでしょうか? きっと愛する孫のことを思うと、病気なんて構っていられなかったのでしょう。本人もそういっています。ただ、祖母が早朝に、どうやって地震のことをいち早く知れたのかはナゾですが、きっとこれがYoshiさんの「愛」なんでしょう。ジツニスバラシイ。そんな「愛」を胸にしてか、義之さんはそのまま原付(正式には…略)で新潟を目指します。



もう何時間走っただろう。義之の顔は、寒さで赤くなっていた。手はすでに感覚がなくなっている。それでも、スピードをゆるめることはなかった。
『アユ……アユ……』
義之はうわ言のように呟いていた。埼玉県の看板が見えてきた。これだけ走ってもまだ埼玉。まだ、3分の1程度のところまでしか来ていない。しかし、これしかたどり着く行く方法がない。


えぇと…一体何処から突っ込めばいいのか迷います。 とりあえずは手の感覚がないのにスピードを緩めないでいられるところでしょうか。 それとも「うわ言のように」というか、「完全にうわごと」なところでしょうか。個人的には、「これだけ走ってもまだ埼玉」というお茶目な突っ込みを入れる語り手に一票を投じたいです。ちなみに、「ホスト編」の中でchikiが最も爆笑したフレーズです。




語り手といえば「これしかたどり着く行く方法がない」という意味不明の日本語意味不明の断言、それから埼玉の看板が見えてきた段階に過ぎないのに「3分の1程度」と言ってしまう小学校レベルの算数と地理が欠けていることから、かなり頭の悪い語り手だと思われます。chikiは人並み以上には小説を読んできたつもりですが、これほどまで頭の悪い語り手を見たのは初めてです。




そんなとき、トラックの運転手がいきなり話しかけてきます。


「おい、新潟に行くのか?
『……』
義之は、黙ってうなずいた。
「おい、そのバイクじゃ無理だ!
しかし、義之は無視したように走っている。
また、運転手が叫んだ!
「行けるところまで、乗せてやる。その先はバイクで行け!」
運転手にも義之の様子から誰かを助けに向かっていることは、察しがついた。そうでなければ、この寒い中を手袋もつけずにバイクで走る奴などいない。


chikiには義之さんが、単なる寒さ知らずの馬鹿に映りますが、運転手には全てお見通しなばかりでなく、散々無視した義之さんを親切にもトラックに乗せて行ってくれるようです。「まだ埼玉」なのに目的地が新潟だと分かってくれるトラック運転手がいるなんて、考えただけで感動しすぎて言葉もでません。



「ほら、前に乗れ!寒かったろう」
義之は、初めて寒さに気付いたのか、震え出した。
「早く乗れ!あっ……お前……手が……」
そう、義之の手は、すでに紫色に変色していた。このまま走っていたら、手が凍り腐ってしまっただろう。
(中略)
『早く……早くお願いします』
義之が、お願いするように言った。
「まかしとけ。誰よりも早く新潟に行ってやる」


物語がクライマックスに近づくにつれ、語り手の馬鹿っぷりもピークへと近づきます。



こんなとき人は神に祈る。しかし、義之が祈ることはなかった。アユを失って以来、神に絶望していた。アユを助けてくれなかった神など……。


無根拠に断定していますが、仏教徒も神に祈るのかなぁ、と、知人の僧侶に聞いてみようかと思っちゃいました。




運転手は、トラックで行ける距離まで行くと義之さんを降ろします。



運転手は、バイクを降ろしてやると、たった一言こう言った。
「頑張れよ」
『はい、ありがとうございます』
「おう」
『お名前は?』
「名のるほどのもんじゃねえよ!それより急げ!」
『はい』
義之は走り出した。


昭和の青春ドラマのようなやりとりあいかわらずの解説の頭の悪さに失笑です。「走り出した」のではなく、原付バイクを走らせたと思われる義之さんですが、途中で警官が交通規制していました。が、義之さんに同情して通してくれちゃいます。完全な職務放棄ですが、多分これが「愛」です。




そしてとうとう、アユちゃんの家に到着します。語り手によると、到着したのは夜の10時だということ。つまり、東京から出てきて少なくとも20時間近く経っていることになるでしょう。ちなみに義之さんは、アユちゃんの家を倒れた電柱の住所を確認しながら探したそうですが、倒壊した悪路を懐中電灯も持たずによく発見できたと感心します。地震のために大停電が起こっていると予想されますが、設定上は「月夜の晩」らしいので、多分アリなんでしょう。




それでも多分、人一倍夜目が利くであろう義之さんは、鎖で繋がれているパオを発見し、鎖をはずします。すると、パオはアユちゃんがいる方向に走り出します。匂いを頼りに、前足で掻くパオ。素手のまま、瓦礫をどかす義之さん。冬の新潟なのに、雪がまったくないのは何故だろうと考えてしまいますが、Yoshiさんは「実話」を極力多く混ぜ、「リアル」を追求するという立場のお方らしいので、きっと実証的なデータに基づいているはず。というわけで、深くは考えないようにしましょう




それにしても、とっくに紫色に変色した素手で瓦礫と格闘する義之さんには驚かされます。語り手によれば、色んなものが義之さんの手に刺さり、血がダラダラ流れているそうです。すごいなぁ、「愛」って。便利だなぁ、「愛」って。chikiにはとても出来ない。




苦労の甲斐あって、義之さんはアユちゃんの服らしいものを発見します。そして、1本の柱を除く全てのものをアユちゃんから取り除くことに成功しました。



アユは、ベッドの上に倒れていた。1本の柱が、アユのお腹のあたりに乗っかっていた。しかも、まったく動かない。最後の壁を取ると、アユの顔が見えた。
『アユ……』
月明かりに浮かんだアユの顔は、まるでロウ人形のようだった。真っ白な顔は、安らかに眠っているようだった。
『何てことだ……何てことなんだ……
義之の足がガクガクと震え出した。パオも吠えるのを止め横に座り込んだ。


もうだめか、と思われましたが、パオがアユちゃんの頬を舐めると、朝からずっと瓦礫の下敷きだったはずのアユちゃんが「うーん」と普通に眼を覚ましました。その後に挿入される「アユは生きていた」という解説が笑えます感動的です。描写から、顔にはどうやら怪我一つないようにも思います。まさに奇跡です。




「お兄ちゃん!どうしてここにいるの?」との問いに『地震があったから、飛んできたんだよ』と答える辺り、相変わらずコミュニケーションが成立していないようにも見えますが、アユちゃんは大喜びです。しかし、相変わらずアユちゃんの聴覚のすごさには圧巻です。




ところが、アユちゃんの上に乗っている柱はかなり重く、ピクリともしません。そこへ、たまたま消防士の男性が一人でやってきます。消防士は災害時には班行動すると思っていたのですが、またもやchikiが無知だったようです。「俺が来たからには、もう大丈夫だ」という、もうchikiが突っ込む元気すら無くなってしまうような台詞を吐き、「ウーン」「オリャー」「ウオー」とかけ声をかけながら大奮闘。アユちゃんの救出に成功します。




義之さんは消防士と別れ、アユちゃんを医者に見せるため公園まで抱っこで運びます。そこには丁度良く看護士がいたので、見てもらうことにしました。これで一安心です。そんな義之さんの手をアユちゃんが握って、一言声をかけます。「お兄ちゃんの手、温かいね!」さっきまでほとんど凍傷で、しかも色んなものが刺さって血だらけの手を握っての感想が「温かい」だとはビックリです。もっと他に言うことがあるような気がしますが、アユちゃんはすぐにおばあちゃんの話をしだします。


『おばあちゃんに会えなくて辛かったろう』
(略)
「淋しい……でもね、淋しいぶん、次に会えるのはウレシイだよ

何故か片言気味のアユちゃんに、義之さんはにっこり笑いました。すると「お兄ちゃんの笑い声!初めて聞いたよ」とアユちゃん大喜び。「にっこり笑う」という表現で笑い声が出ているとは意表を突かれました。そして白いものが舞い散る中(やっぱり、雪は降っていたようです)、2人は公園で眠りに着きます。




翌朝、眼をさました義之さんは異変に気付きます。アユちゃんが眼を覚まさないのです。看護士は眼を潤ませながら言いました。「気がつかなかった……お腹に気をとられていて……頭の傷……かなり強く打っていたみたい……ごめんなさい」そう。アユちゃんのおでこには「大きな傷と血の塊。大きく膨れていた」のです。それだけ大きな傷なら普通気付くだろ!とも思ってしまいますが、プロも見落とすほどの傷なら素人のchikiには口の挟みようもないでしょう。しかし、その傷は地震によって出来たものではなく、階段から落ちたとき、そしていじめを受けたときの傷だそうです。「それが原因の急死だった」と語り手が丁寧に解説してくれてますから、きっとそうなんでしょう。もちろん、この語り手はかなりの馬鹿だということが判明していますから、信じるだけ無駄かもしれません。




こうしてアユちゃんはあっけなく死んでしまいました。義之さんの手には、アユちゃんが最後まで手放さなかった写真入のペンダントが。その写真には、アユちゃんの母親、レイナが映っています。このように「ホスト編」では、物語が『Deep Love 完結編 レイナの運命』に続くことがほのめかされ、実に中途半端な形で終了します。




巻末には、Yoshiさんが次のような文章を掲載しています。



自分は、Deep Loveという作品を書くにあたって目指したことがいくつかあります。
ひとつは、文章が嫌いな人や若者でも読めるように、簡単な言葉でわかりやすく書くこと。この物語をたくさんの人に読んでもらいたいからです。もうひとつは、リアルな物語にするために実話を出来るだけ盛り込むこと。自分の出来事のように感じてもらいたいからです。
そして、最終的に目指していたのは、『Deep Love』が「自分を見つめなおすキッカケ」になればというものでした。
生きていれば、気が付かないうちに、流されてしまうことがあると思います。しかし、そこで立ち止まり、自分を見つめなおすことは難しいことです。でも、それを可能にしてくれるのは、いつの時代も「愛」ではないかと思っています。
題名の『Deep Love』は、そんな思いを込めて付けたものです。

いかがでしょうか。皆さんには、Yoshiさんの「愛」が伝わったでしょうか? chikiにはほとんど意味不明なんですが。




さて、『レイナの運命』は一体どうなるのでしょう。chikiが本屋で軽く立ち読みしたところ、それはもうとんでもないことになっていました。今回は『ディープラブ』全巻を精読することが目的ではないので、『レイナ編』を読み続けることはしません。暇人chikiも、流石に体力の限界です。しかし、それでは欲求不満の人もいるでしょう。そこで、「レイナ編」の内容を「ホントに泣ける…」というタイトルでYahoo掲示板に書き込んだ人の文章を引用しますので、内容を推察してください。




レイナが最後にタイから戻って来て・・・
病院で義之と一緒にいる時、
義之がレイナの子の「アユ」から預かった、
ペンダントをレイナに見せたら・・・
記憶喪失になってたレイナがいきなり
「アユ、バリ愛してるよ」って言った時、
かなり泣けます。リアルだから・・・身近に感じます。第1部から全部読ませてもらってます。



完全にネタバレの投稿ですが、chikiはこの要約をみた限りでもついついバリ感動しちゃいそうです




そして、「レイナ編」でのYoshiさんの後書きです。



【後書き】
この3部を書くにあたって、初めにも書きましたが、ある読者のメールがありました。その読者は、自分の犯した罪を償いたいと言いました。そして、その読者から、多くの辛い話を聞かせてもらいました。
話のくわしい部分は語れません。けれども、この物語の中で生きています。その読者は「この物語を多くの人にしってもらいたい」と言われました。(…)
自分のところには、たくさんのメールが送られてきます。それらを読んでいると、本当に「現実は物語より厳しい」と思います。(…)私達が知らないだけで、現実の世の中では、たくさんの不幸が毎日のように起こっているのだと実感させられます。
そんな厳しい人生の中で、私達を救ってくれたり、導いてくれるのは、いつの時代も「愛」ではないかと思います。(…)
そして、最後になりますが、こんな時代だからこそ、「愛では救えないものはない」みんながそう信じていけたらと思います。



花粉症で眼が霞むchikiは、「愛では救えないものはない」というフレーズを「救いようのない愛」と読み違えてしまいました。最後に、少しマジメに一言。




斜め読みした限りですが、「レイナ編」には東南アジアに対する通俗的な偏見によって基づいているような記述があるように思いました。今、「翻訳本を出して海外で売ろうとしている」という噂があるらしいのですが(「冗談」だと思いますが)、おそらくこの本が翻訳されても、chikiは(ほとんど誤訳レベルの)「よほどの名訳」でない限りは売れないと確信しています(日本の一部の「ムラ」の共感を受けるものでしかないからです)。しかし、「万が一」にも実現され、しかも何かの間違いで売れてしまった場合、国際的な笑いものになるのは確実でしょうから、止めた方がいいと思います。「冗談」だとは思いますが。




ちなみに、4月3日より『Deep Love』の映画が公開されるのは「冗談」ではなく決定済みです。「きっと、ィィ映画だから、観てょ。ぉねがぃだょ♪」という書き込みが彼方此方の掲示板にあるので、既にご存知の方も多いでしょう。chikiは絶対に行きませんが、興味のある人は足を運んでみてください。(Deep Love公式サイト



さて、突然始まり、長々と続いた『Deep Love』特集も今日で終わりです(※丁度、映画の公開日に特集が終わるように合わせたことは言うまでもない)。長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。特集はいかがだったでしょうか。「文学」サイドからの「説教」にならないように配慮しつつ、与えられたテクストを本文に沿って読みながらも通常の消費のされ方を異化したつもりですが、ついつい下品になった感も否めません。感想や批判、示唆等をいただければと思います。



























ちなみに、この特集のお陰でchikiは何度か『ディープラブ』の夢にうなされました。(『ディープラブ』を巡って中森明夫と論争するという夢です。ナンデヤネン)



さて「春休み」も終わることですし、明日からは通常の「戯言」に戻ります。