DOMMUNEに出演しなかった理由と、例の「いじめ語り」に対する簡単な見解
明けましておめでとうございます。
さて、年末DOMMUNEというイベントスペースにて、「2021 SUPER DOMMUNE YEAR END DISCUSSION 小山田圭吾氏と出来事の真相」というイベントが行われたようです。僕にも依頼メールが来たのですが、多忙であることと、企画趣旨に賛同できなかったことからお断りしました。
するとこのイベントの当日、主催者側から、「荻上チキにも依頼したが、企画趣旨に賛同できないと断られた」といった趣旨のアナウンスがあったようです。ツイッターのTLにて、僕について否定的な言及がされているのを複数見かけ(逃げた、舐めるな、といったような趣旨のものでした)、「あ、僕が断ったことをイベント内で触れたのだな」とわかりました。その上で、僕が断った理由についても、主催者による推測などが語られておりました。
「ファクトチェック」なき「メディアハラスメント」を問うと銘打つイベント会場で、一つの推測などが語られたことを受け、否定的なコメントが誘発されるという場面を目の当たりにし、こうした論点を扱う際の難しさをますます思い知った次第です。
そこでこのエントリーでは、なぜ荻上がDOMMUNEのイベントに参加しなかったのかについて簡単にまとめておきます。なお、本エントリーは、小山田氏に対する新たな非難などを目的とするものではありません。ただ、ことの性質上、これまでさまざまに言及されてきた当該関連行為などについては触れざるを得ないため、いくつか具体的な暴力描写などが含まれる点、読まれる際にはどうかご注意ください。
*
前提として、小山田氏の騒動については、当時、次のようなことを考えていました。そして今もなお、このような考えを維持しています。
・この件については、「過去にいじめを行っていたことが発覚した場合、その人の仕事をキャンセルする必要があるのか」という問題として理解される向きも一部あるが、それとは別に考える必要があるだろう。
・すなわち「学生時代にいじめ加担していたことが発覚した問題」というより、「表現者として、いじめや差別を軽視するような発言を行っていた問題」が問われるものである。
・僕はオリパラ開催そのものに反対であるが、障がい者に対する侮蔑的発信が確認された人物が、特にパラスポーツのテーマに関わることについて、掲げられた理念との一貫性・整合性が問われた場合、適任ではないと考えられるだろう。
・今後は、記事を読み、一連のいじめ・差別関与が不公正だと思った人々に対して、小山田氏側がどう応答するかが問われている。
・なお、加害者の悪魔化をし、ミュージシャンとして二度と活動するなというような反応は賛同できない。そのうえで、小山田氏には適切な応答を望みたい。
私自身は本件によって、例えば作品の発表や配信を中止したり、他の仕事を降板するといったようなことを求めるのが適切だとは思いません。そのため、小山田氏が複数の仕事をキャンセルしたことについては、疑問が大いにあります。
ただ、個別にはそれぞれが「キャンセルされた」のか「降りた」のかもわからないため、部外者からの判断は保留としています。「中止」「辞退」などの背景には一般的に、騒動の渦中にあることで心が消耗した本人による要望や、当人を守るために事務所がストップを求めるというケースもありえるためです。
*
次に、自分のことを簡単に説明しておきます。いじめと、Corneliusに関わる部分です。
・大学生の時、ミュージシャンに憧れ、音楽を毎日聴いて過ごしていた。Corneliusの作るサウンドクオリティの高さは、音の立体感を巧みに操る独創性と技術力の高さに惹かれ、CD、書籍、ビデオ作品を購入したり、ダビングしたMDをヘビロテで聴きながら通学する日々を送ったりもしていた。
・2001年だったか、2002年だったか。音楽好きの大学の先輩から、「昔のロキノンの小山田インタビューがやばかったんだよ、あれ読んで引いたよ」といった発言を耳にする。その記事を確認したくて、古本屋にいくたびに、バックナンバーがあるか気にするようになる。
・数ヶ月後、下北沢の古書店で「ロッキング・オン・ジャパン」を立ち読み。また別の日に「クイック・ジャパン」を購入(この「クイック・ジャパン」は2020年、コロナ禍での大掃除で売却)。フラッシュバックにも似た感覚で味わう。それでも、作品は作品であると捉え、曲は変わらず聴き続ける。
・大学生の頃、『いじめの社会理論』を読んだことをきっかけに、いじめ関連の書籍や論文に読み始める。
・2007年に物書きとなり、2008年、2010年には、いじめをテーマにした書籍を出す。
・2012年、大津いじめ自殺事件についての過熱報道をきっかけに、NPO「ストップいじめ!ナビ」を立ち上げる。いじめ研究の参考データなどを、政治家、行政、自治体、学校、保護者らに提供する活動を行う。
・2021年、ニュース拡散時に改めてコピー入手(月刊カドカワ、ロッキングオン・ジャパン、クイック・ジャパンの記事を入手)
このように小山田氏の問題は、例えばブログで取り上げられたり、報道で話題になる前から、とても不快な出来事として記憶していました。その不快さには、自分が受けた被害内容と、小山田氏が笑いながら語っていた加害内容が、少なからずリンクしていたこともあります。それでも、その高い音楽性へのリスペクトは変わらず、「作品は作品」として切り分けて聴取し続けてきましたし、コメント時にも私的エピソードは盛り込まず、自分なりの見解を示しました。
*
続いて、小山田氏が語った内容がどういうものかを理解するためにも、簡単に、いじめ研究の整理を参照してみます。いじめ研究には、90年代と比べても非常に多くの知見が蓄積していますが、本件の整理に役立つところに触れておきましょう。
・いじめには、「直接的攻撃」(殴る、蹴る、悪口をいう、からかう)と「間接的攻撃」(噂を広める、仲間はずしにする、嫌なあだ名をつける、からかいを共有する)がある。あるいは、「身体的攻撃」(殴る、蹴る)、「言語的攻撃」(悪口をいう、噂を広める)、「関係性攻撃」(無視する、仲間外しにする)といった分類や、「暴力系いじめ」「コミュニケーション操作系いじめ」といった分類もある。実際のいじめは、これらの類型が折り重なって行われる。
・日本では「暴力いじめ」よりも、悪口やからかいなどの「言語的攻撃」「関係性攻撃」のいじめの方が件数として多い。
・森田洋司らの「いじめの四層構造」では、いじめは被害者/加害者の二者関係によって成り立つのではなく、「観衆」(はやしたてたり、おもしろがったりする者と「傍観者」(見て見ない振りをする者)を含めた四層構造になっている。
・いじめは突然に重度化するのではなく、観衆、傍観者、大人などの態度によって、抑制されたり助長されたりする。すなわちいじめは、周囲の反応を踏まえてエスカレーションしうる。
・傍観者(いじめを知りつつ見て見ぬふりをする人)が多い環境は、いじめに暗黙の了承を与えることで、いじめを助長する。
・傍観者にならない手段は、「仲裁者」(いじめを止める)の他にも、「通報者」(いじめ解決可能な人につなげる)、「シェルター」(いじめられている相手と対等に接する)、「スイッチャー」(いじめムードを変える)などがある。
・小中学生の間。9割近い生徒は、加害も被害も両方経験する。一方で一部には、長期持続的に加害/被害にかかわる人者もいる。
・障害者、性的マイノリティなど、「いじめ被害のハイリスク層」となっている人々がいる。
・自尊感情の低さや共感性の低さは、傍観行動を助長する。
・共感性は加害傾向と負の効果を、排他性は加害傾向と正の効果を持つ。
・「Kiva」などのいじめ対応プログラムは、傍観者の役割の重要さに着目したスキルトレーニングを提供している。
特に、「いじめの四層構造」の理解は重要です。多くのいじめは、「実際には加害は行われていなかった/いや行われていた」というような、単純な二分法で考えられるものではありません。いじめ事件の多くは、個別の加害行為に対して、時には加害者の立場で、時には観衆という立場で、時には傍観者という立場で関わっていた、と整理されていく必要があります。それらはまた、なぜ関与した者は、「仲裁者」「通報者」「シェルター(いじめをせずに関わり続ける人、避難所)」「スイッチャー(いじめが起きにくい空気へと変える人)」という立場を取れなかったのか(取らなかったのか)という問いにも続きます。
*
小山田氏の件も、「直接加害者かそうでないか」といった軸でのみ考えると、問題を矮小化することになってしまいます。その上で、氏はこれまでどのような仕方でいじめ関与をしてきたと語ったのか。主要な二つのインタビューを見てみましょう。
「ロッキング・オン・ジャパン」1994年1月号
●がインタビュアーの山﨑洋一郎氏、鉤括弧内が小山田氏
「あとやっぱりうちはいじめがほんとすごかったなあ」
●でも、いじめた方だって言ったじゃん。
「うん。いじめてた。けっこう今考えるとほんとすっごいヒドいことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)。だって、けっこうほんとキツイことしてたよ」
●やっちゃいけないことを。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」
●(大笑)いや、こないだカエルの死体云々っつってたけど「こんなもんじゃねえだろうなあ」と俺は思ってたよ。
「だけど僕が直接やるわけじゃないんだよ、僕はアイディアを提供するだけで(笑)」
●アイディア提供して横で見てて、冷や汗かいて興奮だけ味わってるという?(笑)
「そうそうそう!『こうやったら面白いんじゃないの?』って(笑)」
●ドキドキして見てる、みたいな?
「そうそうそう!(笑)」
●いちばんタチ悪いじゃん。
「うん。いま考えるとほんとにヒドいわ」
●いやあ、文系の学校が血気盛んになるとそっちに走るよね。
「うん、ほんっとにそっちに走るよ」
●で高校はそのままエスカレーター式で?
「うん」(以下別の話に)(p30)
このインタビュー時では、自らが加害者側となり、「性暴力」「食糞」「暴力」に関与していたことが語られています。ただし、「アイディアを提供」とあるように、加害者の中でもさらに、「観衆」の立場を取りながら関与していたいじめ立案者であったと語られています。
「クイック・ジャパン」(1995年8月号)の方は、いじめをテーマにした長文に渡るインタビューなので、部分的引用がなかなかに困難なため、どのようなことが語られていたのかを箇条書きで触れておきます。
・小学時、「障害がある」「S君」(二次加害予防のためイニシャルにします)に対する攻撃が語られる。「段ボール箱に入れる」「全身をガムテープで縛る」「黒板消しの粉をかける」「マットレス巻きにする」「飛び箱の中に閉じ込める」「マットの上からジャンピング・ニーバットする」などの行為があったことを語る。
・中学時、「頭が病気でおかしいんだか、ただのバカなんだか」と語られる「M君」に、「掃除ロッカーの中に閉じ込めてロッカーを蹴飛ばす」などの行為があったことを語る。この行為について小山田氏は、「小学校の時の実験精神が生かされてて」とも語り、「黒板消しの粉をかける」行為についても語る。
・中学の修学旅行時、小山田氏は「M君」と「渋カジ」と同室になる。さらに「渋カジ」が「洗濯紐でグルグル縛りにする」「服を脱がす」「自慰行為を強要する」などの加害を行った件について、小山田氏は「そこまで行っちゃうと僕とかひいちゃうっていうか」「おもしろがれる線までっていうのは、おもしろがれるんだけど」「かなりキツかったんだけど、それは」と語る。
・高校時、「S君」に対して、「服を脱がす」「女子が反応するから、裸のまま廊下を歩かせる」といった行為があったと語る。小山田氏自身は、「ちょっとそういうのはないなー」「笑ってたんだけど、ちょっと引いてる部分もあったて言うか」と語る。
・高校の時に外で喫煙しながら、「養護学校の人」であるダウン症児たちがマラソンをする様子について語る「『あ、ダウン症の人が走ってんなあ』なんて言ってタバコ吸ってて。するともう一人さ、ダウン症の人が来るんだけど、ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか?『あれ? さっきあの人通ったっけ?』なんて言ってさ(笑)」「次、今度はエンジの服着たダウン症の人がトットットとか走って行って、『あれ?これ女?』とか言ったりして(笑)。最後一〇人とか、みんな同じ顔の奴が、デッカイのやらちっちゃいのやらがダァ~って走って来て。『すっげー』なんて言っちゃって(笑)」
なおこのインタビューについては、人によって細部のニュアンスの受け取り方が異なるようなので、細かなニュアンスはぜひ、原典を読んでいただければと思います。実際、まとめブログやコピペなどを読んだ後に、当該インタビュー全文を読んだ人の反応も、「印象が変わった」というものもあれば、「印象は変わらなかった」というものもあります。
このインタビューでは、小山田氏が、「おもしろがれるいじめ」と「引くいじめ」の線引きについて語っています。実際、人には「攻撃抑制規範」があるため、自分が行うことについて許容できる攻撃には限度があり、一定程度を超えると罪悪感を抱くこともあります。小山田氏にとっても、独自の線引きがあったことや、加害的関与に対する快楽と罪悪感との揺れがあることが窺い知れます。
特徴的だと思ったのは、関与した相手について言及するときに、その障害特性などについて触れる場面が続くことです。基本的には、障害特性のある他の生徒への関わり方は、「観察する側」として「面白がる」という描写が目立っていました。
なお、こちらのインタビューでは、自慰の強要などは別の人(=渋カジ)が主導していたことと説明されています。これをもとに、「ロッキング・オン・ジャパン」の発言と、「クイック・ジャパン」の発言とを、相当の熱量をかけて「差分」で読み解くことを通じ、小山田氏は実際には、「食糞」「自慰強要」などの重大事態加害者ではないのだと読むのが、この時点で既に自然であったはずだと位置付ける言説もあります。但し、それが実際に、一般読者の普通の注意と読み方によって受ける印象なのかと言われれば、疑問もあります。
というのも、「クイック・ジャパン」においてもなお、「ロッキング・オン・ジャパン」のでの発言の逐次修正が行われているわけではありません。すなわち、片方の記事だけを読んで発信内容を捉える人もいれば、「ロッキングオンで総論的に語り、クイックジャパンでは別件も含めた詳細を告白している」と「加算」で読み解く人もいる。つまり小山田氏本人の声明が出るまで、その解釈の幅の中でどう読解するのかは、受け手にグラデーションがあったことになります。
ただ少なくとも、障害のある児童に対して、「加害者」「観衆」の立場で深刻な「直接的攻撃」「間接的攻撃」に関与したと小山田氏が語る、なかなかに露悪的な記事が複数、存在していたことは間違いありません。この点に反応する形で、後に複数の障害者団体が、抗議文を出すことにもつながります。
このような記事を読んだ上で、僕は2021年7月21日、次のような発言をしています
「小山田氏の様々な発言というのは、いじめの文脈というものを越えた性暴力でもあるし、障害者差別でもあるしという、いろんな問題をこう含んでいるわけです。例えば人前でマスタベーションすることを強要するとか、あるいはその女子たちが見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか。あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいは大便を食べさせたりとか。そうしたようなことを繰り返していたんだということを言っていたわけです。また他にも様々な、ダウン症の児童などに対する侮蔑的な発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろんなことがこう、自ら、発信されてるんですね。しかもそれがインタビューの中だと、「(笑)」とかそうしたような文言を用いて、非常にこう露悪的な仕方で発信されていた、ということになるわけなんですね。」
https://www.tbsradio.jp/articles/1337/
僕はここまで、小山田氏の「過去のいじめ行為」そのものというより、メディアを通じた「発言」「発信」の影響力について問題視しています。実際にどの範囲の加害行為が確定しているのかは不明ながら、「このようないじめをした」との、本人の語りを紹介するテキストそのものは存在し続けている。それにフォーカスがなされたならば、それに対する適切な応答が望ましいだろう、という趣旨になります。
なお、実際にこのコメントをする際には、手元に「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の記事を持ちながら話していました。そのため、語られていた文の内容について説明する際、小山田氏の発言の内容を、当該部分をめくりつつ、少し指先を震わせながらも、慎重に言葉を選びながらも発言したのを覚えています。
*
こうした記事について、小山田氏はオリパラ議論の際、公的な応答を行うことになりました。そのうち、事実認識についての修正も行われました。
2021年に行われた釈明(週刊文春インタビューおよび公式に投稿されたメッセージより)
・「ロッカーに同級生を閉じ込め蹴飛ばしたこと」「知的障害を持った同級生に対して、段ボールの中に入れて、黒板消しの粉を振りかけてしまったこと」は事実(週刊文春記事より)。
・「同級生に排泄物を食べさせた、自慰行為をさせた」といった内容については、私が行わせたり、示唆や強要をしたといった事実は一切ありません。
・「排泄物を食べさせた」ということについては、小学校の帰り道に、クラスメイトの一人がふざけて道端の犬の糞を食べられると言い出し、拾って口に入れてすぐに吐き出したという出来事があり、彼本人も含めその場にいた皆で笑っていたという話が事実です。
・「自慰行為をさせた」という部分については、中学校の修学旅行の際、ある先輩が、私のクラスメイトの男子に対し、自慰行為をしろと言っている場面に居合わせ、限度を超えた状況に自分は引いてしまったということが事実です。
・『ROCKIN'ON JAPAN』については、発売前の原稿確認ができなかったため、自分が語った内容がどのようにピックアップされて誌面になっているかを知ったのは、発売された後でした。それを目にしたときに、事実と異なる見出しや、一連の行為を全て私が行ったとの誤解を招く誌面にショックを受けましたが、暴力行為を目にした現場で傍観者になってしまったことも加担と言えますし、その目撃談を語ってしまったことは自分にも責任があると感じ、当時は誌面の訂正を求めず、静観するという判断に至ってしまいました。
・しかしその判断についても、被害者の方の気持ちや二次被害の可能性に考えが及んでいない、間違った判断であったと深く反省しています。
・『QUICK JAPAN (1995年8月号)』の記事では、知的障がいを持つ生徒についての話が何度か出てきます。報道やSNS等では、私がその生徒に対し、「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」ということになっていますが、そのような事実はありません。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/131625
一見して、丁寧な応答だという印象があります。まずここでは、一部のいじめ加害は事実である一方、一部のいじめについては、「その場を盛り上げるために、自分の身の回りに起きたことも含めて語ってしまいました」と述べられています。
加えて、原稿の本人確認がなされない編集体制や、露悪的な発言内容を削除するどころか、むしろ積極的にフォーカスしていった媒体責任の問題についても示唆されています。実際、そのような「発信」がされたのには、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の影響がとても大きい。だからこそ、媒体の応答責任もまた、問われることとなったのです。なお、実際に現場でどのくらい盛って語ったのか、あるいはその発言がどのくらい盛られて書かれたのかは、当時の取材テープなどの検証がなされない限り難しいと感じます。
このほか、自身の問題や責任についても、踏み込んだ発言をしています。
・これまでに説明や謝罪をしてこなかったことにつきましても、責任感のない不誠実な態度であったと思います。特に、長年に渡ってそれらが拡散されることで、倫理観に乏しい考え方や、いじめや暴力に対しての軽率な認識を助長することに繋がっていた可能性もあり、これまでそのことに真摯に向き合わず時間が経ってしまったことはとても大きな過ちでした。
・小学生の頃、転校生としてやってきた彼に対し、子どもの頃の自分やクラスメイトは、彼に障がいがあるということすら理解できておらず、それ故に遠慮のない好奇心をぶつけていたと思います。
・『ROCKIN'ON JAPAN』で誤って拡がってしまった情報を修正したいという気持ちも少なからずあったと記憶しています。とはいえ、その場の空気に流されて、訊かれるがままに様々な話をしている自分は、口調や言葉選びを含め、とても未熟で浅はかでした。また、学生時代の話を具体的に語ったことで、母校の在校生や関係者の方々にも大変なご迷惑とご心配をお掛けしてしまったことを、心から申し訳なく思います。
・今にして思えば、小学生時代に自分たちが行ってしまった、ダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどの行為は、日常の遊びという範疇を超えて、いじめ加害になっていたと認識しています。子どもの頃の自分の無自覚さや、雑誌でそのことを話した20代の自分の愚かさによって、彼や同じような体験を持つ方を傷付けてしまい、大変申し訳なく思っています。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/131625
相手への謝罪、二次加害への謝罪、表現者としての発信の責任、応答不足の認識など、さまざまな配慮が行われた文章であると考えられます。とりわけ、自らが「傍観者」として関与したことについての問題、その目撃談を語ってしまった問題、そして訂正や応答をしないことについての反省が正面から述べられている点は重要だと思います。少なくとも僕のような部外者が当初に求めていた「応答」は、一通りには行われたと感じました。
厳密に触れておくとすれば、いじめの四層構造理論の分類でいえば、小山田氏は「傍観者」ではなく、「加害者」「観衆」「傍観者」を行き来している立場のように見えます(内心で「引いていた」からといって、「傍観者」になるというわけではありません。例えば内心では「引いていた」けれども、場の雰囲気に飲まれて「殴る」ということが可能なように)。また、本人コメントでも雑誌記事でも、細かな行為の全てについて、逐一確認できているわけでもありません。
また小山田氏は、「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」ことを「事実はありません」と述べていますが、先のいじめ理論に基づいて整理すると、「障害特性のある児童に対して、直接的攻撃、関係性攻撃を含む、さまざまないじめ関与を継続していた」という説明が妥当だと思われます。
ただ本件は、相当過去の出来事であり、個別の事実確認がどこまで可能かといえば難しいでしょう。そうした中でも、数十年前以上のいじめ事案、およびそのことをメディア上で語ったことについて、これだけ言葉を割いて説明がなされるという事例は、日本では珍しいと思います。少なくとも、小山田氏が雑誌で「発信した」ことに対する「応答」は、今回の声明文で相応になされていたと捉えられるのではないでしょうか。
小山田氏の文章は短いながら、自分の間接的攻撃や、発言の影響力を含めた考察が加えられたものでした。そのため、少なくともこの声明以降は、「障害者に対して、食糞や自慰を強要させたのだ」といった文言に引っ張られるのではなく、かといっていじめの間接的攻撃や観衆的関与に関する社会的発言の意味を軽視することない仕方で、それぞれが評価を行うことが妥当であると思います。
なお、90年代というのは、まだまだいじめ研究が出発地点に立った時期で、適切ないじめ分析が共有されるような状況ではありませんでした。いじめなどが日常に起きている中にあって、小山田氏だけでなく、多くの人が、自らが被害/加害に関わった行為を、適切に言語化できないような鬱屈感があった時代だ思います。
もしこの時、より適切ないじめ理論が小山田氏にも届いていれば。分析的語彙をもたなかった一人の「元児童」「若手ミュージシャン」が、自己卑下および「過剰演出」のために、反発を呼ぶような発信にかかわらなくて済んだのかもしれません。そのことを思うと、いじめ関連のデータや知識などをさらに広めることの重要性を痛感するところでもあります。
個人的には、小山田氏が書かれていたような、「罪悪感と後ろめたさを感じていながら、どのように発信すべきか判断できないまま、ここまできてしまった」「自分の過去の言動やこれまでの態度を反省すると共に、社会に対してどのようなかたちで関わり、貢献していくべきかを個人としても音楽家としても、今まで以上に視野と意識を広げて考え、行動に移していきたいと思っています」という言葉には説得力を感じ、ひとつの納得を得ました。
小山田氏には機会があれば、改めて、本人の今後の社会的取り組みなどについてお話しを伺ってみたいとも思わされました。
このような応答をした人物に、今度は社会が応答し、その活動を見守るということがあれば、多くの居場所を作れる社会への歩みとなるのではないか。そう考えています。
*
さて、こういう考えをイベントで発言すればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、先に書いたように僕は、DOMMUNEへの出演を断りました。一番大きな理由は「多忙さ」です。
僕は12月29日に、別のイベントに出席していたのですが、そのイベントは、主催者との信頼関係もあり、半年前からスケジュールを抑えられていたものでしたので、その日を最後に、2021年の仕事納めにしようと決めていました。今年はワクチン休暇を1日取った以外、休みを取っていないので、29日以降は絶対に外出仕事をせず、在宅すると決めていたのです。
しかし、DOMMUNEから依頼が来たのは12月18日。依頼内容は、「収録にしたいと思うので、19、23、27、30日のうち、登壇可能な日はあるか」といったものでした。19日は都内におらず、しかも前日でのオファーに応じるのは現実的ではありません。23日と27日とで指定された時間帯は、ラジオの生放送と時間帯が完全に重なっており、30日以降は先に述べたように、原稿執筆に集中すると決めていた日でした。
一方で、「多忙さ」だけでは、「別の日ならどうか」という申し合わせがあるかもしれません。そこで率直に、「企画趣旨への賛同できなさ」があることも書きました。その時の企画案は、後に公式サイトに掲載されている企画趣旨と、多くの面で同じ内容です。但し、僕が断ったことを受けて、エクスキューズとなるような文言が、一部に加わっていました。
企画文の中でまずひっかかったのが、次の文章です。
実は、我々DOMMUNEは、この問題が浮上した時期から番組の計画をしていた。しかし、今年9月17日にコーネリアスオフィシャルHPから小山田圭吾氏の署名付きで発信された【いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明】を読み、この声明が拡散されることによって、遂に大きな誤解が解ける筈だと安心し、一度、我々DOMMUNEは計画していた番組を配信する必要は無いと考えた。
なぜなら、本人によるこの経緯説明と、同時期に出版された「週刊文春」9月23日号の「小山田圭吾氏の懺悔告白120分」をきちんと読めば25年前の2つの雑誌から引用され、世間に断罪された凄惨ないじめの主要部分は、小山田圭吾氏の行なった行為ではないということを誰もが読解できると思ったからだ。しかし、時が経つにつれ、その後も状況は殆ど変わっていないと感じるようになり、DOMMUNEアカウントにも、沢山の意見が届け続けられた。
事実、声明を出した後にも、小山田氏は再び批判に晒され続けている。 一度、適切でないと判断されれば、客観的な事実に基づいていないことが明らかだとしても、ネットリンチのごとく袋叩きにされ、傷に更に塩を塗るようにデジタルタトゥーを刻み続け、どん底まで徹底的に糾弾し続ける現代のキャンセルカルチャーに自分は強い危惧の念を抱いた。いや、何も全てのキャンセルカルチャーを否定しているわけではない。叩く側のリテラシーとモラルが崩壊すると、ここまで根深い暗黒を生み出してしまうのかと、驚愕したと言っているのだ!!!!!!
https://www.dommune.com/streamings/2021/123101/
この文章からは、小山田氏を「批判」する人は、「誤解」に基づいて批判しているのだという認識を読み取りました。しかし、実際に批判的態度を持っている人にもそれぞれの温度感があり、批判者を一括りにするようなことはできないでしょう。
当時記事を読み、メッセージや記事を読んで、小山田氏による事実説明を信用してなお、心のなかに不安定なしこりを持ち続けている人はいます。先に述べたように、小山田氏を批判する人の中には、「実際にはしていないいじめ内容を誤認した」人もいれば、「確定されたいじめ内容ですら拒絶感がある」という人もいるでしょうし、「媒体上で行われた露悪的な発言の主だから」という人もいれば、「応答に納得がでいないと今でも思うから」という人もいるでしょう。
小山田氏を悪魔化する言説にも同意できませんが、批判者をひとくくりに、欠如モデル的に「無知な暴徒」として扱うかのような姿勢も同意できません。もちろんこれが僕の過剰な反応で、あくまで実際の主催者のスタンスは、そのような態度ではないのかもしれません。しかし、檄文のようなこの企画文から、「うわっ」と気持ちが退いたのは確かです。率直に、この文章に滲む「ノリ」が自分には合わず、冷静に議論するといったトーンには合わないようにも感じました。いろいろな「場」の作り方があるのでしょうが、少なくとも自分にはミスマッチだなと思ったわけです(念の為、企画内容は自分には合わないなと思いましたが、場所作りそのものはリスペクトしています)。
もちろん、不当な攻撃も多く存在するでしょうから、その危機感はよくわかります。他方で、攻撃について議論する際に注意しなくてはならないのは、先程の「攻撃抑制規範」のブレーキを外す要因となるひとつ、「報復的攻撃」の感覚です。
「相手が先にやったのだ/相手を懲らしめるためやり返さなくてはならない」という状況では、人は普段以上に、攻撃性を発揮しやすい。小山田氏に対する攻撃のあり方を問題視するという企画趣旨そのものが、批判者を悪魔化して攻撃するものにならないようにするなど、適切にキュレーションすることが求められると思います。その点、この企画文からは、相当に「前のめり」な印象を受けたので、僕自身がそこに関与するリスクを感じ、辞退することにしました。
さらにいえば、私に登壇が求められていたパートでは、企画段階では「昭和の校内暴力/令和の同調圧力」といったサブタイトルが付けられていました。しかし、このように大括りの時代区分で、有意義な語りになるとは思えません。依頼段階では、僕の他に同席する登壇者が確定していいない状態でもあったので、誰とどのような議論になり、どのような形での配信となるのかも不安であったため、やはり断るのがよかろうと思った次第です。
当然、「90年代の世紀末を共に生き抜いてきた同志」といったフレーズにも違和感がありましたし、検証するといいつつ、結局は自分も「擁護側」グループにリクルートされようとしているのではないかと感じた点もあります。ただ、僕が登壇を拒んだのは、このように複数の要因を検討したものであり、「こういう理由ではないか」と、何か一つの推測がなされるようなものではありません。
とはいえ、これらはあくまで企画文について感じた僕の一方的な距離感であって、実際の主催者の方の考えや、イベントそのもののクオリティがどうかはわかりません。残念ながら僕は参加しませんでしたが、イベントが有意義なものであったことを願っています。
というわけで、DOMMUNEで言及されたことへの説明に加え、簡単な振り返りなどを行いました。今年もよろしくお願いいたします。