「チャット大会番外編―その1」ログ公開

2005年1月15日に、チャット大会参加者メンバーである上山和樹さん(id:ueyamakzk)、灯さんとchikiの三名でチャット鼎談を行いました。




視覚・暴力・ニートを問題にした「第一回チャット」、バックラッシュを問題にした「第二回チャット」、マイノリティと経済システムを問題にした「第三回チャット」を受け、第四回はどういったテーマがいいかという相談を行うためのものだったのですが、ついつい話がそれ(?)、ネット上でコミュニケーションをとる困難と作法についてでぃ〜ぷな話が出来たので、掲載します。最近よく問題になるネット上での「論争」の難しさや可能性などについても触れられていたり。緑茶でも飲みながらまったりと読んでください。







次回のチャットはどうすんべ。
上山:こんばんは〜(入室)




chiki:
こんばんわ。あけましておめでとうございます。




上山:
あ、そうですね。あけましておめでとうございます。




chiki:
新年早々、突然お誘いして申し訳ありません。最近、上山さんお忙しそうですね?




上山:
いえいえ、そんなことないです。そちらこそ、サポセンは本当に大変そうですね…。BLOGを拝見してるだけで具合悪くなりそう(苦笑)。





chiki:
具合を悪くさせたのはこのエントリーですね。面白おかしいネタのつもりで書いたのですが、ネガティブさがにじみ出てしまったようです(笑)。上山さん、最近色々なことにコミットしていらっしゃる様ですね。名づけのキャンペーンは大事だなぁと思います。




上山:
私は最近、「コミュニケーションにいかにエネルギーと時間がたくさん要るか」と痛感していて、「仕事に忙殺されていたら大事なコミュニケーションが全くできない」と呆然としているので、顧客たちの杜撰さには本当に恐怖を感じました(苦笑)。さて、チャットのテーマの件ですが。




chiki:
そうですね。上山さんのエントリーについてはまた後ほど。上山さんにメールを送らせて頂いた時には「次回のテーマをどうしよう」というものだったのですが、先ほどのメールで書いたように、今は「第4回」自体をどうしようか、と思っています。行わない、というのではなく、無理につなげなくてもいいかな、とも思ったので。いかがでしょうか?




上山:
形式もテーマも柔軟でいいと思います。参加者が一番ビビッドに感じられるやり取りができるのが大事だと思いますので・・・。




chiki:
そうですね。無理やりつなげようと頑張ってしまうのではなく、後に行うであろうそれぞれのコミュニケーション過程でリンクしていければいいのですよね。




上山:
ええ。これまでの議論の蓄積は、皆さんの中に刻まれていると思うので、むしろ「現在において最もビビッドな課題設定は何か」というふうに仕切りなおす作業に意義を感じます。と書いてしまうと自分の最新エントリーに引きつけすぎかな(笑)。




chiki:
いえいえ、それでいいと思います(笑)。というのは、チャット開始して3ヶ月くらいたっているのですが、思ったのは、チャット前と後で参加者の方々の意識やエントリーに大きく変化した部分があると思いました。チャットが直接関わっているというわけでは必ずしもないでしょうけれども、参加者の立場や状況が変われば、チャットの形式やテーマも変わりますよね。chikiは今はネット上でのコミュニケーション(含、議論やテクスト生成)についてゆっくり考えたいとも思っていますが、その前に上山さんから頂いていたチャットのテーマを、再度じっくり語りあいたい、という感じです。




灯:
あけましておめでとうございます。ちょっとご挨拶で立ち寄らせて頂きました。今年もよろしく(入室)




上山:
おや、灯さん! あけましておめでとうございます。




chiki:
びっくりした! あけましておめでとうございます。ただいま、次回テーマについて相談中です(笑)。




上山:
最近の私が出している、マイノリティ問題における「属性と課題の峻別」、「脱落復帰問題」キャンペーンなどは、私が以前出させていただいたレジュメを引き継ぐものだと思います。そこにchikiさんのおっしゃる「ネット上のコミュニケーション」の話を掛け合わせる形になるでしょうか。



灯:
その掛け合わせすごくいいんじゃないですか。「isedの議事録」も面白いですね。そろそろ第二回が公開される頃かな? 楽しみですね。




chiki:
この議事録は参考になりますよね。さすが、というか。ただ、ちょっと東さんの我田引水っぷりも目につく気がしたんですが、やっぱり気のせいかな?




灯:
(笑)東さん、司会に徹するというよりは自分がしゃべりたい人だからかな?  でも議事録読んだ限りでは、とても刺激的な議論が交わされていて、これからが楽しみな試みですねisedは。ところで、ネカマの問題なんかもジェンダーやコミュニケーション論と絡めて取り上げると面白いかも。実は僕、某アーティストのファンサイトで図らずもネカマを演じてしまったことがありまして(苦笑)。最初主語を使わずに投稿したんですね。ちょっとハンドルが中性的だったせいもあって、レスがいきなり「素敵なお姉様」みたいな感じで帰ってきて、引くに引けなくなって(笑)。そのとき思ったんですけど、実は女性の方が発言の自由度が高い(爆)。性別無標榜の方が、発言の自由度が高いと思うことってありません? 「土佐日記」じゃないけど、異性の振りをしてものを書いてみたいっていうのはありますしね(笑)。




chiki:
そうですね。ただ、ネカマネタの多くが「相手の高みにたっておちょくること」に終始してしまっている現状ですが、意外と批判の声が小さい。笑いは差別の一形式だと誰かが言っていましたが(誰だったかな)、ちょっと批判があってもいいのではないかと思います。それはひとまずおいておいて、上山さんから頂いている問題をつなげたいですね。出来る限り具体的な形で。ところで、ネットとコミュニケーションだと、情報社会と倫理、ということで、isedとテーマが微妙にかさなりますね。







電子テクストと文体/コミュニケーションと属性。
上山:私たちは、自分で意識している以上に「属性」によって自分の発言に縛りをかけていて、しかしネット上だと属性に関しては自己申告ですから、「男」「貧乏」といったリアルな属性からは自由になれるが、「それは倫理的に許されるのか」というふうに問いを立てられるでしょうか。





chiki:
基本的には特に問題ないと思いますが――というか、レスポンスが早い分、ものを書いた瞬間に自分の属性に驚くような体験がネットだとおこりやすいのではないでしょうか。それは属性自体から自由になるというのとはむしろ反対ですよね。2ちゃんやネカマなどを見ていると、よりステレオタイプな属性に自分を投げているので。



上山:たとえば私は、「ひきこもり経験者」という属性を入り口に仕事を試みるとして、しかしその属性に縛られたくはない、という気持ちもある。属性については機会原因的に捉え、むしろ課題共有のほうで頑張りたい。その「課題共有」のために、情報技術はどう関係するのか、みたいなことかな・・・。ネカマを「演じる」というのは、「若い女性」という属性をステレオタイプに引き受けて楽しむんでしょうね。




chiki:
ええ。例えば「コムジン対談」で東さんが、例えば今までコミュニケートできなかった別領域の方、すなわち属性や課題の異なる者が、ネットによって対話したり衝突したりすることが出来るようになったのでその点は評価し、未来は明るいとまで言っています。確かにネットは、「課題共有」するためのツールにはなりうると思いますし、同時にコミュニケーションの訓練となる部分もあると思います。が、即時的に、技術決定論的に善に向かうわけではないですし、むしろ享楽的なほどに「荒れ」やすい。その典型はネカマやテクストサイト、ニュースサイト、掲示板などのいずれにも見られますし、もちろんベストセラー『電車男』にも顕著です。ネットだからこそイージーに傾倒するのだとは思いませんが、ネットならではのイージーへの傾倒、というものがあります。そこで倫理について真剣に考える場や有効な批評装置が必要であると個人的には思っています。ただ、それらもやはりサイトなどで作らないとだめですし、そういうものが例えば「荒らし」への歯止めになるとは思えませんが。




灯:
社会的な属性と、ある時点で自分が言いたい事の間に齟齬がある場合、単発的には後者にフィットしやすい属性を選択して発言することが出来るというのは悪いことではないけど、継続的に何らかの課題を共有して、ムーブメントを起こしていきたいという場合は「信用」の問題がものすごく大きいから、自分の社会的属性を偽るのはリスクが大きすぎますね。





chiki:
そうですね。「属性」の問題もネット上で顕著になりやすいですよね。例えばフェイス・トゥ・フェイスだと、自分の発言に対して相手が微妙な反応だとちょっとずつ意見を変えたりすることが多々あると思うのですが、例えば匿名の一行レスだとそこから属性を拭い去るのは難しいし、一方で発言主体を想定しがたくもあるから信頼が生まれにくい部分もあります。これはBLOGでも(緩和されるとはいえ)基本的に変わりはないと思います。




上山:
「匿名の批判の禁止」にあったのですが、「利害の絡む問題では、≪その発言をしたのは誰か≫が重要だ」という指摘があり、重要だと思いました。「内容至上主義」には限界がある、と。「デジタル・デバイド」という言葉、つまり「ネットに参加できる人とそうでない人の格差」がありますが、「参加できる人は参加できる人で取り組める課題で頑張る」ということで、ネット参加できない人とも利害や課題を共有できると思うのですが、いかがでしょうか。




灯:
ここは、サポセンの中の人@chikiさんからコメントを(笑)。




chiki:
デジタル・デバイドを埋めることはすんごく難しいですよね(汗)。それでも、埋める努力と歩み寄る努力と、違う立場でも共有出来るようにする努力は必要だと痛感しております。それはすごいしんどいし、どの立場であってもストレスになることでしょうから、いっぺんに解消できるようなアイデアなんて浮かびませんよ。サポとか簡単操作とか教育支援とか、公民館で教えあうとか(笑)、こつこつとあきらめずにやっていくしかない。それから、HNのあるBLOGでも、固性のかけらのないバッシングや差別的言説にあふれかえっていますので、「誰か」という問題は難しいですね。




上山:
デジタル・デバイドの話は、そのまま「マイノリティと既得権益層の間の溝」の話に重ねられるように思うのですがいかがでしょうか。



chiki:そう思います。



灯:
あのね、僕最近chikiさんに触発されて(笑)、2ちゃんねるをよくみるようになったんですけど…。




chiki:
それはヤヴァイ。




灯:
「自分の文体」ってけっこうあるようで無いんですよねー。僕が書いたのか?と思わず錯覚しそうな書き込みがあったりしてね。何かフーコーの言説分析は正しい、みたいな感じなんですけど(笑)。僕って「凡庸」だなって思いましたよ、ホント。




chiki:
というかですね、chikiも2ちゃんに書くときは、2ちゃんねる文体に合わせて書きますから、後になって見分けつきません(笑)。あえて凡庸な文体に合わせて書いている人、多いんじゃないでしょうか。まあ、chikiが文学板や哲学板にはさっぱり書き込まず、文体に特徴のある板ばかりに書き込んでいるためかもしれませんがww。




上山:
逆に、文体を見ただけですぐにわかる人も居ますね。切込隊長とか山形浩生さんとか。




chiki:
小谷野敦さんとか。




灯:
っていうか、趣味によってすごく細分化されているから似たような語彙を使う人が多いんですよ。もうどうしようもなく。




chiki:
その趣味の共同体にいれば、細かな文体の差が分かったりして、IDなくても誰と誰がやりあっているのかわかったりするのですが、それは特殊な例で(笑)。って、ええと、次回のチャットの件でしたよね(爆)。




上山:
ええと、チャット案の議論のつもりですが(笑)。コンテンツの説得力はもちろん不可欠ですけど、≪文体の影響力≫というのは凄まじい気がする。思考指針まで決めてしまうというか。








電子テクストと文体/コミュニケーションと属性。
chiki:失礼。楽しかったから、まじめに話している気がしなくて逆に焦りました(笑)。上山さん、本日(1月15日)のエントリーで結構苛烈な批判を展開なさっていましたよね(この日のエントリー。今は削除されています)。もしかしたら失礼で的外れな意見なのかもしれないのですが、今回上山さんが批判した方の文体がもう少しおとなしかったら、上山さんもあそこまで批判しないのかな、と。




上山:
ああ・・・・>chikiさん。どうでしょうね・・・。ただ、今回批判した内容は、あの批判者だけの問題ではなくて、2ちゃんねる上山スレで私に向けられている批判や、これまで「当事者として発言する」こととして私に向けられた批判すべてに向けられている面があって、あの批判者をまさに「代表」みたいにして扱ってしまったのは、気の毒だったかもしれないです・・・・。しかし、あの方の文体に独特の冴えというか、「こちらの傷に抵触する何か」があるのは確かのようにも思います。あの方自身が傷を受けている人ですからね・・・。



chiki:
そうですね。ワタリ氏(上山さんが批判した方)のブログを見ると、やはりその人なりのリアリティがあるんですよね。例えば「北田×林論争」で言えば、どちらを支持する人にもその人のリアリティがあったりする。





上山:
そうです。その「リアリティ」の部分は、たぶん各人の属性や境遇が決めると思うのですが、それを前面に出すと、≪課題共有≫は不可能になる。つまり(ワタリ氏には申し訳ないが、)あの方は、今回の私と杉田さんのキャンペーン――「深刻度競争をやめて、共有できる課題を設定しよう」――の、核心的地雷を踏んでしまった感じで、「典型例の雛型」として徹底的に書かせていただいた感じです。さきほどそのBLOGエントリをちょっと書き足したのですが、個人的なケンカみたいな話にするのはあまりに不毛だし、先方があらためて「課題共有を模索しましょう」と言ってくれれば、それは大歓迎なのですが【注:私の批判的エントリは削除のままです】。





灯:
苛烈な批判といえば一昔前のchikiさんですが、いかがでしょうか。





chiki:
イタタタタ(激痛)。すみませんすみませんすみません。今回の批判に同意する点多々ありつつ、ただフレームアップしそうな文体は上山さんには珍しいかな、と思ったんですね。chikiが苛烈な毒舌をやめた(本当?)のは、上山さんがきっかけのひとつを担っていると以前もお伝えしたことがあります。かつてのchikiの文体は、基本的には冷笑的で、思想を異にしている相手や読者が聞く耳を閉ざしてしまいかねないし、損だと思ったんです。他にも「一点突破型の批評」は限界があるし別の方法を選びたいと思ったり、自分の無知さ加減をわきまえようと思ったりしたからなんですが。それでも基本的にchikiはシニカルな人間だと思います。で、上山さんがかつてBLOGでchikiを批判しつつ教えてくれたのは、そういう方にも届くような発言の仕方を模索する作法だったんですね。もちろん今回の批判にも、その作法がしっかりありますし、正しい批判だとも思います。かつてのchikiと比較するのがおこがましいほど礼節もありますし、苛立ちも共感します。それでも、イージーになっている、あるいは過剰になっているのではないかとも感じたので、その点について伺いたいです(直接そのことを諭してくれたのは、灯さんなんですよね)。




灯:
議論に勝つってどういうことなんだろうって最近つとに思いますね。わりとこういう基本的な問題にこだわて考えるのって好きなんですけど。




上山:
なるほど・・・・。確かに今回は、私としては異例にフレームアップしやすい文体で書いていますね。「フレームアップは不毛だ」「伝えるためには冷静に書かなければ」と思い、可能な限り冷静に書こうとしてきた私としては、一方で逆に、「冷静に書きすぎて、こちらの深刻さがうまく伝わらない」という面も感じていました。また、感情を抑えて書くことの過激なストレスも気になっていました。身も蓋もないですが、胃潰瘍になってしまった。





chiki:
情念を抑える必要はないと思いますよ。





上山:
今回の件は、私としてはあまりに「典型的かつ核心的」だったし、かなりハメを外した感じです。以前の私は、「あらゆる批判に丁寧に対応する」ことをモットーにしていました。そしてそれを可能な限り守ろうとした。しかしそれはあまりに無益なエネルギーの浪費になることに気付いたので、今の私は、くだらない批判はすべて≪無視≫です。今回に関しても、≪無視≫という選択肢はあり得ました。しかし、問題が極めて核心的だったので、「これはキチンと反論したほうが後々のためにも、そして今回のキャンペーンのためにも良い」と判断したのでした。言葉遣いについては、やはりもう少し冷静にしたほうが良かったかもしれません。もちろん私もまだ試行錯誤です・・・。ちなみにあのワタリ氏は女性なのですが、以前私がBLOGで「このかたのBLOGを見つけたのは本当にいい出会いだった」と書いたところ、「出会い系じゃないわボケ」(大意)という返答をされたのです(注:問題のエントリを削除した模様)。それはモロに私の性愛トラウマを直撃しました(苦笑)。また、ほかの掲示板でも私や斎藤環さんをクソミソに言っていたらしく、そうした蓄積や、「斎藤環を叩けばいいと思ってる安易な連中」への苛立ちも加味されて、かなり筆が進んでしまった感じがありました。そもそも「当事者としてお前はクチを聞いてはならない」という昨年末に受けた批判にものすごくダメージを受けていたので、それも加わっていますね。





chiki:
性愛といえば、今日「めちゃイケ」という番組でナイナイの岡村が10代に恋愛について説教されてました。イタタタタ。。。




上山:
ナイナイの岡村の「性愛的ダメっぷり」にはかなり共感しています(笑)。




灯:
よくネット上で「馬鹿」とか「ヴォケ」とかっていう罵倒が飛び交ってるでしょう? ああいった発言を見ていつも思い出す言葉が二つあって。ひとつは「馬鹿という台詞は、その馬鹿をコントロール出来ない馬鹿が使う台詞なのだ」っていう言葉。もうひとつは、「自分が我を捨てて、相手のことを本当に知りたいと思って話を聞けば、相手は僕の話を聞いてくれます」という言葉です。「聞くこと」ってエネルギーが要るんだけど、すごく強い「力」でもあるんで。自分は相手の言いたい事を本当に理解しようとして聞いているか、っていうことはいつも思いますね。全然なってないですけど。




chiki:
しんどいですよねー。でも逆に、「お前は真剣に人の話を聞いてない」「ちゃんと読めば私の意図が私の思ったとおりに伝わるはずだ」とか、ちょっとそれますが「本当の恋愛を経験してない(自分の経験しているものこそが本当の恋愛だ)」という人は、もうね、ムッ殺したいですよ。





灯:
難しいですね。自己愛っていうのはもう誰にでもデフォルトであって、しかもとてつもなく強固ですから、それは大前提で「ある」と思ってないと、コミュニケーションが始まらない・・・。




chiki:
疎外論は最強の思想だ、というようなことをスガ秀実さんがよく言っています。それは、例えば大衆の原像を持ったほうがえらいということとはまた別だと思いますが、シニカルな現状で発言するためには意識せざるをえないですね。






上山:
問題は、「相手の言いたいこと」が、「聞くに値する情報価値」を含んでいることがほとんどない、ということではないでしょうか。その辺は、最近の私はかなり冷酷になっています。「コミュニケーション・コスト」という観点や、「必要に応じて自分を守らなければならない」ということを、よく考えるようになりました。それって、多くの引きこもり当事者が私にぶつける苦情ですよ>「こちらの話を真剣に聞け」。じゃあ、「聞け」ばいいのか。それは個人的カウンセリングにおいては徹底して重要だし、私はきわめて真剣に、メモを取りながら話を聞きます(細かいので驚かれます)。しかし、それは相手の個人レベルでは臨床的意味を持ちますが、≪普遍的な課題≫はそれだけでは見つからないし、よって≪課題共有≫には向かえないわけです。




chiki:
コミュニケーション・コスト、というのは、抽象的な議論の場においてはよく見落とされがちな重要な要素ですよね。哲学の議論や政治の議論をしている人たちが、「ある種の知的な気分」(『心脳問題』)に陥っているときに見落としがちなことで、それをリアルに感じないと「机上の空論」ですまされてもしょうがない。一方で、コミュニケーション・コストを見逃すな、と言ったとき、使い方によっては下手すれば自己肯定、現状肯定<のみ>に働きかねないと思います。もちろん上山さんがそのような発言をしないであろうという点に関しては全面的に信頼をしているのですが、例えば2004年4月のイラクの人質事件(香田さんではなく、3バカ、あるいは5バカ、と言われていた方の事件です)のとき、「プールには限界がある」という意見を元に「自己責任」論へと持っていく意見が賛美されました。論理的な是非はともかく、コスト削減で真っ先に切り落とされ、捨象されるのもマイノリティだったりするので、その倫理を問わずしてそういう部分に安直につなげさせるような部分には常にアンテナをはり批判していく機能を、何かが担わないといけないと思います。





灯:
上山さん、例えば数学において結論が一致することについてはどう思われますか? 学問において「用語の定義」が極めて重要視されることの意味については?




chiki:
数学と異なり、常に変数的ではあるんですけどね。




上山:
灯さんがおっしゃる「数学における用語定義の厳密さ」は、まさにchikiさんのおっしゃる「コミュニケーション・コスト」に関係しますね。数学というジャンルにおいては、≪証明≫という課題が共有されているので、議論フィールドを共有しやすい。(デリダの主張と異なり、「数学にさえ≪翻訳≫の問題がある」というのが、野宿者問題をされている生田武志さんのお話です(参照)「ニート」に典型的ですが、マイノリティの問題は、chikiさんのおっしゃるように、≪社会的コスト≫との関係で論じられることが多い。「連中を無視したほうが社会的コストが少なくて済む」「いや無視したほうがコストがかかる」といった話です(参照)。これは13日のエントリで書いたことですが、 「マイノリティを取り込んだほうがコストが低く済みますよ」「かえって生産性が上がりますよ」というふうに、既得権益層とコスト利害(課題)を共有しないと、議論のテーブルすら共有できない。マイノリティ/既得権益層の「コスト利害」の話と、コミュニケーション問題を交差させて、そこで倫理の話をすればいいのかな?





chiki:
それは例えばフェミニズムでは大沢真理さんが積極的に展開している手法ですね。男女共同参画社会の法案を作るときに、「女性を参加させたほうが実は長い目で見ると経済効果があるよ」と論拠を指摘していく戦略です。体制フェミなどと批判されますが、大事な試みだと思います。




上山:
そこで「体制や経営者の味方をしやがって!」というのは、まさに私や斎藤環さんがワタリ氏や多くの当事者から受けている批判です。




灯:
僕は、同一の前提を共有している限りにおいて、人は相互に結論が一致する、という点にのみ、「希望」があると思うのですが。それはさておき「マイノリティを取り込んだほうがコストが低く済みますよ」という論法は、実際効果的だと思いますし、事実そうでしょうね。多様性の強さというか。




chiki:
しかし、そこで生物学の比喩がよく使われるのはどうなのか(笑)。





灯:
そうそう。だからいわゆる社会生物学や進化論、生命システム論なんかの動向は要注意ですね。社会科学、特に社会学なんかとは密接な連動関係がありますから。chikiさんのおっしゃる通りです。上山さんのお話については、僕はまだ議論の前提を共有してなさ過ぎるので(笑)ブログでのお話をよく読ませて頂きますね。




上山:
詳しくは今日のエントリに書きましたが、批判のディテールがないし、そもそも「対案」の提示がないので、「批判のための批判」にしか見えない・・・。







ネット上で享楽に抗えますか?
chiki:ネットでイージーさに抗うための雰囲気を作れないものですかね。かといって、上山さんに対する…というか、フェミや様々な「知的」な議論において「完璧じゃないからダメ、徹底していないからダメ」という批判も、どうなんでしょうかね。chikiはウヨ/サヨ文体が苦手なんですね。批判相手の最底辺を取り上げることによって、批判相手の意見の全て、あるいは人間そのもの全てを否定するような文体。いわゆるアジ調の文体ですね。単に読むのがしんどいから嫌というのもありますが、その差別性がとにかく嫌なんです。「フェミナチ」「嫌煙ナチ」などとラベリングすること自体も同様ですし(「○○ナチ」と相手にレッテルを貼る行動そのものの方が「ナチ」に見えますがね)、ネカマ系や一部ヲチ系2ちゃんも同様ですが。これを避けるのは、本当に難しいんですけど。





上山:
なるほど。>「人間そのものを否定するような文体はダメ




chiki:
ええ。自己肯定のための排除というものすごい俗情。ネットの議論は本当にそういうことになりがちで、例えば全体の文章の一文を取り上げ、その矛盾を指摘し、自己の優位を宣言する。もちろんそれすらなされていない意味不明の批判(と呼べるのかすら疑問)も多々あります。相手の論理的矛盾、稚拙性、あるいは倫理的不遜を指摘することで自己の優位を確保するような議論は――全く無駄だとまでは言いませんが――好ましくないし、あまり生産的でないと思います。





上山:
それをやってしまうと、「相手と同じアナのムジナ」になっちゃいますね。>「自己肯定のための排除」




chiki:
もちろん、今回の上山さんの批判はまた別です。今回の場合は、相手の見当違いの指摘によって不当に貶められるような部分がありましたから。ただし、林さんも「自分は不当に貶められている」というモチベーションで書いているので、簡単に肯定できませんが、という話でした。





灯:
あの、ネット上での議論ということでは、やっぱり「自分の思考を論理的に表現出来る」「一定水準以上の読解力と文章力がある」人が強いでしょう? その意味では、chikiさんや上山さんは「強者」だと思うんですよね。文章を書くのが苦手、あるいは、自分の意見を表明するだけの言語能力のない人はとても不利ですよね。




chiki:
そうですよねー。もちろんchikiに文才はないんですが、それでも言葉を多少知っているので、振りかざして威張ってみたエントリーも最初のうちはありました。ある潮流に傾倒していて、使い倒していた。それくらいでえばるなよ! といまさら過去の自分に突っ込み。ぅぅぅすぃましぇん。




上山:
「まともな表現能力を持たない人の怨恨」に絶大なチャンスを与えたのが2ちゃんねる、でしょうか。「2ちゃんねるは意外に人に優しい、なぜなら表現すべきものを持たない人をも受け容れるからだ」(大意)と切込隊長氏が書いていて、「なるほど」と思ったのですが。




灯:
いや、でもその2ちゃんねるでこそ、文章を書くのが苦手な人は、徹底的に叩かれるわけで。「日本語の不自由な人」みたいな蔑視表現はとても多い印象ですよ。




chiki:
chikiは結構多くのBLOGを拝読させていただいているつもりですが、細かな揚げ足取りする人、多いですよね。漢字を間違えていたからこいつは無知、それを指摘した自分はこいつより上、みたいな。小学生か。ただ、これは2ちゃんに限らず、サポセンの客でも、些細なこっちのいい間違いをチクチク指摘する人、いっぱいいます。実年齢が大人だろうとおんなじなの。そういえばサポセンの客で、「ネット上の仲間に報告してもいいか」という脅し文句(?)を言う人もたまにいる。優位に立ちたい気持ちはとても分かりますが、(´Д`)ヤメテー。




上山:
自分の自我はメタレベルに温存したり、参戦しても「絶対に勝てる部分」でしか議論しない(揚げ足取りとか)。私の言い方で言えば「課題を共有してそこで一緒に努力する気がない」ということです。とにかく、あらゆる形で「相手の優位に立ちたい」んですね。脅し文句とか。




chiki:
その人は、ずっと勝ち続けられると思っているのだろうか。というと、負けっぱなしのひがみなのかな。




灯:
率直に言って、上山さんもchikiさんもとても言語能力、論理的思考力が高い方々ですよね。言説を張ってることに伴う心労も大変だと思いますが、でもいい意味で余裕がありますよね? 自信というか。ネット上で「噴き上がり」をしてる人は、やっぱりその余裕がないんですよね。




chiki:
衣食足りて礼節を知る、というものかもしれないですね。サポセンの中の人をやっていて、時間や心に余裕がなくなると、ついついサポセンネタで発散してしまう(爆)。




灯:
サポセンネタ十分余裕がありますよ(笑)。結構きちんと作りこんでるなって思いますから。




chiki:
ナルシストだから、いつでも見た目は取り繕うのですよ。内容はほとんどがアイロニーですよね。




上山:
先日、『ゆきゆきて、神軍』の原一男監督の公開講座で、会場から「ほとんど意味のない絡み質問を連発する人」がいて、ちょっと不穏な雰囲気になったのですが、それは大阪の釜ヶ先(東京でいうと山谷?つまり日雇い労働者の街)の方だったのです。そのとき思ったのは、「とにかく虐げられた人というのは、≪自分の発言の影響力≫を行使したいものなのだ」ということです。で、マイノリティ同士で消耗戦が始まってしまい、勝ち組はのうのうとそれを観戦する。




chiki:
自分をリスペクトしていないがゆえにダメだ、といえてしまう部分もありますね。ただ・・・無視もできない。でも、そういう考えの人、めちゃくちゃ多いですよ。マイノリティに全然限らない。父もそうだし、友人にもいますよ。そういう考え、というのは、自分をリスペクトしていないとダメ、自分の考えと違うと「分かってないよなぁ」と否定する。




灯:
僕は、個々に不快なケースがあっても、マイナス面を勘定に入れても「自由にものを言う権利(言論の自由)」を確保することは、とても優先順位が高いことだと思いますけど。




上山:
ええ。(この辺は、まさに「民主主義とコスト」の関係、みたいなことなんでしょうか。)みんな、「自分の意見は虐げられている、とりあえず言わせろ」と思っているんですね。しかしそうなると、「わかってないよなぁ」と思う者同士、≪棲み分ける≫ことはできないのか、という発想になりますね、最近の私だと。これは、「マイノリティ当事者の発言は全部聞かなければいけないのか」という話にもつながります。「全部聞いて」いたら、事実上何もできないわけです。実際、当事者の発言というのは、一般の人と同じく、たいていは情報価値を持ちません。それは、自分のやろうとしていることとの関係における、コミュニケーション・コストの問題でもある。




灯:
肌身に沁みて知っている訳ではないんですが、「言論統制」の弊害の大きさっていうのは、ちょっと計り知れないくらい怖いことだと思います。それとは別に、「全部聞いて」いたら、それは確かに事実上何もできないですよね。だから、そこは上山さんの理性が最も優先順位が高いと教えるところを最優先するのがベストなんじゃないでしょうか。






chiki:
一点突破型批評の難しさですよね。一点突破は必要なときももちろんあって、ただその際どういう括弧をつけたりはずしたりしているのかというのは把握、またはスノビズムや優位性の確保にならないように細心の注意を払って批評しないと、と思います。それはコストの問題というよりは、双方の倫理の問題なのかもしれませんが。そのような倫理を共有できないときの方が多いので、なんとかイージーにでも接続できる点を模索することも必要ですけど。あるいは「時間」とかも範疇に入れなくてはいけない。言論統制にどう重なるか分かりませんが、すみません。




灯:
もし言論の自由が確保されていなければ、今chikiさんや上山さんがやってらっしゃる有意義な試み自体が不可能になりかねないということかな。




上山:
私は弱小個人なのですが、先日ある支援者に「上山は引きこもり代表者だ」と言われて考えたのは、「私は引きこもり当事者として≪強い存在≫になってしまっているのかもしれない」ということです。プロジェクトに従って課題に優先順位をつけるのは大事ですね。それはまさにchikiさんのいう「倫理」ということかも。それを共有できないから、「お前の話よりこっちの話を優先させろ」ということになるんでしょうね。




灯:
さっきも言いましたけど、論理的思考力、言語表現能力の高さという意味で、実際上山さんは「強い」と思いますよ。その「強さ」をポジティヴな方向に使っていかれるなら、本当の意味で「強い」と言えると思います。




上山:
えーとしかし、「チャットのテーマ」の話は?(笑)




chiki:
思いがけず長時間の議論になりましたよね。でも、次回の議論のヒントになりました。ネット倫理を考えるための前提として現状分析と問題点を考察し、それを各々のテーマに結び付けて持ち帰っていただければ、有意義なものになるかもしれませんね。次回はchikiがレポーターになり、レジュメを書いてみます。



上山:
chikiさん、≪ネット上のコミュニケーションにおいてイージーさに抗う雰囲気作りキャンペーン≫を共有しませんか?(笑)。




chiki:
実はそのために皆様を誘ってこのチャットを開いたんだったりして。*1



上山:
なるほど。












*1:貴様ごときが何を偉そうに。