毎日新聞の「ダム底セシウム」記事について、いち委員としての意見

9月25日の毎日新聞朝刊にて、「ダム底 高濃度セシウム 福島第1周辺 10カ所8000ベクレル超」と題された記事が掲載されました。この記事の中に、多くの誤りが含まれていると、ウェブ上で複数の方々が指摘していました。
http://togetter.com/li/1029155


毎日新聞は何度か小さな訂正記事を掲載しましたが、対応が不十分だったことから、「開かれた新聞委員会」で紙面審査を行うことになりました。「開かれた新聞委員会」は、紙面上に何かしらの問題があると議題化された際、それに対して「意見」を述べる組織です。


開かれた新聞委員会とは
http://www.mainichi.co.jp/corporate/hirakareta.html


「開かれた新聞委員会」で審査の対象になるということは、毎日新聞がこれまでの訂正では不十分であり、再発防止に努めるべき案件と認めていることが前提です。こうした対応をとるに至ったということは、読者の方からの「外からの指摘」も、記事を問題視した記者ら「内からの指摘」も、相応の機能を持ったということです。審査の結果、改めての訂正趣旨説明と、各委員のコメントが、本日・11月17日の紙面上に掲載されました。以下がそのURLです。


委員会から 「ダム底にセシウム」の訂正 専門記事、チェック徹底を
http://mainichi.jp/articles/20161117/ddm/012/070/134000c


記事上には、各委員のコメントが一部だけ紹介されていますが、具体的にどのようなコメントだったのかの全文は紹介されていません(編集権は毎日新聞にあるので、それは構いません)。そこで、私個人が毎日新聞社に寄せたコメントの全体を以下に掲載します。

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原発事故以降、多くの人が、放射性物質や被曝を巡る議論に大きな関心を寄せています。そして多くの市民が、被曝をめぐるに状況認識をめぐって、大きく分断されるという状況が生まれています。そうした中、メディアに期待されているのは、確かな根拠に基づく記事を配信することです。
今回、毎日新聞は、一面トップおよび解説コーナー等において、複数の誤報を行いました。ウェブ上では、記事についてすぐさま多くの反応がありました。専門家を含む多くの読者が、記事の問題点を指摘していたのです。それらの指摘は、Twitterアカウントを持つ毎日新聞記者の元にも届いており、専門知を持つ記者個人がそれに対して説明する場面もありました。
そうした中、訂正コメントが複数回にわたって出されました。しかしそれらは、ウェブ上のタイムリーさに反し、とても遅い対応でした。また、いずれのコメントも、その訂正によって記事の趣旨がどう変わるのかという説明がなされておらず、わかりづらいものとなっていました。数字を誤って伝えた結果、実際以上に不安を煽る内容(センセーショナリズム)になっていたにも関わらず、訂正によって文脈や趣旨がどう変わるのかという説明がなされていないためです。さらに、一面トップなどででかでかと紹介された記事のインパクトに比して、訂正コメントそのものが目立たず届きにくいという問題点もありました。加えて、外部から指摘された疑問に対して、応えきれていないという問題も残ります。
今回、開かれた新聞委員会あてに、毎日新聞より、この問題を社内検証した報告書が提示されました。私からは、まずはこの報告書を元に、読者に経緯の説明をしっかり提示すること、特にウェブメディアを通じて丹念な報告を行うことを求めます。その際には、さらなる疑問点が読者から寄せられることを想定されますので、それにも応答することを求めます。
但しこの報告書では、再発防止については書かれているものの、本件に関する信頼回復について触れられていません。今回の検証、および開かれた新聞委員会からの応答がその一環として期待されているのは承知していますが、例えば「毎日メディアカフェ」のような場所で、記者と専門家・読者とがオープンな議論を行い、その模様を中継・レポートするといった、より開かれた試みも模索してほしいと思います。
今回は、SNSなど、開かれたメディアからの指摘によって、不十分ながらも訂正が行われるという経緯がありました。そうした集合知の役割は重要ですが、さらに自主努力により開かれた場所を設けていくことで、本件に関心を寄せ、意見をくれた読者の方々の信頼を得る試みが重要であると思います。今回の「誤報」をたたき台として、記者と読者が放射性物質や被曝に関する基礎知識・現状を改めて学び直す機会を設けたり、それを記事化するなども重要でしょう。
もうひとつ、報告書で触れられていない論点について指摘しておきます。記事中に「専門家」のコメントもありました。いかなる「専門家」を選ぶのかという段階からして、そのメディアの特色が出ますし、記事の方向性にも大きな影響が出ます。また、コメントをとる際、「専門家」に、記者がいかなる情報を与えるのかによっても、コメントの質が変化します。さらには「専門家」が一時間レクチャーしても、記事になるのは数行であり、内容の事前確認がされないというケースもあるため、専門家の意図、専門知に基づくポイントが適切に反映されないこともしばしばありえます。日々の紙面づくりの中で、記者たちが時間に追われるあまり、「本人に原稿チェックをしてもらう」という文化が、新聞ではおろそかにされがちです。私自身、しばしば取材を受ける立場ということもあって、その点も、今後の課題としてもらいたいと思います。

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記事上では私の「意見」が引用・紹介されていはいますが、いくつかの具体的提案に対しては応えられてはいません。委員には、これらの提案を強制する権限は与えられていませんが、今後も議論を通じて、より「開かれた」対応を行うよう求めていきたいと思います。