「少年犯罪報道」の急増について

先日発売した『わしズム』にて、小林よしのりさん、宮台真司さん、富岡幸一郎さんとの座談会「終わりなき『プロパガンダ戦争』の時代」が掲載されています。


わしズム 2008年 2/29号 [雑誌]

わしズム 2008年 2/29号 [雑誌]


今回はメディアとデマの関係について語るというテーマとのことだったので、どのようなデマについて話したいかというメールをあらかじめ編集者の方からいただいた際、いくつかの候補の中に「少年犯罪の急増」を入れたところ、当日は小林さんから触れていただけました。そこでの発言について、一部簡単に補足。

小林 わしなんか、たとえば少年犯罪の件数についても、テレビ報道の影響で増えているという印象を持ってたのよ。でも、実は減っているわけでしょ? ラジオしかなかった時代はもっと事件が起きていたのに、そんなに報道されないから知らなかったというだけで。ところが今はワイドショーが事件を根掘り葉掘り報道していくから、「これは恐ろしい世の中になったな」と思ってしまうわけよね。
荻上 例えば宮台さんと小林さんもかつて論争をされていた神戸の酒鬼薔薇事件だけでも、数千件以上の報道がありました。犯罪件数が減る一方で、犯罪報道が急増しているんです。インターネットによる報道やその反応の可視化も手伝っています。


「犯罪件数の減少」については既に多くの実証データが共有されつつありますが(参照1,参照2)、ここでは報道の煽りによってモラルパニックが増大しているという話をしているので、そのあたりの資料を。


「神戸の酒鬼薔薇事件だけでも、数千件以上の報道がありました」という点について。これは、島崎哲彦・信太謙三・片野利彦「新聞・週刊誌の事件報道にみるプライバシー問題―神戸児童連続殺傷事件記事の内容分析から―」を参照してます。




朝日、毎日、読売の三紙だけで1200件以上の報道。週刊誌のほか、他の新聞やテレビ報道などを合わせると途方もない数値になります。今でも何かの事件が起こると、とにかく報道の数がマジ半端ないですね。


次は「犯罪報道が急増」についての資料。上は原田豊さんの作成した資料、下は浜井浩一さんの論文「日本の治安悪化神話はいかに作られたか――治安悪化の実態と背景要因(モラル・パニックを超えて)」(via:女子リベ  安原宏美--編集者のブログ)からの資料です。




これらデータから分かるように、一件あたりの事件に多くの報道が起こり、またこれまで以上に犯罪に関する記事が書かれるようになっています。もちろん現在では、ウェブ上の数多くの記事もまた、犯罪に関する言及量の増加に影響を与えている点も見逃せません。


映画『ボーリングフォーコロンバイン』の中でも、「犯罪は20%減少しているのに、テレビの犯罪報道は600%増加している」ことや、「黒人青年による凶悪犯罪を取り上げる傾向がある」ことを指摘し、メディアによって実態とは異なる犯罪不安が広がっていることが指摘されていますが、それは日本における報道や外国人犯罪への偏見にも当てはまりそうです。


それにしても、自分の誤解をまっさきに認められる小林さんはすごいなと。1年前の『わしズム』の座談会について、鈴木邦男さんが「あの頃はよかったと言うが、あの頃だって殺人事件や強盗は多かった。今より多かったかもしれない」と発言した際には「皆、ちょっとシラーッとした気分になった」と書いていましたが、この1年で管賀江留郎さんの『戦前の少年犯罪』が刊行されるなど、状況も結構変わっているのかも。


戦前の少年犯罪

戦前の少年犯罪


なお、今号の『わしズム』の背表紙の裏には小林さんの漫画のカットがあり、そこで小林さんは「マスコミや学者が宣伝するデマゴギーとは徹底的に戦う。それがわしの使命であり、保守とは、デマを流す者ではなく、デマを見抜く者であるはずだからだ!」と叫んでいます。「何がデマか」にさえ価値判断が揺れる以上、多くの困難を含む発言ですが、言説としては基本的に共感したい。とはいえ、「マスゴミのデマを暴く!」とモチベーションを高めつつ、逆にデマや偏見を拡大するケースも多々あるわけですが……。


付記(2008/02/08)
#TBにもあるように、「急増」と言えるか否かについては上記論文および参照DB(実記事数の反映度など)の精度について再検証が必要なため、訂正します(ご指摘感謝)。ここで提示した資料の範囲で言えるのは、「犯罪件数が減る一方で、犯罪報道が急増しているんです」ではなく、「犯罪件数と犯罪報道の数や言説の質は、必ずしも一致しません」ぐらいですね。


上記エントリに関して、読者の方からメールで「朝日新聞戦後見出しデータベース1945〜1999」(朝日新聞縮刷版55年分の索引見出し)と2000年以降の朝日新聞縮尺版を参照した論文「少年犯罪報道に見る「不安」 : 『朝日新聞』報道を例にして」を教えてもらいました。こちらの論文は、朝日DNAの記事データベースに比べ、「収録記事数の年度差による影響」は少ないかもしれません。が、もちろんデータベースの性質も含め検証が必要。また当然ながら社会全体の総記事数や報道数については数値化困難であり、常に「DBの不完全性」がつきまとうため、反証可能性もまた常に残されていること、つまり常に“仮説”(反証しあうことでより確からしい議論を磨くための言説)であることは留意されるべきでしょう。特に、「メディアによる影響」として語る場合、具体的な「体感治安」等の影響力を考察するためには、まだ検証のステップ必要となります。


もちろん言説と実態、心理と統計との乖離は常に存在することを指摘することは現状でも可能であり、それがどの程度、各「運動」の現場で動機付けとして用いられたかによっても文脈は変わります。具体的に「犯罪の凶悪化」や「体感治安の悪化」を論拠にする文脈に対しては、より具体的な仮説を提示することによって検討可能性を指摘し、さらなる仮説検証を求める意義はある。但し、ある言説モードへの対抗言説であったとしても、その「結論の一人歩き」には慎重でなくてはならないですね(と自戒)。それでも「政治」はどんどん進んでいくのですが……(付記の最後も暗いエントリーになってしまった)。