東日本大震災時に産経新聞が拡散した政治流言の再検証

前回のエントリ「東日本大震災時に拡散された『辻元清美が阪神淡路大震災時に反政府ビラを配っていた』という流言について」では、発災後に広く拡散されていた流言のうちの一つを検証してみた。既にご承知の方も多いようにこの流言は、産経新聞の阿比留瑠比記者が「辻元氏は平成7年の阪神淡路大震災の際、被災地で反政府ビラをまいた」と記事化し、辻元清美氏に訴えられた。裁判では、産経新聞・阿比留記者側の主張は認められず、慰謝料の支払いが命じられている。


判決文等資料を入手したので、この件もついでにまとめておこうと思う。


裁判において産経新聞・阿比留記者側は、「菅直人批判がメインであって辻元批判が主眼ではない」「批評の自由」という主張を行っていた。また流言の内容については、産経新聞・阿比留記者側は、辻元氏を含むピースボートのメンバーが「自衛隊違憲です。自衛隊から食料を受け取らないで下さい」と主張しながらビラを配布していたとし、それを「反政府ビラをまいたと短く表現した」のであり、「当時広く知られており、真実」「少なくとも主要な点において、事実に基づいた記事」だと主張した。但し、これらについての確かな根拠は提示されておらず、松島悠佐氏や産経新聞記者からの伝聞で知ったとしている。


これに対し辻元氏側からは、「デイリーニーズ」を証拠提出したうえでの内容説明のほか、自衛隊が長田区で給食支援をしていた1月23日から31日までの間にはそもそも辻元氏は現地におらず、東京で後方支援を行っていたこと、そして「デイリーニーズ」は自衛隊提供の入浴支援の情報を掲載するなどしており、その自衛隊の救援活動を妨げるような言動をとるのはあり得ないことが反論として述べられている。


こうした主張に対して、裁判所は次のように判断した。

  • 記事の記載は、災害ボランティア担当の首相補佐官としての原告の社会的評価を低下させるものであったことが認められる。
  • 原告についての記述が少なかったとしても、本件各記事によって原告の社会的評価が低下したというべき。
  • 松島氏の陳述書を出しているが、その松島氏も阿比留氏も、ビラを配布している様子を直接見たり、聞いたりしているわけではないし、この主張を客観的に基礎付ける証拠は存しないため、直ちに採用できない。
  • 「デイリーニーズ」は炊き出しの場所や時間、安否情報及び医療情報等の被災地の日常の情報が記載された情報誌。一部に被告指摘の記述があったことをもって反政府ビラを撒いたと認めることはできない。


つまり裁判所の判断もまた、前回エントリと同じく、「デイリーニーズは<反政府ビラ>とは言えない」としていることがわかる。



ところで裁判では、こうした「反政府ビラを配っていた」という流言に加えて、阿比留氏が書いた「カンボジアでの自衛隊活動を視察した際に、辻元清美自衛官に対し『あんた! そこ(胸ポケット)にコンドーム持っているでしょう』という言葉をぶつけた」という文言についても争われた。「産経新聞」2011年3月21日の記載は次のようなもの。

カメラマンの宮嶋茂樹氏の著書によると、辻元氏は平成4年にピースボートの仲間を率いてカンボジアでの自衛隊活動を視察し、復興活動でへとへとになっている自衛官にこんな言葉をぶつけたという。
『あんた! そこ(胸ポケット)にコンドーム持っているでしょう』
辻元氏は自身のブログに『軍隊という組織がいかに人道支援に適していないか』とも記している。こんな人物がボランティア部隊の指揮を執るとは。被災地で命がけで活動している自衛隊員は一体どんな思いで受け止めているだろうか。


記事にもあるように、このエピソードの出典元としては、宮嶋茂樹氏の著書があげられている。その著書は、1993年に刊行された『ああ、堂々の自衛隊』のことだ。その元の文章を確認すると、元となる発言は辻元氏のものとされておらず、「ピース・ボートの方々の質問」とされていることが分かる。

引き続き、駐車場で、ピース・ボートのメンバーと隊員との対話集会が開かれた。なんだか、その内容はオフレコとのことで、辻元さんはピリピリしていたが、結局この時のピース・ボートの方々の質問は産経新聞が書いてしまったので、私も記念に書いておこう。
従軍慰安婦を派遣するというウワサがあるが」
どうして私のひそかな計画が露顕してしまったのであろう。
「隊内でコンドームを配っているとか。(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるんでしょう」
いつもコンドームを持ち歩く軍隊も珍しいと思う。ちなみに、湾岸戦争のときは米軍は銃に砂が入るのを防ぐためにコンドームを使った。自衛隊もそれを応用せよというスルドク軍事的な質問か。ありがたいことである。


さらに、宮嶋氏の文庫版解説には、次のように記されている。

四年の歳月はもっと恐るべき変化を人々の身の上に与えているのである。
まず、辻元清美のボケ、もとい、先生である。ピースボートを率いてタケオ基地をウロウロしていた彼女が国会議員になると聞いた時には、私は思わず北朝鮮への亡命を考えたものであった。次のPKOが決まった時の国会論戦が実に楽しみである。やはり、「コンドームは持っていくのか」とおたずねになるのであろう。それに防衛庁長官が答弁するのであろう。帝国議会以来の議事録に、それが残るのであろう。後世の笑い物である。


産経新聞・阿比留記者側は裁判時、この文章をもって、元の発言は辻元氏がしたものであると主張している。但し、こうして読み比べると、元の宮嶋氏の文章にあった「(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるんでしょう」という記述が、阿比留記者によって「あんた! そこ(胸ポケット)にコンドーム持っているでしょう」と、より強い口調に書き換えられていることもわかる。


ここで宮嶋氏が「産経新聞が書いてしまった」と記している点が気になり調べてみると、1993年1月25日の産経新聞東京朝刊に、「ピースボートVs派遣自衛官 かみ合わぬPKO論議」という記事が掲載されていることが確認できる。

カンボジア・タケオの「日本施設大隊」には相変わらず各界各層からのお客が引きも切らないが、先ごろは「ピースボート」のメンバー約七十人が宿営地、採石場、作業現場などを見学した。
ピースボートは、大型客船で一般から応募した若者がアジア各国を回り、戦争と平和を考えるという市民運動。船には大学教授、作家、ジャーナリストなどが”水先案内人”として同乗することになっている。過去には小田実氏、筑紫哲也氏、今回は前田哲男氏が同行した。
以下はその時のメンバー自衛官との主なやりとりである。(中略)
メンバー 従軍慰安婦を派遣しようという人がいますが、どう思いますか。
自衛官 それこそ、小さな親切、大きなお世話ーという感じです。 
メンバー コンドームは配られましたか。
自衛官 まだいただいておりません。
メンバー いろんな人がタケオに来るのを、隊員は嫌がっていませんか。
自衛官 全部はわかりませんが、私は嫌です。こうして皆さんに説明しているのも、大変苦痛です(笑い)。ただし、実際に現場を見てもらい、理解してもらうことは重要ですし、ほとんどの隊員がそのことを理解していると思います。  
さて、みなさん、どちらに軍配を上げますか。(編集委員 牛場昭彦)


こうしてみると、産経新聞記事と宮嶋氏の書籍とでも、やりとりのトーンが少し異なっている。いずれにせよ、ここでも辻元氏の発言であるとは確認できない。


ところで宮嶋氏の著作には、先ほど引用した部分の前後部分に、次のような記述がある。

従軍慰安婦、来たる!?
部隊が最強の「敵」の来襲を受けたのは、暮れも押し詰まったころであった。大隊の情報網は、すでに敵の接近を察知していたとみえ、営内には様々な噂が飛び交った。噂は当初「ピチピチの若い女が来るらしい」という形態をとった。
とすれば『地獄の黙示録』に出てくる、プレイメイトの慰問のようなものであろうか。Tバックが何かでヘリから降り立ってくれれば、いい絵になる。おおいに期待した私であったが、やがて私のスルドイ情報網は、中隊によっては「その『敵』が来た時には、テントの外に出ないように」という指令が出たという話を補足した。
ピチピチの女、しかしテントの外に出るな。む、これこそ防衛庁が極秘裏に送り込む従軍慰安婦部隊ではないか。時まさに大晦日、そして正月。防衛庁もイキなお年玉を送るではないか。しかし、隊員でない私もその恩恵にあずかれるのだろうか。二週間をこえる禁欲は、長い私の人生の中でも初めてである。スカッド飛ぶイスラエルでも金髪を調達した私である。女の前にはUNTACレギュレーション何するものであろう。
私がさっそく交渉のために基地へ向かうと、太田三佐が緊張した顔で出かけるところであった。
「太田さん、どこへ?」
プノンペンへ人を迎えに行く」
やはり。例の部隊に違いない。
「太田さん、宮嶋を見くびっては困ります。情報は得ているんですよ」
 ハッ、とした表情で振り返る太田三佐。ワレ奇襲ニ成功セリ。あとは戦果拡大である。私は囁いた。
従軍慰安婦部隊でしょ?」
「宮嶋君」
 太田三佐は、腰に手を当てて仁王立ちになった。
「私に警務隊を呼ばせないでくれないか。君が隊員なら、鎖をつけて、明日来る人たちが帰るまで営倉に入れておくのだが。お願いだから、従軍慰安婦とかをその人たちの前で口走らないでくれたまえ」
 いつになく本気で真面目な三佐である。勇将・太田三佐をしてここまで真剣にさせるのはどういう人びとか。
「申し訳ありません。宮嶋、言葉が過ぎました。どういう方々が見えるか、差支えなければお洩らしください」
「愛国の花」――ピース・ボート来襲
「ピース・ボートの皆さんである」
電撃、五体を打つ。祖国に生を受け三一年。宮嶋、ついにその死地をみゆ。
天に二つの日は照らず。私にとって、件の方々は天敵であった。

「ピース・ボートの来襲はまだですか」
「なんでっか? そのピースなんとかって」
 私が詳しく説明しようとしたその時、ピース・ボート一行を乗せたバスが到着したのであった。
 ゾロゾロと一行はバスから降りる。私が予想したようには、毛沢東語録を持ったり、人民帽をかぶったり、資本論を背負ったりしている人はいないようであった。それどころか、若い綺麗なネーチャンもいるではないか。
 大和撫子を見ずして幾日ぞ。まさに輝く御代の山ざくら、地に咲き匂う国の花。
 わが愛唱歌「愛国の花」に教えられてきた私である。とりあえず、先入観は捨て、礼儀正しく接することにする。
 もっと近づいて驚いた。ネーチャンたちは化粧しているではないか。気温四〇度、あたりの山にはポルポト派がいるという全線で身嗜みを忘れないとは、さすがに大和撫子である。前線の兵士たちの気持ありちを和ましてくれようという心遣いなのであろう。ありがたいことである。
 さすがに自由を愛する方々である。一行はてんでんばらばらに行動され、まったく統制が取れていない。太田三佐が声を嗄らして説明しようとするが、その周りには人が寄り付かぬ。人だかりがしているのは、代表の辻元清美さんの周りである。
 無視されつつ頑張っていた太田三佐が、質疑応答を始めると、ようやく人びとが集まってきた。イスラエル兵に銃を突きつけられたガザ地区パレスチナ人のように、その目は敵意に輝いている。いまなおこんなに戦意旺盛な同法がいるのかと、私は感心する。

戦いがすんで日が暮れて。太田三佐は幽鬼のように憔悴し、一言私に呟くと、宿舎へと消えて行った。
「疲れた……」
 私はいつもの屋台に行き、隊員たちに今日の感想を聞いた。
「いや、ひさびさに綺麗な女性を見て、目の保養になりました」
「見るだけで手が出せなかったのは残念です」
 みんなはしゃいでいた。今夜、営内の天幕の中のベッドの上で、何十人もの隊員たちが、彼女たちの夢を見るであろう。ピース・ボートの皆さんは、まことに国家のために貢献してくださったのである。まこと、従軍慰安婦にも負けぬ、慰安をしてくれたのである。
 ああ、そのための頬紅。そのための口紅。この炎天下、辛かったであろう。厳しかったであろう。にもかかわらず、美しく装い、隊員たちを励ましてくれたのである。
 なんという美しい志であろうか。にもかかわらず、私は「天敵」などと思っていたのである。私は深い反省とともに、プノンペンの方角に頭を下げたのであった。


宮嶋氏の著作のこうした記述から、ピースボートへの対応は、終始「太田三佐」がしていたことが分かる。なおこの裁判では、産経新聞・阿比留記者側が、宮嶋氏の陳述書を提出している。宮嶋氏は陳述書において阿比留記者を擁護しているものの、コンドーム発言については太田氏から聞いたと述べており、宮嶋氏も誰の発言なのかを把握していないことが明らかになっている。


一方でこの裁判では、辻元清美事務所が太田氏本人に質問を送付し、返ってきた解答を証拠として提出しており、辻元氏側がその旨を陳述している。太田氏はその中で、「コンドーム」発言は辻元氏によるものではなく、別の人の発言であると回答している。阿比留記者が引用した宮嶋氏の書籍では、太田氏から聞いたことを書いたとあるが、その太田氏本人が辻元氏の発言であることを否定しているというのは、決定的なように思える。


なお、「コンドーム」に関する質問が出たことは、太田氏の回答からも確かであることが分かる。但し太田氏はその発言について、その場では「ジョークだと思われたのか少し笑いがで」ていたこと、太田氏が「どうしてご存じなのですか」と冗談を返したことでバスが笑いに包まれたと回答しており、やりとりのイメージがずいぶん違うようにも思える。


阿比留記者は2012年2月時点で太田氏に対して取材を行ったようで、太田氏はその際、阿比留記者にも「コンドーム」発言は辻元氏のものではないと答えたという。それが確かであれば、阿比留記者は「コンドーム」発言が辻元氏によるものではないと知ったうえで、裁判に臨んだことになる。というわけで下記は、「コンドーム」発言に関する裁判所の判断部分。

平成4年当時に自衛隊第1次カンボジア派遣部隊広報官として原告を含むピースボートの参加者のカンボジア訪問に応対した太田は、原告が当時上記発言をしていなかったと陳述していることから、本件著書の記載をもって、原告が上記発覚をしたとの事実は真実であると認めることはできない。

被告阿比留供述によれば、被告阿比留は、本件各記事を執筆するにあたり、原告、宮嶋及び太田に対して一切取材を行っていないことが認められ、上記のとおり、本件著書には原告が上記発言をしたと明確に記載しているとは認められないし、本件全証拠によっても、本件各記事に摘示された事実が真実であることを推認させる証拠はない。
この点、被告らは、本件各記事は政論であり、本件各記事を執筆するに当たり、原告への取材は必要ではないと主張するが、政治的な論評を中心とする欄に掲載された記事であるというだけで免責すべき根拠はないから、被告らの主張は採用できない。
したがって、被告らが本件各記撃で摘示された事実が真実であると信じたことにつき相当の理由はない。


このように裁判では、「反政府ビラ」部分に加えて、「コンドーム」発言部分に関しても、産経新聞・阿比留記者側の主張は退けられている。そのうえで裁判所は、次のように判決文を締めくくっている。

前記1及び2の判断によれば、被告阿比留の執筆した本件各記事を産経新聞に掲載して発行したことによって、原告の社会的評価は低下したと認められるから、被告らについて不法行為が成立する)
そして・被告会社が発行する産経新聞が全国で有載の全国紙であること(弁護の全趣旨)、前記1のとおり、本件各記事が災害ボランティア担当の首相補佐官としての原告の社会的評価を低下させるものであったこと、前記2のとおり、本件各記事が摘示した事実は真実であるとは認められないこと、原告等に対して一切取材を行わずに被告阿比留は本件各記事を執筆し、被告会社は本件各記事を産経新聞に掲載したことが認められる一方で、本件各記事は管元首相に対する批判を主な目的とし、本件各記事の全体のうち、菅元首相についての記事が大部分であり、原告についての記述はわずかであることが認められること、同記事が対象とする事実及び論評は市民の正当な関心事として広く議論されるべきもので、事実の公共性、目的の公益性が認められること、未曾春の災害である東日本大震災直後に、被災地復興の対応にあたる自衛隊との連携が不可欠な災害ボランティア担当の首相補佐官にどのような人物が任命されるのが適切であるかについて、様々な評価があり得ること、原告の陳述書(甲9及び11)によっても、本件各記事によって原告の災害ボランティア担当の首相補佐官としての業務に具体的に大きな影響があったかどうかが必ずしも明らかではないことなど、その他訴訟に現れた一切の事情を斟酌すると、上記被告らの不法行為によって、原告が被った精神的損害についての慰謝料は70万円、弁護士費用相当損害は10万円と認めるのが相当である.
また、上記認定事実によれば、本件各記事によって原告が被った損害を回復するためには金銭賠債のみで十分であり、産経新開に謝罪広告の掲載の必畏があるとまではいえない。したがって、原告の請求のうち、謝罪広告の掲載は理由がない。
4 よって、原告の被告らに対する請求は80万円及びこれに対する平成23年3月22日(最終の不法行為の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の限度で理由があり、原告のその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。


災害時には、対応にあたる政治家に対する批判が多発するが、中には根拠のない流言も混じる。今回のケースは、多数が手に取る新聞がそれを拡散し、後に政治家によって訴えられ、事実でないと認められるという希少なケースになった。