本日のメインディッシュ

読書ってすばらしい
ペーター・スローターダイク『シニカル理性批判』の中で、ロベルト・ムージルの処女作『少年テルレスのまどい』(1906年)から引用をしている、次のような部分が心から離れない。


そこでテルレスは、教授のところで見かけた例の本をさっそく朝のうちにレクラム版で買い求め、最初の休憩時間を利用してこれを読みにかかった。ところが括弧と脚注とで、一語たりとも理解できない。気を取り直して文章をじっと睨み据えていくと、骨張った年寄りの手が脳をねじのようにグルグル回しながら頭をはずそうとでもしているような気がした。
半時間ばかりあまり苦闘したあげく疲れはて中断した時には、ようやく二ページめにかかったところだった。汗が額の上に浮かんでいた。
そこで今いちど歯を食いしばって、あと一ページ読み進んだところで休憩が終わった。
夜になるともう本を触りたいとも思わなかった。本が恐ろしいのか、吐き気を催すのか、あのつまらぬ人間としか思えぬあの男が、あたかも日々の娯楽であるかのようにこの本を部屋の中に堂々と広げていたという事実が、彼を苦しめさいなんだ。(S.84/85)

わかる。わかるよその気持ち(ノД`)。以下、その部分にインスパイアされてつらつら書いた、chikiの読書日記。



これを読まなくてはサルである、というような雰囲気にあてられて、またはこの本を読まなくてはモグリであるとか言われて、そうかこれを読まなくてはならないのか、ということだけは頭にインプットされるのだが何故それを読まなくてはいけないのかが分からないまま、それでも古本屋に並んでいるのを見るとついつい買ってしまう。そんな本が部屋に1000冊近くになり一向に減らない。一日一冊ペースで読んでも、数年以上かかる。二階の部屋に住んでいるので床が抜けそうになる。



しかしそれでは埒があかないので、気合一発さあ読むぞと意気込んで表紙を開いてみたものの、まず最初の一行からしてまったく理解できない。前提が不明なのだ。眉間にしわを寄せ、本を持つ手はプルプル震え、ひとつひとつの単語は理解できるのだが内容がさっぱり理解できず、時には単語すらも理解できず、惰性だけで読み続けていくものだから何も頭に入らず、かといって「むむむ」と気張ってみてもやっぱり理解できず、時間だけが過ぎてゆき、得たものは眠気交じりの疲労感と途方もない絶望だけである。なるほど、自分が馬鹿だということだけは分かった。本を閉じ、ため息をつく。涙もひとすじ流れ出す。



怒りのあまり本を床にたたきつけ、書き方が悪いのだ、または翻訳が悪いのだと決め付けて不貞寝するのだが、その本を「これはリーダブルな本ですよね〜」とか「高校生のときに読みましてね〜」とかいう発言をしている人がいることに腹を立て、「このプチブル!」と毒づいては見たものの、自分も親の扶養の元に安住しているではないかと思い返し、単に自分が馬鹿なだけダという事実に直面し「死にたい」とつぶやく。



既にその本を読んだ人の話を聞いても、その手の人は「難しかった」とまったく言いたがらず、「あれは結局ね…」と無理して高尚な言葉で語るものだから、そこから得るものも何もない。挙句の果てには自分も強がって「そうですよね〜」なんて適当な相槌をうってしまい、結局内容は理解できないまま、帰り道などでまた「死にたい」と呟く。でも死ぬ勇気もない。



そんなことを繰り返しているいくうちに、なんとなく用語の使い方を覚えていき、後輩などに「○○に関する本で、どの本がお勧めですかね〜」なんて聞かれて、読んでもいない本などを「やはりこれが常識でしょう」とかいいながら薦めてしまう。しばらくしてから薦めた本を読んだ後輩が「まったく理解できなかったです」と泣きついてきたら「あれは結局ね…」と人から聞いたばかりの要約をさらに10倍に薄めたような説明をする。たまに嘘も混じる。困惑している後輩に対し、「ま、君にはまだ早かったかな」なんて言ってみる。少し優越感が入る。



するとまたしばらくたってから後輩が「あの本読みなしました。言われたとおり、簡単でしたよ〜」とか言い出す。「はっはっは。そうでしょ〜」とか言いつつ、心は既に死んでいる。その場では適当にごまかしておいて、家に帰って必死に読む。そこでようやく理解できたりするのだから、嘘もついてみるものである。そこで後輩と「あれは○○だったよね〜」なんて言ってみる。そういうときに限って後輩はまったく興味を示してくれない。怒りをぶつけることも出来ず、ヤケ食いして寝る。



そうこうしているうちに読書能力が付いてきた気がする。よーし、たまには領域を変えて、別ジャンルの本とか読んでみるぞー、とか思いつき、様々な本にチャレンジしてみる。で、数ページで挫折する。今まで積み立ててきたルールが一切通用しない。なんのことはなく、単に気のせいだったのだ。久しぶりに「死にたい」と呟く。



そうして今でもサルである。これからもおそらくはサルなのだ。