id:MASHさんへのレス

出来るだけ簡潔にレスします。


今回の件で「自業自得」というロジックを採用すると、日本という社会システムが矛盾を抱えることになります。そのように主張することは、個人の自由を国に揚棄することを意味します。そのことをまずはご理解いただきたい。その上で、改めてid:MASHさんの考え方を正面から批判させていただきます。まずは前者の問題の説明から入らせていただきます。


日本は思想信条の自由を個人に承認している国家です。そして、その上で国民に対して保障を行っている。しかし、「自業自得」というロジックは、実は思想信条の自由を侵犯するもであることを理解していない方が多すぎます。それは、「国の意向に反するから保障しない」という考え方だからです。


また、「自業自得」と主張する際に、「退避勧告が出されている<にもかかわらず>行った→犯罪に捲き込まれた→自業自得」と単線的に繋いでいる自体が問題です。このように考えることが「現実的」とか「責任を取る」と思っている方が本当に多いのですが、id:MASHさんの文章も同様に「→」を繋ぐ論理が実は不透明なのです。そして、「責任を取れ」という言葉は単に感情的なものであり、論理的なものではない。そのことを「ジョーシキ」だと思っている人が多くいる、ただそれだけのことです。一部では「雪山遭難」の比喩同様(この比喩はchikiが好むものではないのですが、「自業自得」を主張したがる方が好んで使われるようなので、便宜的に使用させていただいております)、「被害総額を払え」等という人もいるようですが、程度の差はあっても内容としてはその程度のものです(遭難したものを保障しなくて良い、という考えは全くのナンセンスです)。その思想が「国体的」であり、自己保身的だと改めて批判します。これは、<にもかかわらず>の部分への批判にもなりますが、「国の命令に従わなければ死んでも構わない」ということは言うまでもなく「国益」中心主義であり、「国益」のためなら犠牲者が出ても構わないという論理です。これは、実は本末転倒です。先ほど申しましたように、そのことは日本というシステムのためにとるべき行動ではありません。そのような社会は、歴史を見ましても必ず崩壊してきましたし、システムとして不健全です。むしろ、ボランティアが大勢いるほうが長期的に考えてみても「国益」になると思いますし、システムとして正常です。



今回、彼等の行動を批判する際に持ち出される「国益」。この場合の「国」とは何か?id:MASHさんが功利主義的な立場に立っているのかどうかは分かりませんが、「多数決主義」が「民主的」であるという考え方は、ベンサムの時代ならいざしらず、今は(一部の国意外)通用しなくなっているのではないかと思います。理由は①「数」の暴力によって成り立っており、そのことで②「他者」の排除を行いながら③「全くの他者」を考慮に入れていない、等が考えられます。ベンサムの言う意味での「最大多数」などは存在しません。そこにはもちろん個人の承認もなければ、社会システムを正常に保つロジックが存在しません。むしろ、矛盾を抱えてシステムが内破してしまいます。


id:MASHさんの意見は、「3馬鹿トリオに同情を寄せているのがマイノリティであるという現実」を「曇りのない目で見」れば「自業自得」であり「殺されたとしてもしょうがない」と「普通」の「日本人」は納得すると。そして「多数意見を尊重するのが民主主義の基本」であり「例え民主主義がヒトラーを生み出した歴史があったとしても」そのような「民主主義」を肯定するというものです。この意見は、実に多くの問題を抱えています。「普通/普通ではない」という考え方、多数決によって少数派があぶれるのは「民主的」という考え方(一体これのどこが「民主的」なのだろうか…)、そして「マイノリティ」は「目が曇っている」と言わんばかりの文脈。これらは単なる差別です。個人の信条としては構いませんが、そのような考え方を人質になっている方々に適応することは出来ません。理由は、①既に指摘したように、差別に他ならない。②「そのことで日本というシステムが保たれるのだ」という考え方は間違っており、今回は先の理由でむしろ逆であるからです(もっとも、日本には「忘却」という装置があるのですが…)。「社会システムが正常ならば殺人はむしろ正常」という方もいらっしゃいますが、その場合でも今回「自業自得」と言うことはシステムを正常に保つ道として当てはまる選択ではありません。



さて、「行くことについてはみんな容認してると思う」というid:MASHさんは最後におっしゃいましたが、chikiには全くそう思えませんでしたし(容認している人間が「氏ね」「焼肉パーティー」「英雄気取るな」などと言うとは思えません)、id:MASHさんもまた「容認」しているようには思えません。「勝手に行けば?」と言う場合の「容認」は、単に「行ってもいい。但し、死んでも関係ないよ」というレベルでしかありません。グローバルレベルでの発想が欠けていることはもちろん、id:MASHさんやchikiのような人間も無視される可能性があります。chikiは、id:MASHさんの論理で言えば確実に「普通ではない」人であり、マイノリティであり、「殺されてもしょうがない人」になるでしょう。chikiは自分の信条を守るために死ぬことは構いませんが、それは他人の論理を押し付けられたくないからです。他人の論理で死ぬのはchikiは御免です。




長くなりました。返信を終わります。議論の停滞や水掛け論を防ぐため、もしこれ以上「自業自得」にこだわる方がいらっしゃれば、最低①論理的根拠②今後の展望③「国家」の定義と現代における意義を明らかにして下さい。






http://d.hatena.ne.jp/MASH/20040416#p4
返信を頂きました。後日分で申し上げましたように、 このような「感覚」を持つことは日本人(=大衆)にとって「当然」の反応だとは思っています。そのことを認めていただき、そして議論に長々とお付き合い頂きありがとうございました。chikiとしてはこのような「感覚」にとらわれて思考停止にならないように気をつけたいと思います。






id:MASHさんとの議論はここまでで「終了」になるようです。このやり取りが少しでも皆様が考える際の参考になれば幸いです。