「論争」お疲れ様でした宣言(多分)。

先日、「数学屋のメガネ」さん(以下、秀さん)の「フェミニズムのうさんくささ」というエントリーから始まった「論争」に関して、chikiが「メガネさんのための解説。」というエントリーを書いた後、秀さんからいくつかのTBをいただきました。




「「数学屋のメガネさんへの再批判。」に対する反批判 2」
「「数学屋のメガネさんへの再批判。」に対する反批判 3」
「「数学屋のメガネさんへの再批判。」に対する反批判 4」
「可能性(可能無限)とイズムの暴走性 」



こっそり「反批判(75)とかまで続いたらどうしよう」と不安になりつつ、ひと段落ついてからレスポンスをしようかと思っていたのですが、その間何人かの方がそれらのエントリーに対するレスポンスを行っていました。



「あくまでも「仮定」の話ですから@はてな的、論点ひきこもり。」
「もう単なる放言になりさがってます@世界、障害、ジェンダー、倫理」
「あるマルクス主義者の自意識劇場@*minx* [macska dot org in exile]」
「他者に「無謬性や教条主義の影」ばかり見出すという症候 @*minx* [macska dot org in exile]」
「論理学の勉強@瀬戸智子の枕草子」



すると秀さんは、これらの批判、特に瀬戸さんの批判を受けて次のようなエントリーを立て続けにお書きになりました。


よく考えてみれば、あのエントリーは、僕が抱いている「フェミニズム」という言葉に対する偏見が基礎になって書かれているものだ。僕はその偏見を偏見として自覚してはいたものの、インテリのイヤらしさから、偏見を理論武装しようとしてしまった。偏見であるなら、偏見として率直に語らなければならなかったことに気づいた。
このことが分からなかったので、偏見を指摘する声をすべて過剰反応だとしか受け取れなかった。これは、そもそも僕が「フェミニズム」に抱いていた偏見のせいで、いろいろな現象に過剰反応していたことが、あのエントリーの原因であったのに、自分の過剰反応に気づかなかった僕は、僕のエントリーに対する反応も過剰反応であるという理解しかできていなかったようだ。「構造的無知」というものだろう。その部分だけは、僕の頭からはまったく抜け落ちていた。本当にまったく理解出来なかった。
「瀬戸さんの指摘はほぼ全面的に正しかった」

とりあえずフェミニズムに関することには反批判をしないことを一方的に宣言する。
(…)
偏見を叩く批判に対しては、こちらに反批判の余地はないのだから、もう反批判を書くことはない。それは決して無視しているのではなく、反批判出来ないので書かないのだと解釈して欲しい。僕の方に、もし余裕があれば、後日、ああここのところはこう叩かれても仕方がないなと反省するエントリーを書くかも知れないが、余裕がなければそういうものも書けないかも知れない。
そこで、chikiさんにもたいへん申し訳ないのだが、視点の違いからの反批判を書く意味が無くなってしまったので、これも一方的に終わりにさせてもらいたい。もちろん、chikiさんが、僕の偏見の部分を正当に批判するのはchikiさんの自由だ。これに対しては、僕はそれを受け入れるだけだ。
「一方的な反批判停止宣言」

偏見からの「構造的無知」が晴れてみると、自分の論理展開がまったく無理な詭弁であることがよく分かる。まさに構造的無知というのは、その本人にはまったく見えないことが、外にいれば容易に見えてくるという構造を持っている。ばかげた論理を展開したものだと思う。
僕は「構造的無知」から、自らの過剰反応に気づかず、むしろ批判する側の方を過剰反応だと思い込んでいた。しかも、その過剰反応は、気に入らない言説を叩くためだけに批判しているのではないかという、被害者意識につながっていた。これも「構造的無知」から来る妄想だ。
被害者意識を持ったことが、逆に僕の攻撃性を増す方向へと働いてしまった。向こうが叩いてくるなら、叩き負けないくらいに叩き返さなければならないと言う感情が生まれてしまったのだ。守るために攻撃するというメンタリティは、男に多いものだろうか。とにかく、そのメンタリティによって、誤解からとはいえひどい言葉を投げつけたものだと思う。人格的な非難を浴びても仕方がないとさえ思っている。その時に悪口雑言を浴びせた方には、たいへん申し訳ない思いを感じて、ただ恥じ入るだけだ。
「自らの誤謬から学べること」

突然の申し出に少々驚きましたが、議論を終わりにしたいとの点、了解いたしました。もしかしたらまだご説明が足りなかったところがあったかもしれませんが、提案を受け、これにて秀さんとのやりとりは一旦終わりにさせていただきます。一連のやりとりからは多くのことを学ばせていただきました。秀さん、そして「論争」に参加された皆様、ありがとうございました。



なお、秀さんからいただいた宿題で、ひとつお答えしなければならないなぁと思っていた「メディアやテクストの性質」に関する解説(テクスト論とメディア論の基礎前提)に関しては、論争への返答という文脈でなくいずれ文章にさせていただきたく思います。私の自己規定にも関わりますし、今後も係争において参照する機会が出てくるだろうと思われるので。でも、いそがずあせらず。