被曝対策、高齢化、医師不足――南相馬市立総合病院が取り組む課題

2012年2月18日。東京大学医科学研究所の上昌広氏の紹介を受け、南相馬市立総合病院を取材させていただいた。




南相馬市立総合病院は、東京電力福島第一原子力発電所から23キロの場所にある。そのため、震災・原発事故以降、被災地医療および被曝医療の最前線となっている。



病院に入ってすぐ、「ここは福島第一原発から23kmです」の文字が飛び込んでくる。ホワイトボードには、毎朝の線量が書き出されている。


今回、取材を引き受けてくださったのは、1980年生まれで、僕と同世代の若き医師、原澤慶太郎氏。原澤氏は現在、千葉県の亀田総合病院から出向し、南相馬市立総合病院にて医療活動を行なっている家庭医だ。現在の南相馬市の医療の課題について、丁寧に教えていただいた。その模様を掲載させていただく。

――被災三県などを取材しても、やはり福島県の場合は特に、原発事故の陰が大きいと感じます。医療の現場では、どのような課題があるのかを教えて下さい。


原澤 私は去年の11月から、南相馬の病院で働いています。南相馬はもともと、医者が少ない地域でした。そこに追い打ちをかけて、震災と原発事故が起きました。多くの方が避難をし、医者も看護師も一挙に減りました。


もともと7万人いた人口が、一時は1万人にまで減りました。それが今では約45000人にまで戻ってきたのですが、戻ってきたのは、ほとんどがお年寄りです。若い世代は会津や東京などに行ってしまいました。つまり、南相馬は、極めて短期間でいきなり高齢化したことになります。


これほど短期間で高齢化したわけですから、高齢化に対応できるようなインフラが整備されていません。原発事故は、多くの「唐突な社会変化」をもたらしました。産業構造も崩壊しました。現場もどうすればいいのかわからない状況が続いています。


――変化がゆるやかなら、コミュニティバスの充実や訪問医療・介護の拡充など、まだ準備ができたかもしれないが、確かにわずか1年では難しいですね。医師不足に加え、患者の数が増えている現状もあると。被曝の状況についてはどうなっていますか。


原澤 南相馬では、1月の下旬に一万人分の検査が済みました。でも45000人が帰ってきていますから、まだまだこれから頑張って続けなくてはなりません。それでも、一日に110人の規模で検査できる体制が整っているのは、日本でここだけです。


被曝については、一回検査をすればそれで済むというものではありません。検査は継続的に行わなくてはなりません。みなさんがいつでも検査を受けられますよ、と言える状況を作らないといけません。そのためには、さらに体制を整える必要があります。


例えば甲状腺の検査や内部被曝の検査を安価にするというのは、みんなが検査をするインセンティブを高めます。ただ、無料にすると、今の規模だと外来がパンクしてしまうかもしれません。行政の適切なバックアップも必要です。


被曝については、もちろん閾値というのは設定できませんが、医師の感覚でフォローが必要だと感じられるのは、数十人、という感じです。その方々を詳しく調べると、いくつか生活の中で、原因となる行動をとっていたりします。例えば、自分の畑でとれた作物を食べた老人の方がまずは多いです。それから、子どもたちの場合は、生っている果物を食べたりしていたりした子もいました。


そうした方々は、問診を通じて、そうしたケースを個別に改善をしていく必要があります。食生活を改めれば、被曝量にもしっかりと改善が現れます。


被曝データの出し方については、しっかりと検査をして出していく必要があります。単に「こんな症例がありました」「こんなウワサがありました」というのはしたくはありません。医師も科学者であるので、まとまったデータを、しっかりとした世界中の人が読めるジャーナルに掲載するというのが必要だと思います。その上で、わかりやすく丁寧にアウトリーチしていかないといけません。


――「これは放射能の影響……かも!」というような、断片的な情報を拡散するような動きもありました。放射能の健康問題も気になるために引き続き検査も必要で、同時に情報公開も必要になってきます。一方で、被曝以外の健康問題も発生していると伺っていますが。


原澤 高齢者の方は、避難したことによって運動量が少なくなり、高血圧や糖尿病など、成人病と呼ばれているものにかかっている方が多いです。低血糖を避けるために、甘めに料理を作るなどの対応をしたのが、裏目に出てしまった方もいます。また糖尿病は、しっかりと細かな栄養コントロールをしないといけないのですが、長期間診察が受けられなかったため、震災直後のイメージで食事を続けられたという方もいます。


運動不足に加え、被災地でどうしても大きな問題として考えなくてはならないのが、メンタルの問題です。浜通りには10万人くらいが住んでいますが、津波原発、失業など、100%の人が何らかの精神的ダメージを受けています。そこには当然、ケアも必要になります。


精神的ケアについては、3段階くらいで考えられます。深刻なダメージを受け、死を考えたり、食事や薬を摂取できなくなっているような、専門医の紹介が必要な方。それから、保健師さんや社会福祉協議会の方が見守ってあげれば、なんとか立ち直れそうな方。そしてもう少し軽度で、地域で回復できるのではないか、という方。


今回、この真ん中、保健師さんが必要な方というのがとても多いのですが、人出が足りず、カバーしきれていません。でも、もうすぐ3月11日(※取材時は2月18日)、フラッシュバックする方も多いでしょうし、春先には不安定になる方ももともと多いですから、これからは前後のケアに本腰をいれていくつもりです。


――メンタルの話では、周囲の無理解などもストレス要因になりますね。


原澤 先程お話したように、南相馬には今、高齢者が多いんですね。高齢者の方は、若い年齢の方ほどは、放射能の影響を気にしている方は少ない。一方で南相馬は東京と違って、一家族の人数が多いんですね。六人家族とか七人家族とか。孫ひ孫と一緒に過ごしていたおばあちゃん、お嫁さんが一緒に台所に入ってくれて、孫が帰ってくればだっこして、そうした生活をしてきた方が、70年近く生きてきて初めて一人暮らしをすることになったり。


行政のサポートは入っているけれど、色々困ってもいるし、とにかく寂しがっていたり。同じような方がたくさんいるんですね。身体の健康上は問題なくても、そうした方へのケアというのも必要になっています。まだまだそのあたりができていません。


――被曝に関する相談は?


原澤 もちろん、よく受けます。今この病院では、坪倉正治医師が中心となって検査をしています。ただ被曝に関する情報をウェブにあげても、ここの住人にとってはほとんど意味がないんですね。そもそもネットができない、ケータイでさえ持っていない方が多い。なので坪倉医師は、検査と同時に、集会所などに通って、毎回数十人ずつの住人の方々に説明をしています。


最初の方は、「放射能は匂いがするのか」とか、「身体が水ぶくれになったりするのか」といった質問も多かったのですが、いまはだいぶ進んできたので、質問も具体的になってきています。特に、食べ物に注意すること、定期的に検診することが必要なこと、この二点を中心に、理解が広がってきていると感じています。


【参考】
内部被曝と向き合う〜 東大医科学研究所医師 坪倉正治さんインタビュー 〜」
http://www.asahi.com/health/feature/drtsubokura_0301.html


――最初の頃は、被曝対策に関する様々なうわさ、流言も広がりましたね。イソジンがいいとか、米のとぎ汁がいいとか。


原澤 味噌、塩がいいとか、乳酸菌とか、色々ありましたね。


――あるいは代替医療とか。つまり、情報不足と不安のために、こうした情報に飛びつきがちな状況があったわけですね。丁寧な検診と注意を繰り返すことで、だいぶ改善されたということでしょうか。


原澤 そうですね。安全だ、安心だと言われても、そんなことははなから信用出来ないわけですね。住人の方と話していても、リスクを負わされたという意識は、みなさんから感じます。


一方で、この地域はもともと、救急医療がどこまでできるだろうという課題があったりしたため、「今までもリスクと隣り合わせだった。そもそもリスクがゼロだったわけではないんだよな」というように思うようになり、新たなリスクをどこまで受け入れるか、という点で選択が変わっている面もあります。これくらいのリスクなら住み続けようとか、とてもそんなリスク受け入れられないので出ていこう、といったように。


――東京大学医科学研究所の上昌広氏は以前、カルテが津波で流されて紛失してしまった患者さんが多くいるため、電子カルテクラウド化も重要だとおっしゃっていました。医師不足もそうですが、もともと準備できて来なかった問題が山積みだと。


原澤 今、仮設住宅などを往診もしているのですが、歩けない方もいるし、病院に来ることがハードルが高いという人がいるのが、理由の一つとしてあります。もう一つの理由としては、高齢者人口が、ベット数に見合った規模では無いということです。そうなると、在宅医療のウェイトが大きくなります。


当病院では、4月から在宅診療部を立ち上げるのですが、在宅医療においては、電子カルテクラウド化が重要になります。今は紙でやっているのですが、どこでもカルテにアクセスでき、どこでも閲覧できるということになれば、より往診がスムーズに行えます。クラウド化や電子化は、高齢化社会には必須だと思います。


往診自体の際は、訪問看護師の役割が重要になります。医師の役割は、急変対応や入院の判断などが重要になります。なので、医師不足だから在宅医療が成り立たないということでは必ずしもないのですが、看護師は不可欠になります。看護師の方には、休職中、離職中の方も多いんです。そこからいきなり、救急病棟などに戻るのは厳しいかもしれない。でも、ホームケア、在宅治療なら、戻りやすいかもしれません。


――いま、医者は何人いらっしゃいますか?


原澤 今は、常勤が10名です。でも、一番少ない時で4人でした。医師はこれからも募集していきますが、看護師さんの募集のほうが難しいです。何らかのメリットがなければ、雇用の継続性はありません。地域医療の場合だと、お金を多く出すだけで質が担保されるわけでもありません。そこは色々アイデアを出していかなくてはいけないと思います。


僕らの世代は、この問題に50年、これからずっと取り組んでいかなくてはなりません。とはいえ、若い世代、例えば30代で改めて動くというのは、現実にはなかなか難しいところですよね。


医学部を出て24歳ほどで医者になり、20代後半で初期研修が終え、後期研修が始まる。30代半ばで後期研修を終えて専門医になり、そこで一人前の入り口に立つ。その時にいきなり転職、南相馬などで地域医療を、というのは難しいですよね。意識としても、その人の専門分野に集中してやりたい盛りだとも思うので、そうした中で地域医療のようなジェネラルな仕事をというのも、結構ハードルが高いです。今は縦割りのスペシャリストが多いのは事実で、今後は家庭医を増やすということも重要になるとは思うのですが。


でも、例えば僻地医療なども、実際にやると面白かったりするんです。以前、私がシリアに訪問した際に、「うちは占い師が全部見てくれるんだよ。それで死ぬかもしれないんだけど、『お言葉』をちゃんともらえるから、満足なんだよ」という話を聞いて、医療とは何なのかとか考えさせられたりしたことがありました。もちろんそれは現代医療を否定するということではなく、自分の役割というものを改めて考えさせられる視点をもらったということです。


僕が外科医を志したのは、ロバート・キャパの写真集「Children of War, Children of Peace」を見たのがきっかけでした。ここでは、どこまでが医者の仕事なのかという線引きが流動的な環境でもありますが、いま南相馬で仕事していても、原点回帰をしているような感覚で仕事に臨んでいます。


僕は元々、心臓外科医でした。でも、いまは家庭医として、地域医療に入り、往診などを重ねています。そのことで本当に多く経験を得られています。いまは、奇しくも生まれた高齢化社会南相馬で、適した医療モデルを作り、それを「南相馬モデル」として模倣されるようなものが作れればとも思っています。


――今はどういう患者さんを診ているのでしょうか。


原澤 色んな方がいますね。今は、新患の方が多いです。新潟に一時的に避難していた方が多いのですが、その後仮設住宅に入ったと。さらにその多くは、小高といって、避難区域の内側に住んでいた方々です。つまり、いままでかかりつけで通っていた病院が閉まってしまっているので、この病院に新患として来られた、という方が多いんです。


「血圧計は線の内側(避難区域内)に置いてきて、あれから測ってない」とか、「(震災以降)ご飯も食べられてない。生きても意味がない」というような相談を受けます。メンタルの悩みも合わせて聞く家庭医なので、トータルで話を伺うため、一人ひとりの診察の時間は長くなります。


でも、ここでは誰もがメンタルな悩みもあわせて抱えているので、そこまで踏み込んでうかがわないと、問題が解決しないことがあるんですね。薬を処方しても、「家族が亡くなった、自分もいつ死んでもいい」といって飲み続けてくれなかったり。「治療して、健康になる意味がない」と。そういう方と時間をかけて向き合っていく必要があります。


来院の方の診察、入院患者の方の診察、救急外来、往診。この4つが主な仕事ですが、あとは正規の意味での往診では無いですけれど、「死にたい」と言っているような方の見守りといいますか、保健師の方と連携とりながら、仮設住宅などを見まわったりしています。それに加えて、地域医療に必要なプロジェクトをその都度たちあげています。


この間までやっていたのは、集会所での集団的予防接種のoperation。いまやっているのは、仮設住宅の方に血圧計をお貸しして、血圧を測ることを習慣付けしていただこうという活動です。この活動には、業者の方も尽力いただいています。


あと、意外かもしれませんが、いま、はしかが流行しそうなので、対策を進めています。調べてみたら、住人の方々のはしかの予防接種率がものすごく低かったんです。日本ではだいたい9割近くの方がはしかの予防接種をしています。はしかの予防接種には四期あって、赤ちゃんの頃、小学校入る前、中1、高3といったタイミングで予防接種をするんですね。でも、この地域では震災の影響もあり、どの段階でも40%近くしか予防摂取していない。


いままではそれでよかったのかもしれませんが、今はボランティアさんを含め、これだけ多くの方が外からやってきている状況ですし、仮設住宅で密集して暮らしているわけですから、とても感染しやすい状況が整ってしまっています。なので、いまは啓蒙と予防接種のプロジェクトも行なっています。


――産婦人科の方がほとんどいないとも伺いました。


原澤 はい、数えるほどしかいません。元々少なかったのですが、患者さんも医者も、両方減ったんですよね。でも、妊婦の方は今もいらっしゃるので、どんなに患者さんが少なかったとしても、医師は必要になります。


――震災直後と今の課題に、変化は?


原澤 私は震災後にここに来たので、直接対応したわけではないのですが、看護師の方などからは話を伺います。この病院も津波がすぐそばまで来たのですが、津波の被害はほとんどがゼロかイチで、怪我などなかった人か、お亡くなりになってしまった方、というのがほとんどなんですね。だから、何も出来なかった、という話をよく聞きました。その後は、ご飯も入ってこない。患者さんのご飯もないけど、スタッフのご飯がない状況をなんとかやり過ごしたと聞いています。


そして、他の病院との、患者さんの受け入れ、支え合いですね。ここでは、行政の指示はほとんどありませんでした。医師や看護師の職業意識から、現場で対応した。それは素晴らしいことなのですけど、有事に対する国としての対応はあまりにも無防備だったなと思います。




お話を伺った後、原澤医師が「健康管理の一番の要」と呼ぶ、WBCの実物を見せていただいた。

原澤 計測する時は靴を脱いで、中に立っていただきます。一回の検査は2分です。精度を上げたければ5分で測ることもできます。
――これは一台のみ?
原澤 そうです。例えば三台あったら、もっと助かるんですけど。
――一台いくらなのですか?
原澤 五〇〇〇万円ほどです。でも、今後の健康管理の一番の要になるものですから。
――現在の子どもが大人になるまで続けなくてはならないものですよね。
原澤 もちろん。院長は、100年間続けると言ってます。そのうち、技師も不要な、日常的なツールにしていけるようにする必要もあるでしょうね。
――身体測定の一環で測るような?
原澤 そうなると思います。残念ですけど、それがこれからの姿だと思います。食品検査も、すべての学校と、それから食品マーケットに置きたいですよね。例えばウクライナだと、食品を検査してシールを貼ったりしているので。
――ここで検査した結果は?
原澤 紙に出力し、外来の部屋で、データを渡して説明します。

原澤 ここは元々リハビリルームだったんですよ。
――WBC専用の部屋が必要になるとは思わないですよね。


WBCは、リハビリルームに設置されている。写真はWBCのカーテン裏にある歩行訓練用のプール。まさかWBC用の部屋が必要になるとは、誰も想像していなかった。


今も南相馬市立病院は、原発事故によって新しく生まれてしまった多くの課題と向き合っている。その仕事は、これから何十年以上と続いていく。これからも折りに触れ、そのニーズの変化を取材していきたいと思う。



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