西アフリカのエボラ騒動と、日本のコレラ騒動との類似について

エボラウィルス感染症エボラ出血熱)が猛威を振るっている。致死率が高い病気で、ワクチンも治療法もまだない。清潔な環境での対処療法が基本となるが、感染地域では医療を妨げる流言が広がっている。


国内外の報道によれば、流言のパターンとして、「欧米人や医療従事者らがエボラウイルスを持ち込んだ」「入院すると臓器が盗まれる」「病院でこそエボラに感染させられる」「隔離された患者はそのまま餓死させられる」といったものがあるという。これらの流言は、医療チームへの不信感を拡大させている。現地で治療に当たった方からは、医療チームの乗る車めがけて石を投げられたという話も聞いた(8月8日放送のラジオにて)。


「エボラは存在しない」と叫び、隔離施設を襲撃した集団がニュースになった。エボラの存在そのものを否定するという流言も広まっているわけだ。こうした流言には、「政府が支援金を詐取するためにねつ造したのだ」といった説明がつくこともある。そのため医療従事者たちは、エボラウィルスの実在から丁寧に説明しなくてはならない。


エボラ否定流言が広がる一方、エボラ治療流言として、ニセの治療効果をうたうものもある。例えば「タマネギが効く」「ライムがいい」「ココアと砂糖がいい」といった食事療法だ。存在しない特効薬をネット販売する業者もある。「エボラ予防には塩水を飲むのがいいいい」という流言を信じて実行した人のうち、少なくとも2人が塩分の過剰摂取で死亡したとも報じられている。WHOは、ウィルスそのものだけでなく、これらの誤情報への感染に警鐘を鳴らしている。こうした流言は、SNSやメッセンジャーでも拡散されている。


ところでこの騒動は、江戸後期〜明治時代のコレラ騒動と非常によく似ている。当時の日本では、「西洋人がコレラを持ち込んだ」と信じられ、民間療法や呪術が頼られた。「医師は生き胆を抜く」とされ、医師や医療施設、あるいは移送に関わった警察や行政が民衆によって襲われた。誤った食事療法が流行り、「コレラ一揆」や「コレラ祭」も各地で発生した。


コレラは江戸時代後期から、日本で何度か流行している。村上もとかの漫画『JIN-仁-』でも、「虎狼痢(ころり)」ことコレラが江戸末期に流行し、町民たちが札などの呪術によって対応していた姿が描かれている。漫画では、タイムスリップした現代の脳外科医・南方仁が、「コレラ除け」を破り捨て、衛生管理と治療にあたるというエピソードがあるが、「コレラ除け」は明治時代においても未だ根強く信じられていた。


杉山弘の論文「覚書・文明開化期の疫病と民衆意識 明治10年代のコレラ祭とコレラ騒動」(『自由民権 2号』1988、町田市立自由民権資料館)は、明治10年代のコレラ騒動をまとめた労作。『自由民権 2号』そのものは絶版していて入手しがたいが、コレラ騒動の大まかなパターンを概観するには有意義な資料となっている。下記に、年表よりその一部を引用してみる。

年月日 関連地域 概要 動機(噂など及び要求など<出典・参考文献>
10・9頃 神奈川県横浜近在の戸部・平沼周辺 コレラ除けとして、不動などへ護摩を焚く、赤紙に牛という字を三つ書いて門口へ貼る、八ツ手の葉や蕃椒(とうがらし)、杉の葉を門口に下げるなどが流行 <『朝野』10・9・22>
10・10 岡山県和気郡日生村 避病院の反対、漢方による治療、魚類販売中止の解禁を唱え、漁民が巡査・区戸長・医員などの詰所に集合、巡査に傷を負わす。警部らの出勤、警戒により鎮定 「第一には避病院と唱え、山林僻地人家隔絶の地へ居を設け患者を入れ、骨肉親子の至上を絶す。むしろ流毒に感染し一家覆滅するとも自家に在りて看護致し度事。第二には其薬品の如き大抵水薬を用ひ素質文明ならず。因ては従前の通漢法を株守し草根木皮を以治療致度事。第三には本村の如きは専ら利を海魚に収む。然るに目下病毒予防とて食禁の説論ありて売買の途狭く、大に世営に関す。なにとぞ巨尾細鱗の差なく一様売買食用候様相成度事。」<土屋喬雄・小野道雄『明治初年農民騒擾録』勁草書房、1953より(以下『農民騒擾録』とする)>
10・10 岡山県 岡山県の県社で12日間にわたってコレラ除けの祈とうがおこなわれる。また、門口に蕃椒・柴棟・南天・杉を下げるのが流行する <『朝野』10・11・7>
10・11 千葉県長狭群貝渚村 コレラ患者発生のため患者を隔離して治療を行おうとした医師沼野玄昌らが、付近の漁民に襲われ、沼野殺害される。巡査らの説得にも応じなかったが、リーダーの逮捕によって鎮定 「旅人(患者)をば遠い石子山堂へ連れて行き肝玉を取るに違いない、憎い奴らだ、打殺せ<『大坂日報10・12・23『朝野』10・12・26(上記の2点の資料には内容の異同がある)>
12・6 香川県小豆郡土庄村 コレラ病胎児の祈とうに百萬遍の祈念を行うことを郡役所・警察署に届け出たところ許可されなかったが、村内の若者400名ほどがこれを強行。郡吏・巡査の説論を聞き入れず、村内の医員宅に押しかけるなど騒擾化する。リーダー三名が捕縄され鎮定 「同村西光寺の釣鐘をゴンと撞くと、等しく村内の若者ども4百名計りも瞬間に寄り集り、何れも丸裸になって海中へ飛び込み、或は汚水溜池杯に拝入手我も我もと面部より総体へ泥土を塗り付(百萬遍の節は泥土を塗るの風習と云ふ)、黒人の如き有様にて大勢船網を引きて村内を頻りに這回する」「夕刻にいたり同村医員某の宅へ押懸け悪口暴言を吐き散らすのみか、むやみに某を打擲し、内儀の面部へ泥を塗り付ける」
12・7中旬 愛知県知多郡日間賀島 コレラ患者が発生し、これを避病院へ移そうとする巡査とそれを拒む島民の間で争論が起っていたが、折から熱田駅周辺の騒動を伝える者があり、日間賀島でも竹槍などで巡査を襲う計画がたてられる。鎮撫に向かった巡査らがまず襲撃をうけたが、島民のリーダーらの捕縄で沈静化 「毒薬を盛りて生肝を取るような怖しき所へ送るとハ人倫の情理にあらす」「県庁の役人等が外国人の注文を受け生肝と白骨を取らんとて、石炭酸緑磐と歟云う如き毒臭薬を井水に滴らして、コレラ病に取りつかせ、避病院へ送り込みてムザムザ殺す、証拠には看護人の外ハ一切出入りを差止むる」<『郵便報知』12・8・30>
12・7・21 愛知県熱田神社付近 巡査がコレラ患者の遺骸を運んでいたところ、隣村の若者に通行を妨害され、乱闘になる 「悪疫除の真っ最中に浮上のものを舁入れてハ神への怖れ返せ戻せ<『郵便報知』12・7・26>
12・7・28 山口県厚狭郡刈屋浦 巡査らが村民を集めコレラ予防の説明会を開いたところ、興奮した村民と口論になり、しまいには乱闘が始まり、巡査四名が殺害される。また、コレラ除けのため村堺で出入りを禁止する村、中や鉦や太鼓を打ち鳴らし、空砲を発する村がある 「親も子を顧みるを能ハす、妻子兄弟相互いに看護されず且葬式の礼を行を得すとハ、犬猫同様の始末なるに、如斯の言を以て説論杯とハ嗚呼(おこ)がまし」<『郵便報知』12・8・11>
12・7頃 山口県 コレラの流行につれ、様々な風間が流れる 「該病に罹るものハ悉く毒殺さるる」「天子様の御火にて 粂をすえれば病に罹らず」「宰府の天満宮様の御告の粥を喫すれハ取付かかる気遣いなし」<『郵便報知』12・7・18>
12・7 境県池の島村 村の若者がコレラの元である大阪の者が村内に侵入せぬように、村堺で竹槍・鋤鍬を手にして見張りに立つ <『郵便報知』12・7・19>
12・7 境県久賓寺村 コレラを追い払うための踊りが、毎夜、各家一人ずつでて行われる <『郵便報知』12・7・19>
12・7 愛媛県伊予郡筒井村 コレラ患者の遺骸を埋葬地に送るところを村民が、待ち伏せし、つきそいの巡査を襲う <『郵便報知』12・7・25>
12・7〜8 愛知県知多郡豊浜村 コレラ患者を避病院へ移そうとする戸長・巡査とこれを拒む村民との間で対立が生じており、巡査らが村内を探偵してまわったことをきっかけに村民が集合化、巡査・医師などを捕え、乱暴を加える。また、狐がついているとされた病婦らも連れ出され、同様に乱暴を受けるが、村内の総代らの説得と増員された巡査隊らによって鎮撫される。十七名が捕縄 「巡査等ハ外国人の依頼を受け、狐を遣ふて我々を殺す所存なり、彼らに殺されんより我れ先んじて彼らを殺さハ村内無事平穏ならん」<『郵便報知』12・9・1>
12・7〜8 愛知県愛知郡熱田駅知多郡鴻崎村・豊浜村・愛知郡一色村・幡豆郡平坂村・海東郡津島村 熱田駅におけるコレラ発生を機に、県や郡の公衆衛生行政を拒否するなどの動揺が生じる。その後、動揺は各村に波及し、警戒の巡査と民衆の間で、紛擾が発生したが、まもなく鎮定 <『農民騒擾記録』>
12・7〜8 山口県赤間ヶ関 コレラ退散のためとして、神仏の像をかつぐこと、百万遍の念仏会、法華経の題目講などが盛ん <『郵便報知』12・8・4>
12・7〜8 石川県金沢区市内 コレラにまるわる風評が盛ん。井戸には夜間、錠がおろされ、小路の入り口には七五三縄(しめなわ)、戸口には祈とう護符が貼られている 「夜中○○(ママ)が毒を撒布する」「患者に魔薬を与ふる」「鮮血を絞り肝を抜く」<『郵便報知』12・8・4>
12・8・1 石川県東水橋駅 検疫所に近在の人々が押し寄せ、説得にあたった巡査が川に放り込まれる <『郵便報知』12・8・1>
12・8初旬 新潟県新潟区新潟町祝町及び周辺町村 新潟町とその周辺では、再度の火災と水害が米価の高騰に拍車をかけ、町民の生活に支障をきたしていたが、そこにコレラが発生し魚介類果物類の販売禁止措置がとられたため、漁労及び果実生産にたずさわる人々の不満はいよいよ高まっていた。そんな折、米価の引き下げなどを要求して漁師などが集合化する兆がみられたため、警官や区長らが説得にあたったが、コレラの死者を護送する巡査を漁民らが襲い、死者を奪い返そうとした事件をきっかけに騒動が始まる。「物持ち」や米商・区書記の家宅が打ち壊され、鎮撫の巡査と漁民との間で衝突が繰り返されるが、リーダー格が捕縄されるに及んで沈静化する <『農民騒擾記録』及び『新潟新聞』12・8・7など、大日方論文、中野三義「明治一二年新潟コレラ騒動」(『地方史研究』一四九号一九七七、以下中野論文とする)、溝口敏磨「コレラ騒動」(『新潟県史』通史編近代1、以下溝口論文とする)>
12・8初旬 新潟県中蒲原郡沼垂町 新潟発田に住む士族の息子が、沼垂町の栗之木川で暑気凌いのため薬を服用していたところ、これを見咎めた付近の町民が、川に毒薬を投入したものと誤認し、男は沼垂町警察分署へつき出される。巡査が男の弁解にもとづき、町民らの誤解をはらそうとしたがおさまらず、続々竹槍・鳶口などを手にした町民が押しかけ、分署の打ち壊しが始まると同時にこの男も撲殺されてしまう。このほか、探偵と誤認された商人が同様に殺され、また、日ごろ分署の用使いをなしていた者・お雇いの医者などの家宅が破壊され、通行人検査所及び避病院も打ち壊される。巡査の出動により混乱を極めたが、巡査側が町民の歎願を受けつけ、さらに県庁への上申を説論したので沈静化する 「一 虎列刺病患者は避病院へ入らず 悉く自宅に於いて療養を許され度候事。   一 同死亡者葬儀の儀は総て自分に於いて取計度候事。  一 虎列刺病予防の為め売買禁止相成たる有害菓物(ママ)を売買被差許度事。 一 魚類右同断。  一 米穀の輸出を差し止められ度事。  一 勝手に裸体を許され度事。<『農民騒擾録』、大日方論文、中野論文、溝口論文>
12・9初旬〜9中旬 埼玉県北足立郡尾村ほか十数ヵ村 中尾村吉祥寺に避病院を設ける話が、郡吏及び戸長の間で進められているのが漏れ伝わり、村民が不満を募らせていたところ、突然、巡査がコレラ患者を同時に連れてきたので、それをきっかけに中尾村及び周辺の村の村民が集合、避病院の建設の中止などを強く訴える。その後、建設は県庁の判断で取り止めとなったが、巡査による村民のリーダー拘引が始まると再び村民は集合、巡査・戸長らを襲う。県令の巡廻説論などにより、沈静化。三十一名のものがそれぞれ刑に処される 「其実ハ虎列刺ト申ス病ハ無之シテ、全ク巡査各村ニ出没、毒薬ヲ撒布シ、故ラニ病人ヲ披へ、之レヲ避病院ニ入レ患者ノ生肝ヲ取ル」「悪疫ヲ嫌忌スルハ人ノ常情ナリ、浦和ニ発シタル患者ハ浦和ニ舎キ治療スルコソ当然ナラメ、然ルニコレヲ本太原山等ヲ経テ、吾カ中尾ニ舁送スルトハ何事ソ、特リ愛ヲ浦和ニ厚フシテ他ヲ顧ミサルノ所為ハ、是レ郡衛ノ事ニアラサル也」<『県史誌編纂資料騒擾時変・騒擾』(埼玉県立公文書館蔵)、森田論文>
12・9初旬〜9中旬 埼玉県北足立郡本郷村・赤山村など一〇数ヵ村 この付近でコレラ患者発生のため、数ヵ村の寺などに検疫所・避病院が設置され、検疫委員巡査らによる巡視が行われる。近隣の村々ではコレラにまつわる噂がとびかい、念仏講会や祭礼をきっかけに村民が集合し、巡査らの通行を妨害、また避病院・検疫所へおしかけるなどの不穏な行為が頻繁に起こるようになる。業を煮やした警察が村民の総代を召喚、その意向を問い、さらに県がこれにそった措置をとあったので、騒動は沈静化する。三十一名のものがそれぞれ刑に処せられる "「八月廿一日大竹村新井方ニ念仏講会アリ、村人集合シ雑話ノ語次週適々虎烈刺病ノ事ニ及フ、日ク東本郷ノ避病院ヘ入院セシ患者ハ、頭脳ヲ抜キ取ラレ、亦ハ毒薬ヲ以テ殺サルルノ風評ハ風説ニアラスシテ事実ナルカト如シト、是ヲ聞ク者、挙ナ之ヲ信セサル者ナキニ至レリ」「此際各村ニ行ハルル巷説ニ現下ノ縣庁カ発病者ヲ強テ入院セシメツ、是レスナワチ患者ヲ毒殺シ、其肝ヲ択クリ取テ之ヲクラント将軍エ送ランカ為メナリ、故ニ看護者アリテハ斯ル悪手ヲ施シカタキ所アレハナリ、尚其方法トシテ密ニ巡査ニ命シ、白粉ノ毒薬ヲ途上ニ撒布シ、以テ悪疫ニ感染セシメント為シツツアリシト」「其一患者ハ自宅ニ於イテ治療致シ度、其二検疫掛ノ巡視ヲ休止セラレ度、其三避病院ハ廃止セラレ度、其四医員ハ病家ノ望ミニ任セラレ度、其五入院患者ノ帰宅ヲ願ヒ度」
12・8・中旬 群馬県邑楽郡川俣村ほか一七ヵ村 コレラの流行につれさまざまな風間がとびかっていたが、たまたま巡査や委員の与えた薬を服用した直後に一人の患者が亡くなったため、村民の検疫委員らへの疑惑の念は更に深まっていた。そんな折、検疫委員が来訪したため、川俣村及び周辺の村の人々が集合化、これを襲う気配をみせたので、警部及び郡長・郡書記などが急遽出張、村民の願意を伝えるとの約束をとりつけ、ようやく説得に成功する "「同病に罹る者ハ一々病院へ入れ、治療と名を附けて其実ハ右の患者を殺害して肝を取り、米客グラント氏へ高価に売渡すの内約あるが故に、政府ハ委員巡査に内命を下して故らに人を殺す」「仮令コレラ病患者あるとも、検疫委員の診察を受けす、敵座の医師に掛り治療する事と、避病院入ハ御免を蒙り度亊の二ヶ條なり」<『郵便報知』12・8・23>
12・8・中旬 京都府綴喜郡第三組豊野村玉水村 富野村が村費で建設した避病院に、隣村の玉水村から患者が送られてきたが、富野村の村民がこの入院を拒否、両村の者の間で乱闘になる。双方のリーダーが捕縄されて沈静化する <『郵便報知』12・8・23>
12・8・下旬 新潟県西蒲原郡河間村ほか数ヵ村 コレラの流行は飲料水に毒薬がまかれたことによるとの噂がこの村々では語られていたが、偶々河間村を通りかかった鋳物師が、村民に糾問され、その勢いに圧され不本意にも毒物の撒布を認めたため、これを伝え聞いた河間村及び周辺への村の人々が集合化する。この鋳物師が連累として名をあげた四名の家宅が打ち壊されるが、出張してきた巡査の説得により沈静化する 「該病流行は全く毒素を撒布する者有之に原因するとの浮説」<『農民騒擾録』、大日方論文、中野論文、溝口論文>
12・8 茨城県の西南部 村民が神社に集合、夜を徹して鉦や太鼓を打ちならすなどのコレラ除けが盛ん。風評も盛んに流れる コレラの流行するハ全く米価の騰貴したるゆえ、政府が故さらに西洋より病種を輸入して人口を減するの策なり」<『郵便報知』12・8・5>
12・8 長野県東筑摩郡岡田・苅谷原・青柳・麻績各村 疫病神を追い払うための、年の迎え直しが行われる。各家に門松がたてられ、注連縄がはられる <『郵便報知』12・8・28>
12・8 石川県金沢区浅の川河除町 尻垂坂(地名)の若者連数十人によるコレラ送りの行列が河除町にさしかかったところ、地元の人々との間で道を通せ、通さないで口論になり、行列の警備にあたっていた巡査二人が河除町の者に襲われたことがきっかけで、大乱闘になる。尻垂坂・河除町及び巡査にも怪我人が出て、五人が拘引される 「尻垂坂の虎列刺送りの若者連数十数人が列を整へ大なる竹籠に七五三縄を張り幣を立てて、或は藁箒抔を入れて舁ぎ出し、又大なる紙旗に虎刺列送の四文字を書きたるを押し立て、中央には例の藁人形を舁ぎ、笛・太鼓・法螺を鳴らし、或は鐡棄の油函を曳づり、数十の提燈を持ちすさまじき勢にて押し出せり」「けがらわしき虎刺列送りは我町内は通されない」<『東京曙』12・8・5>
12・9 東京府南葛飾郡東船堀村 村の若者らによりコレラ除けの獅子舞が行われたが、これをこころよく迎えなかった豪家の家族がコレラに罹り死亡したため、若者らがその家の前で鎮守様の罰当りめと騒ぐ <『郵便報知』12・9・13>
15・7・中旬 静岡県田方郡守新田村肥田村 コレラ患者が多発した守新田村が藁人形を舁くなどのコレラ送りを行ったところ、たまたまその直後に隣村肥田村で患者が発生したため、肥田村の者が同様にコレラ送りを始め、そのまま守新田村の者を襲う。守新田村と肥田村の対立は深刻化するが、仲裁者の労により和解する 「藁人形を作りて疫病神と称し、綱代の輿に入れて戸毎に舁廻りし後ち、村外へ送り出すとて大勢の者が法螺貝を吹立て閧の聲を上げて肥田村の境界まで送りゆき、其處に藁人形を打棄て置きし」<『郵便報知』15・7・27>
15・9頃 福島県行方郡小高村村岡村 避病院が故高村村岡村の者に再三襲われ破壊されるので、警官が同村に出勤したところ、村民数十人と乱闘になり、村民一名が即死、双方に負傷者を出してしまう。リーダー格七名が逮捕され鎮静化 <庄司吉之助『日本政社政党発達史』御茶の水書房・一九五九>
19・7下旬 神奈川県神奈川駅 神奈川県警察署雇いの医師某の家宅に、神奈川駅の者数十名が押しかけ暴れる。巡査の出勤で鎮静化 「此の医師某ハ同駅に虎刺列病の種を蒔きし故、斯く流行するに到しなり」<『朝野』19・7・28>


紹介したのは杉山論文に収められている年表の一部。そもそも記録されていないコレラ騒動も多いが、全国各地で、似たようなパターンの騒動が起きていることが分かる。全国各地で治療行為や隔離・連行が敵視され、医師や警官などが殺されるケースが相次いだ。村同士の抗争に発展するケースなどが多発し、リーダー格が逮捕・説得されるなどして鎮静化していった。迷信や民間療法で対処しようとしていたケースが多く、コレラ除けのために様々なバリエーションの「コレラ祭」も行われていた。


治療例が増えていったり、そもそも流行自体が治まったり、地元リーダーを説得したり、弁士がコレラ対策について講演してまわったりするなど、様々な理由でコレラ騒動は鎮静化していった。最近では、当時の行政の強権的な対応が逆効果となった側面も批判的に検証されている。今、西アフリカの現地で医療行為に取り組む方々は、衛生対策だけでなく、啓発や説得にも力を入れている。流言を嗤っても治療は進まないため、根気強い対話が必要となる。大変な業務を続ける現地の方々には、本当に頭が下がる。


※本記事の一部は、読売新聞連載記事「ウェブ時評」を再利用
※自由民権資料館のウェブサイトは以下
https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul03/index.html


国立感染症研究所コレラとは
http://www.nih.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/402-cholera-intro.html


JIN-仁- 完結編 DVD-BOX

JIN-仁- 完結編 DVD-BOX