「政治的リアリティのロングテール/部族的リアリティのトールヘッド」走り書き

「ニコニコ自演騒動」のさなかに垣間見た「ネット街宣」のすごさの続き。簡単なレスポンスをはさみながら、いくつかメモを走らせてみる。


id:myrmecoleonさんのデータについて
id:myrmecoleonさんが興味深いデータを出している。このデータは本当に面白い! id:myrmecoleonさんのニコニコ動画を分析してみるシリーズのエントリーも大変興味深いものでしたし、こういうデータを作れる人は本当に尊敬。


ただ、データに触れる前にちょっとだけ確認をさせていただくと、私は「(例えばネット右翼によって)今まさにネット街宣されている」とか「自作自演している」とかいう認識・主張は一切していませんし、「たまたま8月に大量米した人がいたので問題」にしているわけでもありません。


「自演騒動」をイントロにはさんだこと、および「ネット街宣」というタイトルがあることによって解釈がひっぱられてしまったのかもしれませんが、私の指摘は「匿名という前提が瞬間的に崩れたことで、“大量に同一趣旨のコメントを書き込んでいる人=ネット街宣”が可視化された」ことを受け、「ある特定の分野においては『普通の人の書き込み』の総量を『一部の人の書き込み』が上回ること」があるのではないかという指摘です。なので、このデータをエントリーへの反証という形で用いるというのは誤解ではないかと思います。


それはさておき、このデータはとても参考になります。「一部の人」が大量にコメントをすることで、偏った世論形成が瞬間的に行われる可能性について、より具体的に考えることができるように思うのです。全体的にはやはりロングテールだけれど、アーキテクチャによってはヘッドばかりが可視化されるというケースもあれば、逆のケースもありそうです。


●「部族的リアリティのロングヘッド」について
ブクマより。

2007年08月30日 onionskin 命名は「トールヘッド」の方がよいと思った

そっちの方がいいですね。次に使う場合は、そう表現したいと思います。ちなみに、昨日エントリーを書いている際に、このような図を描いていました。



縦は、一人当たりのコメント量。横は、その人のコミットメント濃度。角度は適当。テールが短くなるような文脈、可視化されにくい状況では、ヘッドが高くなることで特定集団の発言が相対的に強化される場合があるということ。全体的には、たぶん「ときどきロングテール、ときどきトールヘッド」というのが実態なんじゃないかと思うけれど。


やじうまウォッチについて

ニコニコ動画の「政治演説」動画に、少数からの大量コメント
 ニコニコ動画に、大量の「自演」コメントが繰り返されていた一件。開発者ブログの少々回りくどい表現を読み解けば、どうやら「自演」も含めて楽しむのが、ニコニコ動画だということのようだ。ただ、既存のコメントに共感して、さらにコメントを書き込む循環が楽しいのだから、ウソが混じっていると楽しみが少々劣化してしまうのも確かだ。「荻上式BLOG」での指摘は、もうちょっと深刻だ。街頭の政治演説をとらえた動画に、少数のユーザーから大量の批判コメントが付けられていたというのだ。演説している瀬戸弘幸さんは、たいへん過激な言動を繰り返している人なので、こういう攻撃をことさら食らいやすそうではある。だから特殊な事例かもしれないが、ニコニコ動画は、コメントによって強烈な共感を生む仕組みであるだけに、似たような事がいつでも起こりうることだけは気を付けておきたい。

あれ。「批判コメント」だけでなく、肯定コメントとか、ヘイトスピーチ的なコメントも多数あるのに。で、一応エントリー趣旨は、それら個別コメントを批判するとかでは一切なくて、言説量のバランスが著しく偏ることが何を帰結するのか、考えてみたいというもの。でも、これで「新風の批判は少数派」とか、あるいは「あのコメントの多くは新風支持者の自作自演か否か」というレイヤーで議論されたりするんだろうか。「やじうま」に取り上げられることで、誤配が拡大するというのは、前もあったような。


●動画に出ていた瀬戸さんご本人のブログより。

私の映像をニコニコ動画にアップしてくれた若者がおります。周辺諸国から侮られてきた、その悔しさを一気にここで爆発させているのだと思います。そのような若者からメールがありました。世間ではニートとかフリーターと呼ばれる若者でしょう。
「先生、演説感動しました。先生の演説をニコニコ動画のランキング上位に上げるために、友人と一緒にネットカフェにいます。実はもう一ヶ月近くネットカフェで寝泊りしています。昼はバイトして夜来てネットやりながら過ごしています」
1000円で泊まれるそうです。ただしベッドではないので椅子に座ったままであると言います。家はあるが深夜までネットやっていると親がうるさいので、友人と家を出てアルバイトしながら生計を立てているそうだ。
(…)彼らはネットカフェで私の映像にコメントを入れ続けているそうです。その理由を彼らは次のように語っていました。
「僕らは今世間で言われている階層社会の一番下の最貧階層でしょう。アルバイトでネットカフェに泊まり込んで過ごす。その中で将来への希望も何もなかった。でも先生のブログや演説を聞いて、なぜか勇気が湧いてきました。世の中を一回ひっくり返してやりたい。そういう気持ちです」
(…)我々≪極右≫の呼びかけは、しっかりと若者の胸に響いていると感じています!自己愛や自己顕示欲ではない!そこには己を捨てて起つ若者の姿を私は見ました!


マジ!?


●「ネット右翼」「ネット街宣」について
前エントリーでネット街宣と呼んでいるものに、政治的意味づけは特にしていません。「ネット右翼」だろうと他のトライブだろうと、同様のコミュニケーションパターンが観測されるので、「ネット右翼だから●●」という解釈は一切していない。大量の批判も含めて、一部の人が拡声器でがなりたてているようなイメージで「ネット街宣」と呼んでいるので。けれど、「街宣=右翼」というイメージがあるので言葉選びは変えたほうが良かったかも。「ネット右翼批判」的な解釈をエントリーからする人もいるだろうから。でも、誤読はゼロにできないのですよね…。


とりあえずまとめ出しできるタイミングまで、しばらく温めてみる。