桐野夏生『メタボラ』

メタボラ

メタボラ

必死に逃げていた。ひたすら走って、この場を去ってしまいたいが、<僕>は今、深い森の中にいて逃げることはおろか、走ることさえできないのだった。しかも漆黒の闇だ。何時間歩いても途切れることのない樹木の連なりは、進めば進むほど、密度を増しているような気がする。手探りで歩くもどかしさに、<僕>は何度も芽を閉じて両目を塞いだ。悪夢なら早く覚めてくれ、次の素敵な夢をみたいから、と。


長いこと積読してしまい、ようやく読んだ『メタボラ』は、桐野夏生の新聞連載小説。引用したのは、その始まりの第一段落。読後に読み返すと、実に象徴的な始まり方。


主人公は、宮古島で決して敵わなかった年上の不良「銀二」の影を消そうと、沖縄で新たな名前を名乗ることで乗り越えようとする昭光と、記憶喪失になり、森で出会った昭光によって新たな名前を与えられた「ギンジ」の二人。二人とも、過去を闇と捉え、「次の素敵な夢」をみるために新たな名前を手にし沖縄での生活を試みるが、それは決して容易なことではなかった。二人の<過去>の闇は、「進めば進むほど、密度を増している」のである。


ギンジは森で遭難していた冒頭からサイフを持たぬが故に、昭光は元ボンボンであるがゆえに、最初は小額の金銭の上下についてそれぞれの仕方で想いを悩ませる。沖縄での生活になじむにつれ金銭不安の描写は減るかに見えたが、しかし過去の関係性(回復できない過去)と再会した時、いずれも巨額の金額との悩みに遭遇する。彼らにとって金銭は、具体的に新たな人生をサバイブするためのツールであり、一時は成功するかにみえたものの、あっけなく「過去」が目の前に登場する絶望感といったら。経済問題がアイデンティティに根深く力を持つことを思い知らされる。


『メタボラ』は章によってこの二人の語りが交互する。但し、「ミミズ」の母親殺しなどをめぐる関係性を4人の女子高生の視点から描いた『リアルワールド』のような立体的な描写の妙はあまりなく、むしろ構図の対比の技が面白い。特に二人の視点から描かれる、数多くの女性たちがつくる座標の違いにはもう一度注目して読み返したい良作だった。


ただ、桐野作品としてみると、『グロテスク』『リアルワールド』『OUT』『柔らかな頬』『魂萌え!』などの方がそれぞれ強く印象に残るのは否めない。特に『グロテスク』のように、世界に地肌を晒さざるを得ない人生の強度を描く力と比べるとどうしても。それでも伝わってくる、閉鎖空間においてじわじわと人間関係が悪化していく様の描写は圧倒的に見事なんですが。