さかもと未明さん的保守?

さかもと未明さんの「道を誤らせないために」という文章を読んでつれづれなるままに。この文章では「『戦争は駄目。喧嘩(けんか)も駄目。みんないい子』として育てられた子供たちがいとも簡単に人を殺すようになったのではないか」と語られているわけだけど、まあこの手の「えー今日は天気がいいですな」「ほんとですな」的なお約束的居酒屋談義にマジレスするものあれだから「少年犯罪データベース 異常犯罪」とかを示しておけば済むとして、以前からさかもと未明さんって、その場所に合わせて発言してるんじゃないのかと思うことしきりなので、これを機会にこぼしてみようかなと。


昨年、さかもとさんの漫画や著作を資料用に大人買いしてみたわけだけど(図書館に入らないもので)、そしてそのお陰で部屋には八木秀次さんとか林道義さんとかどちらかといえばと学会系の「保守論者」の本がコンプリートされつつあって、もしこれらを捨てる前に死んだら遺物を引き取る親とかに「ああわが子はこの人たちを尊敬していたんだな」とか思われそうで結構死に切れないものがあるんだけど、それはともかくさかもと未明さんの本は読めば読むほど「与えられた席に座っちゃった」感を強く覚える。


例えばこの記事には「実は私にも、親に激しい憎悪を抱いた経験がある。生真面目すぎる親の、真剣だが厳しすぎるしつけに激しい反抗心を募らせた時などだ」って書いてあるけれど、『離婚ッ!―まるごと体験コミック』では「私は自分の親のDVで苦しんでいた」と表現していたり、夫の浮気をきっかけに離婚したが(但し、「コドモも産みたくなかったし」「彼の浮気が私に別れのチャンスを与えてくれた」とも書いている)、その「お義父さんお義母さん」が「私にはじめて家庭の暖かさを教えてくれた」と表現している(あと、『未明日記』でも両親にボコられているマンガが書かれている)。


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ついでに同マンガで、さかもとさんは自分の離婚について、結婚当初は幸せだったが、自分がマンガ家になってから「幸せ返し」できないのがコンプレックスになっていたとも書いていたり、『さかもと未明の美人革命―ほしい“綺麗”は、こうして手に入れる!』で「結婚や恋愛はもっと幸せになるためにするんだよ。我慢したり、不幸になるためにするんじゃないんです。だから、自分が輝けない男なら捨てましょう。私が許します」と書いていたりする。一方で「結婚は社会保障の知恵」という産経新聞の記事には、「いつから結婚はレジャーになったのか、と。『結婚=幸せでなければ』という妙な結婚観が、私たちを人生から遠ざけたのではなかろうか。(…)結婚は幸福のための装置などではなく社会保障の自然発生的な知恵、最小単位であるのだと。要するに結婚・出産が年金を生むのであり、幸福はオプションなのだ。適齢期になったら、多少意に沿わない相手でも結婚するのが子の務め、させるのが親の務めなのである」って書いてる。


あるいは、さかもとさんといえば「反ジェンダーフリー」「過激な性教育反対」なスタンスをとる人だけど、自身はレディコミ作家であり、「何人もの男がアタシのカラダを舐めまわしているってのが、女はいいんです」(『さかもと未明が教える 女のキモチ―レディコミにみる女のエッチ・男のエッチ』)とか、「私は性に対する情報がある意味遮断された状況でした(・・・)そんな環境の中にいても、高校の時に年上の男性と初体験を済ませたんです」(今月の放言)とか発言してたりする。


あるいは「美人じゃない自分に、コンプレックスを抱いているとしたら、それは君が「美しくない女の子は無価値」みたいな偏狭な価値観しか持っていないってことの証明じゃないかなあ。それじゃつまんないよ。内面的な美しさに対する感受性をもっと磨いてごらん!」(『ふたりのH講座―「はじめて」から「ちょっと上級」まで』)と書いている一方で、「外見をバカにしてはいけません。特に女にとっては、美しくあるということは、恋において何より大切です」(『世にも美しいHライフ』)、「この本を読めばみんなが綺麗になれちゃうんだよ!しかも、『中身のほうが大切』なんて『逃げ』をいっていません。『人から見て美人じゃないと、やっぱり人生損じゃん』という本音にも、ハッキリと答えているのでご安心を」「女は死ぬまで美のために努力するのがライフワークってもんです」「セックスは心の美容液。ハッピーならそのぶんだけ、女性は内側から光り輝けるの」「女の子はとにかく、高級&華やかな場所に出入りしなきゃダメなの。それが細胞に刻み付けられて、私達を綺麗にするわけよ」(『さかもと未明の美人革命―ほしい“綺麗”は、こうして手に入れる!』)と書いていたりする。なお、この本での美人の定義は、「元々の顔の造作を乗り越えてつくられた美しい顔と魂の持ち主」とのことらしい。


他にもあるんだけど、きりがないからこのへんにしておくとして、かようにさかもとさんは、基本的にはとても「よい子」で、「みんな」に求められている答えを出す人というような気がする。別に現代がそれほど憂うべき状態だともベタに思っていなくて、むしろそこそこヌルヌルでちょうどいいや、くらいに思ってるんじゃないだろうか。だとしたらディテイルがどうのとかいってもしょうがないんだろうなぁ。にしても、さかもと未明さんに発言の場がこれほど与えられるくらい「保守主義」の内実も変わった、ということなのかなぁ。いや、保守にも『正論』系の人だけでなく、『表現者』系や『文春』系の人とかもいるから、一緒にしちゃいけないか。


以下はおまけ。さかもとさんの『美人革命』に、「女性の『特権』をいかせば、スムーズに働ける」という章があって、次のように書いている。

女性には差別もあるけど特権もある。(…)
女の子は男性社会のヒエラルキーをポンと飛び越えて、そういう場に呼ばれたりすることがあるわけでしょ。まあ、おっさん心を癒すための接待要因っていうか。
そしたらさ、そういう人脈を利用して、いろんなプランを提案したり、しっかりしているところを認めてもらって、いい仕事に抜擢されたりがあるわけじゃない? まあ、これも悪いことと裏表で、そういう人を羨んで悪口をいう人も必ず出てくるけどね。でもそれも乗り越えてほしいわけよ。
つまり、「自分に意地悪をする人が、自分の人生を助けてくれるわけじゃないから、気にしない。自分を助けてくれる人のいうことだけを聞いて、生きていけばいい。」
(・・・)私がいいたいのはね。差別なんて、本当はないんだってこと。
あるように見えたら、それと同じだけの特権があるから、それをみつけてごらんってことなの。(太字ママ)


で、次のようなマンガが付いてる。


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女子には、お茶汲みとかをニコニコこなせば、必ず出世できるという特権があるらしいです。



…って、さかもと先生! 世の中そんなに甘くないと思います! 



そして太字の部分はweb上の在日叩きとかを考えると深すぎます!(違)