「ジェンダーフリーとは」をなかったことにしたい人。
昨年10月、「ジェンダーフリー」という言葉をめぐってあまりに低レベルな批判やデマがweb上で拡大再生産されている状態をどうかと思ったので、「ジェンダーフリーとは」というコンテンツを作りました。このページを作成した動機としては、ジェンダーフリーを擁護するためというよりは、一度「この程度の批判はデマ」と指摘したうえで、むしろより高度な批判が行えるような議論のステージを作りたかったからです。googleランキングをあげるためにリンクをしていただくように呼びかけたところ、現在1位〜3位くらいに安定している模様。まだまだリンクを募集していますので、まだの人は是非。もうリンクしたって人も、あと2回くらい是非(笑)。
ところで、想定していたことではありますが、このコンテンツの存在がどうしても許せないという人からのコメントなどを稀にいただきます。いくつかTBをいただいたり、「あのページを削除せよ」と要求するメールとかが来たりしているのですが、そういう批判はこれまでスルーしてきました。批判の程度があまりに低すぎること、あるいは既にまとめに書いていることを読めば分かるはずのことを無視していていることなどが理由としてありますが、そのような批判を「まとめ」を読んでもなお延々と繰り返す方(あるいはその手のBLOGを愛読している人)は、既にバッシングが自己目的化しているケースが多いので、説明しても分かってくれるだろうかと消極的だったことが特に大きいです。リンクをいただいても、そこから来る人は数人だったりして、そのサイトと同質的な傾向を持った人以外はほとんど読んでいないと思われるので、そのようなサイトに対してどれほどのリソースを割く必要があるかどうかも微妙ですし。
という感じで、既に十分丁寧に説明責任は果たしたつもりですし、エントリーでももう扱わないだろうと思っていたんですが、例えばついさっき、「ぶっ飛ばせジェンダーフリー」というHPを運営している世界日報の販売局次長さんから「「ジェンダーフリーとは 〜」/成城トランスカレッジ!の大嘘」というトラックバックをいただきました。読んでいただければ分かるとおり、ちょっと頭を抱えるレベルの内容です。リンクをしていただいてgoogleランキングをあげることに協力していただけるのはうれしいのですが、やはり議論の意味を何もわかっていただいていません。頭がいたいのですが、もうこのレベルの批判にはレスポンスしませんっていう宣言として、一回だけ取り扱おうと思います。
いただいたトラックバックでは、「男女中生が同室着替え/青森9校 (東奥 06・4・22)」という記事をもってして、「ジェンダーフリーによって同室着替えがなされるというのは完全にデマ」という文章への批判をしたつもりになっている。ところがこの記事のどこにも「ジェンダーフリーという考え方に基づいて男女同室着替えが行われている」ということが書かれていないんですよね。書かれているのは、青森県でも男女同室着替えがあったよってことだけ。「「ジェンダーフリー」バッシングとメディアリテラシー(笑)」という記事で批判した、産経新聞の「12%の中学校が男女同室着替え ジェンダーフリー教育調査」という記事を持って「本当は隠しているはずだ!」と噴き上がるならまだ論法としては理解できるのですが(あくまでロジックの問題として、です)、これではまったく意味不明。
改めて説明する必要はないと思いますが、男女同室着替えは「ジェンダーフリー」という言葉が使われ始めた90年代後半より遥かに以前からありました。そしてそれが今でも残っているというお話。で、それは改善されてしかるべきものだと思います。思えば、例えば2ちゃんねるなどで「同室着替え」に驚いたようなコメントがたくさんいて、私はその大半は「同室着替え=男女スッポンポン=ウラヤマシス」っていうのをギャグで連想して遊んでいるだけだと思っていたんですが、一方でもしかすると、そういうものを本当に経験していない人が増えたっていうことなのかもしれません。それはそれでとてもよいことですが、議論の際は歴史的経緯を抑えた方がいいと思う。
特に最近では世界日報とかがそれをなぜか「ジェンダーフリーのしわざで蔓延」とか繰り返し喧伝してきた。改善を要求するのはいいけれど、なんでその手続きのために何かにレッテルを貼らなくてはいけないでしょうか(いや、理由は分かってますけど)。もちろん「ジェンダーフリー」は、男女同室着替えを要求するような運動、スローガンではまったくない。そういう誤解をして進めた人がいるというなら、個別に批判していけばいいのだけど、今のところ確認できるのは、このトラックバックのように「たくさんある同室着替えはジェンダーフリーのせいだ!」と主張している人たちばかり。ジャーナリズムとしてマシな機能を持ちたいなら、せめて同室着替えの通時的な数値的変遷を追った後、「ジェンダーフリー」との因果関係を論証するくらいはしてほしい。もちろん単なる相関関係ではダメよ。
で、メディアのこのような傾向から何かしらの志向性を読み取るのがリテラシーだと思うのだけれど、例えば川崎市の教育を考えているらしい方から「成城トラカレ「ジェンダーフリーとは」の嘘とデマ1」というトラックバックをいただいたりもしている。指摘されている2つの点についてはid:macskaさんが「ジェンフリもう飽きたよ」というエントリーで既に答えてくださっているので、加えることはほとんどないのですが、このHPにはすんごく素朴な疑問がある。要するに、そんなにメディアが流すデマに憤るのであれば、どうして世界日報等の明らかなデマ(例えば「ダイアモンド氏のインタビューの誘導」とか)を同じくらいの分量を割いて批判しないのだろうかってことです。
もちろん、批判の順番等にも人それぞれのプライオリティーがあることは分かるけれど、一見すると道徳的な退廃とかモラル低下を嘆いたりしていながら、一方で自分たちが「フェミニスト」等を「フェミナチ」なんて口汚く罵ったりすることだけは許容されるとするようなご都合主義があるようなので、そんな人が教育を説くなんてアイロニカルだなぁと思う。世界日報とかID理論とか純潔教育とかを個人的に信じるのは自由だとは思いますし、こんなコンテンツを作るのもご自由ですが、もう少しリテラシーに関心を持って欲しい。
年長の方にこんなことを不躾ながらに言うのは、さきほどのトラックバックの記事でchikiのことを「社会学者の卵らしく」と紹介していたから。初耳。というか、これはもしかして、以下の書き込みを信じてしまったのだろうか。
これは、羅漢同盟という方が、この掲示板でchikiのことを「25歳の社会学者」(しかも教授クラス)と紹介していたりしていて、その根拠を列挙したときのコメントです。で、その根拠が、宮台真司さんのイベントを紹介したということ、1981年生まれと言うこと、「教壇にたった」という表現があることという3点のみ。宮台さんのイベントを紹介して社会学者になれるのなら、鈴木邦男さんのイベントも紹介してるから右翼にもなれるのかな。一応マジレスしておくと、確かに社会学は勉強してますが、それは憲法とか経済学とかを教養として勉強しているのと同程度であって、ディシプリンにしているわけではありません。というわけで、今のところ「社会学者」でも「社会学者の卵」でもないです。
羅漢同盟さんの間違いを一応全て指摘しておきますと、プロフィール欄で「成城に関係のあるネタを扱ったりするわけではまったくありません」とは書いていますが、「成城大の関係者ではない」なんて一言も言ってません。というか、chikiが成城大学を最近卒業したばかりってことは過去のエントリーを読めばすぐ分かります。それを「関係者」のカテゴリーに含めるかどうかは任せますが、その程度の確認をしない人がまことしやかに人間関係の裏事情に詳しいかのように語る様子は滑稽です。また、これも過去のエントリーに書いていますが、私は教育実習や講師の経験はありますが、大学で教鞭をとっているわけではありません。というか、25歳で大学で教えられるって、ほとんどありえないですって。25歳なら、大学から大学院にそのまま進んだとしても順調にいって博士課程1年でしょう。社会学で博士1年を雇ってくれる大学なんて、どれくらいあるんですか? 極め付けに、そもそも上の画像は2005年時点の書き込みなんですが、1981年生まれなら2005年時点で23歳か24歳でしょう。2006年の4月現在で、chikiはまだ24歳ですし。というわけで、算数もできない人の陰謀論を無批判に信じるのはやめて、川崎市の教育よりも自分のリテラシー教育を心配してください。マジで。
「デマが広がる瞬間・或いは瞬間を解釈するということ」というエントリーでも別のケースを紹介して書いたことですが、かように数人の伝言ゲームを経由しただけで憶測が事実として捉えられてしまうことがネットでは簡単に観測できるので、私たちはそこから距離をとらないといけない。それを無視して延々とジェンダーフリーを攻撃して、このようなエントリーを量産して、いったい何が生まれるんでしょうか。で、こういうことを説明すると、「ジェンダーフリー推進派は世間の批判に耐えかねて方向転換したんだ!」「しかし本音では国家を崩壊させようともくろんでいるのだ!」「左翼の個人攻撃が始まった!」という妄想的なストーリーを作り出す人も少なからずいらっしゃいますが、その辺まではもう相手にしきれません。つまり、間違いを訂正したり批判を展開してくれる人ではなく(批判や訂正は超OKなんですけど)、ただ単にまとめサイトを「嘘」ということにしたい人は相手にしません。できるのは、「こういう人がいる」ということを指し示していくことのみです(もちろん荒らすのはダメ!)。
というわけで、これからも、あまりこの手のレベルの議論を直接扱うことは、よほどでないとしないと思いますのでご了承ください。
※付記
上のエントリーを掲載したら、注意にも関わらず批判対象のサイトに無意味な書き込みの連投をする人が登場しました。もしこのページを見ていたら、相手に失礼だし、無意味有害だし、翻って当サイトや他の読者さん、時にはまったく関係ない論者さんの株を下げることにもなるので、できれば謝罪した上でやめてくださいませんか。もっと有意義な方法があるはずです。
※付記2
上で批判したBLOGが、「成城トラカレ「ジェンダーフリーとは」の嘘とデマ2」というエントリーを書いたのにTBを送れないと書いています。
成城トランスカレッジchiki氏のブログには、時々トラックバックを送るのだが、滅多にかからない。今までかかったのは2回か3回だと思う。今日のこのエントリーも、chiki氏の24日のエントリーにTBしたが、表示されない。日によって受け入れたり、拒否したりしているのだろうか? hatenaメンバーには無条件で開放しているようだが。
コメント欄も開放してないし、TBもchiki氏側の設定で受け付けないのだとすれば、随分と閉鎖的な対応だね。
妙な陰謀論に使われたくないので、つまらない問題ですがマジレスします。TBをこちらで操作したことは今のところありません。これまであなたが送ったTBが表示されないのは、単にあなたが失敗したか、なんらかの技術上の問題があったか、あなたが空トラックバックを送ろうとしたかのいずれかだと思います。空トラックバックの件については、「はてなダイアリーTrackBackシステム」の「受信条件」の項目をお読みください。というか、これだけの内容でトラックバック送ろうとして「送れない!」とか威張れるのが不思議。まだ内容のないディスしか書いてないじゃん*1。
※付記3
「成城トラカレ「ジェンダーフリーとは」の嘘とデマ2」にいくつか文章が追加されたようなので、簡単にレスします。論点は混合名簿の件です。とばっちりを受けたってのは、まさに今紹介したエントリーでやられているように、バッシング側が「一緒だ!」と主張することに加えて、現場での様々な試みの経緯を無視した、特に行政よりの立場の人が耳なじみのよいカタカナ語のスローガンをもって「男女混合名簿」を行政の実績の証明であるかのように語ったこと発言などを(そういうことは広報の場においてよく行われることではあります)、バッシングの際に脱文脈的に取り上げて「ほれみろ」と批判するようなことをも含みます。時間を割いて自らのエントリーをとばっちりのサンプルとして提示してくれるのはありがたいのですが、この程度の批判は上に書いたとおり、もう終わりにして欲しいです。うーん。
ちなみに、指摘のあった「非を認めた〜」の部分は結構前に削除したはずなんですが、ちゃんと確認してからエントリーを書いて欲しかったと思う。なお、そのフレーズは八木さんが「認めない」って言ってるから削除したわけですが、そのときの八木さんのレスは「ジェンダーフリーの名の下にちゃんとこれだけ実例がありました」って趣旨でもなんでもなくて、「記事において自分の意思が反映されてない」という趣旨の批判であって、そのときの「意思」だって「真相は藪の中」っていう程度のものだった。八木さんはその後「男女混合着替えはある」ということの論拠として例の「事例集」とか、内閣府とかが「男女同室着替えがある」ってことを認めたとかって例を出していますが、これが単なる論点ずらしだってのは簡単に分かると思う。だって、論題は「男女混合着替え」や「同室宿泊」があったか否かってことではなくて、それが一部メディアが散々喧伝してきたような、ジェンダーフリーや男女共同参画の名の下に行われたものか否かってことでしょう? その点を再三繰り返しているんですが、なんで分からないんだろう。
というか、男女混合名簿って、あえて分けなくていいところは一緒にすりゃいいんじゃないのっていう現場レベルの話なのに、なんでそれが「男女混合名簿は性犯罪・性非行の温床だ!」って具合にこじれるのか(汗)。というか、これ、本気なんでしょうか。
※付記4
どれだけ書いても届かないよー、という指摘をちらほらいただいたので、そろそろやめます。結構付き合ってしまいましたが、何かのケーススタディとしてどうぞ。
*1:現時点では当サイトについては「chiki氏の同室着替えに関する立論も、独善的な思い込みの上に成り立っていて、全く説得力がない。本人はこれで論破したと思い込んでいるところが可笑しい。何度も書いてきたことだが、これも改めて論じよう。※続きは後日(今週から滅茶苦茶忙しいので、連休前後に別エントリーを立てて書くつもり)。」としか書かれてないです