決して論争ではない騒動について(2)

決して論争ではない騒動。それはもちろんwebに限らない俗情の問題であり、webの性質の問題でもある。人は見たいものを見ようとし、自らの価値観を補強する情報を選り好む。自ら情報にアクセスする必要のあるwebにおいてそれは顕著になる。


web上であろうとなかろうと、言説は自分の思うとおりにはいかない。思っていることを書けば伝わるわけではない。言語として発せられた瞬間、言葉は他者の手にゆだねられ、語り手を置いて他の言語へと接続していく。


web上の言論空間へはパーソナルな空間から個人的な営みとして形成・コミットされる。しかしそこは他者の言語で埋め尽くされる空間である。個人的な思いつきや内面的な吐露もすべてテクスト化され、「情報」として選択の対象となる。断念の上に洗練なき自らのつぶやきは、他者の言語と化してパーソナルな空間に侵入してくることになる。