【御嶽山噴火】「日本のマスコミは自衛隊の活躍する写真を(極力)報道しない」というメディア批判流言

御嶽山の噴火に関する報道を受けて、「日本のマスコミが自衛隊の活躍する写真を報じない」「海外の方が写真をちゃんと報じている」といった主張がtwitterの一部でみられた。まとめサイト「保守速報」が、「【御嶽山】日本のマスコミが極力報道しない、自衛隊やレスキュー隊の活躍を海外メディアが報道(魚拓)」というタイトルのエントリをアップしたことも大きく影響している。


この主張については、既に多くのTwitterユーザらが反論・批判している。例えば、「同様の写真は日本メディアが掲載している」「海外メディアが掲載している写真も、通信社などが提供したもの」といった指摘がなされている。


というわけで、この主張はすでに落ち着いているように思えるが、以下備忘録的に。とりあえず、2014年9月27日から30日までの各紙を並べてみる。(さくさく撮影したので、ところどころブレているのはご容赦を)


読売新聞:一面トップだけでなく、紙面内の特集面でも自衛隊活動を取り扱っている。


朝日新聞:一面トップ、および社会面で自衛隊らが捜索している写真を掲載している。


毎日新聞:連日のトップに掲載。社会面にも大きく掲載している。


日本経済新聞:他紙と比べて写真は小さいものの、連日掲載している。


産経新聞:一面トップのほか、写真特集内にも大きく掲載している。


東京新聞:こちらも同様。一面トップ、写真特集などに登場。


ご覧のとおり、各紙とも自衛隊らの活動する写真を大きく掲載していることが分かる。御嶽山は、2014年9月27日11時53分に噴火している。この日は土曜日であり、その日の夕刊で各紙が報道している。翌日28日は日曜日のため、朝刊では、噴火の写真や被災した方々の模様が中心に取り上げられているが、夕刊はお休み。そして29日の朝刊では、多くの新聞が一面トップで、前日28日の自衛隊らの救助活動の写真を大きく掲載している。もしかしたら、27日、28日の紙面の印象で、「自衛隊の写真がないな」と思った方も一部いるかもしれない。但し、29日朝刊では大きく取り上げており、テレビでも各社が現場の様子を伝えている。


「日本のメディアが報じていない」という主張をする人は、各紙が本当に報じているか否かを確認せずにそう述べている場合が多い。「広島土砂災害時にウェブ上で発生した流言について思うこと」でも取り上げたように、広島の土砂災害時にも、メディア批判流言が登場した。災害時、ネット上ではメディア批判流言が発生しやすいように思えるので、普段以上に注意したほうがいいかもしれない。メディアを十把一絡げにしたうえで、メディア全体をざっくり批判するような口調には、特に注意が必要だと思う。


ところで、「daily mail online」など、写真を大きく掲載している海外メディアがあり、見やすくてインパクトがあると評価しているネットユーザも多い。こうした写真特集にニーズがあるのも確かだろう。


但し、いくつかの日本メディアも、ウェブサイト上で写真特集を掲載している。例えば毎日新聞は、曜日別に、写真特集を掲載している。


毎日新聞
9月28日
http://mainichi.jp/graph/2014/09/28/20140928k0000e040175000c/001.html
9月29日
http://mainichi.jp/graph/2014/09/30/20140930k0000m040038000c/001.html
9月30日
http://mainichi.jp/graph/2014/09/30/20140930ddm001040203000c/001.html
10月1日
http://mainichi.jp/graph/2014/10/01/20141001k0000e040223000c/001.html


朝日新聞では、「御嶽山に関するトピックス」というページがあり、動画付記事へのリンクをたどることができる。加えて、時系列タイムラインページを見ると、写真付き記事も多く掲載されていることがわかる。なお、写真が見やすく一覧できるサイトが評価されるのはいいが、当然のことながら、海外より日本メディアの方が報道の割合が大きく、情報も細かい。写真の掲載の仕方をどう工夫すればいいかといった議論はもちろん重要だが、その一点だけで、「日本のマスコミ」をざっくり批判するのは不当だろう。それも、不確かな流言をまじえて。

東日本大震災時に拡散された「辻元清美が阪神淡路大震災時に反政府ビラを配っていた」という流言について

東日本大震災の際、ウェブ上では政治家に関する流言も多く流れた。特によく見られたのが、災害ボランティア活動担当として内閣総理大臣補佐官となった辻元清美氏に関する流言だろう。辻元清美氏自身も、ブログで「辻元清美に関するデマについて」というエントリをまとめている。中でも、「阪神大震災のときに、辻元清美が『自衛隊違憲です。自衛隊から食料を受け取らないでください』と書いたビラをまいた」という流言は、頻繁に拡散されていた。

※当時のツイート例

  • 阪神淡路大震災の時、「お腹が空いても我慢しましょう」「自衛隊から食べ物をもらってはいけません」「ミルクがなくても我慢しましょう」 そんなビラを配っていた、辻元清美さんがボランティア担当として政府補佐官に。
  • 辻元は阪神大震災の時、自衛隊よりも先に現地に入り、ピースボートの宣伝と、自衛隊違憲だから食料を受け取るななどのビラを撒いて政府批判活動をしていたという指摘がなされている人物。極左政権による政治的判断でどんな些細な間違いも起きてほしくない。


このコピペについては、掲示板などで頻繁に貼られたが、一般人だけでなく、日本会議地方連盟がブログに掲載したり、片山さつき氏がRTしたりと、政治的に対立の立場にある者たちも拡散していた。ちなみにyahoo知恵袋で質問を立てる者が現れたりもしているが、流言の真偽を知恵袋で尋ねようという心理がいまいちわからない。


このコピペ自体は、震災前から存在していた。コピペ探訪〜阪神大震災コピペの謎を追え(追記)にもいくつかまとめられている。

阪神淡路大震災のとき、辻元清美率いるピースボートが政府批判と自己宣伝のビラ配りをしてヒンシュク買ってましたね。
被災地に救援の食料一つ持たずに印刷機だけ持ち込む神経が判らない。
清美は恥を知れ!

辻元清美がばら撒いたビラは「デイリーニーズ」というものです。神戸市長田区を中心に、あちこちの避難所で配られました。
「被災者の声」と題して独自の政府批判を展開しています。
朝日新聞の投稿欄と同じで、「被災者の声」と言いながら自分達の政治的主張だけが書かれています。
迷惑をかけることはあっても何の役にも立たないビラ。民衆の不幸に便乗したサヨク政治。人々の不幸を政治的にもてあそぶハレンチな行為。
辻元清美は恥を知れ!


辻元清美氏と阪神淡路大震災に関わる流言は、次のような内容が主なものだ。

  • (1)物資も持たず、印刷機だけを持ち込んだ
  • (2)自己宣伝と政府批判のビラを配った
  • (3)ビラには「自衛隊から物資を受け取らないように」と書かれていた


これらの書き込みが事実か否かを確認するためには、「デイリーニーズ」を参照する必要がある。幸い、「デイリーニーズ」は縮刷版が出ており、国会図書館などでも閲覧することができる*1。今回は検証のため、「デイリーニーズ」を入手し、一号ずつ読み込み確認した。


まず、「デイリーニーズ」発行の経緯を確認しておこう。縮刷版には、あらばき協同印刷の関根氏という方が、巻末に「あとがきにかえて」という文章を寄せている。そこには、そもそもなぜ印刷機を持ち込んだのかという経緯が書かれている。

阪神・淡路大震災が起きて四日目、友人達とテレビをみていて、死んだ人の名前ばかり流しているマスコミに、変だよネ、これ。
確かに安否も知りたい。でも、他に必要な情報、もっと知らせなければいけないことがあるんじゃないの?って。
同時に、何か私にできることはないかなとばく然と思っていた。その時、友人(伊藤氏)の一人が印刷機を持っていけば……と、ふともらした一言だった。うん、そうだ印刷機をもって現地に行こう。
そして、一緒に行けそうな友人たちを誘い、私たちだけでは、絶対数も力も足りない。そこで、友人でもあり、お客様でもあるピースボートに声をかけてみようと決めた。
ちょうどピースボートでも、現地にいって帰ってきて、何ができるかを検討している時だった。私が印刷機をもって現地に行きたいから一緒にと提案した。
即決だった。そして、紙・材料とかの手配は私。車その他の手配はピースボートで、まさに電光石火。わずか三日で思いつくものを積んで出発したのは24日早朝。人数はと言えば何とたったの7人だった。
そして、25日、デイリーニーズ(創刊準備号)は発行された。


この経緯については、災害における情報メディアと人々 ボランティアによる災害支援の在り方−長田区を例として― という文章でも触れられ、次のようにまとめられている。

災害発生直後の混乱時にテレビで永遠(ママ)と流され続けた「安否情報」や「被害状況」は。被災者にとってはあまり意味のないものであった。被災し、最低限の生活を営むことを前提とすると、必要となってくる情報はやはり「生活情報」である。しかし、震災後の混乱の中でそのような地域に密着したミクロな情報は不足していたのだ。「怪我や病気の治療を受けれる医療機関はどこか」「水、下着などはどこで手に入るか」と言った情報はマスコミでは対応ができなかったという。そこで、ボランティア達は「情報収集」という点に着眼した。
長田区御蔵には震災から約 1 週間後の 24 日に東京に活動拠点をおく「ピースボード(ママ)」という NGO(非政府組織)のボランティア団体が現地入りしている。(「ピースボード」については後に詳しく説明することにする。)彼らは現地の状況を把握すると、「被災地で地域に密着した情報を提供する「かわら版」(新聞)つくりを支援の一環にしてはという声が持ち上がった(山下・菅、2002)」という。そこで、自身達の活動の中で毎月『MARU-p通信』という独自の機関紙を発行しており、編集・発行実務の経験を持つスタッフがいたこと、またこの機関紙の印刷を担う東京の「あらばき協働印刷」からも同様の提案がなされたことを踏まえ、「デイリーニーズ」が刊行されることになった。


ピースボート(以下・PB)はあらばき協同印刷と連携し、印刷機をもって24日に現地入りし、翌日には「デイリーニーズ」を配布している。「デイリーニーズ」のサブタイトルは、「生活情報かわら版」。創刊準備号の冒頭文には、発行の目的として「今まで口コミが便りであったようなきめ細かい情報を紙面化し、より多くの人々に伝わるような情報ネットワークを私たちは作りたいと思っています。同時にボランティアの情報交換の場になれたらと考えています」と記されている。実際、その後の紙面には多くの生活情報が掲載されている。また、数千部からスタートし、2月時点では発行部数が1万部となっていることから、相応の役割を果たしていたこともわかる。


ところで、PBの活動内容は、「デイリーニーズ」を発行することだけではない。紙面で報告されている活動を見ると、約150人のボランティアを活用し、救援物資の調達・配布、炊き出しやイベントの開催、ボランティア派遣も行っている。1000枚以上の仕分けされた古着を配布したり、独居老人等のケア活動を行ったりするなど、機動力も高かったようだ。また、PBらしいなと思うのは、船を活用して物資を運搬している点だ。現地スタッフが必要物資・現地ニーズをつかみ、後方部隊がそれを収集するという形態で、800台の自転車をはじめとして約170トンの物資を運搬・配布している。


つまり、コピペパターン(1)の「物資も持たず、印刷機だけを持ち込んだ」は間違った情報であり、「印刷機を活用した情報ボランティアだけでなく、多くの物資支援も、他の様々な活動も行った」というのが正しいと言える。


但し断っておくと、仮に「印刷機だけを持ち込ん」で情報ボランティアに専念していたとしても、その活動意義が否定されるわけではない。ボランティアはそれぞれが得意分野を活かせばいいので、情報ボランティアが「物資を持たない」ことで批判されるいわれはない。事実、「デイリーニーズ」に掲載されている情報は膨大であり、多くの手間がかけられている。東日本大震災でも、情報を整理・広報するためのボランティアが各地で活躍した。情報整理の役割を軽視してはいけない。


コピペパターン(2)についてはどうか。そもそも「デイリーニーズ」は、宣伝ビラや政府批判ビラと要約できるようなものではない。「デイリーニーズ」には実に多くの情報が掲載されている。その内容は、その日の天気、ニーズ掘り起しの呼びかけ、物資配布情報、炊き出し情報、入浴マップ、ランドリーマップ、開店した店舗、医療情報、人探し、伝言、求人情報や就職面接会の案内、ボランティアのマッチング、公共機関などからの告知、申請書などの注意点、他のNPOの活動紹介、慰霊祭、映画や観劇・ライブなどの娯楽、義援金情報、法律相談、住宅情報、飼い主のいないペットの里親探しなどなど、実に多岐にわたる。


通読してみると、創刊準備号に比べて、その後の号は字の大きさに配慮がなされているように感じられ、発行を重ねるにつれ紙面が洗練されていることも分かる。また掲載されている情報も、手話通訳の案内、様々な外国人向けの電話相談の案内、てんかん人工透析など様々な疾患向けの医療危機情報、アレルギー患者向けの物資の案内など、多様な被災者への配慮がみられる。


書かれている内容を見れば、「デイリーニーズ」はその創刊準備号で目指されていたように、被災地域に密着した生活支援紙だといえる。こうした中で、「デイリーニーズ」をあえて「反政府ビラ」だと主張する人は、その根拠として「国は17日付で公庫の返済分をきっちり引き落としよった」という一文をあげる。但し、全文を読むと、この文章でさえ「政府批判」と要約できるかは疑問が残る。

珈琲ルンバ
長田区役所の南側道路。白いワゴン車が喫茶店として営業している。店長は和田明さん(48)。被災前は御蔵通りで喫茶店「アキラ」を営んでいた、もちろん店は完全に消失、国民金融公庫の借金だけが残った。しかし和田さんは「今はいい、いろんな人が助けてくれている。でもいつまでも続く訳やない。」そう言って友人たちにたのみこんで借りた車にガスコンロを積み込み、移動コーヒー屋を作った。店を構えていた頃二三〇円だったコーヒーを一五〇円にして営業を開始。「寝ててもロクな事考えへん。この先逆にこれをバネにしてでもやったる。そんぐらいでなきゃアカン。国は地震のあった一七日付で公庫の返済分をしっかり引き落としよった。これが現実や。」彼の不倒不屈の精神に私も勇気づけられる思いだった。(佐々木)


これを読むと、逆境に負けずに店を開けた男性の姿を伝えることが主眼にあるように見え、「政府批判」を目的としているとは捉えがたいように思える。


但し、このほかに「政府批判」と取れそうな文言はある。たとえば2月21日から連載開始された「街復興へ」という連載では、道路拡張政策などの復興計画について疑問を投げかけている。また、避難所での入浴事故を「行政の問題ではないだろうか」と記したり、区役所で罹災証明を受け取るときにまる一日並んでいないといけないという被災者の不満を紹介していたりする。


こうした文章を「政府批判」だと解釈することは不可能ではない。とはいえ、一部にそれが含まれていることを根拠に、「デイリーニーズ」自体を「政府批判ビラ」「反政府ビラ」だと要約するのは無理がある。よほど要約力に問題があるか、要約者に政治的なバイアスがあるかのいずれかでない限り。


なお、当時の政権は村山内閣。当時もその対応を批判していたメディアは多かった。行政や政府の対応に問題や課題が見出されるのであれば、それは情報として報じる価値があるだろうし、被災者の愚痴などを紹介するのも「デイリーニーズ」の媒体としての目的に一致する。そもそも、「かつての災害時に政府批判ビラをばらまいていた」と批判的に騒いでいた人は、今まさに災害時という時にあって流言に基づいた「政府批判コピペ」を拡散するという自身の行動についてはどのように合理化しているのだろう。


ところで、村山内閣の震災対応への批判コピペにも、次のような文章がある。

18日
辻元清美ピースボート現地入り。印刷機を持ち込み宣伝ビラを配布し始める。
「生活に密着した情報をとどける」と銘打つが、内容は、ピースボートの宣伝や、被災した喫茶店主の「国は17日付で公庫の返済分をきっちり引き落としよった」や、韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話しなど。


細かい誤りとしては、PBが現地入りしてビラを配布し始めるのは18日ではなく24日だ。それはさておき、確かに「デイリーニーズ」には、「韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話」も掲載されている。但しそれは、多岐にわたってい掲載されている炊き出し情報のうちの一つにすぎない。


例えば「デイリーニーズ」には、少林寺拳法のボランティア隊がにゅうめんを、公文病院小児科が離乳食や乳児用飲料を、カルバリ教会がホワイトシチューを、アハマディムスリムがダルスープを、青年会議所が豚汁を、真言宗本山金剛峰寺が炊き込みご飯を、天理教が中華スープを、沖縄料理教室が沖縄そばやサーターアンダギーを炊き出ししている情報が掲載されている。見ての通り、実に多くの団体が、自分たちの得意分野で活動していたことが分かる。


これだけ様々な情報が掲載されている中で、わざわざ「韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話しなど」と、嫌韓系ネット住人をミスリードするような部分だけ強調しているのは不可解だ。政治的意図が感じられる一方で、災害対応のことを考えているとは思えない。そもそも「韓国基督大学による韓国風スープ炊き出し」の何が問題だというのだろう


ちなみに、韓国民団発信のラジオの告知やハングルでのメッセージなども「デイリーニーズ」には掲載されている。ただ、タイ語ベトナム語ポルトガル語アラビア語、中国語などでの電話相談先を掲載したり、スウェーデン人やフランス人のボランティアを紹介したり、パキスタン人ボランティアの活動を取り上げたり、留学生の安否情報を掲載したり、孤立しているバングラディシュ人について紹介してみたりと、外国人に関する記載は他にも多い。そもそも被災者には様々な人が含まれており、在日韓国人を含めた様々な被災者向けの情報を掲載することは、評価されるべきものであって、揶揄されるようなものではない。


コピペパターン(2)には、PBの「自己宣伝」が書かれているとされているが、これもミスリードであると考えられる。「デイリーニーズ」には、確かにPBに関する情報が掲載されている。「デイリーニーズ」紙面の片隅には、毎号「ピースボートとは?」という書き込みがあり、そこには団体のかんたんな説明と神戸本部の連絡先が記されている。また、ボランティアの募集や、支援活動の解説、PBの船が救援物資を運んでいることなどが短く添えられている。ただ、受け取った者との信頼を構築するために、発行元が自己紹介を掲載すること自体は不自然ではないし、PBは情報収集などの呼びかけも行っており、連絡先を掲載する必然性がある。また、その自己紹介の掲載枠も、号を重ねるにつれ小さくなっている。100歩譲って、こうした記述を「宣伝」だと捉えたとしても、「デイリーニーズ」の紙面の片隅にそれが掲載されていることをもって、これを「自己宣伝ビラ」だと要約することには、やはり政治的バイアスが感じられる。


つまりコピペパターン(2)の、「自己宣伝と政府批判のビラを配った」という評価は妥当ではないと言える。もちろん、「デイリーニーズ以外のビラがあるのだ」と主張したり、縮刷版に収められていない記事があると主張したりすることも不可能ではない。もちろん、そう主張するのであれば、主張側による正確な根拠の提示が必要となる。ちなみに縮刷版には、1月25日の創刊準備号から3月9日の最終号まで欠けることなく掲載されており、加えて「医療可能施設一覧表」「求人情報一覧」「住込特集求人情報」といった増刊号も掲載されている。また、「デイリーニーズ」が終刊してからは、週刊発行の「ウィークリーニーズ」が発行されているが、発行元がPBではなく、地元住人が立ち上げた団体にうつっている*2


なお、この流言は10年近く前から存在している。2003年に発売された別冊宝島Real『まれに見るバカ女』というムック内には、「サヨクウォッチャー中宮崇」氏による次のような文章が載っている。

阪神大震災では、若者たちのボランティア活動がクローズアップされた。救援物資をいっぱいに詰めたリュックを背負って、不通となった鉄路を黙々と歩む若者たちの姿に、常日頃「近頃の若者は……」と嘆いていた大人たちは心を動かされた。
そんな純朴な若者たちを尻目に、ろくに救援物資も持たずに印刷機だけ持ち込んで、自己宣伝と政府批判のビラを撒きはじめた連中がいた。それが、辻元清美率いる自称・市民団体「ピースボート」である。
彼らが被災地でばら撒いたミニコミ紙『デイリーニーズ』には「国は地震のあった17日付で公庫の返済分をしっかり引き落としよった」(一月二十八日第三号)などという「被災者の声」が載ったが、それを読んだ多くの被災者が、口先ばかりの辻元たちに、インターネット上で憤りの声をあげた。


これまで述べてきたように、PBが「ろくに救援物資も持たずに印刷機だけ持ち込んで、自己宣伝と政府批判のビラを撒きはじめた」というのは誤りだ。「デイリーニーズ」はその名の通り、多様な被災地ニーズにこたえようとした生活紙と言える。またPBは、物資の配布、さらには各種ボランティア活動とそのマッチングにも力を注いでいた。


ちなみに、「デイリーニーズ」を読んだ多くの被災者が、ネット上で辻元に憤りの声をあげたという表現は気になる。阪神淡路大震災の発災は1995年1月17日。Windows95さえ発売していない時代だが、「多くの被災者がネット上で憤った」という時、それはどのようなものを指すのか、論拠はこのコラム自体には記載されていなかった。なお、『まれに見るバカ女』に掲載されているこの辻元批判コラムだが、他にも基本的な誤りが続く。

相手を利用することしか考えない辻元の態度は、数え上げればきりがない。宮島(ママ)茂樹著『ああ、堂々の自衛隊』(クレスト社)によると、九二年のカンボジアPKO派遣の際も、現地で女断ちしてがんばっている自衛隊員のところにTシャツ姿で大挙して押しかけ、勝手に自衛隊車輌に乗り込むわ、隊員のテントを荒らして缶ビールを奪おうとするわ、挙句の果ての質問が、「従軍慰安婦を派遣するというウワサがあるが」「隊内でコンドームを配っているとか。あなたのポケットにもあるんでしょう。」だったという。


ここでは辻元氏自身の行動として読めるような書き方で、いくつかの事例があげられている。しかし宮嶋茂樹著『ああ、堂々の自衛隊』には、これらが辻元の行動であると書かれていない。また、例えば「缶ビールを奪おうとするわ」という文章だが、前掲書ではPBの参加者が安く売っているビールに気づくという場面はあるが、「奪おう」とはしていないし、参加者がテントに入り込もうとしたというセリフはあるが、荒らしたという描写はない。このコラムは、たまにコピペの論拠としてあげられるが、コピペ以外の部分でも、辻元氏への批判ありきでの誇張・歪曲が随所にみられるものだった。


最後にコピペパターン(3)だが、「デイリーニーズ」の創刊準備号(1995年1月25日)から最終号(1995年3月9日)まで確認しても、「自衛隊から物資を受け取らないように」という文章は見当たらない。あっさりしているが、「見当たらない」以外に言うことがないので、(3)については以上。


***


というわけで検証作業を終えるけど、思ったより長くなった。わずか数行のコピペを否定するにも、これだけの文字数がかかるっていう。なお、このコピペ、震災時だけでなく最近でも拡散している人がまだいる模様。


今回、検証のためにと「デイリーニーズ」を通読したけど、災害時のニーズがどのように変化するのかなど、多くの示唆を得られる資料であるとも思う。取材し、紙面にしたものを配布する段階で、直接被災者とコミュニケーションを取り、新たな情報やニーズを聞き取っていくというPBの活動は合理的なものだ。東日本大震災時、PBが石巻市で「仮設きずな新聞」*3の発行などの活動を行っていることは取材で知っていたけれど、95年の活動理念が確かに継承されているんだと分かる。


PBによる情報ボランティアは有意義な活動だと評価されていい。根拠のない流言を元に、ただただ嫌いな政治団体とみなして揶揄する者とは比べようにならないぐらいに。これだけの活動をしているのも関わらず、政治活動だけを行っていたなどと揶揄されるなんて明らかに不当だと思える。おそらくPBは今後も、災害時の活動機会があるのだろう。その際にまた、同様の流言によって足をひっぱられることがないように願いたいが……。


というかこれはPBに限らずだけど、普段から流言の拡散がなされていると、災害時にそれが足を引っ張ることがわかるよね。災害に向けては普段の備えが重要だというのは、物資の話だけではなさそう。


追記(10/10)
続きのようなもの

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141009/p1

【デング熱】陰謀流言の拡散者がその後、さらにこじれていく姿を見るに

デング熱に関する報道が連日行われている。世界的にはもともと感染者が多い病気だが、現代の日本では珍しい。情報不足によることもあってか、いくつかの陰謀流言が発生していた。その流言は、次のような理屈で成り立っていた。

  • これまでもデング熱の症例はあったようだ
  • ならば、今年だけこれほど騒ぐ必要はないはずだ
  • にもかかわらず、なぜこれほど大きく取り上げられるのか
  • きっと、何かの大きな政治的意図が背景にあるに違いない
  • たぶん、その意図とはこういうもの(デモつぶし、内閣批判からのスピン、被曝の影響隠し、他多数)だろう


こうした陰謀流言には、まず下記の前提が抜け落ちていた。

  • これまでも、デング熱の症例はあったが、それらは「海外渡航歴のある人の症例」であった
  • しかし今年デング熱が話題となっているのは、「国内での感染」が増えているからである
  • 人から人へと直接はうつらないが、蚊を媒介しての拡大するため、「国内での感染」の今後に特に注意が向けられている
  • メディアも両者を区別するため、「国内での感染者」というフレーズで取り上げることが多い


陰謀流言の論拠の一つに、「去年のデング熱感染者は249人、今年は81人」というフレーズもあった。まず、2014年はまだ終わっていないので、この数字だけをみて「過去より少ないじゃないか」と受け止めるのは誤りだと気づく必要がある。実際、この数字の元グラフには、「6月27日段階」「2014 年は第26週の報告数」という注釈がついていた。すなわち、その後の増加分が計上されていないもので、比較に意味がない。


この陰謀流言が最も拡散されたブログ記事は、9月24日現在で4.4万もの「いいね!」を獲得している。著名な芸人が言及したことも含めて話題となった。



このエントリが掲載される前日の4日には、「デング熱騒動は捏造だった?!(魚拓)」というタイトルの記事が掲載され、それから「デング熱報道で隠したかったものとは?(魚拓)」が掲載されたという順番だ。2エントリの間でも、疑問符をとり、陰謀への確信を強めていることが分かる。


この記事、および拡散された陰謀流言に対し、複数の記事が問題点を指摘した。検証系ブログのうち、最も読まれたのは、「デング熱も怖いけどこんなデマが拡がるのも怖い。去年のデング熱の国内での感染者数はゼロだよ!」(6日)および「デング熱関連のデマ拡散中――信じたい記事を疑うことも必要です」(9日)という記事だろうと思う。いずれも、実際のデータ、国内感染の意味などを簡単に説明しているものだ。


こうした批判のコメント等を受け、批判対象となったブログはその後、「間違えましたので訂正します」と応答するのではなく、むしろ自説を補強するため、エントリを立て続けに掲載していった。流言拡散の場面でよく見る、「批判を受けて意固地になる」典型的なパターンにも見えるが、さらにブログの記事傾向を見ると、政府批判をしたいというバイアスが強いうえに、もともと陰謀論と親和性が高いブロガーのように見える。以下が、その後の記事の流れ。

  • 7日の記事では「まだデング熱だと騒いでいるのか!バカバカしい(魚拓)」を更新。批判コメントを載せたユーザーのIPアドレスを晒し、「関係者が火消ししてる証拠」と言及している。
  • 8日の記事では、「国立感染症研究所と言うのも怪しい組織である(魚拓)」を更新。過去にも国内感染があった可能性が否定できないということを根拠として出発し、ワクチン業界陰謀説(デング熱ワクチンの効き目を確かめるために、メーカーが意図的に大量のデングウイルス蚊を放した、という説)へとつなげている。
  • 9日の記事では、「真実を求めて・批判するブログたちとネトウヨたち(魚拓)」を更新。批判をしているのは「宜しく思わない輩、拡散されては困る輩」であり「ネトウヨ」であると説明。8日記事からコメントが減ったのは、自分が批判者の論拠を崩したからだと主張している(荻上注:普通は、大多数のビジターは5日記事しか読まないため、継続ウォッチャーが減ったことが理由だと予想するだろう)。コメント欄には、ビジターからの「ブログを中断させる程の圧力がかかるということは、 裏返せば貴ブログの勲章であります」というレスもついている。
  • 10日の記事では、「番外編:ブログ批判をした小川たまか氏とその検証(魚拓)」を更新。自分を批判したライターはそれぞれのビジネスのために書いているのだと主張。国内感染と国外感染を分ける必要はあるのか、どの国で感染しようと危険なものは危険、デングをエボラに置き換えてみれば分かると記述している(荻上注:人から人へと感染しないデングと、人から感染しやすく致死率がより高いエボラを置き換えること自体が無茶である)。さらにはメディアが世論操作している可能性について言及している。


今回の件に限らず、流言を拡げた人がその後、批判を受けてより意固地になるケースが少なくない。自説を補強するための論拠を探し、同調者と共鳴しあって先鋭化することもしばしばある。


こうした現象を見ると、「中和の技術」という社会理論を思い出す。人は、自分が間違ったことをしている人間だと思い続けることにストレスを感じる。そこで人はしばしば、自分の罪悪感を緩和してくれるロジックに飛びついてしまう。そうやって、認知的なモヤモヤを「中和」してくれる技術には、いくつかのパターンが見受けられる。簡単に言えば、弁解や弁明、居直りや逆ギレのメソッドというのは、似通っているよね、というお話。


もともと「中和の技術」の典型パターンとしては、(1)責任の否定(2)加害の否定(3)被害者の否定(4)非難者への非難(5)高度の忠誠への訴え、が列挙されている。非行研究が発端だが、流言拡散を批判されたときの反応にひきつければ、つぎのような感じになる。

  • (1)責任の否定:「ただRTしただけで、なぜ責められなくてはならないのか」「もし本当だったら大変だから拡げた。むしろ<そういう不幸が実際にはなくてよかった>で済ませるべきだ」
  • (2)加害の否定:「間違いであったとしても、良かれとしてやったのだ」「良い話なら拡散してもいいではないか」「誰に迷惑をかけたというのだ」
  • (3)被害者の否定:「誤解される方が悪いのだから、普段の行いを正すべきだ」「相手にはこういう問題もある。そんな相手をなぜ庇うのか(お前は○○信者か」
  • (4)非難者への非難:「お前は間違いを犯したことがないのか」「自分を批判する暇があるならもっと有意義なことに時間をつかえ」「言い方がむかつく。お前は何様なのだ」「批判しているのは<工作員>や<御用>の類で信用できない」
  • (5)高度の忠誠への訴え:「自分たちが騒いだことが問題提起となったのだ」「自分を批判するような言説は、まわりまわって言論弾圧や自粛につながるからやめるべきだ」


批判時の反応にはこの他、以下のようなパターンがあると感じている。

  • (6)"部分的な正解"へのこだわり:「こういう事実はかすっていた。ならば、ほぼ正解と言っていい。だから拡散の意義はあった」
  • (7)自浄作用の強調:「後で自浄作用が働くはずだから、予防として、確かめずにRTすること自体を責めるべきでない(つまり自分を責めるべきでない)」
  • (8)被害性の強調:「少し間違えたからって大げさだ。私は傷ついた。私こそが新たな被害者である」
  • (9)ヒロイズムの強化:「圧力には屈しない。これだけ必死で批判したがる人がいるのは、不都合な勢力がいる証拠」
  • (10)派閥化:「否定陣営には問題がある。彼らの言葉に耳を傾けてはいけない。助け合いながら、<私たち>こそが正しいと言い続けよう」


もちろんパターンに当てはまるからと言って流言というわけでもない。非難者の行為や論理が問題となることもある。しかしそれにしても、こうした事例は実にたくさん見かけられる。


一般には、「流言」は根拠があいまいなままに情報が広がることで、対してデマゴギーの略である「デマ」は政治的意図を持って作為的に流される嘘であると区別される。でも、その情報を受け取り、それを信じて伝達する過程においては、それが「流言」なのか「デマ」なのかという区別はあまり意味を持たない。というのも、一定以上の拡散をみたニセ情報は、たとえ当初は「デマ」として流されたものであっても、それをそれぞれの<善意>に基づいて流す人の方が多くなるからだ。


同様に、拡散した元の人も、当人の自意識としては「善意」や「真実」のためにやっているのであり、「政治的意図」をもっているわけではないと捉えているケースも多いだろう。ある意味では、「聞く耳を持つ」からこそ、「中和の技術」を用いたレスポンスが見られるようにも思える。ただいずれにせよ、流言の検証や中和の試みの最中にあっては、相手を説得することが困難で、よりこじれるような場合にもしばしば遭遇する。そもそも検証作業自体が、流言の拡散よりも遥かに手間と時間と労力がかかるなか、説得話法にも注意が求められることを考えると、本当に骨が折れるようなあと痛感している。


デング熱については本日、シノドスにこのような記事を掲載しました。あわせてどぞー。

「感染拡大のデング熱! 蚊の生態からわかることとは 嘉糠洋陸×森澤雄司×荻上チキ」
http://synodos.jp/science/10816

西アフリカのエボラ騒動と、日本のコレラ騒動との類似について

エボラウィルス感染症エボラ出血熱)が猛威を振るっている。致死率が高い病気で、ワクチンも治療法もまだない。清潔な環境での対処療法が基本となるが、感染地域では医療を妨げる流言が広がっている。


国内外の報道によれば、流言のパターンとして、「欧米人や医療従事者らがエボラウイルスを持ち込んだ」「入院すると臓器が盗まれる」「病院でこそエボラに感染させられる」「隔離された患者はそのまま餓死させられる」といったものがあるという。これらの流言は、医療チームへの不信感を拡大させている。現地で治療に当たった方からは、医療チームの乗る車めがけて石を投げられたという話も聞いた(8月8日放送のラジオにて)。


「エボラは存在しない」と叫び、隔離施設を襲撃した集団がニュースになった。エボラの存在そのものを否定するという流言も広まっているわけだ。こうした流言には、「政府が支援金を詐取するためにねつ造したのだ」といった説明がつくこともある。そのため医療従事者たちは、エボラウィルスの実在から丁寧に説明しなくてはならない。


エボラ否定流言が広がる一方、エボラ治療流言として、ニセの治療効果をうたうものもある。例えば「タマネギが効く」「ライムがいい」「ココアと砂糖がいい」といった食事療法だ。存在しない特効薬をネット販売する業者もある。「エボラ予防には塩水を飲むのがいいいい」という流言を信じて実行した人のうち、少なくとも2人が塩分の過剰摂取で死亡したとも報じられている。WHOは、ウィルスそのものだけでなく、これらの誤情報への感染に警鐘を鳴らしている。こうした流言は、SNSやメッセンジャーでも拡散されている。


ところでこの騒動は、江戸後期〜明治時代のコレラ騒動と非常によく似ている。当時の日本では、「西洋人がコレラを持ち込んだ」と信じられ、民間療法や呪術が頼られた。「医師は生き胆を抜く」とされ、医師や医療施設、あるいは移送に関わった警察や行政が民衆によって襲われた。誤った食事療法が流行り、「コレラ一揆」や「コレラ祭」も各地で発生した。


コレラは江戸時代後期から、日本で何度か流行している。村上もとかの漫画『JIN-仁-』でも、「虎狼痢(ころり)」ことコレラが江戸末期に流行し、町民たちが札などの呪術によって対応していた姿が描かれている。漫画では、タイムスリップした現代の脳外科医・南方仁が、「コレラ除け」を破り捨て、衛生管理と治療にあたるというエピソードがあるが、「コレラ除け」は明治時代においても未だ根強く信じられていた。


杉山弘の論文「覚書・文明開化期の疫病と民衆意識 明治10年代のコレラ祭とコレラ騒動」(『自由民権 2号』1988、町田市立自由民権資料館)は、明治10年代のコレラ騒動をまとめた労作。『自由民権 2号』そのものは絶版していて入手しがたいが、コレラ騒動の大まかなパターンを概観するには有意義な資料となっている。下記に、年表よりその一部を引用してみる。

年月日 関連地域 概要 動機(噂など及び要求など<出典・参考文献>
10・9頃 神奈川県横浜近在の戸部・平沼周辺 コレラ除けとして、不動などへ護摩を焚く、赤紙に牛という字を三つ書いて門口へ貼る、八ツ手の葉や蕃椒(とうがらし)、杉の葉を門口に下げるなどが流行 <『朝野』10・9・22>
10・10 岡山県和気郡日生村 避病院の反対、漢方による治療、魚類販売中止の解禁を唱え、漁民が巡査・区戸長・医員などの詰所に集合、巡査に傷を負わす。警部らの出勤、警戒により鎮定 「第一には避病院と唱え、山林僻地人家隔絶の地へ居を設け患者を入れ、骨肉親子の至上を絶す。むしろ流毒に感染し一家覆滅するとも自家に在りて看護致し度事。第二には其薬品の如き大抵水薬を用ひ素質文明ならず。因ては従前の通漢法を株守し草根木皮を以治療致度事。第三には本村の如きは専ら利を海魚に収む。然るに目下病毒予防とて食禁の説論ありて売買の途狭く、大に世営に関す。なにとぞ巨尾細鱗の差なく一様売買食用候様相成度事。」<土屋喬雄・小野道雄『明治初年農民騒擾録』勁草書房、1953より(以下『農民騒擾録』とする)>
10・10 岡山県 岡山県の県社で12日間にわたってコレラ除けの祈とうがおこなわれる。また、門口に蕃椒・柴棟・南天・杉を下げるのが流行する <『朝野』10・11・7>
10・11 千葉県長狭群貝渚村 コレラ患者発生のため患者を隔離して治療を行おうとした医師沼野玄昌らが、付近の漁民に襲われ、沼野殺害される。巡査らの説得にも応じなかったが、リーダーの逮捕によって鎮定 「旅人(患者)をば遠い石子山堂へ連れて行き肝玉を取るに違いない、憎い奴らだ、打殺せ<『大坂日報10・12・23『朝野』10・12・26(上記の2点の資料には内容の異同がある)>
12・6 香川県小豆郡土庄村 コレラ病胎児の祈とうに百萬遍の祈念を行うことを郡役所・警察署に届け出たところ許可されなかったが、村内の若者400名ほどがこれを強行。郡吏・巡査の説論を聞き入れず、村内の医員宅に押しかけるなど騒擾化する。リーダー三名が捕縄され鎮定 「同村西光寺の釣鐘をゴンと撞くと、等しく村内の若者ども4百名計りも瞬間に寄り集り、何れも丸裸になって海中へ飛び込み、或は汚水溜池杯に拝入手我も我もと面部より総体へ泥土を塗り付(百萬遍の節は泥土を塗るの風習と云ふ)、黒人の如き有様にて大勢船網を引きて村内を頻りに這回する」「夕刻にいたり同村医員某の宅へ押懸け悪口暴言を吐き散らすのみか、むやみに某を打擲し、内儀の面部へ泥を塗り付ける」
12・7中旬 愛知県知多郡日間賀島 コレラ患者が発生し、これを避病院へ移そうとする巡査とそれを拒む島民の間で争論が起っていたが、折から熱田駅周辺の騒動を伝える者があり、日間賀島でも竹槍などで巡査を襲う計画がたてられる。鎮撫に向かった巡査らがまず襲撃をうけたが、島民のリーダーらの捕縄で沈静化 「毒薬を盛りて生肝を取るような怖しき所へ送るとハ人倫の情理にあらす」「県庁の役人等が外国人の注文を受け生肝と白骨を取らんとて、石炭酸緑磐と歟云う如き毒臭薬を井水に滴らして、コレラ病に取りつかせ、避病院へ送り込みてムザムザ殺す、証拠には看護人の外ハ一切出入りを差止むる」<『郵便報知』12・8・30>
12・7・21 愛知県熱田神社付近 巡査がコレラ患者の遺骸を運んでいたところ、隣村の若者に通行を妨害され、乱闘になる 「悪疫除の真っ最中に浮上のものを舁入れてハ神への怖れ返せ戻せ<『郵便報知』12・7・26>
12・7・28 山口県厚狭郡刈屋浦 巡査らが村民を集めコレラ予防の説明会を開いたところ、興奮した村民と口論になり、しまいには乱闘が始まり、巡査四名が殺害される。また、コレラ除けのため村堺で出入りを禁止する村、中や鉦や太鼓を打ち鳴らし、空砲を発する村がある 「親も子を顧みるを能ハす、妻子兄弟相互いに看護されず且葬式の礼を行を得すとハ、犬猫同様の始末なるに、如斯の言を以て説論杯とハ嗚呼(おこ)がまし」<『郵便報知』12・8・11>
12・7頃 山口県 コレラの流行につれ、様々な風間が流れる 「該病に罹るものハ悉く毒殺さるる」「天子様の御火にて 粂をすえれば病に罹らず」「宰府の天満宮様の御告の粥を喫すれハ取付かかる気遣いなし」<『郵便報知』12・7・18>
12・7 境県池の島村 村の若者がコレラの元である大阪の者が村内に侵入せぬように、村堺で竹槍・鋤鍬を手にして見張りに立つ <『郵便報知』12・7・19>
12・7 境県久賓寺村 コレラを追い払うための踊りが、毎夜、各家一人ずつでて行われる <『郵便報知』12・7・19>
12・7 愛媛県伊予郡筒井村 コレラ患者の遺骸を埋葬地に送るところを村民が、待ち伏せし、つきそいの巡査を襲う <『郵便報知』12・7・25>
12・7〜8 愛知県知多郡豊浜村 コレラ患者を避病院へ移そうとする戸長・巡査とこれを拒む村民との間で対立が生じており、巡査らが村内を探偵してまわったことをきっかけに村民が集合化、巡査・医師などを捕え、乱暴を加える。また、狐がついているとされた病婦らも連れ出され、同様に乱暴を受けるが、村内の総代らの説得と増員された巡査隊らによって鎮撫される。十七名が捕縄 「巡査等ハ外国人の依頼を受け、狐を遣ふて我々を殺す所存なり、彼らに殺されんより我れ先んじて彼らを殺さハ村内無事平穏ならん」<『郵便報知』12・9・1>
12・7〜8 愛知県愛知郡熱田駅知多郡鴻崎村・豊浜村・愛知郡一色村・幡豆郡平坂村・海東郡津島村 熱田駅におけるコレラ発生を機に、県や郡の公衆衛生行政を拒否するなどの動揺が生じる。その後、動揺は各村に波及し、警戒の巡査と民衆の間で、紛擾が発生したが、まもなく鎮定 <『農民騒擾記録』>
12・7〜8 山口県赤間ヶ関 コレラ退散のためとして、神仏の像をかつぐこと、百万遍の念仏会、法華経の題目講などが盛ん <『郵便報知』12・8・4>
12・7〜8 石川県金沢区市内 コレラにまるわる風評が盛ん。井戸には夜間、錠がおろされ、小路の入り口には七五三縄(しめなわ)、戸口には祈とう護符が貼られている 「夜中○○(ママ)が毒を撒布する」「患者に魔薬を与ふる」「鮮血を絞り肝を抜く」<『郵便報知』12・8・4>
12・8・1 石川県東水橋駅 検疫所に近在の人々が押し寄せ、説得にあたった巡査が川に放り込まれる <『郵便報知』12・8・1>
12・8初旬 新潟県新潟区新潟町祝町及び周辺町村 新潟町とその周辺では、再度の火災と水害が米価の高騰に拍車をかけ、町民の生活に支障をきたしていたが、そこにコレラが発生し魚介類果物類の販売禁止措置がとられたため、漁労及び果実生産にたずさわる人々の不満はいよいよ高まっていた。そんな折、米価の引き下げなどを要求して漁師などが集合化する兆がみられたため、警官や区長らが説得にあたったが、コレラの死者を護送する巡査を漁民らが襲い、死者を奪い返そうとした事件をきっかけに騒動が始まる。「物持ち」や米商・区書記の家宅が打ち壊され、鎮撫の巡査と漁民との間で衝突が繰り返されるが、リーダー格が捕縄されるに及んで沈静化する <『農民騒擾記録』及び『新潟新聞』12・8・7など、大日方論文、中野三義「明治一二年新潟コレラ騒動」(『地方史研究』一四九号一九七七、以下中野論文とする)、溝口敏磨「コレラ騒動」(『新潟県史』通史編近代1、以下溝口論文とする)>
12・8初旬 新潟県中蒲原郡沼垂町 新潟発田に住む士族の息子が、沼垂町の栗之木川で暑気凌いのため薬を服用していたところ、これを見咎めた付近の町民が、川に毒薬を投入したものと誤認し、男は沼垂町警察分署へつき出される。巡査が男の弁解にもとづき、町民らの誤解をはらそうとしたがおさまらず、続々竹槍・鳶口などを手にした町民が押しかけ、分署の打ち壊しが始まると同時にこの男も撲殺されてしまう。このほか、探偵と誤認された商人が同様に殺され、また、日ごろ分署の用使いをなしていた者・お雇いの医者などの家宅が破壊され、通行人検査所及び避病院も打ち壊される。巡査の出動により混乱を極めたが、巡査側が町民の歎願を受けつけ、さらに県庁への上申を説論したので沈静化する 「一 虎列刺病患者は避病院へ入らず 悉く自宅に於いて療養を許され度候事。   一 同死亡者葬儀の儀は総て自分に於いて取計度候事。  一 虎列刺病予防の為め売買禁止相成たる有害菓物(ママ)を売買被差許度事。 一 魚類右同断。  一 米穀の輸出を差し止められ度事。  一 勝手に裸体を許され度事。<『農民騒擾録』、大日方論文、中野論文、溝口論文>
12・9初旬〜9中旬 埼玉県北足立郡尾村ほか十数ヵ村 中尾村吉祥寺に避病院を設ける話が、郡吏及び戸長の間で進められているのが漏れ伝わり、村民が不満を募らせていたところ、突然、巡査がコレラ患者を同時に連れてきたので、それをきっかけに中尾村及び周辺の村の村民が集合、避病院の建設の中止などを強く訴える。その後、建設は県庁の判断で取り止めとなったが、巡査による村民のリーダー拘引が始まると再び村民は集合、巡査・戸長らを襲う。県令の巡廻説論などにより、沈静化。三十一名のものがそれぞれ刑に処される 「其実ハ虎列刺ト申ス病ハ無之シテ、全ク巡査各村ニ出没、毒薬ヲ撒布シ、故ラニ病人ヲ披へ、之レヲ避病院ニ入レ患者ノ生肝ヲ取ル」「悪疫ヲ嫌忌スルハ人ノ常情ナリ、浦和ニ発シタル患者ハ浦和ニ舎キ治療スルコソ当然ナラメ、然ルニコレヲ本太原山等ヲ経テ、吾カ中尾ニ舁送スルトハ何事ソ、特リ愛ヲ浦和ニ厚フシテ他ヲ顧ミサルノ所為ハ、是レ郡衛ノ事ニアラサル也」<『県史誌編纂資料騒擾時変・騒擾』(埼玉県立公文書館蔵)、森田論文>
12・9初旬〜9中旬 埼玉県北足立郡本郷村・赤山村など一〇数ヵ村 この付近でコレラ患者発生のため、数ヵ村の寺などに検疫所・避病院が設置され、検疫委員巡査らによる巡視が行われる。近隣の村々ではコレラにまつわる噂がとびかい、念仏講会や祭礼をきっかけに村民が集合し、巡査らの通行を妨害、また避病院・検疫所へおしかけるなどの不穏な行為が頻繁に起こるようになる。業を煮やした警察が村民の総代を召喚、その意向を問い、さらに県がこれにそった措置をとあったので、騒動は沈静化する。三十一名のものがそれぞれ刑に処せられる "「八月廿一日大竹村新井方ニ念仏講会アリ、村人集合シ雑話ノ語次週適々虎烈刺病ノ事ニ及フ、日ク東本郷ノ避病院ヘ入院セシ患者ハ、頭脳ヲ抜キ取ラレ、亦ハ毒薬ヲ以テ殺サルルノ風評ハ風説ニアラスシテ事実ナルカト如シト、是ヲ聞ク者、挙ナ之ヲ信セサル者ナキニ至レリ」「此際各村ニ行ハルル巷説ニ現下ノ縣庁カ発病者ヲ強テ入院セシメツ、是レスナワチ患者ヲ毒殺シ、其肝ヲ択クリ取テ之ヲクラント将軍エ送ランカ為メナリ、故ニ看護者アリテハ斯ル悪手ヲ施シカタキ所アレハナリ、尚其方法トシテ密ニ巡査ニ命シ、白粉ノ毒薬ヲ途上ニ撒布シ、以テ悪疫ニ感染セシメント為シツツアリシト」「其一患者ハ自宅ニ於イテ治療致シ度、其二検疫掛ノ巡視ヲ休止セラレ度、其三避病院ハ廃止セラレ度、其四医員ハ病家ノ望ミニ任セラレ度、其五入院患者ノ帰宅ヲ願ヒ度」
12・8・中旬 群馬県邑楽郡川俣村ほか一七ヵ村 コレラの流行につれさまざまな風間がとびかっていたが、たまたま巡査や委員の与えた薬を服用した直後に一人の患者が亡くなったため、村民の検疫委員らへの疑惑の念は更に深まっていた。そんな折、検疫委員が来訪したため、川俣村及び周辺の村の人々が集合化、これを襲う気配をみせたので、警部及び郡長・郡書記などが急遽出張、村民の願意を伝えるとの約束をとりつけ、ようやく説得に成功する "「同病に罹る者ハ一々病院へ入れ、治療と名を附けて其実ハ右の患者を殺害して肝を取り、米客グラント氏へ高価に売渡すの内約あるが故に、政府ハ委員巡査に内命を下して故らに人を殺す」「仮令コレラ病患者あるとも、検疫委員の診察を受けす、敵座の医師に掛り治療する事と、避病院入ハ御免を蒙り度亊の二ヶ條なり」<『郵便報知』12・8・23>
12・8・中旬 京都府綴喜郡第三組豊野村玉水村 富野村が村費で建設した避病院に、隣村の玉水村から患者が送られてきたが、富野村の村民がこの入院を拒否、両村の者の間で乱闘になる。双方のリーダーが捕縄されて沈静化する <『郵便報知』12・8・23>
12・8・下旬 新潟県西蒲原郡河間村ほか数ヵ村 コレラの流行は飲料水に毒薬がまかれたことによるとの噂がこの村々では語られていたが、偶々河間村を通りかかった鋳物師が、村民に糾問され、その勢いに圧され不本意にも毒物の撒布を認めたため、これを伝え聞いた河間村及び周辺への村の人々が集合化する。この鋳物師が連累として名をあげた四名の家宅が打ち壊されるが、出張してきた巡査の説得により沈静化する 「該病流行は全く毒素を撒布する者有之に原因するとの浮説」<『農民騒擾録』、大日方論文、中野論文、溝口論文>
12・8 茨城県の西南部 村民が神社に集合、夜を徹して鉦や太鼓を打ちならすなどのコレラ除けが盛ん。風評も盛んに流れる コレラの流行するハ全く米価の騰貴したるゆえ、政府が故さらに西洋より病種を輸入して人口を減するの策なり」<『郵便報知』12・8・5>
12・8 長野県東筑摩郡岡田・苅谷原・青柳・麻績各村 疫病神を追い払うための、年の迎え直しが行われる。各家に門松がたてられ、注連縄がはられる <『郵便報知』12・8・28>
12・8 石川県金沢区浅の川河除町 尻垂坂(地名)の若者連数十人によるコレラ送りの行列が河除町にさしかかったところ、地元の人々との間で道を通せ、通さないで口論になり、行列の警備にあたっていた巡査二人が河除町の者に襲われたことがきっかけで、大乱闘になる。尻垂坂・河除町及び巡査にも怪我人が出て、五人が拘引される 「尻垂坂の虎列刺送りの若者連数十数人が列を整へ大なる竹籠に七五三縄を張り幣を立てて、或は藁箒抔を入れて舁ぎ出し、又大なる紙旗に虎刺列送の四文字を書きたるを押し立て、中央には例の藁人形を舁ぎ、笛・太鼓・法螺を鳴らし、或は鐡棄の油函を曳づり、数十の提燈を持ちすさまじき勢にて押し出せり」「けがらわしき虎刺列送りは我町内は通されない」<『東京曙』12・8・5>
12・9 東京府南葛飾郡東船堀村 村の若者らによりコレラ除けの獅子舞が行われたが、これをこころよく迎えなかった豪家の家族がコレラに罹り死亡したため、若者らがその家の前で鎮守様の罰当りめと騒ぐ <『郵便報知』12・9・13>
15・7・中旬 静岡県田方郡守新田村肥田村 コレラ患者が多発した守新田村が藁人形を舁くなどのコレラ送りを行ったところ、たまたまその直後に隣村肥田村で患者が発生したため、肥田村の者が同様にコレラ送りを始め、そのまま守新田村の者を襲う。守新田村と肥田村の対立は深刻化するが、仲裁者の労により和解する 「藁人形を作りて疫病神と称し、綱代の輿に入れて戸毎に舁廻りし後ち、村外へ送り出すとて大勢の者が法螺貝を吹立て閧の聲を上げて肥田村の境界まで送りゆき、其處に藁人形を打棄て置きし」<『郵便報知』15・7・27>
15・9頃 福島県行方郡小高村村岡村 避病院が故高村村岡村の者に再三襲われ破壊されるので、警官が同村に出勤したところ、村民数十人と乱闘になり、村民一名が即死、双方に負傷者を出してしまう。リーダー格七名が逮捕され鎮静化 <庄司吉之助『日本政社政党発達史』御茶の水書房・一九五九>
19・7下旬 神奈川県神奈川駅 神奈川県警察署雇いの医師某の家宅に、神奈川駅の者数十名が押しかけ暴れる。巡査の出勤で鎮静化 「此の医師某ハ同駅に虎刺列病の種を蒔きし故、斯く流行するに到しなり」<『朝野』19・7・28>


紹介したのは杉山論文に収められている年表の一部。そもそも記録されていないコレラ騒動も多いが、全国各地で、似たようなパターンの騒動が起きていることが分かる。全国各地で治療行為や隔離・連行が敵視され、医師や警官などが殺されるケースが相次いだ。村同士の抗争に発展するケースなどが多発し、リーダー格が逮捕・説得されるなどして鎮静化していった。迷信や民間療法で対処しようとしていたケースが多く、コレラ除けのために様々なバリエーションの「コレラ祭」も行われていた。


治療例が増えていったり、そもそも流行自体が治まったり、地元リーダーを説得したり、弁士がコレラ対策について講演してまわったりするなど、様々な理由でコレラ騒動は鎮静化していった。最近では、当時の行政の強権的な対応が逆効果となった側面も批判的に検証されている。今、西アフリカの現地で医療行為に取り組む方々は、衛生対策だけでなく、啓発や説得にも力を入れている。流言を嗤っても治療は進まないため、根気強い対話が必要となる。大変な業務を続ける現地の方々には、本当に頭が下がる。


※本記事の一部は、読売新聞連載記事「ウェブ時評」を再利用
※自由民権資料館のウェブサイトは以下
https://www.city.machida.tokyo.jp/bunka/bunka_geijutsu/cul/cul03/index.html


国立感染症研究所コレラとは
http://www.nih.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/402-cholera-intro.html


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広島土砂災害時にウェブ上で発生した流言について思うこと

2014年8月20日広島市で大規模な土砂災害が起きた。その際ネット上などでは、「コンビニのパンや弁当が取材にきたメディア関係者に買い占められた」「被災地に窃盗団が出現した」といった流言(根拠不確かな情報)が流れた。

マスコミ関係の方の報道は必要なのかも知れませんが、広島市安佐南区八木地区の私の家の近所のコンビニ2軒はマスコミ関係者の食糧買い占めにより、私たちには弁当やパンが買えません。なので毎日八木から車で渋滞に巻き込まれながら遠くのスーパーまで買い出しです。

同じ八木地区に住んでいて悔しいですが、実際報道陣に紛れて、大きな黒いリュックを背負った怪しい人が、八木地区の災害現場をうろつき、窃盗をしているようです。


この2つの流言を流したのは、同じアカウントだった。こうした流言は、大手まとめサイトに掲載され、拡散されてしまった(参照)。但しこのアカウントはその後、早々に削除された。そもそもこのアカウントが作られたのは、土砂災害以降だったという指摘もある。


2014年8月27日と28日。ラジオ番組「TBSラジオ:荻上チキsession-22」のスタッフと、被害の大きかった上八木駅、梅林駅、七軒茶屋駅の周辺にあるコンビニへの電話取材を行った。確認したコンビニは5軒。いずれの店からも、「買占めがあった」という事実は確認できなかった。


被害の大きかった八木地区に近い、上八木駅前にあるコンビニの店長さんからは、「メディアの方なのか、ボランティアの方なのか区別はつかないですが、たしかに、地元の方じゃない方が買い物に来ることはあります。単品で見れば、たまたま品切れということはあったかもしれませんが、「買い占め」といわれるようなことは起きていないです」との回答をいただいた。


また、こちらも被害の大きかった緑井地区に近い梅林駅前にあるコンビニの店長さんは、「他はわかりませんが、ウチでは買い占めというようなことは起きていません。人が増えていることもあり、大量に仕入れているということもあり、むしろ利用して頂きたいと思っています」との回答をいただいた。


土砂災害は、局所的に大きな被害を出すが、少し離れたところでは被害がでていない。避難している人は多かったが、広島市街の中心部では日常が続いており、流通が機能していないわけではない。むしろ「大量に仕入れて」対応するというコンビニの姿勢はとても分かりやすい。この流言拡大の背景は、広島市の街並みや今回の被災に関するイメージが乏しい人が多かったことも理由の一つかもしれない。流通も機能しないような、大規模な陸の孤島化をイメージしているのかも。


取材班やボランティアが、現地の物資・食料の利用などに対して、慎重さが求められることは確かだ。だが、根拠不確かな情報で、漠然としたマスメディア批判をネット上で繰り広げても、何のプラスにもならない。社名を特定しない、漠然とした「マスメディア批判」は、口にする者に対し、リスクなく正義感を満たしてくれる。お手軽ではあるが不毛だ。


物資と言えば、気になる記事があった。

広島土砂災害 支援物資さばききれず 市「事前連絡を」
広島市の土砂災害で、全国から広島市に届いている被災者への支援物資が、避難所や市の保管スペースにあふれている。市は送る前に連絡をもらえるようホームページ(HP)で求めているが、見過ごされるケースが多いという。
 安佐(あさ)南区役所一階の会議室。約八十平方メートルの室内に、カップ麺や飲料水、古着が詰まった段ボール箱が山積みになっている。収まりきらない物資は、地下一階の廊下に。四日も京都市宮城県気仙沼市など全国の個人・団体からタオルやマスクなどが相次ぎ届いた。「中には送料が着払いで届いた荷物もある」と職員。市を経由せずに避難所へ届いたり、直接持ち込んだりする人もいる。
 避難所十カ所のうち最多の約三百五十人が避難している安佐南区の梅林小では、体育館のほか、理科室で支援物資を保管している。避難先から歯磨き粉など日用品を受け取りに訪れた会社員竹中嵩雄さん(32)は「物資が充実しているのはありがたいが、子どもたちの勉強に影響しないよう整理する必要がある」と話す。
 市地域福祉課は「避難者数は日々変動し、ニーズも変わる。善意を無駄にしないためにも事前連絡してほしい」と求めている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014090502000241.html


避難所が機能して以降の支援物資は、「必要だと確認されたものを」「事前に仕分け・整理したうえで」「受け付けている場所に届ける」ことが重要となる。問い合わせ対応やゴミ処理などにおいて、被災自治体に負担をかけない工夫も必要だ。事前連絡をせず、何が必要かも確認せず、仕分けもせず、ゴミも押し付け、ましてや「着払い」で送るというのはNGなこと。適切な支援方法が共有されていない状況も、全国的に解消されなくてはならない(小声:そんなわけで現在、「支援訓練をしよう」というコンセプトの元、災害支援現場への取材をもとに書籍化の準備をしておりますです)。


犯罪流言については、外国人によるものという情報も加わり、ヘイトスピーチへとつながっていった側面がある。そもそも、仮にある国の人が犯罪を行ったとしても、それをその国の国民全体への疑い・批判につなげること自体、差別的な発想だ。


毎日新聞は、この流言について、次のような記事を掲載している。

 広島市北部の土砂災害現場で空き巣が発生したことについて、「外国人による犯罪」と指摘する書き込みがインターネット上で広がっている。これに対し、広島県警は26日、「外国人が逮捕されたとの話は聞いていない」と否定した。
 同県警によると、現場の一つである同市安佐北区可部東では災害発生直後の20〜21日、住民が避難したすきを狙って空き巣が2件発生した。また安佐南区八木では21日、警察官を名乗る男女が民家を訪問したり電話をかけたりして、住民に避難を促すケースも発生。県警は住民に戸締まりなどの注意を呼びかけるほか、現場周辺のパトロールを強化している。
 これに関して、短文投稿サイト「ツイッター」などのソーシャル・ネットワーキング・サービスでは21日ごろから、空き巣が特定の国籍の外国人による犯行だと決めつける書き込みが続き、これを受けて「デマにだまされないで」との書き込みも増えている。県警広報課は「外国人の犯罪という情報はない。26日現在、容疑者が逮捕されたという情報もない」としている。【馬場直子/デジタル報道センター】
http://mainichi.jp/feature/news/20140826mog00m040012000c.html


空き巣については、「広島県警犯罪発生マップ」で確認しても、発災当日での犯行が見受けられる。東日本大震災でも空き巣は発生した。だから、警察によるパトロール強化や、戸締りへの注意は重要だ。だが、「外国人の犯行」とする根拠は今のところなく、提示されていない。根拠なく「○○人が」といった書き込みはみられるが、戸締りなどの注意情報はシェアされていないため、被災地のためにではなく、関係のない外野で、嫌いな相手への悪口で盛り上がっているだけに見える。


元のツイートの一つでも、「大きな黒いリュックを背負った怪しい人」がどうやって「紛れ」ることができるのかとか、「災害現場をうろつき」とあるが、窃盗するなら救助が続く「災害現場」ではなく、実際の犯行がそうであったように、避難している住宅を狙うだろうとか、様々な疑問が浮かぶ。これだけ曖昧な情報に、多くの人が飛びつくこともまた問題だ。


東京新聞の2014年9月2日の記事には、地元住人やボランティアに取材を重ねたうえで、外国人犯罪についての情報が得られなかったと記されている。一人の女性は、空き巣の話は聞いたことがあるが、外国人犯罪については「ネット上だけの話でしょ。このあたりでは聞いた聞いたことはない」と述べたという。この記事では、災害流言の研究も行っている防災研究者の関谷直也氏がコメントをしている。そこでは、「犯罪のうわさの場合は、警察がきちんと否定すること」が重要だと述べている。また、現状の警察の対応について、「この対応だと噂を助長しかねない」というコメントを加えている。


論拠が不確かになると、流言を流した人などは、「疑われるのが悪い」という論理をしばしば口にする。これは推定無罪の原則を放棄することになり、差別に加えて冤罪を助長する。また、仮に「まぐれあたり」のケースが出ると、根拠不確かな情報を拡散した事実を忘れ、あたかも拡散が「正解」だったかのように評価し、差別と偏見を強める言説へと加担する者が多く表れることが想像される。だが、「当てずっぽう有罪」「私刑肯定」の理屈を拡大させてしまうと、災害対応としてはむしろ有害だ。仮に自警団が、「疑われたほうが悪いのでリンチは正しい」などというりくつを振りかざせばどうなるか、想像してみてほしい。

災害時の犯罪流言が、支援を遅らせる可能性について

東日本大震災後、多くの人が避難所に身を寄せた。避難所には、多様な医療ニーズがあった。石巻赤十字病院では、三〇〇か所もある避難所を一軒一軒調査し、必要に応じて対応していく「避難所のトリアージ」を行っていた。


医師たちが活動する中、ひとつの流言飛語が医師たちの耳に入った。ある地区の治安が著しく悪化し、殺人さえ起きかねない(あるいは殺人が起きている)、というものだ。石巻赤十字病院由井りょう子石巻赤十字病院の100日間』(小学館)、PP.119〜PP.122には、次のような記述がある。


 しかし、そこで浮かび上がってきた問題の一つが、先にもふれた津田看護師長のいた渡波小学校だった。避難所の環境はどこも劣悪だったが、渡波港をかかえ、石巻魚市場に近い、つまり海に面した渡波小は、いちだんと悲惨だった。
 校庭はがれきがそのまま山になっている状態なので、ヘリコプターが降りられない。傷病者の搬送もできなければ、物資の投入もできない。看護師がすでに四人いるといって、医療は後回しにされる。
 アセスメントをした金田副院長からも、また新潟県中越地震を経験した医療者からも、手を洗う水がない、土足で避難所に上がっていることなどの指摘があり、早急に改善すべきだという声が多数上がる。
 それに対して、治安が悪く、殺人さえも起きかねない、という情報をもたらす人がいる。
 石井はいう。
「一人の医師が五〇〇人の命を救うことができるとしよう。医師が死んでしまったら、救えるはずの五〇〇人の命が救えなくなってしまうんだ。いまは何よりも医師の命が大切なのだ。そんなところへ医師を送り込むわけにはいかない」
「それなら、渡波を見捨てるというのか。非人道的なことが許されるのか」
と、怒る声があがる。
 石井はその日の夜遅く、みずから警察署に出向いて、渡波の治安について確認した。少しくらい悪いことをするやつはいないわけではないが、殺人が起るようなことはない、渡波だけが特別じゃない、と聞かされて決断した。渡波に医師を行かせる、と。
 二五日は渡波小学校へ行き、避難者の様子、トイレや水事情を見る。和式トイレに新聞紙を敷き、そこに大便をする。それを新聞紙でくるんでポリ袋に入れて、一か所に集める。そのあと手を洗う水もないのだ。
 これでは下痢や嘔吐、感染症の多発も当然といえた。まずは水の確保だ。日赤本社を通じて海外の難民キャンプで水を供給する簡易水道を送ってもらうよう手配する。大きなビニール製のタンクに、給水車から水を入れて、先のほうにいくつかの蛇口がついたパイプをつなぐ。タンクに水を入れれば、蛇口から水が出る。こんな何でもないことが、渡波では大きな喜びになる。それほど過酷な避難所だった。


石巻赤十字病院の100日間』は2011年10月に出版された本だ。その後、この本にも登場する医師、石井正氏が2012年2月に『石巻災害医療の全記録』(講談社)を出した。そこには、当時の模様が、さらに詳しく書かれている(PP.79〜PP.83)。

 3月15日、2人の看護師が無事であるとの吉報がもたらされると、僕はさっそく広島赤十字病院の救護チームに渡波小への巡回を依頼し、翌日以降も渡波地区への救護医療チーム派遣を継続した。渡波地区に出向いたチームの報告によると、「がれきを自衛隊が片付け、新たな道を作っているため、カーナビの指示通りの道ではなくなっている。その道路も、路上にトラックが倒れたまま放置してあったり、冠水していたりでアクセスが非常に困難だ。当然、避難所も水は出ないし、下水も機能していないので、いつ感染症が起きてもおかしくない」とのことだった。
 その一方で、本部にはこんな情報も入っていた。
渡波地区は治安が悪化しており、殺人さえを起きかねない状態だ>
 もしこの情報が事実ならば、そんな地区への救護チーム派遣を継続するわけにはいかないと思った。
 第一章で述べた、発災当日に現地の安全を確認しないまま救護チームを行かせた苦い経験があった。しかも、“医療資源”は限られている。仮に1人の医師が500人の命を救うことができるとして、その医師が死んでしまったら500人の命が救えなくなってしまう。そう考えると僕は、渡波小への救護チーム派遣継続には反対せざるをえなかった。
 17日の夜ミーティングで「救護チームの安全が担保できないので、渡波地区への救護チーム派遣を控えたい」と提案したところ、すぐさま渡波小に行った救護チームから反対意見が相次いだ。
「電気もガスも使えず、とてもひどい状況で耐えている渡波の被災者を見捨てるのか」「そんなことは人道上、断じて納得できない」
 救護本部では僕の提案に対する批判が集中し、「救護班を送れ」「いや送れない」の議論は堂々巡りの様相を呈した。
 僕はいったんこの案件を保留とし、ミーティング終了後、救護チームのリーダーだけを集め、渡波地区への派遣を継続するか否かをあらためて協議した。その席上、当時ブレーンとして本部に入っていた内藤先生がこう発言した。
「圧倒的に支援が遅れた地域が出現するということが、この日本でも起きてしまっているのだろう。もしかしたら、そのために渡波は治安が悪化しているのかもしれない。だとすれば、われわれにできることは、むしろ率先して医療支援の手を入れることではないのか」
 この意見に反対するものは誰もいなかった。ただし、慎重には慎重を期して「渡波小に派遣するメンバーはいずれも屈強な男性で編成しよう」ということになった。
 その夜、午後10時半頃、不安が拭い去れなかった僕は、石巻警察署に向かった。渡波地区の治安状況がどのようなものかを、警察に直接、確認するためだった。石巻赤十字病院の災害救助係長の高橋君と、臨床工学士の魚住拓也君が同行してくれた。日赤救護班として数々の派遣経験を持ち、DMAT隊員でもある2人は、震災発生直後から救護本部専属ロジスティック担当として僕を支えてくれた。
 応対した石巻署の生活安全課長は、僕の質問にこう答えた。
「こちらでも定期的に渡波地区を巡回しています。被災したコンビニなどから飲料水を盗むくらいの事案はないことはないが、殺人などはありません。大丈夫です」
 つまり、あの情報はデマだったわけだ。さらに課長からは、
「本当に治安が悪化しているのであれば、ギャング団などが跋扈して、弱肉強食の世界になっているはずです。それが、殺人など起きていない何よりの証拠ではないですか。もともと渡波は人情が厚く、みなで助け合って生きている地区であることは、先生だってご存じのはずです」
 と、たしなめられてしまった。思わず僕は椅子から立ち上がり「その通りです」と頭を下げると、すごすごと警察から引き揚げたのだった。
 翌18日朝のミーティングで僕はこの情報を全員に伝え、渡波地区の定期巡回継続を決定した旨を告知した。


この後、渡波小の避難所を訪れた際、トイレ環境が劣悪で、感染症の蔓延が懸念される状態だったという記述が続く。


2013年11月。僕も石巻で石井氏を取材した。その際、この本の記述について直接お話を伺った(流言の取材ではなかったが、話の流れで)。石井氏はこの流言を、「信頼ある人」から聞いたという。そのうえで、「もし、本当だったらどうしようか」というリスクの問題としてとらえたという。「マネジメントする側からしたら、余所の地域、県外のドクターが行って、殺されましたなんてなったら、奥さんとかどう思うだろう」とも語っていた。確かに、「万が一」と頭をよぎったら、流言かもしれないと疑っていたとしても、無視できなくなるだろう。


結局、警察に「確認」しに行くことで、医療チームの派遣が見送られることはなくなった。ミーティングで異論が出なかったら、氏による「確認」がなかったら、と考えさせられる。災害時には、多くの流言が発生する。流言への対処は一筋縄ではいかない。丁寧に調べられればいいが、それが困難な場合も多い。誤情報は簡単に流せるが、それが本当かを確かめるのは手間がかかる。


ちなみに、警察庁資料を見ると、「主な被災県である岩手、宮城及び福島の3県(以下「被災3県」という)においては、大震災発生後、侵入窃盗が増加するなど特異な状況が見られた」という記述もあり、「震災便乗詐欺事件」も起こったことが分かる。


一方で、「被災3県においては、発災直後、武装した犯罪グループによる略奪、性犯罪の多発等といった流言飛語が流布したが、特定の手口の窃盗を除き、いずれの罪種も前年同期に比べて減少している。強姦、強制わいせつについても、いずれも前年同期に比べて認知件数が減少し、震災に関連して発生したと思われる性的犯罪は数件にとどまっており、被災3県合計の検挙件数、検挙人員は、前年同期に比べそれぞれ減少しているが、検挙率は上昇している」という記述もある(https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h23hanzaizyousei.pdf)。


もちろん、被災地の犯罪については、混乱の中で認知件数は下がるのではないか、人命救助が優先となり犯罪対応がなされにくくなるのではないか、申告しずらくなり暗数が増えるのではないかという意見もある。逆に、普段以上に相互監視が高まる、応援の警官や自衛隊も多いために通報はされやすいのではないかという意見もあり、「答え合わせ」は難しい(「被害体験」のアンケートを行うことにより、比較する試みも一応ある→「大災害後の防犯対策に関する研究」。犯罪論議の中では、「被害体験」のアンケートを全国的に毎年とることで、「認知率」では把握できない数値推移を測ろうという提案もある)。また、警察に「確認」をしても、警察が間違える可能性も否定できない。災害史上には、警察が流言を拡大させた事例もある。一番有名なのものとして、関東大震災中に犯罪流言を拡大させたケースがある。


「流言かもしれなくても注意喚起の意義がある」みたいな意見も聞く。だがそもそも、注意喚起自体は、起きていないものを起きていると言わずとも、増えているかわからないものを増えていると言わずとも、できる。煽って不安を拡大させることが、誤った判断を誘うこともある。「○○ではこんなことが起きてます。注意して!」という流言はしばしば見たが、「もしもの場合はこちら」という情報がつけられていないものがほとんどだった。これでは、単に混乱に乗じてはしゃいでいるようにも見えてしまう。少なくとも支援地や、検証に時間の割くことのできるネット上などでは、支援などの足を引っ張らないよう、冷静な情報拡散が求められる。


災害支援を発展させるためには、成功例ばかりを集めるのではなく、失敗例を集めることも重要となる。多くの活動団体はついつい成功例をアピールしがちだが、同じ失敗を繰り返さないためには、具体的な失敗例こそ丁寧に記される必要がある。あえて苦い経験をも丁寧に記してくれたこの2冊は本当に貴重な資料だ。


石巻赤十字病院の100日間

石巻赤十字病院の100日間

「紙copi」についてのメモ(Windows8でユーザー登録できない現象)

結構長い間、テキストエディタ紙copi」の有償版を使っている。簡単なテキストデータを分類管理できるのが便利なことと、タイプした文章をその都度自動保存してくれるので、「フリーズして文章が消えたああ」を経験せずに済むからだ。まあ、最近ではフリーズの機会もなくなってきたんだけど、慣れたソフトというのはなかなか変えられないよね。今でも、原稿などは「紙copi」で書き上げてから、他のファイルに張り付けて編集者に送っている。


ところが、PCを買換え、Windows8で「紙copi」を活用していると、ユーザー登録をしているにも関わらず、「試用期間の読み込みに失敗しました」というエラーメッセージが表示され、「支払ボタン」とアラートが点灯する。何度、購入したコードを入力しても音はやまず。起動するたびに、同じエラーメッセージが表示される。何度やっても同じ。あれれ、ライセンスキーはあっているのに。ユーザー登録できないぞ。やり方はどうやるんだ。


公式サイトのQ&Aでは、Windows7については対処が掲載されている。
http://www.kamilabo.jp/faq/howto/000165.html


でも、Windows8の場合は書いていなかった。うーむわちゃわちゃと、対処に困っていたが、普通にセーフモードで起動した後にコードを入力したら、認識に成功したよ。なんだ、簡単じゃないか。


同じような報告をしている人は、他にもいたので、このやり方でいいみたい。
http://w8.vector.jp/detail.php?s_no=234960


同じ現象に困っている人が検索するかもしれないので、メモして公開。