東日本大震災時に拡散された「辻元清美が阪神淡路大震災時に反政府ビラを配っていた」という流言について

東日本大震災の際、ウェブ上では政治家に関する流言も多く流れた。特によく見られたのが、災害ボランティア活動担当として内閣総理大臣補佐官となった辻元清美氏に関する流言だろう。辻元清美氏自身も、ブログで「辻元清美に関するデマについて」というエントリをまとめている。中でも、「阪神大震災のときに、辻元清美が『自衛隊違憲です。自衛隊から食料を受け取らないでください』と書いたビラをまいた」という流言は、頻繁に拡散されていた。

※当時のツイート例

  • 阪神淡路大震災の時、「お腹が空いても我慢しましょう」「自衛隊から食べ物をもらってはいけません」「ミルクがなくても我慢しましょう」 そんなビラを配っていた、辻元清美さんがボランティア担当として政府補佐官に。
  • 辻元は阪神大震災の時、自衛隊よりも先に現地に入り、ピースボートの宣伝と、自衛隊違憲だから食料を受け取るななどのビラを撒いて政府批判活動をしていたという指摘がなされている人物。極左政権による政治的判断でどんな些細な間違いも起きてほしくない。


このコピペについては、掲示板などで頻繁に貼られたが、一般人だけでなく、日本会議地方連盟がブログに掲載したり、片山さつき氏がRTしたりと、政治的に対立の立場にある者たちも拡散していた。ちなみにyahoo知恵袋で質問を立てる者が現れたりもしているが、流言の真偽を知恵袋で尋ねようという心理がいまいちわからない。


このコピペ自体は、震災前から存在していた。コピペ探訪〜阪神大震災コピペの謎を追え(追記)にもいくつかまとめられている。

阪神淡路大震災のとき、辻元清美率いるピースボートが政府批判と自己宣伝のビラ配りをしてヒンシュク買ってましたね。
被災地に救援の食料一つ持たずに印刷機だけ持ち込む神経が判らない。
清美は恥を知れ!

辻元清美がばら撒いたビラは「デイリーニーズ」というものです。神戸市長田区を中心に、あちこちの避難所で配られました。
「被災者の声」と題して独自の政府批判を展開しています。
朝日新聞の投稿欄と同じで、「被災者の声」と言いながら自分達の政治的主張だけが書かれています。
迷惑をかけることはあっても何の役にも立たないビラ。民衆の不幸に便乗したサヨク政治。人々の不幸を政治的にもてあそぶハレンチな行為。
辻元清美は恥を知れ!


辻元清美氏と阪神淡路大震災に関わる流言は、次のような内容が主なものだ。

  • (1)物資も持たず、印刷機だけを持ち込んだ
  • (2)自己宣伝と政府批判のビラを配った
  • (3)ビラには「自衛隊から物資を受け取らないように」と書かれていた


これらの書き込みが事実か否かを確認するためには、「デイリーニーズ」を参照する必要がある。幸い、「デイリーニーズ」は縮刷版が出ており、国会図書館などでも閲覧することができる*1。今回は検証のため、「デイリーニーズ」を入手し、一号ずつ読み込み確認した。


まず、「デイリーニーズ」発行の経緯を確認しておこう。縮刷版には、あらばき協同印刷の関根氏という方が、巻末に「あとがきにかえて」という文章を寄せている。そこには、そもそもなぜ印刷機を持ち込んだのかという経緯が書かれている。

阪神・淡路大震災が起きて四日目、友人達とテレビをみていて、死んだ人の名前ばかり流しているマスコミに、変だよネ、これ。
確かに安否も知りたい。でも、他に必要な情報、もっと知らせなければいけないことがあるんじゃないの?って。
同時に、何か私にできることはないかなとばく然と思っていた。その時、友人(伊藤氏)の一人が印刷機を持っていけば……と、ふともらした一言だった。うん、そうだ印刷機をもって現地に行こう。
そして、一緒に行けそうな友人たちを誘い、私たちだけでは、絶対数も力も足りない。そこで、友人でもあり、お客様でもあるピースボートに声をかけてみようと決めた。
ちょうどピースボートでも、現地にいって帰ってきて、何ができるかを検討している時だった。私が印刷機をもって現地に行きたいから一緒にと提案した。
即決だった。そして、紙・材料とかの手配は私。車その他の手配はピースボートで、まさに電光石火。わずか三日で思いつくものを積んで出発したのは24日早朝。人数はと言えば何とたったの7人だった。
そして、25日、デイリーニーズ(創刊準備号)は発行された。


この経緯については、災害における情報メディアと人々 ボランティアによる災害支援の在り方−長田区を例として― という文章でも触れられ、次のようにまとめられている。

災害発生直後の混乱時にテレビで永遠(ママ)と流され続けた「安否情報」や「被害状況」は。被災者にとってはあまり意味のないものであった。被災し、最低限の生活を営むことを前提とすると、必要となってくる情報はやはり「生活情報」である。しかし、震災後の混乱の中でそのような地域に密着したミクロな情報は不足していたのだ。「怪我や病気の治療を受けれる医療機関はどこか」「水、下着などはどこで手に入るか」と言った情報はマスコミでは対応ができなかったという。そこで、ボランティア達は「情報収集」という点に着眼した。
長田区御蔵には震災から約 1 週間後の 24 日に東京に活動拠点をおく「ピースボード(ママ)」という NGO(非政府組織)のボランティア団体が現地入りしている。(「ピースボード」については後に詳しく説明することにする。)彼らは現地の状況を把握すると、「被災地で地域に密着した情報を提供する「かわら版」(新聞)つくりを支援の一環にしてはという声が持ち上がった(山下・菅、2002)」という。そこで、自身達の活動の中で毎月『MARU-p通信』という独自の機関紙を発行しており、編集・発行実務の経験を持つスタッフがいたこと、またこの機関紙の印刷を担う東京の「あらばき協働印刷」からも同様の提案がなされたことを踏まえ、「デイリーニーズ」が刊行されることになった。


ピースボート(以下・PB)はあらばき協同印刷と連携し、印刷機をもって24日に現地入りし、翌日には「デイリーニーズ」を配布している。「デイリーニーズ」のサブタイトルは、「生活情報かわら版」。創刊準備号の冒頭文には、発行の目的として「今まで口コミが便りであったようなきめ細かい情報を紙面化し、より多くの人々に伝わるような情報ネットワークを私たちは作りたいと思っています。同時にボランティアの情報交換の場になれたらと考えています」と記されている。実際、その後の紙面には多くの生活情報が掲載されている。また、数千部からスタートし、2月時点では発行部数が1万部となっていることから、相応の役割を果たしていたこともわかる。


ところで、PBの活動内容は、「デイリーニーズ」を発行することだけではない。紙面で報告されている活動を見ると、約150人のボランティアを活用し、救援物資の調達・配布、炊き出しやイベントの開催、ボランティア派遣も行っている。1000枚以上の仕分けされた古着を配布したり、独居老人等のケア活動を行ったりするなど、機動力も高かったようだ。また、PBらしいなと思うのは、船を活用して物資を運搬している点だ。現地スタッフが必要物資・現地ニーズをつかみ、後方部隊がそれを収集するという形態で、800台の自転車をはじめとして約170トンの物資を運搬・配布している。


つまり、コピペパターン(1)の「物資も持たず、印刷機だけを持ち込んだ」は間違った情報であり、「印刷機を活用した情報ボランティアだけでなく、多くの物資支援も、他の様々な活動も行った」というのが正しいと言える。


但し断っておくと、仮に「印刷機だけを持ち込ん」で情報ボランティアに専念していたとしても、その活動意義が否定されるわけではない。ボランティアはそれぞれが得意分野を活かせばいいので、情報ボランティアが「物資を持たない」ことで批判されるいわれはない。事実、「デイリーニーズ」に掲載されている情報は膨大であり、多くの手間がかけられている。東日本大震災でも、情報を整理・広報するためのボランティアが各地で活躍した。情報整理の役割を軽視してはいけない。


コピペパターン(2)についてはどうか。そもそも「デイリーニーズ」は、宣伝ビラや政府批判ビラと要約できるようなものではない。「デイリーニーズ」には実に多くの情報が掲載されている。その内容は、その日の天気、ニーズ掘り起しの呼びかけ、物資配布情報、炊き出し情報、入浴マップ、ランドリーマップ、開店した店舗、医療情報、人探し、伝言、求人情報や就職面接会の案内、ボランティアのマッチング、公共機関などからの告知、申請書などの注意点、他のNPOの活動紹介、慰霊祭、映画や観劇・ライブなどの娯楽、義援金情報、法律相談、住宅情報、飼い主のいないペットの里親探しなどなど、実に多岐にわたる。


通読してみると、創刊準備号に比べて、その後の号は字の大きさに配慮がなされているように感じられ、発行を重ねるにつれ紙面が洗練されていることも分かる。また掲載されている情報も、手話通訳の案内、様々な外国人向けの電話相談の案内、てんかん人工透析など様々な疾患向けの医療危機情報、アレルギー患者向けの物資の案内など、多様な被災者への配慮がみられる。


書かれている内容を見れば、「デイリーニーズ」はその創刊準備号で目指されていたように、被災地域に密着した生活支援紙だといえる。こうした中で、「デイリーニーズ」をあえて「反政府ビラ」だと主張する人は、その根拠として「国は17日付で公庫の返済分をきっちり引き落としよった」という一文をあげる。但し、全文を読むと、この文章でさえ「政府批判」と要約できるかは疑問が残る。

珈琲ルンバ
長田区役所の南側道路。白いワゴン車が喫茶店として営業している。店長は和田明さん(48)。被災前は御蔵通りで喫茶店「アキラ」を営んでいた、もちろん店は完全に消失、国民金融公庫の借金だけが残った。しかし和田さんは「今はいい、いろんな人が助けてくれている。でもいつまでも続く訳やない。」そう言って友人たちにたのみこんで借りた車にガスコンロを積み込み、移動コーヒー屋を作った。店を構えていた頃二三〇円だったコーヒーを一五〇円にして営業を開始。「寝ててもロクな事考えへん。この先逆にこれをバネにしてでもやったる。そんぐらいでなきゃアカン。国は地震のあった一七日付で公庫の返済分をしっかり引き落としよった。これが現実や。」彼の不倒不屈の精神に私も勇気づけられる思いだった。(佐々木)


これを読むと、逆境に負けずに店を開けた男性の姿を伝えることが主眼にあるように見え、「政府批判」を目的としているとは捉えがたいように思える。


但し、このほかに「政府批判」と取れそうな文言はある。たとえば2月21日から連載開始された「街復興へ」という連載では、道路拡張政策などの復興計画について疑問を投げかけている。また、避難所での入浴事故を「行政の問題ではないだろうか」と記したり、区役所で罹災証明を受け取るときにまる一日並んでいないといけないという被災者の不満を紹介していたりする。


こうした文章を「政府批判」だと解釈することは不可能ではない。とはいえ、一部にそれが含まれていることを根拠に、「デイリーニーズ」自体を「政府批判ビラ」「反政府ビラ」だと要約するのは無理がある。よほど要約力に問題があるか、要約者に政治的なバイアスがあるかのいずれかでない限り。


なお、当時の政権は村山内閣。当時もその対応を批判していたメディアは多かった。行政や政府の対応に問題や課題が見出されるのであれば、それは情報として報じる価値があるだろうし、被災者の愚痴などを紹介するのも「デイリーニーズ」の媒体としての目的に一致する。そもそも、「かつての災害時に政府批判ビラをばらまいていた」と批判的に騒いでいた人は、今まさに災害時という時にあって流言に基づいた「政府批判コピペ」を拡散するという自身の行動についてはどのように合理化しているのだろう。


ところで、村山内閣の震災対応への批判コピペにも、次のような文章がある。

18日
辻元清美ピースボート現地入り。印刷機を持ち込み宣伝ビラを配布し始める。
「生活に密着した情報をとどける」と銘打つが、内容は、ピースボートの宣伝や、被災した喫茶店主の「国は17日付で公庫の返済分をきっちり引き落としよった」や、韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話しなど。


細かい誤りとしては、PBが現地入りしてビラを配布し始めるのは18日ではなく24日だ。それはさておき、確かに「デイリーニーズ」には、「韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話」も掲載されている。但しそれは、多岐にわたってい掲載されている炊き出し情報のうちの一つにすぎない。


例えば「デイリーニーズ」には、少林寺拳法のボランティア隊がにゅうめんを、公文病院小児科が離乳食や乳児用飲料を、カルバリ教会がホワイトシチューを、アハマディムスリムがダルスープを、青年会議所が豚汁を、真言宗本山金剛峰寺が炊き込みご飯を、天理教が中華スープを、沖縄料理教室が沖縄そばやサーターアンダギーを炊き出ししている情報が掲載されている。見ての通り、実に多くの団体が、自分たちの得意分野で活動していたことが分かる。


これだけ様々な情報が掲載されている中で、わざわざ「韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話しなど」と、嫌韓系ネット住人をミスリードするような部分だけ強調しているのは不可解だ。政治的意図が感じられる一方で、災害対応のことを考えているとは思えない。そもそも「韓国基督大学による韓国風スープ炊き出し」の何が問題だというのだろう


ちなみに、韓国民団発信のラジオの告知やハングルでのメッセージなども「デイリーニーズ」には掲載されている。ただ、タイ語ベトナム語ポルトガル語アラビア語、中国語などでの電話相談先を掲載したり、スウェーデン人やフランス人のボランティアを紹介したり、パキスタン人ボランティアの活動を取り上げたり、留学生の安否情報を掲載したり、孤立しているバングラディシュ人について紹介してみたりと、外国人に関する記載は他にも多い。そもそも被災者には様々な人が含まれており、在日韓国人を含めた様々な被災者向けの情報を掲載することは、評価されるべきものであって、揶揄されるようなものではない。


コピペパターン(2)には、PBの「自己宣伝」が書かれているとされているが、これもミスリードであると考えられる。「デイリーニーズ」には、確かにPBに関する情報が掲載されている。「デイリーニーズ」紙面の片隅には、毎号「ピースボートとは?」という書き込みがあり、そこには団体のかんたんな説明と神戸本部の連絡先が記されている。また、ボランティアの募集や、支援活動の解説、PBの船が救援物資を運んでいることなどが短く添えられている。ただ、受け取った者との信頼を構築するために、発行元が自己紹介を掲載すること自体は不自然ではないし、PBは情報収集などの呼びかけも行っており、連絡先を掲載する必然性がある。また、その自己紹介の掲載枠も、号を重ねるにつれ小さくなっている。100歩譲って、こうした記述を「宣伝」だと捉えたとしても、「デイリーニーズ」の紙面の片隅にそれが掲載されていることをもって、これを「自己宣伝ビラ」だと要約することには、やはり政治的バイアスが感じられる。


つまりコピペパターン(2)の、「自己宣伝と政府批判のビラを配った」という評価は妥当ではないと言える。もちろん、「デイリーニーズ以外のビラがあるのだ」と主張したり、縮刷版に収められていない記事があると主張したりすることも不可能ではない。もちろん、そう主張するのであれば、主張側による正確な根拠の提示が必要となる。ちなみに縮刷版には、1月25日の創刊準備号から3月9日の最終号まで欠けることなく掲載されており、加えて「医療可能施設一覧表」「求人情報一覧」「住込特集求人情報」といった増刊号も掲載されている。また、「デイリーニーズ」が終刊してからは、週刊発行の「ウィークリーニーズ」が発行されているが、発行元がPBではなく、地元住人が立ち上げた団体にうつっている*2


なお、この流言は10年近く前から存在している。2003年に発売された別冊宝島Real『まれに見るバカ女』というムック内には、「サヨクウォッチャー中宮崇」氏による次のような文章が載っている。

阪神大震災では、若者たちのボランティア活動がクローズアップされた。救援物資をいっぱいに詰めたリュックを背負って、不通となった鉄路を黙々と歩む若者たちの姿に、常日頃「近頃の若者は……」と嘆いていた大人たちは心を動かされた。
そんな純朴な若者たちを尻目に、ろくに救援物資も持たずに印刷機だけ持ち込んで、自己宣伝と政府批判のビラを撒きはじめた連中がいた。それが、辻元清美率いる自称・市民団体「ピースボート」である。
彼らが被災地でばら撒いたミニコミ紙『デイリーニーズ』には「国は地震のあった17日付で公庫の返済分をしっかり引き落としよった」(一月二十八日第三号)などという「被災者の声」が載ったが、それを読んだ多くの被災者が、口先ばかりの辻元たちに、インターネット上で憤りの声をあげた。


これまで述べてきたように、PBが「ろくに救援物資も持たずに印刷機だけ持ち込んで、自己宣伝と政府批判のビラを撒きはじめた」というのは誤りだ。「デイリーニーズ」はその名の通り、多様な被災地ニーズにこたえようとした生活紙と言える。またPBは、物資の配布、さらには各種ボランティア活動とそのマッチングにも力を注いでいた。


ちなみに、「デイリーニーズ」を読んだ多くの被災者が、ネット上で辻元に憤りの声をあげたという表現は気になる。阪神淡路大震災の発災は1995年1月17日。Windows95さえ発売していない時代だが、「多くの被災者がネット上で憤った」という時、それはどのようなものを指すのか、論拠はこのコラム自体には記載されていなかった。なお、『まれに見るバカ女』に掲載されているこの辻元批判コラムだが、他にも基本的な誤りが続く。

相手を利用することしか考えない辻元の態度は、数え上げればきりがない。宮島(ママ)茂樹著『ああ、堂々の自衛隊』(クレスト社)によると、九二年のカンボジアPKO派遣の際も、現地で女断ちしてがんばっている自衛隊員のところにTシャツ姿で大挙して押しかけ、勝手に自衛隊車輌に乗り込むわ、隊員のテントを荒らして缶ビールを奪おうとするわ、挙句の果ての質問が、「従軍慰安婦を派遣するというウワサがあるが」「隊内でコンドームを配っているとか。あなたのポケットにもあるんでしょう。」だったという。


ここでは辻元氏自身の行動として読めるような書き方で、いくつかの事例があげられている。しかし宮嶋茂樹著『ああ、堂々の自衛隊』には、これらが辻元の行動であると書かれていない。また、例えば「缶ビールを奪おうとするわ」という文章だが、前掲書ではPBの参加者が安く売っているビールに気づくという場面はあるが、「奪おう」とはしていないし、参加者がテントに入り込もうとしたというセリフはあるが、荒らしたという描写はない。このコラムは、たまにコピペの論拠としてあげられるが、コピペ以外の部分でも、辻元氏への批判ありきでの誇張・歪曲が随所にみられるものだった。


最後にコピペパターン(3)だが、「デイリーニーズ」の創刊準備号(1995年1月25日)から最終号(1995年3月9日)まで確認しても、「自衛隊から物資を受け取らないように」という文章は見当たらない。あっさりしているが、「見当たらない」以外に言うことがないので、(3)については以上。


***


というわけで検証作業を終えるけど、思ったより長くなった。わずか数行のコピペを否定するにも、これだけの文字数がかかるっていう。なお、このコピペ、震災時だけでなく最近でも拡散している人がまだいる模様。


今回、検証のためにと「デイリーニーズ」を通読したけど、災害時のニーズがどのように変化するのかなど、多くの示唆を得られる資料であるとも思う。取材し、紙面にしたものを配布する段階で、直接被災者とコミュニケーションを取り、新たな情報やニーズを聞き取っていくというPBの活動は合理的なものだ。東日本大震災時、PBが石巻市で「仮設きずな新聞」*3の発行などの活動を行っていることは取材で知っていたけれど、95年の活動理念が確かに継承されているんだと分かる。


PBによる情報ボランティアは有意義な活動だと評価されていい。根拠のない流言を元に、ただただ嫌いな政治団体とみなして揶揄する者とは比べようにならないぐらいに。これだけの活動をしているのも関わらず、政治活動だけを行っていたなどと揶揄されるなんて明らかに不当だと思える。おそらくPBは今後も、災害時の活動機会があるのだろう。その際にまた、同様の流言によって足をひっぱられることがないように願いたいが……。


というかこれはPBに限らずだけど、普段から流言の拡散がなされていると、災害時にそれが足を引っ張ることがわかるよね。災害に向けては普段の備えが重要だというのは、物資の話だけではなさそう。


追記(10/10)
続きのようなもの

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141009/p1