「学校裏サイト」と「ネットいじめ」の現状〜より豊かな「ケア」のために〜

内藤朝雄さんブログ(管理人が僕)にて、エントリー「内藤朝雄による、オススメいじめ本」をアップしました。


http://d.hatena.ne.jp/izime/20090919/p1


更新ついでに、僕が『心と社会』(http://www.kikanshi.net/archives/199/005890.html)に寄稿した、いじめというテーマに関わる文章を掲載します。


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2007年頃より、「学校裏サイト」や「ネットいじめ」がメディア上で社会問題として取り上げられる機会が増えてきました。この問題に対し著者は、『ネットいじめ』(PHP新書、2008)において、およそ次のようなことを書いています。

●「学校裏サイト」とは、生徒等が公式サイトとは別に勝手に作ったサイトのことを指す
●そのため私は「学校裏サイト」ではなく「学校勝手サイト」と呼んでいる
●「学校勝手サイト」には、元々の集団のムードや人間関係が反映される
●すべての学校勝手サイトが「裏化」するわけではなく、多くの学校勝手サイトではむしろ牧歌的なムードが広がっている
●また、「裏化」した「学校勝手サイト」自体が数年にわたって長期化するケースは稀である
●そんな中、「裏化」しやすいサイトには、ある傾向を見出すことが出来る
●そこで問題とするべきは、「裏化」しやすいコミュニティ内のいじめである
●そのなかでも、ネット上のトラブル自体は、比較的容易に対応可能である
●一方で、元々の集団の問題である以上、いじめそのものの対策の方が難しい
●にも関わらず、ネットいじめを「ネット」や「ケータイ」の問題にしてしまう言説があまりに多い
●今後は、いじめ対策の方法論の共有と研鑽、およびネット上のトラブルについての対策のフローチャートの共有が急務


ここで言う「ネットいじめ」とは、「ネットを利用したいじめ」のことを指します。「炎上」(否定的なコメントが多く集まり、管理人が対処しがたくなる状態)や「荒らし」(罵倒や関係のないコメントなどが書き込まれる状態)といったケースと区別するために、「ネット上でのいじめ」と定義するのではなく、「ネットを利用したいじめ」という定義を採用しました。そのことによって、既存のいじめ研究の枠組みに引き付けて考察することも出来るようになるからです。


図1を見てください。これは、ネット上のトラブルを、その性質ごとに四象限に分類したものです。ネットいじめは一般に、(1)メールが関わるもの、(2)CGM(Consumer Generated Media:学校勝手サイトなどの掲示板、プロフ、ブログ、SNSなど、消費者がコンテンツを生成するメディア)上での書き込みの二つに大きく区別されますが、これらはいずれもA群(オフラインに起因する/人間関係のトラブル)に属するものです。既に存在する集団内での人間関係が、ネットによって可視化され、ネガティブな感情が繋がることで、ストレスフルな関係性として問題化されるものと言えます。


炎上やオークション詐欺のように、B群(オンラインに起因する/人間関係のトラブル)はウェブ上での振舞いにまつわる儀礼を覚えればそれなりに対処が可能となりますし、架空請求スパムメールといったC群(オンラインに起因する/コンテンツ等のトラブル)は、知識と操作方法を習得することで対処が可能です。D群(オフラインに起因するトラブル/コンテンツなどによるトラブル)は、事後の対応は非常に難しいのですが、イレギュラーな使い方を避けることである程度の予防を行うことは出来ます。



[図1:ネット・トラブル・マップ]


これらに比べるとA群は、元々あるコミュニケーションが、ネットを媒介することによってトラブルになるケースであるため、技術面や知識面のアドバイスだけでは解決しがたいものです。学校内のトラブルだけでなく、近所づきあいや仕事上の付き合いのある人同士が、それぞれの思惑からSNSなどで衝突を起こすようなケースもあるため、道徳教育やモラル教育だけで解消することは出来ません。元々、コミュニケーションは常に、ノイズとリスクを含まざるを得ないため、係争が発生した後の、調停の方法もまた、常に問われてくるのです。


そこでまず、いじめ研究の枠組みにひきつけるために、「これまでのいじめが根本的に変化した」のではなく、「これまでのいじめにいくつかの変数・パターンが加えられた」と理解することからはじめる必要があります。ネットいじめは、いわゆる「暴力系のいじめ」ではなく「コミュニケーション操作系のいじめ」に該当します。「コミュニケーション操作系のいじめ」には、(※内藤朝雄らの分類に従えば)シカト、くすくす笑い、噂話、ネガティブなあだ名、いじめを画策するためのメモ・ノート回し、持ち物への落書き、不幸の手紙の送付といったものが挙げられますが、「暴力系のいじめ」と違い、本人に打撃が加えられるだけでなく、周囲を巻き込み、ある関係性を固定することで、対象となる人に著しいダメージを与えるものです。


「コミュニケーション操作系のいじめ」は、特に学校など、人間関係が長期的に固定され、「関係性の流動期待」が抱けないような状態(つまり、ちょっとやそっとではその人との関係を「切る」ことが期待できない状態)において、その効果をいかんなく発揮します。少年達にとっては、学校空間での人間関係が世界のすべてを表すような場合も少なくなく、「他の関係性を持つ」ための手段を持てない場合も多い。ネットやケータイは、時にはそのためのサポートになりますが、同時にウェブ上にネガティブな流言を広められるがゆえに、「学校の外も敵だらけ」であると、心理的に追い込んでしまうこともありうるわけです。


但し、ネットいじめに限定すれば、その形式にはパターンが限られていることが分かっています(図2)。また、ケータイやウェブといったメディアを使ったいじめは、それがデジタルデバイスによるものであるがゆえに、従来のいじめ以上に発信元の特定がしやすいため、適切な対応をすれば、短期的に「ネットいじめ」の発生自体を解消することも可能です。


2008年末、文部科学省は教職員向けに「「ネット上のいじめ」に関する対応マニュアル・事例集」(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/11/08111701.htm)の配布を開始しました。紹介されている事例や定義などは研鑽の余地が十分ありますが、参考資料として、関連する法や主な相談先、および削除以来の手順などがリストアップされているのは重要です。ネットいじめに対しては、こうしたノウハウによって、関係者の特定や書き込みの削除などを行う作業を行いつつ、その上で、「ネットいじめの背景にある、リアルな人間関係の問題」に切り込みながら、個人に対するケアやサポートを、必要に応じて提供していくことが求められます。そのためにも、まずは既に蓄積されつつあるナレッジが、適切に共有されていかなくてはなりません。



[図2:ネットいじめの主なパターン]


ウェブやケータイによって生じるトラブルへの対処法は、ケーススタディが蓄積されることによって、日々アップデートされていますから、そうした成果をいじめ研究と結びつける作業が急務です。ただ一方で、気になる動きもあります。一言で言えば、「蔓延する不安言説」です。例えば、次のような言説を見てください。

携帯にメールが入ってきたら、レスポンスするのはどんなに最大待っても十五分というのが全国の標準です。十五分以上たって返信をしなかったら、アドレス帳からぱっと消されます。友達というのはなくなるんですよ。それで、僕も信じられなくて子供たちに取材したんだけれども、そんなの常識でしょうと言いまして、なぜ聞くのかというようなけげんな顔をするぐらいな状況ですね。携帯にメールが入ってきたら、レスポンスすることはどんなに最大待っても十五分というのが全国の標準です。十五分以上たって返信をしなかったら、アドレス帳からぱっと消されます。友達というのはいなくなるんですよ。
「第168回国会 青少年問題に関する特別委員会 第3号」における尾木直樹の発言

大人はたいてい右手で持ちますが、子供たちは、左手で器用に使います。食事しながらでもメールを打てるように、です。ケータイを片時も離さず、5分以内に返信しないと信頼関係が崩れるというルールでケータイに縛りつけられています。
「ネットいじめに支援の輪」(読売新聞、2008年3月24日)における安川雅史の発言

学校をバッシングし、教員にすべてを任すとすれば、教室は閉ざされた空間になる。複数の個人がいる密室の空間では、学校に限らず職場でも排除の論理は働きやすいという。鷲田総長は、教室を密封するのではなく、地域社会がどんどん介入し、「仲裁」することが必要だと提言した。
また、「携帯電話でメールをもらったら、15秒以内に返信する」という15秒ルールや、「空気が読めない」という言葉の流行は、「仲間外れになりたくはない」という気持ちが具体化したものだと話す。
「日本こども学会 学術集会 “居場所”を探す子供たち」(MSN産経新聞、2008.10.22)における鷲田清一の発言

 

「大人が知らない子どもたちのケータイ世界」を説明するため、「子どもの間には○分ルールが一般的」といったことを誇張して主張する論者は少なくありません。確かに「メールは早めに返信したほうがいい」という考えは、子どもに限らず一般的にも支持されているものですが、しかし子どもに限っては早めに返信をしないと即座に仲間外れになるのが一般的だというのは、事実に基づいていない流言であるか、極端な例だけを取り上げているかのいずれかです。普通に考えれば子どもたちが、自分たちの首を絞めるようなそんな馬鹿げたルールを一般化させるはずがありません。


例えば日本子ども社会学会の第15回大会発表資料として公表された、「子どものケータイと学校の『裏サイト』対応に関する学会共同調査」などを見ても、「子どもの間には○分ルールが一般的」という説明が誤っていることは明らかです(図3)。若者のケータイ利用においては、電話よりもメールの頻度が多いことを示すデータが多くありますが、それはメールの方が、電話よりも「距離感」をコントロールし易いと捉えられているからです。そのため「時間があるなら早めにレスをした方がいい」「30分メールが返ってこないと、遅いなと思う」という意識はあっても、「絶対に即レスをしなければならない」という強迫を(分単位で!)他者に迫るものではありません。




[図3:「子どものケータイと学校の『裏サイト』対応に関する学会共同調査」より]


こうして、したり顔で「子どものケータイ利用は〜」と語る論者が不安を煽る一方で、実態から生み出された対応策がなかなか共有されにくい状況が生まれています。例えば現在ではケータイ持ち込みを禁止している学校も多くあります。その対応自体は、現代の教師にケータイやネットに関する教育をする能力を期待できないため、妥当な側面もあるでしょう。しかし一方で、「誰が・いつから・どうやって」ナレッジを共有していくのか、という問いについても考えなければなりません。「ケータイ持込禁止」が、現代の子どもたちのケータイの利用状況に目を瞑り、帰宅後や外出先でのトラブルには関与せず、「学校内でトラブルが起こらなければそれでいい」という態度を肯定するために利用されるのは、本末転倒です。


「新しいメディア」が登場すると、「そのことで子どもたちがおかしくなってしまうのでは」という不安に基づいた流言が、必ず発生します。今、そうした言説に惑わされず、淡々と効果的な対応策を共有していくような、「大人の振る舞い」が問われていると言えるでしょう。