「αシノドス」25号配信しますた!

【1】編集部より / 芹沢一也
【2】連載コラム / 田村哲樹
   「「代表制民主主義と福祉国家」のゆくえ1 :
        学問と政治学と政治をめぐる予備的考察」
【3】シノドスセミナー / 鈴木謙介
   「「問題化される若者」の向こうへ(後篇)」
【4】特別鼎談 / 宇野常寛×荻上チキ×濱野智史
「若手批判家サミット2008
        ウェブコミュニティとコンテンツの未来(中篇3)」
【5】翻訳 / ジグムント・バウマン(訳者 : 河村寛)
「終わりなき戦争(前篇)」
【6】連載レポート / 峰なゆか
   「AV女優からみたAV業界6 : 自己防衛できない女優たち」
【7】情報通信 / 河村信
   「河村書店 : 人文・社会(学)系ニュース―日々編集中」


今号も面白いぞー!


せっかくなので、vol24とvol25の編集便りを公開します。

【vol.24 編集便り】
αシノドスの読者のみなさま、こんにちは。芹沢一也です。今号はvol.24ですから、早いもので、αシノドスを1年間配信したことになります。来月は1周年です。またシノドスもいよいよ3年目に突入します。これもみなさまの応援があったからこそと、感謝の気持ちでいっぱいです。
そこでシノドス、さらにパワーアップします。来月から3カ月連続でシノドス・プロデュースの本が出版されるとともに、荻上チキさんが新しいカルチャー情報サイトを立ち上げます。また大きなイベントも計画中です。既存メディアでは、総合雑誌の廃刊がつづいているとか、広告収入が減ったとか、何とかと、悲観的なトーンが覆っていますが、当然、新しい動きも生まれてきています。耐久期限が切れたもの、システムの変容に適合できないものは、消えていくのが世の常です。このことにいいも悪いもないのですから、また新しいものをつくっていけばいいだけの話でしょう。今後、展開されるシノドスのプロジェクト、決まり次第、正式に発表していきますので、これからもどうぞよろしくお願いします!

さてさて、vol.24の内容紹介です。シノドスセミナーは前回にひきつづき、社会学者の鈴木謙介さんによる「「問題化される若者」の向こうへ」です。シラケ世代と呼ばれた70年代の「青年論」をへて、80年代にいよいよ「若者論」が出現するプロセスが明らかにされます。いわゆる新人類の登場とともに若者論が形成されるわけですが、それまでは青年として大人に成熟しないということが、批判ないしは、アンビバレンスな肯定の対象でした。それが80年代に高度消費社会が姿を現わすなかで、成熟を留保するという態度が積極的に肯定されていくことになります。ここに起こった文化的な変容の意味を、そのような変容を促した経済変動と市場パラダイムの転換ともに、鈴木謙介さんが精緻に読み解いていきます。

ついで、宇野常寛さんと荻上チキさん、濱野智史さんによる特別鼎談、「若手批評家サミット2008 ウェブコミュニティとコンテンツの未来」の続篇です。この鼎談、はじめは三回にわけてお届けしようと考えていたのですが、あまりに内容が「濃い」のでさらに分割します。今回のテーマは宇野さんの言葉を借りれば、設計主義をめぐる「荻上/濱野」対立。新しいアーキテクチャの設計に焦点をあわせて分析し、その生成の種別性の背後に社会的文脈を浮上させようとする濱野さんと、すでにあるコミュティやコミュニケーションが、新たなアーキテクチャを介して被る変容を観察しようとする荻上さん。両者のあいだで交わされている議論は、間違いなく、現代日本における最先端のものだと思います。ぜひじっくりとお読みください。ちなみに、アキバ通り魔事件が起きたとき、加藤智大容疑者のような人間を包摂するようなコミュニティを「設計」すべきだと説く言論人がいました。荻上さんは「エリートの自意識のマスターベーション」と述べていますが、ぼくも「なに寝言いってるんだ」と思いました。というよりも、あのような犯罪者が現われないようなコミュティが設計できるとしたら、それは一体どんなコミュニティなのでしょうか。間違いなく、最悪のコミュニティでしょう。

ついで経済学者、飯田泰之さんの連載コラム「経済学思考の練習問題」。今回のお題は、「やさしさ(?)はなぜ失われたのか」です。このコラムも「なに寝言いってるんだ」的な内容で、昨今の経済危機を前にして、またぞろ資本主義批判が多々でています。そして、資本主義がコミュニティや家族といった、古き良き秩序を壊してきたと嘆かれたりしています。そこで高度成長期や戦前の社会をノスタルジックに回顧するわけですが、そういうひとたちは、その時代の食卓の様子や衛生状態、平均寿命なんかをみてものをいってるんでしょうか。またかつての社会の慣行は、現在からみて理想的に思えたとしても、別段かつての人間に「品格」が備わっていたという問題ではなく、あくまでその社会における合理性の問題です。飯田さんがいうように、「懐古趣味復興の時流の中で時には冷静に思索を巡らす必要」がありますね。

そして「新著紹介」では、山下範久さんに『現代帝国論』の肝をお書きいただきました。一方では均質化をもたらすとされながら、同時に他方では多様化をもたらすともされるグローバリゼーション。山下さんは外部の消失という観点を導入することで、均質化と多様化を同時にもたらす<帝国>状況を名指します。こうしたパースペクティブのもとで、三つのタイプに分類される普遍主義言説が、つぎつぎと検討されていきます。この「新著紹介」を手引きにして、ぜひ『現代帝国論』をひも解いてください。

最後に河村信さんによる「河村書店」。冒頭に、比較文学者の小谷野敦さんが、「猫猫塾」を開始すると目にして驚きました。驚きといっても、よい意味での驚きです。小谷野さんのような実力のある学者が在野にあって、一般に開かれた私塾をはじめるというのはとてもよいことだと思うからです。ぜひ頑張ってもらいたいです!

それでは、αシノドスをどうぞお楽しみください!


文中の「猫猫塾」はこちらです。こういう私塾にはどんどん活躍してもらいたいと思うので、要注目。

http://homepage2.nifty.com/akoyano/juku/top.html

【vol25 編集便り】
αシノドスの読者のみなさま、こんにちは! 芹沢一也です。いよいよ2年目に突入のαシノドス、今年はいろいろな論者を紹介していこうと考えています。巷間いわれているようには、「知」は決して閉塞状態になどないことを示したいと。ということで、ニューフェイス第一弾、政治学者の田村哲樹さんのご登場です。田村さんは気鋭の政治学者で、『思想地図』vol.2にもブリリアントな論考をお寄せになっています。
今号から吉田徹さんと交互に、隔月で政治コラムを連載していただけることになりました。タイトルは「「代表制民主主義と福祉国家」のゆくえ」。きわめて骨太な原理的思考に貫かれたコラムになりそうです。第1回目のテーマは、「学問と政治学と政治をめぐる予備的考察」。政治学という学問が、「政治」というものをどのようにとらえ、そしてアプローチしようとしているのかが、きわめて簡明に語られています。政治とは「問題に対する集合的な問題解決」と定義しながら、田村さんは、20世紀に先進国が問題解決として採用した、「民主主義と社会保障」に切り込んでいくと宣言しています。ぼく自身、次回以降の展開が、とても楽しみです!

ついでシノドスセミナーは、鈴木謙介さんの「「問題化される若者」の向こうへ(後篇)」。いよいよ若者論の現在に話が進みます。80年代から90年代にかけて、若者論のパラダイムが転換していきます。そうしたなか、それまでマーケットとして資本に持ちあけられてきた若者の属性、具体的には「先端的・感性的・親メディア的」という、それまで新人類的な若者の属性としてポジティブにとらえられてきたものが、ことごとくネガティブなものへと読みかえられていき、「俗流若者論」的なバッシングの対象となっていきます。そしてそれが、ここ数年、さらにパラダイムの転換を経験し、これまでメディアとの関係で語られてきた若者論が、経済や労働・雇用との関係で語られるようになります。いわゆるロスジェネ問題ですが、鈴木さんはそこで起こった変容を、歴史的な分析と社会学的な分析を交錯させながら、とても精緻に読み解いていきます。最新の「若者論」分析です!

そして宇野常寛さん、荻上チキさん、濱野智史さんによる「若手批判家サミット2008」。今回は荻上さんと宇野さんによる、木堂椎『12人の悩める中学生』の解釈を中心に議論が展開します。それを読んでいて感じたのは、「ひとって、適応するもんなんだな」という身も蓋もない事柄です。荻上さんの著作で「キャラ戦争」の話を読むと、何というか、救いのない世界だなとか思うのですが、それでも宇野さんが、「キャラ戦争的なものから逃れられないので、それと距離感というかつき合い方というところを見つけていく」というように、ひとはそうした状況に適応していく。「否定」や「超克」ではなく、「適応」。あるいは、状況を使いこなす、といってよいのかもしれませんが、ここには彼らゼロ年代の言論人の核心のようなものがあるように感じます。そうした意味で、今回の議論はじっくり味わうにたるものかと。

さらに北海道大学大学院生の河村寛さんに、ジグムント・バウマンのインタビューを翻訳いただきました。「未知への不安」としてはじまった近代。そして、安全な世界、不安のない世界への願望から生まれた近代のプロジェクが、200年をかけてかたちづくってきたのが「社会的国家」でした。しかしながら、社会的国家という概念は現在、グローバリゼーションによって根底から揺るがされ、わたしたちはそれがもたらす不安をおさめる術をいまだ見出していません。そうしたなか、国家は正当性の危機を経験しますが、そのような正当性の揺らぎを、セキュリティの強化によって補償しようとしている。バウマンがいう社会的国家については、今後、田村哲樹さんの論考が明らかにしていくことと思いますが、社会的連帯と個人的自己決定、国家の正当性と社会保障など、ここでは考えることが山積みです。バウマンの思想の特徴がよくでたインタビューだと思います。

そしてαシノドスの人気連載、峰なゆかさんの「AV女優からみたAV業界」です。今回のテーマは「自己防衛できない女優たち」です。視聴者の欲望にこたえようと、あるいはメーカーの要請にこたえようと、制作会社は犯罪すれすれ(あるいは違法な)の撮影に挑みます。しかしながら、そこでのリスクにまったく無知なAV女優たち。うーむ、と思ったのが、マクドナルドで露出ものを撮影して逮捕された女優のギャラが5000円だったとのこと。峰さんは、どう考えてもマクドナルドでバイトしたほうが割がいいはずだといいながら、なぜそこまでしてAVに出演するのかと問います。そこで峰さんがだした答えは、……だから……。「なぜAV女優は……なのか?」。次回に考察はつづきます。

締めはいつもどおり河村信さんの情報通信「河村書店」。いつもながらの情報量ですが、見渡してみると、この情報の集積自体が、「知の現在」のマップになっていることに気づかされます。さまざまなひとたちが、さまざまな利害関心をもちながら、さまざまに知を発信し、あるいは実践を営んでいる様子が、手に取るようにわかります。〈運動〉こそが生成をもたらす、ということで、シノドスもひとつの運動体として、今後も力強く展開していきたいと思います。

それでは、αシノドスvol.25を、どうぞお楽しみください!


こちらが田村さんのブログです。はてな仲間や!

http://d.hatena.ne.jp/TamuraTetsuki/


てなわけで、シノドス読んでね!
http://kazuyaserizawa.com/mm/index.htm