いくつか報告

暑い。暑すぐる。いっそ日本中をドームにしてしまったらどうよ、とか小学校くらいに夢想していたことを思い出します。さて、いくつか報告。


月刊アスキー』にて、藤代裕之@ガ島通信さんと対談しました。内容は、秋葉原無差別殺傷事件のメディア報道に対する言説についての考察です。


アキバ通り魔事件をどう読むか!? (洋泉社MOOK)

アキバ通り魔事件をどう読むか!? (洋泉社MOOK)


こちらに参加しました。こちらのムックは本日発売の模様。芹沢一也さんも書いているとおり赤木智弘さん、東浩紀さん、雨宮処凛さん、河合幹雄さん、斎藤環さん、三浦展さん、宮台真司さん、森川嘉一郎さん、内田樹さん、本田透さん、アキバBLOGgeekさんなどなどなど、お腹いっぱいなラインナップ(表紙のセンス、すげぇな…)。


僕の文章は一言で言えば、「物語化」を批判しながら、メディアのクールダウンを求めるもの。なので、本書の他の執筆陣には、意見が異なりまくる人も多々見られます。本件については、同人誌で濱野智史さんとも少し話してますし、共同通信経由の記事などにも答えましたが、一貫して「事件の構成化プロセスこそ問題」という主張なので。


それから、日経ビジネスオンラインに、『ネットいじめ』の書評が掲載されました(ネット悪玉説にモノ申す〜『ネットいじめ』荻上チキ著(評:後藤次美))。内容もとてもコンパクトに紹介していただき、本当にありがたや。下記の部分も重要なので、少し補足しておきます。

ただ、処方箋という点では、心もとなさを感じる点も否めない。まず、著者の提案を実現させるためには、けっこうな手間とコストがかかりそうだ。さらに、著者はいずれ、親世代が子世代にケータイ・リテラシーを教えられるようになることを予測しているふしがあるが、はたしてそうだろうか。


そうそう。基本的に僕は、「処方箋による一発解決なんて無理だよ! 現実の社会問題って複雑で、一つの要因に一つの対処、という地道な作業しかできないよ!」という事実を確認することで、安易な「物語化」を批判しつつ、歴史を参照しながら手当ての方法を検討していく、というスタイルでいます。いじめがなくならないように、ネットいじめもなくならない。だから、本書の提案の中ではローカルな中間集団の問題を中心に取り上げているし、だからウェブ上での対応も、「チュートリアル・ゾーン」よりはむしろ「対応フローチャート」の構築の方が重要だと思ったりしている。あくまで観察の精度を上げ、具体的対応の仕方を積み上げていくしかないから。


リテラシーについても同様で。これまでのメディアがそうであったように、黎明期のアノミーを脱する時期は遠からず訪れるだろうけれど、それは「一発解決の希求」や「過度な有害化」が沈静化するということに過ぎない。「リテラシーへの期待」は変化するんだけれど、リテラシーがぐんぐん向上するわけではなく、さらなる次世代メディアの登場によってメディア環境は次々に変化するだろうから、今起こっている風景はこれからも繰り返される(ということは本文でも書いたつもりなんだけれど、伝わりにくかったろうか……)。それらの反復も、一回一回、その都度対応していくしかないんだよね。長い道のりです。