やはりこの性交の描写が凄い。「琴絵と布満とは、相次いで入浴してのち、行事へ赴いた。それは、実に久方ぶりの行事であった。日野草城《そうじょう》の銅婚式の句に、「春の夜は馴《な》れにし妻も羞《は》ぢにける」がある。なかんずく初手の入念なウォーミング・アップの間、布満は、彼自身の中に、その句のような情感の生起を認め、琴絵の上にも、おなじような風情《ふぜい》の表われを見つけたと思った。布満の予期では、「女下(前)開股位」は、挿入後「女下(前)伸位」へと順調円滑におのずから移行するはずであった。彼の胸中に反して、実際には、それは、行なわれなかった。のみならず琴絵の両足首の動作は、「開股位」の持続をこそ物語っていた。そんな情況に、布満は、ある違和感を、いくらか持ったが、あまり深くはこだわらなかった。「女下(前)開股位」から「女上前位」への移行に際しても、「女上(前)開股位」から「女上(前)伸位」への移行に際しても、琴絵は、明らかに布満にそれとわかるような一瞬の戸惑いを示した。二つの動きのいずれをも、彼女は、「急に思い出したように」実行した。(…)行事は、事実上大過なく――おおかた相変わらず、たぶん双方にとっての肉体的ならびに精神的な充足感を伴って――進捗した。」 ここまで過剰な描写を見せつけられると、「官能小説」を見るように欲情することなど出来ない。本当の官能(崇高?)を見せ付けられたような、逆におぞましい気すら覚える。またも圧巻。