本日のメインディッシュ

テキスト「北田暁大氏講演会」を巡って
chiki「こんにちわ、chikiです」


灯「突然メールしてすみません。レポートお疲れ様でした。とても面白かったです。本当にご苦労様です。今日はテクストを片手にチャットという形でお話をしたいと思うのですが」


chiki「はい、よろしくお願いします。お気に召していただいたようで嬉しいです。それでは具体的に話を進めてみましょうか」





講演会を振り返る
灯「はい。まず、問題提起として「何故アメリカはあんな素朴な正義を振りかざして、強迫反復的に他国に干渉(戦争等)をするのか」というのがあって、それを解き明かそうとするのが北田さんの趣旨ですね」


chiki「そうですね。まずにアントニオ・ネグリマイケル・ハートの『帝国』があって、しかしそこで言われている<帝国>概念では見えないズレをアメリカが抱えている。それは一見すると「朴訥な正義」ですが、それは一体何なのだろう、という問題提起でした」


灯「そこで、ネグリ&ハートの『帝国』をマクラにしてそれとは違う軸で考えようと」


chiki「ええ。しかし随分高いマクラですよね(笑)」


灯「5600円のマクラ!」


chiki「しかし不可避なマクラですね」


灯「うん。でも結論部ではやっぱり<アメリカ>と<帝国>はすれ違い続ける、と」


chiki「そうですね。『帝国』でも、「ローカルとしてのアメリカ」は既に議論として出ていたように思いますが、ネグリ&ハートの頭にはアルバート・ゴアの「グローバル・ヴィレッジのためのインフラストラクチャー」(情報スーパーハイウェイ)が浮かんでいたので、割とオプティミスティックな印象を持たれるのでしょうか。「リバタニアン+ネット社会」と考えていたのが、「リバタニアン+ネット社会+ネオコン」になっちゃって「ありゃまー」と慌てているような。ハートが(2002年11月20日朝日新聞の夕刊の)インタビューで「あれは<帝国>じゃなーい!」というようにアメリカを批判していますが、ネオコンに関する分析も欲しいですよね」


灯「特にハートの発言ではそうですよね。<帝国>とマルチチュード、そして<アメリカ>の関係ですが、その辺りは『帝国』においては実に両義的で、掴みにくい印象です」


chiki「前半と後半で言っていることも違ったり(笑)」


灯「だから評価や議論もムチャクチャ(笑)」


chiki「ただ、おそらく『帝国』を単に「だめじゃん」と無視は出来ないですよね」


灯「ええ。それに対し、北田さんがローティーを使って打ち出した軸は非常に分かりやすいですよね」


chiki「ええ。ところでchikiは今、東京コミュニティカレッジすが秀実さんのゼミで『シニカル理性批判』を読ませていただいているのですが、北田先生がお書きになった「哂う日本のナショナリズム」(『世界』2003,11)という2ちゃんねる論でスローターダイクが引かれているように、北田先生はスローターダイクを意識しているのかもしれないですよね。となると、今回の講演で出てきた「アイロニー」を「シニシズム」に置き換えると確かにそこでされている話は分かりやすい。ただ、それはアメリカに限ったことではないよなぁ、ということを一方でも思います。これは89/91をメルクマールに世界全体がシニシズムに包まれている、と大雑把に捉えれば、です。これはもちろん先進諸国の話で、第三世界や「第四世界」と呼ばれているものに当てはまるのかは分かりません。となると、「アメリカ的アイロニー」みたいなものの社会学的分析を読みたくなりますね」


灯「普通だと、言説的にこの辺りでジジェクが出てきますね。イデオロギーを信じていることと、「信じているふり」をしていることの間に差異はなく、むしろ信じていないけれど信じているかのように振舞うことによって特定の社会的イデオロギーは機能し続けるし、より強固になる、というような。おそらく、ラカンの「メタレベルはない」にも通じるような気がします」


chiki「A=父は、死後こそ力を発揮する、というあれとは…」


灯「関係あると思います」


chiki「$◇aを続けることによって、死んだ父=Aのスラッシュに惹かれ続ける。そこには既にメタレベルはないのだけれども、Aに行きたがるa(フェティッシュ)は残っている(残余)、ということでしょうか? $はスラッシュの入ったSと読んでください」


灯「あ、多分その辺りはchikiさんの方が詳しいです」


chiki「いえ、全然勉強不足で、多分ウソです(笑)」


灯「とりあえず、ジジェクの話は横において(ご都合主義)、スローターダイクの論旨はどんな感じですか?」


chiki「まだ全部読んでいないのですが、「啓蒙が進むほど、シニカルにならざるをえない」(p.3)という言葉に表されるように、啓蒙は批判側も啓蒙側もシニシズムに陥ってしまうという点で、もうだめぽ! みたいな(笑)」


灯「だめなんだ(笑)」


chiki「この本が書かれた80年代ならいざ知らず、89/91を経験した今では一体どうなるのかなぁ、と。北田先生が2ちゃんねる論を書いたねらいもここにあるかもしれないですね」


灯「冷静体制の崩壊と、啓蒙の無効化はどうつながるの?」


chiki「「啓蒙」を「イデオロギー」と置き換えれば、フクヤマの議論につながるかな、と思ったりして」


灯「現状は、イデオロギーも、その批判も失効してシニシズムにならざるを得ない、というのが現状でしょうか?」


chiki「どうなんでしょうか。もう少し精密な議論が必要なんでしょうね」





R(リリカ)さんが入室しました
chiki「Rさん>こんばんわ」


R「あ、こんばんわ。はじめまして。よろしくです」


chiki「Rさんは○○さん(神出鬼没で有名な知識人)とかじゃないですよね(笑)」


R(以下、リリカ)「はてなで日記を書いているid:Ririkaともうします。」


chiki「はじめまして、リリカさん。えと、「仮綴じ」の方ですね?」


リリカ「はい。上山さん(id:ueyamakzkさん)のところでchikiさんのリンクがあったので、それからときどき読ませていただいてます。ちなみにこちらは今午後2時です」


chiki「上山さんは「ひきこもり」の方ですね。お会いできて光栄です」


リリカ「こちらこそ」


灯「今はかくかくしかじかでして」


リリカ「なるほど、ありがとうございます」


chiki「リリカさんのいらっしゃる国は、どちらでしたか?」


リリカ「まさにアメリカです。ボストンに住んでいます」


灯「それはいいですね。リリカさんの実感とのつながりもお聞きできますから」


リリカ「ここで「アメリカ独特のイロニーとは…」などとお話できるといいのですが…笑」


chiki「北田先生のお話に対して、いかがお感じになられましたか」


リリカ「そんなにややこしい話なのでしょうか、みたいな。稲葉さんじゃないけど」


chiki「なるほど(笑)。逆にchikiは、そこまで単純化していいのかな、でも一時間の講演としてはすばらしいからいいかな、という感じでした」


灯「まずアメリカ人って、「アメリカの正義=世界の正義」っていう感じはありますか?」


リリカ「そういう人もそうでない人も。「世界の正義」というと面白くないけれど。ボストンは世界中から学生が集まっているので、ばらけてるのかも。北田さんのお話がややこしいと感じたのは、単にわたしの読解能力と知識不足のためだとおもいます(謙遜ではなく)」


chiki「稲葉さんが「ややこしい」と言ったのは、ローティの要約に対してであって、<アメリカ>の分析に対してではありませんでしたね。ところで、『帝国』はお読みに?」


リリカ「いえ。ローティも未読です。ヌスバウム『国を愛するということ』は読みました(リリカさんによる書評)。この本はボストンレヴューの連載をもとにしています」


chiki「『帝国』に当てはめると、アメリカの行動は「ポリスアクション」になりますが、アメリカではそのようにとられているのでしょうか。新聞などではいかがですか?」


リリカ「多数派はそのように了解しているようです」


灯「なるほど、世界の警察アメリカ、という感じですか? とりあえず悪い奴等をやっつけることはいいことだし、大統領がそう言っているからそれでいいのだ、というような…」


リリカ「そういう人が多いんじゃないでしょうか。もちろん反対意見もあるけど。愛国はベースに根強いと感じます」


chiki「「愛国」即<帝国>というつながりと捩れは興味深いです。ヌスバウムが記した「愛国」概念やローティの考えでは、今回の戦争を「世界」の「警察行為」として捉えるのか、それとも「国」の「戦争」として捉えるのかが気になりますね」


リリカ「ヌスバウムの本は今の事態よりずっと前なので、直接の言及はないのだけれど、ヌスバウムの問題提起は、コスモポリタニズムか愛国か、で前者を選ぼうということで、それの直接のきっかけは、ローティの左翼批判から来てる。で、この本は、ヌスバウム(コスモポリタニズム)に対して懐疑的な知識人が多いことを示していたとおもう。愛国なくしてコスモポリタニズムもありえない、とか」


chiki「北田先生もおっしゃっていたのですが、加藤典洋みたいですね。ねじれを直して主体を取り戻さなきゃ世界を相手に出来ない、みたいな。ヌスバウムクリントン時代だったかな? それをブッシュ政権が捻じ曲げた…?」


リリカ「そうなのかな。一人一人微妙に論点は異なるのだけれど、ヌスバウムを全面擁護していたのは、センくらいかなぁ」





アメリカ>の現在
灯「もともと多民族国家だからバラバラなんだけど、それゆえに星条旗に忠誠を誓い、いざとなったら国のために戦うと言えば、少なくとも建前上は誰でもアメリカ人になれる、たからことさらに愛国が強調される、みたいな感じが僕にはあるんですけど」


chiki「その場合の「国のため」は「自由のため」に置き換え可能だから、ポリスアクションに走る…?」


リリカ「そうですね、日本のように、単一民族幻想がない分、統一のための仮構を必要としているというのはありそうです」


灯「となると、北田さんが<アメリカ>の思想に焦点を当てたのはわりと当たっているんですね?」


chiki「割と(笑)」


リリカ「北田さんのお考えを理解できてるわけじゃないけど、視点はすばらしいと思います」


chiki「先ほどの話では、「仮構」にあてはまるのが「自由」である、ということでしょうか。ところで、宗教的なものはいかがですか? かつてはプロテスタントの倫理があったとして…ブッシュは原理主義的な人ですけれど」


灯「北田さんの講演は、統一のための仮構=思想としての<アメリカ>という分析でしたからね」


リリカ「宗教的なものはブッシュもそうだし、反動的な動きは感じます。過去も常にあったのかもしれないけど。宗教的な反動は、たとえば結婚までバージン、みたいな運動にブッシュが数億円予算を使ったりとか」


chiki「レイプで妊娠させられているケースに対しては、今でも中絶禁止を主張しているのですか?」


リリカ「そういう主義の人もいますよ。最もコントロバーシャルな部分ですね」


chiki「ここまでのリリカさんのお話からすると、<アメリカ>は「コスモポリタン」たろうとしつつ「愛国」を叫ぶという一種のズレを抱えている、ということですね。ここまでは北田先生と同意見ですね」


リリカ「そうですね。そのズレをうまく内外に統合して正当化できる理論を摸索している感じがします」


chiki「そこでアイロニーが問題になりますね。北田先生が見出した<アメリカ>=ローティのアイロニーは、EUとか日本には一見当てはまらないように見えて、2ちゃんねるやネット社会にはあてはまっちゃう気がします。ローティは「反基礎付け主義」とのことでしたが…」


リリカ「ローティのアイロニーに関しては、『責任と正義』でかなりページをさいてあったので、それなりに理解できたような」


灯「北田さんによればローティのアイロニーは、理屈で基礎付けなんか出来なくても、うまくいけばそれでいいじゃんみたいな感じですよね。ところで、chikiさんの今の話は日本にも結構当てはまるような気がするのですが」


chiki「そうですね…。イギリスにも言えそうな気がします」


リリカ「ある意味、「先進国」すべての思想的課題なのかな?」


chiki「そう言えるかもしれませんね。となると、今回の<アメリカ>を巡る議論の骨子は「アイロニー」に潜んでいるともいえますね」


灯「それこそchikiさんの「右傾化」とかも、根拠無しで開き直ると「俗情の結託」だし」


リリカ「ちゃんと説明できませんが、やっぱり、日本人とアメリカ人の、アイロニーニヒリズムのあり方はかなり違っているように思えます」


chiki「北田先生も、今、日本のアイロニーに関して分析中だと思います。宮台さんのことだけでなく、2ちゃんねる論がその序論のようなものになるのかもしれません。ところで、日本の場合、コジェーヴが「日本的スノビズム」と呼んだものがありますが、それが日本的アイロニー(或いは日本的シニシズム)にどうつながっていくのかって気になりますよね。北田先生もその辺りを分析しそうな気がするのですが。少し話はずれますが、ここ数年でアメリカの平均体重が4キロくらい増えているようですね。一方イギリスでは、マクドナルドが入り口を小さくして、一定以上太った人を入れないようにするとかしないとか(笑)」(参照


リリカ「アメリカでは本当に太った人がすごく多くてびっくりですよ〜」


灯「食べるもんね。食事の量が違うって聞きました」


chiki「7年ほど前にアメリカに行ったとき、マクドナルドの量の違いにビックリした覚えがありますよ」


灯「食べているものも、太りやすいものが多いし」


chiki「ジャンクフードですね。となるとどうもアメリカは動物化のまま進んでいるということでしょうか」


灯「日本がアメリカ化したのか、アメリカが日本化したのか?」


chiki「日本の「動物化」(東浩紀)は目立ちますね」


灯「アメリカのビジネスの世界では、「太った奴は自己管理の出来ないダメな連中」みたいなプレッシャーもあると聞きますね。多分ワスプっぽい人はすごくクリーンな健康志向で、ブルーカラーはそうもいかない、みたいな」


リリカ「あるみたいですね。というか、階級的な棲み分けがなされているといったほうがいいのかも。原因か結果は微妙だけれど。ハーバードやMIT辺りの大学では太った人はほとんど見かけないです。健康な食事をしようとすると、とても高くつくし。安い食品に入っている添加物が悪いのだと思う」


chiki「そこ、実は重要ですよね。「自己管理」=「自己責任」なムードがあるような気がします」


灯「重要ですね」


リリカ「でもそれが、民主的に誰でも食べたいものを食べることを可能にしたわけで」


chiki「そこが、リバタニアン批判の視点から見た場合、微妙になるところですよね。誰でも食べたいものを食べられる、というのは建前で、「自己責任」と囲い込んでしまうわけです」


灯「値段が違うといえば、もう階級の再生産システムが完全に回っている」


リリカ「居住地からして違うし、教育環境が違う」


灯「日本も「ゆとり教育」とか色々そういう気配はあるんだけど」


リリカ「日本もある程度その方向になってますよね」


灯「はっきり言って、金持ちの家の子でないと、いい大学にはいけなくなりつつあります」


chiki「日本がアメリカ化している部分はありそうな気もしますね。日本的スノビズムは強かろう、と思っていたのですが、ここ数日の動き(winnyや皇太子の件など)をみてると揺らぎます」


灯「その辺りはアメリカより日本のほうがひどいって感じが…。もう、とりあえずの法的整合性もへったくれもない」


chiki「アメリカのほうがひどくないですか? 識字率、失業率などを見ると。完全にスティグマが与えられてしまって。日本は昔から法的整合性がなかった(笑)。ところが、ここのところで急にリバタニアン・ムードが…」


灯「あ、アメリカの方が差別が激しいってことですよね」


chiki「ええ。しかも「自己責任」とか」


灯「セーフティーネットも無しで「自己責任」もないでしょう。権限もなしで…」


chiki「そこがリバタニアンの欺瞞ですね」


リリカ「「自己責任」と言っている人は、実際何の責任を取れと考えているのかよくわからないです」


chiki「選択の結果、という因果性のことなんでしょう。「あなたには選択肢があった。でもこれを選んだ。ゆえに自己責任である」と。でも、この場合の選択肢ってちっとも平等ではないですから」


灯「要するに、お上や世間様にご迷惑をかけたり、都合の悪いことをする連中は自己責任、ですね。もっと言えば、そんなの日本人じゃない、と。国は知らん、と。でも税金は払え、年金は払え」


chiki「まったくその通りで。イラク人質事件の時の焦りがよみがえりますね。ところで、少し脱線するのですが。リリカさん、アメリカのフェミニズムの現在はどんな感じですか? 雰囲気だけでも分かりますか?」


リリカ「あまり活発な印象は受けないです。うちの高校はそれでもまだフェミニズムを教えている方だと思いますが…日本はどうですか?」


chiki「壊滅状態ではないでしょうか。以前当サイトで紹介した授業(こちら)があるのですが、酷いです。男女共同参画社会が、最後の希望? フェミの授業のカリキュラムってどんな感じですか?」


リリカ「選択授業です。フェミだけというより、ゲイなどの権利の話とセットかなあ」


chiki「ゲイの話は重要ですよね。望ましい。ちなみに、ご友人には…」


リリカ「友人ではっきりカミングアウトをしている人は知らないです。伝聞ではけっこう。有名な女子大があって、そこの学生に聞くと多いって」


chiki「高校でカミングアウトは難しそうですね」


灯「僕なんかジェンダーフリーの中学教師の話、全然ピンとこなかった。そんなカリキュラム自体なかった世代だもん」


chiki「chikiもありませんでしたよ」


リリカ「あ、わたしのページにも、ゲイ関係の書籍リスト置いてあります(こちら)。何年か前の学校の先輩が在学中につくったものです。そういうのはうちの学校は、けっこう好きみたい(笑)」


chiki「すばらしいと思います。フェミやクィアの話は、ネオコンネオリベの話と切り離せませんね」


リリカ「ただ、残念ながら、盛り上がった時代に比べるといまは沈静化しつつあつことは否めないかなぁ」


灯「単なる流行に終わっちゃうのかなあ。それともchikiさんの言うように、時代背景のためかなあ?」


chiki「なるほど。しかし、アメリカのいくつかの州ではゲイ同士の結婚が認められましたね。その流れは確実に広がると思います」


リリカ「ですね。マサチューセッツ州もいちはやくそうした方向にあるのでゲイカップルが移住してきてるなんてうわさもまことしやかに。NYにはゲイだけの高校ができましたしね」


chiki「ゲイだけの高校…意見は揺れますが、大事な進展ですよね」


灯「マイノリティ擁護の活動も、アカデミズムを超えて、法的に認められたらそれはとりあえずの成果ですね」


chiki「大事な、大事な成果です」


灯「「啓蒙」は今でも大事だ(笑)。いや、本当にね、ちょっとづつでも変えていかなきゃ」


chiki「難しいですが、ファシズムシニシズムを避けながら道を探したいですよね」


リリカ「わたしそろそろ抜けないと」


chiki「そうですね、そろそろ。お疲れ様でした。ありがとうございました。とても勉強になりましたし、お話できて楽しかったです」


リリカ「こちらこそありがとうございます。偶然のきっかけですけれど楽しかったです。また何か機会がありますように」


灯「ありがとうございました。本当に勉強になりました」


chiki「ええ。またいずれ。ぐっばい!」


灯「Bye!」


リリカ「see you!」