広島土砂災害時にウェブ上で発生した流言について思うこと

2014年8月20日広島市で大規模な土砂災害が起きた。その際ネット上などでは、「コンビニのパンや弁当が取材にきたメディア関係者に買い占められた」「被災地に窃盗団が出現した」といった流言(根拠不確かな情報)が流れた。

マスコミ関係の方の報道は必要なのかも知れませんが、広島市安佐南区八木地区の私の家の近所のコンビニ2軒はマスコミ関係者の食糧買い占めにより、私たちには弁当やパンが買えません。なので毎日八木から車で渋滞に巻き込まれながら遠くのスーパーまで買い出しです。

同じ八木地区に住んでいて悔しいですが、実際報道陣に紛れて、大きな黒いリュックを背負った怪しい人が、八木地区の災害現場をうろつき、窃盗をしているようです。


この2つの流言を流したのは、同じアカウントだった。こうした流言は、大手まとめサイトに掲載され、拡散されてしまった(参照)。但しこのアカウントはその後、早々に削除された。そもそもこのアカウントが作られたのは、土砂災害以降だったという指摘もある。


2014年8月27日と28日。ラジオ番組「TBSラジオ:荻上チキsession-22」のスタッフと、被害の大きかった上八木駅、梅林駅、七軒茶屋駅の周辺にあるコンビニへの電話取材を行った。確認したコンビニは5軒。いずれの店からも、「買占めがあった」という事実は確認できなかった。


被害の大きかった八木地区に近い、上八木駅前にあるコンビニの店長さんからは、「メディアの方なのか、ボランティアの方なのか区別はつかないですが、たしかに、地元の方じゃない方が買い物に来ることはあります。単品で見れば、たまたま品切れということはあったかもしれませんが、「買い占め」といわれるようなことは起きていないです」との回答をいただいた。


また、こちらも被害の大きかった緑井地区に近い梅林駅前にあるコンビニの店長さんは、「他はわかりませんが、ウチでは買い占めというようなことは起きていません。人が増えていることもあり、大量に仕入れているということもあり、むしろ利用して頂きたいと思っています」との回答をいただいた。


土砂災害は、局所的に大きな被害を出すが、少し離れたところでは被害がでていない。避難している人は多かったが、広島市街の中心部では日常が続いており、流通が機能していないわけではない。むしろ「大量に仕入れて」対応するというコンビニの姿勢はとても分かりやすい。この流言拡大の背景は、広島市の街並みや今回の被災に関するイメージが乏しい人が多かったことも理由の一つかもしれない。流通も機能しないような、大規模な陸の孤島化をイメージしているのかも。


取材班やボランティアが、現地の物資・食料の利用などに対して、慎重さが求められることは確かだ。だが、根拠不確かな情報で、漠然としたマスメディア批判をネット上で繰り広げても、何のプラスにもならない。社名を特定しない、漠然とした「マスメディア批判」は、口にする者に対し、リスクなく正義感を満たしてくれる。お手軽ではあるが不毛だ。


物資と言えば、気になる記事があった。

広島土砂災害 支援物資さばききれず 市「事前連絡を」
広島市の土砂災害で、全国から広島市に届いている被災者への支援物資が、避難所や市の保管スペースにあふれている。市は送る前に連絡をもらえるようホームページ(HP)で求めているが、見過ごされるケースが多いという。
 安佐(あさ)南区役所一階の会議室。約八十平方メートルの室内に、カップ麺や飲料水、古着が詰まった段ボール箱が山積みになっている。収まりきらない物資は、地下一階の廊下に。四日も京都市宮城県気仙沼市など全国の個人・団体からタオルやマスクなどが相次ぎ届いた。「中には送料が着払いで届いた荷物もある」と職員。市を経由せずに避難所へ届いたり、直接持ち込んだりする人もいる。
 避難所十カ所のうち最多の約三百五十人が避難している安佐南区の梅林小では、体育館のほか、理科室で支援物資を保管している。避難先から歯磨き粉など日用品を受け取りに訪れた会社員竹中嵩雄さん(32)は「物資が充実しているのはありがたいが、子どもたちの勉強に影響しないよう整理する必要がある」と話す。
 市地域福祉課は「避難者数は日々変動し、ニーズも変わる。善意を無駄にしないためにも事前連絡してほしい」と求めている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014090502000241.html


避難所が機能して以降の支援物資は、「必要だと確認されたものを」「事前に仕分け・整理したうえで」「受け付けている場所に届ける」ことが重要となる。問い合わせ対応やゴミ処理などにおいて、被災自治体に負担をかけない工夫も必要だ。事前連絡をせず、何が必要かも確認せず、仕分けもせず、ゴミも押し付け、ましてや「着払い」で送るというのはNGなこと。適切な支援方法が共有されていない状況も、全国的に解消されなくてはならない(小声:そんなわけで現在、「支援訓練をしよう」というコンセプトの元、災害支援現場への取材をもとに書籍化の準備をしておりますです)。


犯罪流言については、外国人によるものという情報も加わり、ヘイトスピーチへとつながっていった側面がある。そもそも、仮にある国の人が犯罪を行ったとしても、それをその国の国民全体への疑い・批判につなげること自体、差別的な発想だ。


毎日新聞は、この流言について、次のような記事を掲載している。

 広島市北部の土砂災害現場で空き巣が発生したことについて、「外国人による犯罪」と指摘する書き込みがインターネット上で広がっている。これに対し、広島県警は26日、「外国人が逮捕されたとの話は聞いていない」と否定した。
 同県警によると、現場の一つである同市安佐北区可部東では災害発生直後の20〜21日、住民が避難したすきを狙って空き巣が2件発生した。また安佐南区八木では21日、警察官を名乗る男女が民家を訪問したり電話をかけたりして、住民に避難を促すケースも発生。県警は住民に戸締まりなどの注意を呼びかけるほか、現場周辺のパトロールを強化している。
 これに関して、短文投稿サイト「ツイッター」などのソーシャル・ネットワーキング・サービスでは21日ごろから、空き巣が特定の国籍の外国人による犯行だと決めつける書き込みが続き、これを受けて「デマにだまされないで」との書き込みも増えている。県警広報課は「外国人の犯罪という情報はない。26日現在、容疑者が逮捕されたという情報もない」としている。【馬場直子/デジタル報道センター】
http://mainichi.jp/feature/news/20140826mog00m040012000c.html


空き巣については、「広島県警犯罪発生マップ」で確認しても、発災当日での犯行が見受けられる。東日本大震災でも空き巣は発生した。だから、警察によるパトロール強化や、戸締りへの注意は重要だ。だが、「外国人の犯行」とする根拠は今のところなく、提示されていない。根拠なく「○○人が」といった書き込みはみられるが、戸締りなどの注意情報はシェアされていないため、被災地のためにではなく、関係のない外野で、嫌いな相手への悪口で盛り上がっているだけに見える。


元のツイートの一つでも、「大きな黒いリュックを背負った怪しい人」がどうやって「紛れ」ることができるのかとか、「災害現場をうろつき」とあるが、窃盗するなら救助が続く「災害現場」ではなく、実際の犯行がそうであったように、避難している住宅を狙うだろうとか、様々な疑問が浮かぶ。これだけ曖昧な情報に、多くの人が飛びつくこともまた問題だ。


東京新聞の2014年9月2日の記事には、地元住人やボランティアに取材を重ねたうえで、外国人犯罪についての情報が得られなかったと記されている。一人の女性は、空き巣の話は聞いたことがあるが、外国人犯罪については「ネット上だけの話でしょ。このあたりでは聞いた聞いたことはない」と述べたという。この記事では、災害流言の研究も行っている防災研究者の関谷直也氏がコメントをしている。そこでは、「犯罪のうわさの場合は、警察がきちんと否定すること」が重要だと述べている。また、現状の警察の対応について、「この対応だと噂を助長しかねない」というコメントを加えている。


論拠が不確かになると、流言を流した人などは、「疑われるのが悪い」という論理をしばしば口にする。これは推定無罪の原則を放棄することになり、差別に加えて冤罪を助長する。また、仮に「まぐれあたり」のケースが出ると、根拠不確かな情報を拡散した事実を忘れ、あたかも拡散が「正解」だったかのように評価し、差別と偏見を強める言説へと加担する者が多く表れることが想像される。だが、「当てずっぽう有罪」「私刑肯定」の理屈を拡大させてしまうと、災害対応としてはむしろ有害だ。仮に自警団が、「疑われたほうが悪いのでリンチは正しい」などというりくつを振りかざせばどうなるか、想像してみてほしい。

災害時の犯罪流言が、支援を遅らせる可能性について

東日本大震災後、多くの人が避難所に身を寄せた。避難所には、多様な医療ニーズがあった。石巻赤十字病院では、三〇〇か所もある避難所を一軒一軒調査し、必要に応じて対応していく「避難所のトリアージ」を行っていた。


医師たちが活動する中、ひとつの流言飛語が医師たちの耳に入った。ある地区の治安が著しく悪化し、殺人さえ起きかねない(あるいは殺人が起きている)、というものだ。石巻赤十字病院由井りょう子石巻赤十字病院の100日間』(小学館)、PP.119〜PP.122には、次のような記述がある。


 しかし、そこで浮かび上がってきた問題の一つが、先にもふれた津田看護師長のいた渡波小学校だった。避難所の環境はどこも劣悪だったが、渡波港をかかえ、石巻魚市場に近い、つまり海に面した渡波小は、いちだんと悲惨だった。
 校庭はがれきがそのまま山になっている状態なので、ヘリコプターが降りられない。傷病者の搬送もできなければ、物資の投入もできない。看護師がすでに四人いるといって、医療は後回しにされる。
 アセスメントをした金田副院長からも、また新潟県中越地震を経験した医療者からも、手を洗う水がない、土足で避難所に上がっていることなどの指摘があり、早急に改善すべきだという声が多数上がる。
 それに対して、治安が悪く、殺人さえも起きかねない、という情報をもたらす人がいる。
 石井はいう。
「一人の医師が五〇〇人の命を救うことができるとしよう。医師が死んでしまったら、救えるはずの五〇〇人の命が救えなくなってしまうんだ。いまは何よりも医師の命が大切なのだ。そんなところへ医師を送り込むわけにはいかない」
「それなら、渡波を見捨てるというのか。非人道的なことが許されるのか」
と、怒る声があがる。
 石井はその日の夜遅く、みずから警察署に出向いて、渡波の治安について確認した。少しくらい悪いことをするやつはいないわけではないが、殺人が起るようなことはない、渡波だけが特別じゃない、と聞かされて決断した。渡波に医師を行かせる、と。
 二五日は渡波小学校へ行き、避難者の様子、トイレや水事情を見る。和式トイレに新聞紙を敷き、そこに大便をする。それを新聞紙でくるんでポリ袋に入れて、一か所に集める。そのあと手を洗う水もないのだ。
 これでは下痢や嘔吐、感染症の多発も当然といえた。まずは水の確保だ。日赤本社を通じて海外の難民キャンプで水を供給する簡易水道を送ってもらうよう手配する。大きなビニール製のタンクに、給水車から水を入れて、先のほうにいくつかの蛇口がついたパイプをつなぐ。タンクに水を入れれば、蛇口から水が出る。こんな何でもないことが、渡波では大きな喜びになる。それほど過酷な避難所だった。


石巻赤十字病院の100日間』は2011年10月に出版された本だ。その後、この本にも登場する医師、石井正氏が2012年2月に『石巻災害医療の全記録』(講談社)を出した。そこには、当時の模様が、さらに詳しく書かれている(PP.79〜PP.83)。

 3月15日、2人の看護師が無事であるとの吉報がもたらされると、僕はさっそく広島赤十字病院の救護チームに渡波小への巡回を依頼し、翌日以降も渡波地区への救護医療チーム派遣を継続した。渡波地区に出向いたチームの報告によると、「がれきを自衛隊が片付け、新たな道を作っているため、カーナビの指示通りの道ではなくなっている。その道路も、路上にトラックが倒れたまま放置してあったり、冠水していたりでアクセスが非常に困難だ。当然、避難所も水は出ないし、下水も機能していないので、いつ感染症が起きてもおかしくない」とのことだった。
 その一方で、本部にはこんな情報も入っていた。
渡波地区は治安が悪化しており、殺人さえを起きかねない状態だ>
 もしこの情報が事実ならば、そんな地区への救護チーム派遣を継続するわけにはいかないと思った。
 第一章で述べた、発災当日に現地の安全を確認しないまま救護チームを行かせた苦い経験があった。しかも、“医療資源”は限られている。仮に1人の医師が500人の命を救うことができるとして、その医師が死んでしまったら500人の命が救えなくなってしまう。そう考えると僕は、渡波小への救護チーム派遣継続には反対せざるをえなかった。
 17日の夜ミーティングで「救護チームの安全が担保できないので、渡波地区への救護チーム派遣を控えたい」と提案したところ、すぐさま渡波小に行った救護チームから反対意見が相次いだ。
「電気もガスも使えず、とてもひどい状況で耐えている渡波の被災者を見捨てるのか」「そんなことは人道上、断じて納得できない」
 救護本部では僕の提案に対する批判が集中し、「救護班を送れ」「いや送れない」の議論は堂々巡りの様相を呈した。
 僕はいったんこの案件を保留とし、ミーティング終了後、救護チームのリーダーだけを集め、渡波地区への派遣を継続するか否かをあらためて協議した。その席上、当時ブレーンとして本部に入っていた内藤先生がこう発言した。
「圧倒的に支援が遅れた地域が出現するということが、この日本でも起きてしまっているのだろう。もしかしたら、そのために渡波は治安が悪化しているのかもしれない。だとすれば、われわれにできることは、むしろ率先して医療支援の手を入れることではないのか」
 この意見に反対するものは誰もいなかった。ただし、慎重には慎重を期して「渡波小に派遣するメンバーはいずれも屈強な男性で編成しよう」ということになった。
 その夜、午後10時半頃、不安が拭い去れなかった僕は、石巻警察署に向かった。渡波地区の治安状況がどのようなものかを、警察に直接、確認するためだった。石巻赤十字病院の災害救助係長の高橋君と、臨床工学士の魚住拓也君が同行してくれた。日赤救護班として数々の派遣経験を持ち、DMAT隊員でもある2人は、震災発生直後から救護本部専属ロジスティック担当として僕を支えてくれた。
 応対した石巻署の生活安全課長は、僕の質問にこう答えた。
「こちらでも定期的に渡波地区を巡回しています。被災したコンビニなどから飲料水を盗むくらいの事案はないことはないが、殺人などはありません。大丈夫です」
 つまり、あの情報はデマだったわけだ。さらに課長からは、
「本当に治安が悪化しているのであれば、ギャング団などが跋扈して、弱肉強食の世界になっているはずです。それが、殺人など起きていない何よりの証拠ではないですか。もともと渡波は人情が厚く、みなで助け合って生きている地区であることは、先生だってご存じのはずです」
 と、たしなめられてしまった。思わず僕は椅子から立ち上がり「その通りです」と頭を下げると、すごすごと警察から引き揚げたのだった。
 翌18日朝のミーティングで僕はこの情報を全員に伝え、渡波地区の定期巡回継続を決定した旨を告知した。


この後、渡波小の避難所を訪れた際、トイレ環境が劣悪で、感染症の蔓延が懸念される状態だったという記述が続く。


2013年11月。僕も石巻で石井氏を取材した。その際、この本の記述について直接お話を伺った(流言の取材ではなかったが、話の流れで)。石井氏はこの流言を、「信頼ある人」から聞いたという。そのうえで、「もし、本当だったらどうしようか」というリスクの問題としてとらえたという。「マネジメントする側からしたら、余所の地域、県外のドクターが行って、殺されましたなんてなったら、奥さんとかどう思うだろう」とも語っていた。確かに、「万が一」と頭をよぎったら、流言かもしれないと疑っていたとしても、無視できなくなるだろう。


結局、警察に「確認」しに行くことで、医療チームの派遣が見送られることはなくなった。ミーティングで異論が出なかったら、氏による「確認」がなかったら、と考えさせられる。災害時には、多くの流言が発生する。流言への対処は一筋縄ではいかない。丁寧に調べられればいいが、それが困難な場合も多い。誤情報は簡単に流せるが、それが本当かを確かめるのは手間がかかる。


ちなみに、警察庁資料を見ると、「主な被災県である岩手、宮城及び福島の3県(以下「被災3県」という)においては、大震災発生後、侵入窃盗が増加するなど特異な状況が見られた」という記述もあり、「震災便乗詐欺事件」も起こったことが分かる。


一方で、「被災3県においては、発災直後、武装した犯罪グループによる略奪、性犯罪の多発等といった流言飛語が流布したが、特定の手口の窃盗を除き、いずれの罪種も前年同期に比べて減少している。強姦、強制わいせつについても、いずれも前年同期に比べて認知件数が減少し、震災に関連して発生したと思われる性的犯罪は数件にとどまっており、被災3県合計の検挙件数、検挙人員は、前年同期に比べそれぞれ減少しているが、検挙率は上昇している」という記述もある(https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h23hanzaizyousei.pdf)。


もちろん、被災地の犯罪については、混乱の中で認知件数は下がるのではないか、人命救助が優先となり犯罪対応がなされにくくなるのではないか、申告しずらくなり暗数が増えるのではないかという意見もある。逆に、普段以上に相互監視が高まる、応援の警官や自衛隊も多いために通報はされやすいのではないかという意見もあり、「答え合わせ」は難しい(「被害体験」のアンケートを行うことにより、比較する試みも一応ある→「大災害後の防犯対策に関する研究」。犯罪論議の中では、「被害体験」のアンケートを全国的に毎年とることで、「認知率」では把握できない数値推移を測ろうという提案もある)。また、警察に「確認」をしても、警察が間違える可能性も否定できない。災害史上には、警察が流言を拡大させた事例もある。一番有名なのものとして、関東大震災中に犯罪流言を拡大させたケースがある。


「流言かもしれなくても注意喚起の意義がある」みたいな意見も聞く。だがそもそも、注意喚起自体は、起きていないものを起きていると言わずとも、増えているかわからないものを増えていると言わずとも、できる。煽って不安を拡大させることが、誤った判断を誘うこともある。「○○ではこんなことが起きてます。注意して!」という流言はしばしば見たが、「もしもの場合はこちら」という情報がつけられていないものがほとんどだった。これでは、単に混乱に乗じてはしゃいでいるようにも見えてしまう。少なくとも支援地や、検証に時間の割くことのできるネット上などでは、支援などの足を引っ張らないよう、冷静な情報拡散が求められる。


災害支援を発展させるためには、成功例ばかりを集めるのではなく、失敗例を集めることも重要となる。多くの活動団体はついつい成功例をアピールしがちだが、同じ失敗を繰り返さないためには、具体的な失敗例こそ丁寧に記される必要がある。あえて苦い経験をも丁寧に記してくれたこの2冊は本当に貴重な資料だ。


石巻赤十字病院の100日間

石巻赤十字病院の100日間

「紙copi」についてのメモ(Windows8でユーザー登録できない現象)

結構長い間、テキストエディタ紙copi」の有償版を使っている。簡単なテキストデータを分類管理できるのが便利なことと、タイプした文章をその都度自動保存してくれるので、「フリーズして文章が消えたああ」を経験せずに済むからだ。まあ、最近ではフリーズの機会もなくなってきたんだけど、慣れたソフトというのはなかなか変えられないよね。今でも、原稿などは「紙copi」で書き上げてから、他のファイルに張り付けて編集者に送っている。


ところが、PCを買換え、Windows8で「紙copi」を活用していると、ユーザー登録をしているにも関わらず、「試用期間の読み込みに失敗しました」というエラーメッセージが表示され、「支払ボタン」とアラートが点灯する。何度、購入したコードを入力しても音はやまず。起動するたびに、同じエラーメッセージが表示される。何度やっても同じ。あれれ、ライセンスキーはあっているのに。ユーザー登録できないぞ。やり方はどうやるんだ。


公式サイトのQ&Aでは、Windows7については対処が掲載されている。
http://www.kamilabo.jp/faq/howto/000165.html


でも、Windows8の場合は書いていなかった。うーむわちゃわちゃと、対処に困っていたが、普通にセーフモードで起動した後にコードを入力したら、認識に成功したよ。なんだ、簡単じゃないか。


同じような報告をしている人は、他にもいたので、このやり方でいいみたい。
http://w8.vector.jp/detail.php?s_no=234960


同じ現象に困っている人が検索するかもしれないので、メモして公開。

ブログ更新しなさすぎワロエナイ

いやはや、ついに1年以上ブログ更新しませんでしたね。chikiです。今年も言っておきますが、荻上チキとちきりんは別人です。マジで。あけましておめでとうございます、ですら、一回分すっとばしているっていう。媒体執筆やラジオやSynodosなどをやったうえで、さらにブログでこそ更新したいネタみたいなものが減り、なおかつ短文ならTwitter、内輪向けなら友人限定Facebookで済ませるようになったうえ、それなりに毎日を忙しく過ごしており、さらにはブログではたぶん報告していなかったであろう二人目の子の誕生もあって、時間が余ったら余ったで子どもとの時間に使いたいわい、という感じになっているわけです。でもあれね。はてな記法とかまだ覚えているもんですね。まあそりゃそうです。更新が減ったとはいえ、このブログを開設してもう10年が経つわけですし。会長の件は悲しい出来事でした。


一時期はsynodosでもニコ生で番組をやってたのですが、ブロマガ化してからやめてます。震災以降特に、ニコ生が担っていたメディア機能の側面を捨て、あくまでプラットフォームなのだという形にシフトしたことにより、番組作りのコストがあがったので、じゃあちょっとそこに時間は割けないなっていう感じでして。それに伴い、タイムシフト予約してまで見たい番組もなくなったので、ニコ生のプレミアム会員も脱退しました。いまネット上の楽しみとかは特にないですね。暇があれば、取材にでかける日々でございます。


夜の経済学

夜の経済学


昨年は盟友の飯田泰之と、こういう本も出しました。今年も数冊の本を準備しております。それと、夜の経済学的な仕事は、イーダ君と続編を仕込み中。なかなかデータがとられない変わった統計を独自で取る、という活動は相変わらず続けております。気になる人は『週刊SPA!』内の連載企画をご覧ください。ひとまずリハビリ的更新と、簡単なご報告でした。

「復興アリーナ」スタート。

シノドスで新しいサイトを作りました。


「復興アリーナ」
http://fukkou-arena.jp/


震災・原発事故関連記事は、こちらにまとめていきます。支援者インタビュー、記者インタビュー、ワークショップのテキスト化、被災地ローカルメディアの電子アーカイブ化、各種ディスカッションの模様など、様々な記事を掲載していく予定です。ご支援、何卒よろしくお願いいたします。

「困ってるズ!」すたぁと

http://synodos.jp/komatterus
大野更紗×荻上チキ、シノドス×わたしのフクシ。障碍にまつわる「困ってること」を共有・発信するメルマガですよっと。『困ってるひと』発売一周年を記念しての試みでもあるよ。無料版と応援版とがあるので、おこのみでおねがいいたします。



みすこそさんに似顔絵アイコンも描いて頂きました。うれしい。

被曝対策、高齢化、医師不足――南相馬市立総合病院が取り組む課題

2012年2月18日。東京大学医科学研究所の上昌広氏の紹介を受け、南相馬市立総合病院を取材させていただいた。




南相馬市立総合病院は、東京電力福島第一原子力発電所から23キロの場所にある。そのため、震災・原発事故以降、被災地医療および被曝医療の最前線となっている。



病院に入ってすぐ、「ここは福島第一原発から23kmです」の文字が飛び込んでくる。ホワイトボードには、毎朝の線量が書き出されている。


今回、取材を引き受けてくださったのは、1980年生まれで、僕と同世代の若き医師、原澤慶太郎氏。原澤氏は現在、千葉県の亀田総合病院から出向し、南相馬市立総合病院にて医療活動を行なっている家庭医だ。現在の南相馬市の医療の課題について、丁寧に教えていただいた。その模様を掲載させていただく。

――被災三県などを取材しても、やはり福島県の場合は特に、原発事故の陰が大きいと感じます。医療の現場では、どのような課題があるのかを教えて下さい。


原澤 私は去年の11月から、南相馬の病院で働いています。南相馬はもともと、医者が少ない地域でした。そこに追い打ちをかけて、震災と原発事故が起きました。多くの方が避難をし、医者も看護師も一挙に減りました。


もともと7万人いた人口が、一時は1万人にまで減りました。それが今では約45000人にまで戻ってきたのですが、戻ってきたのは、ほとんどがお年寄りです。若い世代は会津や東京などに行ってしまいました。つまり、南相馬は、極めて短期間でいきなり高齢化したことになります。


これほど短期間で高齢化したわけですから、高齢化に対応できるようなインフラが整備されていません。原発事故は、多くの「唐突な社会変化」をもたらしました。産業構造も崩壊しました。現場もどうすればいいのかわからない状況が続いています。


――変化がゆるやかなら、コミュニティバスの充実や訪問医療・介護の拡充など、まだ準備ができたかもしれないが、確かにわずか1年では難しいですね。医師不足に加え、患者の数が増えている現状もあると。被曝の状況についてはどうなっていますか。


原澤 南相馬では、1月の下旬に一万人分の検査が済みました。でも45000人が帰ってきていますから、まだまだこれから頑張って続けなくてはなりません。それでも、一日に110人の規模で検査できる体制が整っているのは、日本でここだけです。


被曝については、一回検査をすればそれで済むというものではありません。検査は継続的に行わなくてはなりません。みなさんがいつでも検査を受けられますよ、と言える状況を作らないといけません。そのためには、さらに体制を整える必要があります。


例えば甲状腺の検査や内部被曝の検査を安価にするというのは、みんなが検査をするインセンティブを高めます。ただ、無料にすると、今の規模だと外来がパンクしてしまうかもしれません。行政の適切なバックアップも必要です。


被曝については、もちろん閾値というのは設定できませんが、医師の感覚でフォローが必要だと感じられるのは、数十人、という感じです。その方々を詳しく調べると、いくつか生活の中で、原因となる行動をとっていたりします。例えば、自分の畑でとれた作物を食べた老人の方がまずは多いです。それから、子どもたちの場合は、生っている果物を食べたりしていたりした子もいました。


そうした方々は、問診を通じて、そうしたケースを個別に改善をしていく必要があります。食生活を改めれば、被曝量にもしっかりと改善が現れます。


被曝データの出し方については、しっかりと検査をして出していく必要があります。単に「こんな症例がありました」「こんなウワサがありました」というのはしたくはありません。医師も科学者であるので、まとまったデータを、しっかりとした世界中の人が読めるジャーナルに掲載するというのが必要だと思います。その上で、わかりやすく丁寧にアウトリーチしていかないといけません。


――「これは放射能の影響……かも!」というような、断片的な情報を拡散するような動きもありました。放射能の健康問題も気になるために引き続き検査も必要で、同時に情報公開も必要になってきます。一方で、被曝以外の健康問題も発生していると伺っていますが。


原澤 高齢者の方は、避難したことによって運動量が少なくなり、高血圧や糖尿病など、成人病と呼ばれているものにかかっている方が多いです。低血糖を避けるために、甘めに料理を作るなどの対応をしたのが、裏目に出てしまった方もいます。また糖尿病は、しっかりと細かな栄養コントロールをしないといけないのですが、長期間診察が受けられなかったため、震災直後のイメージで食事を続けられたという方もいます。


運動不足に加え、被災地でどうしても大きな問題として考えなくてはならないのが、メンタルの問題です。浜通りには10万人くらいが住んでいますが、津波原発、失業など、100%の人が何らかの精神的ダメージを受けています。そこには当然、ケアも必要になります。


精神的ケアについては、3段階くらいで考えられます。深刻なダメージを受け、死を考えたり、食事や薬を摂取できなくなっているような、専門医の紹介が必要な方。それから、保健師さんや社会福祉協議会の方が見守ってあげれば、なんとか立ち直れそうな方。そしてもう少し軽度で、地域で回復できるのではないか、という方。


今回、この真ん中、保健師さんが必要な方というのがとても多いのですが、人出が足りず、カバーしきれていません。でも、もうすぐ3月11日(※取材時は2月18日)、フラッシュバックする方も多いでしょうし、春先には不安定になる方ももともと多いですから、これからは前後のケアに本腰をいれていくつもりです。


――メンタルの話では、周囲の無理解などもストレス要因になりますね。


原澤 先程お話したように、南相馬には今、高齢者が多いんですね。高齢者の方は、若い年齢の方ほどは、放射能の影響を気にしている方は少ない。一方で南相馬は東京と違って、一家族の人数が多いんですね。六人家族とか七人家族とか。孫ひ孫と一緒に過ごしていたおばあちゃん、お嫁さんが一緒に台所に入ってくれて、孫が帰ってくればだっこして、そうした生活をしてきた方が、70年近く生きてきて初めて一人暮らしをすることになったり。


行政のサポートは入っているけれど、色々困ってもいるし、とにかく寂しがっていたり。同じような方がたくさんいるんですね。身体の健康上は問題なくても、そうした方へのケアというのも必要になっています。まだまだそのあたりができていません。


――被曝に関する相談は?


原澤 もちろん、よく受けます。今この病院では、坪倉正治医師が中心となって検査をしています。ただ被曝に関する情報をウェブにあげても、ここの住人にとってはほとんど意味がないんですね。そもそもネットができない、ケータイでさえ持っていない方が多い。なので坪倉医師は、検査と同時に、集会所などに通って、毎回数十人ずつの住人の方々に説明をしています。


最初の方は、「放射能は匂いがするのか」とか、「身体が水ぶくれになったりするのか」といった質問も多かったのですが、いまはだいぶ進んできたので、質問も具体的になってきています。特に、食べ物に注意すること、定期的に検診することが必要なこと、この二点を中心に、理解が広がってきていると感じています。


【参考】
内部被曝と向き合う〜 東大医科学研究所医師 坪倉正治さんインタビュー 〜」
http://www.asahi.com/health/feature/drtsubokura_0301.html


――最初の頃は、被曝対策に関する様々なうわさ、流言も広がりましたね。イソジンがいいとか、米のとぎ汁がいいとか。


原澤 味噌、塩がいいとか、乳酸菌とか、色々ありましたね。


――あるいは代替医療とか。つまり、情報不足と不安のために、こうした情報に飛びつきがちな状況があったわけですね。丁寧な検診と注意を繰り返すことで、だいぶ改善されたということでしょうか。


原澤 そうですね。安全だ、安心だと言われても、そんなことははなから信用出来ないわけですね。住人の方と話していても、リスクを負わされたという意識は、みなさんから感じます。


一方で、この地域はもともと、救急医療がどこまでできるだろうという課題があったりしたため、「今までもリスクと隣り合わせだった。そもそもリスクがゼロだったわけではないんだよな」というように思うようになり、新たなリスクをどこまで受け入れるか、という点で選択が変わっている面もあります。これくらいのリスクなら住み続けようとか、とてもそんなリスク受け入れられないので出ていこう、といったように。


――東京大学医科学研究所の上昌広氏は以前、カルテが津波で流されて紛失してしまった患者さんが多くいるため、電子カルテクラウド化も重要だとおっしゃっていました。医師不足もそうですが、もともと準備できて来なかった問題が山積みだと。


原澤 今、仮設住宅などを往診もしているのですが、歩けない方もいるし、病院に来ることがハードルが高いという人がいるのが、理由の一つとしてあります。もう一つの理由としては、高齢者人口が、ベット数に見合った規模では無いということです。そうなると、在宅医療のウェイトが大きくなります。


当病院では、4月から在宅診療部を立ち上げるのですが、在宅医療においては、電子カルテクラウド化が重要になります。今は紙でやっているのですが、どこでもカルテにアクセスでき、どこでも閲覧できるということになれば、より往診がスムーズに行えます。クラウド化や電子化は、高齢化社会には必須だと思います。


往診自体の際は、訪問看護師の役割が重要になります。医師の役割は、急変対応や入院の判断などが重要になります。なので、医師不足だから在宅医療が成り立たないということでは必ずしもないのですが、看護師は不可欠になります。看護師の方には、休職中、離職中の方も多いんです。そこからいきなり、救急病棟などに戻るのは厳しいかもしれない。でも、ホームケア、在宅治療なら、戻りやすいかもしれません。


――いま、医者は何人いらっしゃいますか?


原澤 今は、常勤が10名です。でも、一番少ない時で4人でした。医師はこれからも募集していきますが、看護師さんの募集のほうが難しいです。何らかのメリットがなければ、雇用の継続性はありません。地域医療の場合だと、お金を多く出すだけで質が担保されるわけでもありません。そこは色々アイデアを出していかなくてはいけないと思います。


僕らの世代は、この問題に50年、これからずっと取り組んでいかなくてはなりません。とはいえ、若い世代、例えば30代で改めて動くというのは、現実にはなかなか難しいところですよね。


医学部を出て24歳ほどで医者になり、20代後半で初期研修が終え、後期研修が始まる。30代半ばで後期研修を終えて専門医になり、そこで一人前の入り口に立つ。その時にいきなり転職、南相馬などで地域医療を、というのは難しいですよね。意識としても、その人の専門分野に集中してやりたい盛りだとも思うので、そうした中で地域医療のようなジェネラルな仕事をというのも、結構ハードルが高いです。今は縦割りのスペシャリストが多いのは事実で、今後は家庭医を増やすということも重要になるとは思うのですが。


でも、例えば僻地医療なども、実際にやると面白かったりするんです。以前、私がシリアに訪問した際に、「うちは占い師が全部見てくれるんだよ。それで死ぬかもしれないんだけど、『お言葉』をちゃんともらえるから、満足なんだよ」という話を聞いて、医療とは何なのかとか考えさせられたりしたことがありました。もちろんそれは現代医療を否定するということではなく、自分の役割というものを改めて考えさせられる視点をもらったということです。


僕が外科医を志したのは、ロバート・キャパの写真集「Children of War, Children of Peace」を見たのがきっかけでした。ここでは、どこまでが医者の仕事なのかという線引きが流動的な環境でもありますが、いま南相馬で仕事していても、原点回帰をしているような感覚で仕事に臨んでいます。


僕は元々、心臓外科医でした。でも、いまは家庭医として、地域医療に入り、往診などを重ねています。そのことで本当に多く経験を得られています。いまは、奇しくも生まれた高齢化社会南相馬で、適した医療モデルを作り、それを「南相馬モデル」として模倣されるようなものが作れればとも思っています。


――今はどういう患者さんを診ているのでしょうか。


原澤 色んな方がいますね。今は、新患の方が多いです。新潟に一時的に避難していた方が多いのですが、その後仮設住宅に入ったと。さらにその多くは、小高といって、避難区域の内側に住んでいた方々です。つまり、いままでかかりつけで通っていた病院が閉まってしまっているので、この病院に新患として来られた、という方が多いんです。


「血圧計は線の内側(避難区域内)に置いてきて、あれから測ってない」とか、「(震災以降)ご飯も食べられてない。生きても意味がない」というような相談を受けます。メンタルの悩みも合わせて聞く家庭医なので、トータルで話を伺うため、一人ひとりの診察の時間は長くなります。


でも、ここでは誰もがメンタルな悩みもあわせて抱えているので、そこまで踏み込んでうかがわないと、問題が解決しないことがあるんですね。薬を処方しても、「家族が亡くなった、自分もいつ死んでもいい」といって飲み続けてくれなかったり。「治療して、健康になる意味がない」と。そういう方と時間をかけて向き合っていく必要があります。


来院の方の診察、入院患者の方の診察、救急外来、往診。この4つが主な仕事ですが、あとは正規の意味での往診では無いですけれど、「死にたい」と言っているような方の見守りといいますか、保健師の方と連携とりながら、仮設住宅などを見まわったりしています。それに加えて、地域医療に必要なプロジェクトをその都度たちあげています。


この間までやっていたのは、集会所での集団的予防接種のoperation。いまやっているのは、仮設住宅の方に血圧計をお貸しして、血圧を測ることを習慣付けしていただこうという活動です。この活動には、業者の方も尽力いただいています。


あと、意外かもしれませんが、いま、はしかが流行しそうなので、対策を進めています。調べてみたら、住人の方々のはしかの予防接種率がものすごく低かったんです。日本ではだいたい9割近くの方がはしかの予防接種をしています。はしかの予防接種には四期あって、赤ちゃんの頃、小学校入る前、中1、高3といったタイミングで予防接種をするんですね。でも、この地域では震災の影響もあり、どの段階でも40%近くしか予防摂取していない。


いままではそれでよかったのかもしれませんが、今はボランティアさんを含め、これだけ多くの方が外からやってきている状況ですし、仮設住宅で密集して暮らしているわけですから、とても感染しやすい状況が整ってしまっています。なので、いまは啓蒙と予防接種のプロジェクトも行なっています。


――産婦人科の方がほとんどいないとも伺いました。


原澤 はい、数えるほどしかいません。元々少なかったのですが、患者さんも医者も、両方減ったんですよね。でも、妊婦の方は今もいらっしゃるので、どんなに患者さんが少なかったとしても、医師は必要になります。


――震災直後と今の課題に、変化は?


原澤 私は震災後にここに来たので、直接対応したわけではないのですが、看護師の方などからは話を伺います。この病院も津波がすぐそばまで来たのですが、津波の被害はほとんどがゼロかイチで、怪我などなかった人か、お亡くなりになってしまった方、というのがほとんどなんですね。だから、何も出来なかった、という話をよく聞きました。その後は、ご飯も入ってこない。患者さんのご飯もないけど、スタッフのご飯がない状況をなんとかやり過ごしたと聞いています。


そして、他の病院との、患者さんの受け入れ、支え合いですね。ここでは、行政の指示はほとんどありませんでした。医師や看護師の職業意識から、現場で対応した。それは素晴らしいことなのですけど、有事に対する国としての対応はあまりにも無防備だったなと思います。




お話を伺った後、原澤医師が「健康管理の一番の要」と呼ぶ、WBCの実物を見せていただいた。

原澤 計測する時は靴を脱いで、中に立っていただきます。一回の検査は2分です。精度を上げたければ5分で測ることもできます。
――これは一台のみ?
原澤 そうです。例えば三台あったら、もっと助かるんですけど。
――一台いくらなのですか?
原澤 五〇〇〇万円ほどです。でも、今後の健康管理の一番の要になるものですから。
――現在の子どもが大人になるまで続けなくてはならないものですよね。
原澤 もちろん。院長は、100年間続けると言ってます。そのうち、技師も不要な、日常的なツールにしていけるようにする必要もあるでしょうね。
――身体測定の一環で測るような?
原澤 そうなると思います。残念ですけど、それがこれからの姿だと思います。食品検査も、すべての学校と、それから食品マーケットに置きたいですよね。例えばウクライナだと、食品を検査してシールを貼ったりしているので。
――ここで検査した結果は?
原澤 紙に出力し、外来の部屋で、データを渡して説明します。

原澤 ここは元々リハビリルームだったんですよ。
――WBC専用の部屋が必要になるとは思わないですよね。


WBCは、リハビリルームに設置されている。写真はWBCのカーテン裏にある歩行訓練用のプール。まさかWBC用の部屋が必要になるとは、誰も想像していなかった。


今も南相馬市立病院は、原発事故によって新しく生まれてしまった多くの課題と向き合っている。その仕事は、これから何十年以上と続いていく。これからも折りに触れ、そのニーズの変化を取材していきたいと思う。



【関連エントリなど】
震災のあった長野県栄村を取材してきました
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20110423/p1
福島県二本松市郡山市での取材記録
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20120329/p1
福島市「常円寺」による除染活動を取材しました
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20120331/p1
ルポ・遺体安置所が語りかけるもの
http://nikkan-spa.jp/88516
釜石&大槌ルポ:「和」Ring-Projectの広がる和
http://nikkan-spa.jp/130543
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女川ルポ:子どもたちに笑顔を! 『リアスの戦士★イーガー』プロデューサーの軌跡
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原発震災に対する支援とは何か ―― 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理
http://synodos.livedoor.biz/archives/1891136.html