新雑誌『悍』発刊

すが秀実さんが編集委員に名を連ねている新雑誌『悍』が発刊するようです。以下、書誌情報です。

悍【HÀN】 第1号 特集・1968
A5判208頁、定価:本体1400円+税
ISBN978-4-8344-0102-8
2008年10月25日 第1刷発行(年2回、4月・10月刊)

編集委員 内野儀・鴻英良・すが秀実・前田年昭
編集人  前田年昭
発行者  江村信晴
発行所  白順社(東京都文京区本郷2-4-13、phone 03-3818-4759、fax 03-3818-5792)

【もくじ】
68-72*世界革命*展(豊島重之)
1968年の頃の風(唐十郎
反逆には やっぱり 道理がある(津村喬
特集討議・「1968」という切断と連続(佐伯隆幸×すが秀実×鵜飼哲×米谷匡史)
「大学解体」に関する若干の考察(青柳宏幸)
壮大なテーマに「楽しく」挑み続けることは可能か?(ペペ長谷川
なんと正しいことをしたのだろう!(ふとら のぶゆき)
『地の果て 至上の時』 あるいは「路地」の残りの者たち(石川義正)
1968年の戦争と可能性 アナキズムナショナリズムファシズムと世界革命戦争(千坂恭二
同意は何を消去したか? 68年5月を今、考えるために(クリスティン・ロス、内野儀訳)
執筆者紹介/編集後記/発刊宣言


『悍【HÀN】』発刊宣言
われわれはここに雑誌『悍【HÀN】』を創刊する。本誌はその名のとおり「悍ましくも精悍な」批評メディアをめざし、年二回の発行を決定した。夢にまで日常がはびこってしまった今、眼を見開いて対象をしっかり見つめなければ夢を見ることもかなわない。もとより批判とは現実を根本において捉えることである。
かつて、一九六八年革命のころ、日本においても多種多様な反権力メディアが刊行され、?雑誌の時代?の全盛期を創出していた。しかし、六八年革命の敗北とともに、反権力すなわち批判の精神は、多くの場合、身振りだけのものとなって微温的な文化主義と社会学主義のなかに吸収され、消滅していった。批判精神を失った雑誌ジャーナリズムは、商法改正もあいまって必然的に衰退した。そして現在、エセ学際的な?左翼?論文の多くは自己保身を覆い隠すために反権力を標榜し、批評を僭称している。総合誌の休廃刊は、哲学的には?何が正しいかわからない?という不可知論と?すべては相対的でいろいろ?という相対主義の反映である。
本誌の目的は、在野の批判精神の復興である。ジャーナリズムと批評の危機を資本主義や国家権力のせいにすることは、結局のところ現状追認と諦めを自他に強いるドレイ精神にほかならない。社会のどの階層も、自分たちが抑圧されているときには悲鳴をあげるが、時代のせいで自分より?下?の階層ができるやすぐに自分たちはひとかどのものだと、己は何もしないのに勘違いしはじめる。六八年革命は、左派や進歩派の看板を掲げながら実際は権力のしもべとして自己保身をはかる守旧派、実権派をこそ撃つものだった。自身の頭の中を革命することから始めなければならない。
本誌の方法は、われわれが住む世界の状況を歴史的、地理的かつ構造的に分析、批判し、世界の変革への戦略をつくり出すことに寄与しうる、できる限り質の高い文章の掲載、論争の場としてのメディアの制作である。旧来の左派は?社会正義?や?ボランティア?の名の下に、原稿料を払わず、印刷や製本などの制作費を叩き、デザインや校正をタダ働きにしてしまった。これは資本主義との対決を放棄する退却である。メディアをつくるすべての人びとをないがしろにすることは、メディア自身の自殺行為である。われわれは必要で最低限の対価は支払うことを前提に出発した。このことが不可能になった時、本誌は消失するだろう。これは制度の中で制度を批判するという逆説的な状況に投げ込まれているわれわれにとっては当たり前のことだが、その当たり前のことさえ不可能になりつつあるのが、グローバリズムネオリベラリズムが跳梁する現在なのである。こうした状況をもうち壊すべく始められるわれわれのこの新たなプロジェクトに多くの方が参集するようここに呼びかけるとともに、このプロジェクトに対して読者・執筆者の方々のさまざまな支援をお願いしたいと思う。


まだ、amazonなどの情報はないみたいです。てか、出版社サイトもないみたい。