漱石・鴎外は教科書から消えたか?

上の記事で思い出しましたが、検定といえば、以前国語教科書で次のような「誤解」がありました(ということを、以下の本で知りました)。

なぜか教育に関する報道には、とんでもない「誤報」が少なくない。無理解なのか無知なのかはわからないが、ある種のキャッチフレイズが一人歩きするのである。その典型は高校国語で『国語総合』という教科書の検定検査が公表された、二〇〇二年八月の報道だった。一部のマスコミが色めき立って、いくつかの新聞は「漱石・鴎外が教科書から消えた」と大々的に報道した。特集を組んだ雑誌さえあったのである。
たとえば、「朝日新聞」は社会面に「教科書から消える文豪」(二〇〇二、八、二〇、朝刊)という大きな記事を掲載した。そして「現代国語の時代には全社載せていた鴎外の小説は、来春の教科書全てで消えた」と、意味不明の文章を書いているのである。ただし、二社の教科書に漱石の『夢十夜』が残ったことは付け加えている。これは事実なのだろうか。あるいは、正確な情報と言えるのだろうか。
(…)
二〇〇二年に検定を通過したのは新課程に対応した高校一年生用の『国語総合』という教科書だが、かなり以前から高校一年生用の『国語一』には、漱石の『夢十夜』を唯一の例外として、漱石も鴎外も収録されていなかったのである。だから、これまでと同じように高校一年生用の国語教科書には漱石も鴎外も収録されなかったにすぎない。消えたのではなく、もともとなかったのだ。(…)「漱石・鴎外が教科書から消えた」というキャッチフレイズが、みごとに一人歩きしたわけだ。
石原千秋『国語教科書の思想 』ちくま新書(強調部、元は傍点。)


これまで鴎外が掲載されていたのは3年生向けの『現代文』だったのに、それと1年生向けの教科書とを比べてどうするの、というお話。今年はどうなっているのかはまだチェックしてません。そんなわけで、「これまで」との実証的な比較は重要だなと思わされる次第。ちなみに「教育に関する報道」の「誤解」には、「若い者はだらしなくなった」系のものも多いですよね。