子供たちは、あなたたちほどバカじゃない。

「子どもにケータイ・インターネットをさせてはいけない(下田博次/群馬大学教授)」という記事を見つけて、下田さんという方が気になったので検索したところ「下田博次先生の講演資料」というサイトを見つけた。これは便利だ。


つらつらと見てみると、「(ケータイを)「子どもは使うな」とか、「我々が子どもを有害情報から守る」などといっているわけではないのです。IT時代には、子どもたち自身が自分を守る力を身につけなければなりません。仮に小学生でも、情報の価値判断ができるのならケータイを持たせてかまわないが、一般的には、持たせるための条件を大人が整える必要があるのです。ケータイ事業者との契約は、子どもではなく親がするわけで、それならば親の責任として子どもにケータイの情報の良し悪しを教え、使うためのルールを決めなければなりません」と発言していたりする一方、「従来では考えられなかった殺人、殺人未遂、あるいは薬物、猥褻、それから暴力、暴行、強盗、あらゆるジャンルの犯罪が携帯電話絡みで起きているということ。その中で加害者としての様相を子供たちが呈し始めたということについて絶対に注意してほしい、ということを強調しております」などと発言していて微妙な感じ。chikiはリテラシーは重要だとは思いますが、その重要さを訴える目的のために過度に不安を煽るのには反対です。というか、あちこちに「俗流若者論by後藤和智」のにおいを感じ取ってしまい、そのような方にリテラシーの重要性を訴えられてもなぁという雑感を抱く。


ほかにもいろいろ探してみると、「怒るネチズン村の下田博次教授。」というレポをみつけ、そこで「ご出席者のみなさま、Deep Loveをご存知ですか?」なる発言を発見し爆笑。ええ、知ってますとも。こちらで扱ったように、chikiは多分web上で誰よりも詳しいのではないかと。なぜかこの小説とは縁があります。また会ったね。


レポによると、その『deeplove』が「小説が今やゲームになって、コミックになって、ビデオになって、インターネットコンテンツになって、世間に流れ、またその内容が子ども同士で情報交換されて、ビデオ真似して異性と出会って、性行動に走って、っていうふうに現象がトメドナクひろがっていく」そうです。えーと、映画化やドラマ化はしましたが、ゲーム化はしていないかと。あれ、突っ込みどころはそこじゃないか。


念のため解説すると、「DeepLove」とはベストセラーにもなった「ケータイ小説」。「アユという名前の女の子が心臓病の男の子のために援助交際して金を稼いで助けようとするもエイズが発病して数日で死ぬ」という衝撃のストーリーで(エイズにかかって数日で「発病」!?)、作者自ら監督をつとめた映画版だと、エンディング後に「援助交際エイズにかかった全ての女子高生に捧ぐ」というような意味のクレジットが出てくるという全米が震撼する内容だったりする(なんのつもりで捧げるのだ。いやがらせか)。chikiは、この手の「被差別者の味方面した、そのくせ差別的スタンスをとっているしたり顔の俗情的小説」が大キライですが、都市伝説のようなリアリティをもって受け止められたので(斎藤美奈子@『誤読日記』)「バリ感動した」という感想もたくさん見聞きしました。このようなバカ小説ですが、真似して性行動に走りたくなる内容かというと大いに疑問。ましてやトメドナク広がるのかね、これ。擁護するつもりなんてまっっっったくありませんが、これを読んで「DeepLoveバリ感動! 真似して心臓病の人のために援助交際してエイズにかかって死のうっと」とか思うかぁ?


鉄道、出版、テレビ、ラジオ、写真、映画、ゲーム、プリクラ、たまごっち(笑)とか、新しいメディアが出ると必ずメディア悪玉論が出てきた。今もケータイとインターネットを対象に凡庸な反復をしている。で、それはともかく、この手の言説で不思議なのは、どうしてリテラシーのない人に限って(※)、他の社会成員のリテラシーを全て自分程度あるいはそれ以下に見積もるのだろうかと。「性的なものが描かれている→ケシカラン!」って反応する自称健全な人=そう読むあなたが実はムッツリさんが、自分のように健全でないと「性的なものが描かれている→真似しようっと♪」と反応するであろうと考えられるのが本当に不思議だ。不思議すぎて眠くなったので寝ます。おやすみ。



※偏見かも。