本日のメインディッシュ ― 政府税調の「発言」について。

「「専業主婦 何もしない人多い」5月の政府税調で委員が発言」
「政府税調:配偶者控除と「家族のあり方」で激しい議論」
上の記事の内容がちょっと引っかかったのでしばらくジャックイン。紹介記事では、中日新聞の記事は発言内容は事実把握レベルや解釈レベルでの「問題」を、毎日新聞は議論の方法が共有されていないことの「問題」を指摘しています。「税を離れた家族観を主張し合う場になった」というチクチク攻撃はすばらしいですね。



まずは、発言内容を「平成17年5月 税制調査会 第37回基礎問題小委員会 議事録」で確認してみました(ホームページでは「過去の議事録や資料」も読めます)。これは確かに、記事とは別の意味ですごい内容の議論ですね。




まず、審議では大雑把に言って、「時代状況の変化に鑑み、税源移譲(税収の配分を変更すること)をいかに成し遂げるか」が議論の主題になっています(というか、そのはずなんです…)。「わが国経済社会の構造変化の「実像」について」にも書かれているように、現在施行中の税制が作られた時代と、現代では社会状況が大きく異なっている。報告書で「人口減少社会・超高齢化社会」「『右肩上がり経済』の終焉」「家族のかたちの多様化」「『日本型雇用慣行』のゆらぎと、働き方の多様化」など、様々なキーワードで語られているように、かつて前提としていた土台が大きく変化したということです。余談ですが、これらをひっくるめて大雑把に「ネオリベラリズムの到来」と呼称する方も(正しい用法かはともかく)いらっしゃいます。



さて、最初に紹介した二つの記事はずいぶん目の付け所が違うようですが、では何が「問題」になっているのか。それを知るために、ちょっと長めに引用します。記事になったところは傍線を引いておきます。そのほかの所は論点が分かりやすく整理してみました。もちろん恣意的に抜粋、強調しているので、「引用の仕方が偏向している!」と批判していただいてもよいです。



「平成17年5月 税制調査会 第37回基礎問題小委員会 議事録」の、真ん中ちょい上くらいからです。
議論をする前提がどういう観点で議論するのかというのを教えていただきたいのですけど、要するに、公平なら公平という観点から問題のあるところを直していこうとするのか、それとも、あわよくば税収増を狙うためにはどこを直せばいいのかということにするのか、あるいは、外国との違いを精査して、その違いを埋めていくことが国民に対して最も説明の仕方がいいのではないかという、どの哲学で議論するのかというのをしないと、それぞれ思いが違って、言っていることはいろいろ出てくるのだけれども、国民が納得するところにならないのではないかという気がするのですが。



○おっしゃるとおりですね。ただ、今二つあって、税収確保のために何か制度をいじくって税収確保を目指すというほうは、少なくとも表立ってはとれません。あるいは税調としてとるべきではないでしょう。したがって、税にある不公平なり歪みなり、様々な経済的に悪い影響を与えるところ、つまり就業構造に悪い影響を与えているとか、そういうところを直す。その結果において税収が増える分には一向に構わないし、それを目指すべきだというのは僕は大前提だと思いますよ(…)。



○(…)やはり古いタイプの家族モデルから新しいタイプの方向性ということでは、当然、働く女性を中心にした考え方をしなければいけないわけですが、外資系の会社なんかもダイバスティーといって、いろいろ新しく子育て支援をやっていますよね。そういう中で、そういう少子化対策は将来、税を納める人が増えると同時に年金を納める人が増えるわけですから、そういうダイナミックな前向きの正義みたいなものをきちっと振りかざしたほうがいいと思いますね。そういう価値をちゃんと出していかないと、今までの言葉で言う意味での公平とかそういう考え方では、ちょっと追いつかないのではないかなと(…)。



○おっしゃるとおり。だから昨年は「実像把握」というのにえらい時間をかけたわけですよ。そういうベースができてきたなとは思っています。



○今までお話に出ていますが、このテーマの世帯構成ということですけれども、配偶者の就労に対する中立性ですとか、あるいは子育て支援ですね。これはいわゆる少子化対策ということで、一番基本にある世帯というものをどう考えるかということですけれども、さて、婚姻に対して税制はどうあるべきなのだろうかと、そのあたりが原点になってくるのかなと思います。すでに結婚してしまった人で、配偶者が社会的に進出するにはどういう税制が好ましいかという観点がありますし、今度は少子化に対して子育て支援といったような問題がありますけれども、そもそも世帯といっても、みんなが結婚していないような世界になりつつある。こういうことに対して税制は何らかの手を打つのだろうかと(…)。



○要するに、よく言うマリッジ・ペナルティの問題ですね。ただ、日本の場合は個人ベースで課税ユニットを考えているから、そういう視点はなかったよね。それを入れるべきかどうか。(…)僕なんかは個人的には個人ベースがいいと思っていますけど、ほかの単位にしますと、やたらと持ち込みすぎる(…)。



(大幅に中略)



○先ほどの委員のおっしゃったことは非常に重要なことだと思うので、ちょっと付け足したいのですけれども、やはり将来のことを考えると、先ほど会長は個人課税だと、個人を重視するということをおっしゃったのですけれども、やはり家庭というか家族というのを大事にする税制であってほしいなと。その家族も子孫をたくさん産んで育てることができるような税制というのが、やはり今望まれているのではないかと思うのです。(…)実際問題は、おそらくデータがないかもしれませんけれども、専業主婦の家庭もトータルとしては子供の数は多いと思うのです。今の世の中、とにかく就業している女性がたくさん子供を産んでまっとうに育てられるような環境にないわけですから、やはりそういう家庭を大事にするような税制というのは、しばらく必要なのではないかと私は思いますね



○しばらくとおっしゃるのは、将来的に家族が危ないということですか。



○いや、そうではなくて、要するに、就業している女性が自由に子供をたくさん産んで育てられるような社会的環境がすべて整ってくる時代が来るのではないかと思うのです。



○全く逆なのですけど、これから男女共同参画社会になってきて、年金にせよ考え方は基本的には個人になってきて、そして、まさにそっちのほうでも遺族年金の適切さとかを議論されている中で、税制においても基本的には個人単位でいくべきだと私は思います。それで、夫婦の片稼ぎの時等々でいえば、いろいろな議論が逆にあって、働かない女性の帰属所得というのも議論としては十分あり得るわけで、だからやはり大きな考え方としては、男女共同参画社会、そして個人単位で税を考える。年金もそういう形で考えていくという方針の中で、あとは現実的に子育てに関しての税制をどう考えるかというのは、別に考えるべきでしょうけど、根っこの部分はそうだと。あと、子供がどう生まれるかというのは、樋口さんがここで報告されましたよね。その時議論としてはむしろ逆な方向というか、女性が社会に参加することで、むしろ子供が減るわけではないということは議論していたような気がします。だから、その辺は僕もわからないし、子供が果たしてどういう家族形態の時によく生まれてくるかは、オープンなような気がしますけれども。



○私もわりと今の委員の意見に賛成で、これは多分税制だけではないのですけど、制度を誘導的に使うか、それとも、はっきり言えばやや現状後追い型というのか、どうしてもそうなると思うのですが、私などはできれば(…)誘導型に本当に使えないだろうかと。例えば就業を促していくような形をできるだけやれば、最終的には個人ベースで考える。税制の中で同じ個人ベース、世帯ベースがごっちゃになると、この前ご説明があったように、いろいろな手当や控除が問題になってしまうので、税制ではとにかく個人ベース一本で、必要があれば歳出面で例えば家族面の手当を行うとか何かでやらないと、ごちゃごちゃするということ。私はもし誘導的に使えるならば、むしろ使ってほしいですね



○でも、先ほどの委員は美しい家族をもう少し作りたいというので、誘導型にしたいんですよ。




○何となく家族というのは、専業主婦の奥さんがいて、仲がいいみたいなイメージの家族という、それはちょっとそうじゃない。



ちょっと先ほどの委員は誤解していると思うんです。今、専業主婦であれば子供を産むとは限らなくて、逆に専業主婦で何もしないのが多いんです。子供も産まないで。つまり、人生に前向きかどうかというと、働く女の人は前向きで、子供を産みたいわけ。働かないで家でごろごろしている主婦が、子供を今産まないんです。逆になっているので、先ほどの委員に時代とのずれを少しわかってもらったほうがいいので、つまり、パラサイト・シングルっているけれども、今、パラサイト・ワイフというのができてきた。つまり、変な生命力のない人たちがたくさん生じていて、お金を持ってぶらぶらしているんですよ。消費にはいいかもしれないけれども。そういうところで、何か政策誘導的なものを作らないと、そういう人は淘汰してもらうなり何なりしてもらわないといけないような、そういう方向性を、あるいは前向きな人にはきちんとした支援をするということを考えないと、ちょっと困るのではないかなという方向に来ているんですよ。その思っている家族が



○反論していいですか。私が言っているのはそうではなくて、家族というものを大事にして、その中で子供がたくさん生まれて、家族がいい教育をして、そして次代の日本を担うというようなことを考えてもいいではないかと、そういうことですよ。だから、時代が古いとかそういうのではなくて、産まない人の家庭はどうでもいいのですけれども、3人も5人も産んだ人を、どういうように家族として平和が保たれるような税制というのがあり得るのか、ということを考えてもいいではないか。前向きのことを言っているので、別にだめな家族を支援する必要はないと思いますね。



でも、そうなると、だめな家族も恩恵を受けますよね



○でも、子供に対する税の支援ということをいろいろ考えるのであれば、子供を産まないでのんべんだらりとしたところは、税の支援は受けられないわけですから。



○この議論で何かありますか。こういう時はあなたの出番だから、何かありますか。



子供をつくる、つくらないというのは、手当とか金の多寡じゃないんですよね。昔言ったのは、男に魅力がないからだと、これ以外はないんですね



また、出てきた、その話が



○それはいいんです。基本的に結婚しないのが多いからなんです。それはどうにもならないから諦めていますが。先ほどの委員は意欲のある女性という言い方をしましたけど、働いている女性のほうがちゃんとご飯を作るというデータもあるんです。専業主婦で時間がいっぱいある人こそ、コンビニで買ってきた発泡スチロールで食べさせちゃうというのが多いんです。ただ、託児所をいっぱい作ったから子供を産むかというと、それもまた違うんですよ。駅に保育所があって……、子供は荷物じゃないんだから。



(大幅に中略)



○頭が混乱しちゃってなかなか考えがまとまらないのですけど、この個人所得課税の問題を考えるアプローチの仕方とでもいいますか、あるいは視点というのか、それがいろいろあるということだけははっきりわかったのですが、じゃあ、ものを考える時にそれらの視点をどういう軽重を与えて考えていくかという辺がなかなかよくわからなくて難しい。その軽重の与え方が違うと、おそらく格好が全く違ってくるのだろうと思うのです。だから、何かプロットタイプみたいなものを考えて、それで配慮の軽重をいろいろ、これもなかなか難しい話だけれども考えて、そのプロットタイプをデフォルメしていくというような格好になるのかなとちょっと思っているのですが、考え方にどういうあれを与えていくかというのは非常に難しい。でも私は、今まで勉強したことで、所得税がいろいろな経済政策の手段や何かに使われて、非常にいびつな格好になっている。これを今の社会経済構造に合ったようなものにしていかなければならないだろうというところがまず最初かなという気がするのです。その際に、少子・高齢化社会への配慮をどうするかというのは、考えなければならない問題だけれども、最初からそれを頭に置いてしまうと、非常に難しい話になるのではないのかなというような、そんな感じがちょっと聞いていて、これは印象論です。



○おっしゃりとおり。したがって、あとでご説明しようと思ったけど、文章化した我々の主要論点メモを用意しますので、その中で今の委員がおっしゃった軽重というのは出てくると思うのです。そういう点でもう一回ここで議論してもらいたいと考えています。



○悪のりするわけではないのですけれども、いわゆる少子高齢化対策ということで税の面から考えるのであれば、税額控除とかいうようなことではなくて、例えば1人産んだ場合は所得税は半分、2人だったら所得税は要りません、ゼロですと。(…)それくらいのことを言えば、税調も相当のことをやったなというふうに映ると思います(…)。



○それはかなり大胆ですね。所得税というのは別に子育てのために使っているわけではないから。ただ、そのぐらい大胆にやれというメッセージをというお考えだと思いますけどね。だって、所得税は子育てのためだけにあるわけではなくて、担税力の調整は……



○一度計算してみると、同じ金額でも……



○でも、いろいろな諸控除との兼ね合いで、ここだけ何で半分、すごい控除になってしまうと思うけど。でも、そういうお話があったということだけ承っておきます



○(…)そのくらい大きい話にしたほうがいいと思いますよ。



○えらい大胆に話が出てきたけど、まあ、考えてみましょう。そこだけで所得税改革を絞り切るというのはなかなか難しいですから、まとめる段階で、まだまだ様々な担税力の調整をしなければならない人がごまんといるわけですからね。わかりました。議論を整理する意味で、皆さんのご意見はわかりました。それでは、時間が来ましたので、よろしゅうございますか。では住民税に移りましょうか。(以下、続く)。

いかがでしたでしょうか。名前や分別記号が付いていないので、どの発言をした人が前にどういう発言をしたどういう方なのかが分からないのでちょっと混乱しながら読んだ方が多いと思います。chikiは「37回にしてこの地平か!」という印象、そして「北田×林論争」における議論(?)土台のあまりもの位相の違いを思い出したのでした。あまりのスレ違いに、出来の悪いコントではないのかと疑う人も?



議論の中で「誘導的か、現状後追い型か」という話がありましたが、これとは別の形で整理しなおすと、①税制を特定の価値観へと誘導するように再構築するか、②-a税制を特定の経済状況へと誘導するように再構築する、あるいは②-b税制を現状や展望に合わせて再構築するか、というところで議論がずいぶん食い違っている印象があります(②のaとbは表裏一体でもありますね)。例えば「税にある不公平なり歪みなり、様々な経済的に悪い影響を与えるところ、つまり就業構造に悪い影響を与えているとか、そういうところを直す。その結果において税収が増える分には一向に構わないし、それを目指すべきだというのは僕は大前提だと思いますよ」という発言などは②、②’に近いが、「産まない人の家庭はどうでもいいのですけれども、3人も5人も産んだ人を、どういうように家族として平和が保たれるような税制」や「働かず子供を生まない人は淘汰する政策誘導」は①です。①は他の解釈項に大きく寄りかかる立場(家族愛や宗教的価値など)、②は経済や法のシステム内で考えようとする立場、ということになるでしょうか。



上記議論に関して、その「道徳」観を疑うことも出来る一方、①の手法に関して、近代法の原理原則としての「法と道徳の分離」を踏まえていない、と批判することも可能ではあると思います*1。この件に関しては、言及しているBLOGを探してみたところ「Demilog@はてな」さんが既に「結局わたしたちは偏見や個人的な価値観ベース(例:ユダヤ人はけしからん)で法や税に関する審議をやっちゃいかん、ということすら気が付かない程度の連中にこんな仕事をさせていることになるわけだ」と指摘していました。



chikiは正直、現段階では頭の整理が出来ていませんので*2、今回は主に記事の紹介にとどめますが、しばらくこの問題にアンテナを張っていきたいと思います。参考URLや意見がありましたら、教えてください。




*1:例えば「日本人が背負う二重の困難」にて社会学者の宮台真司さんが「(現代の日本では)第19条「思想・良心の自由」が規定する「法と道徳の分離」の原則の無理解が横行する。法は道徳を命令してはならず、道徳的に中立な法の下、市民同士が何が道徳的かをめぐるコミュニケーションをすることのみを許容するという原則だ。こうした無理解の結果、青少年の人権を守る法案がいつの間にか青少年の道徳を規定する法案に化けることに象徴されるが(児童買春・児童ポルノ禁止法案など)、市民が自己責任でなすべき道徳的コミュニケーションが、「お上」に委ねられてしまうという、実に見事なお粗末さだ」と、現状を批判している。法は「〜してはいけない/〜する権利がある」を定めても、「〜すべきではない/〜すべきだ」を定めない、という指摘(?)。

*2:男女共同参画や就労問題など、複雑な要素が絡み合っています