本日のメインディッシュ

ヒキコモリブンガク論?
ちょうど一ヶ月前、4月5日の戯言で、chikiは阿部和重の『ニッポニアニッポン』について少しだけ触れました。そこでは『ニッポニアニッポン』を、ある種の「不敬文学」として記号論的に読むという試みだったように思います(そんな大層なことではないんですが:汗)。そのときは渡部直己さんの『不敬文学論序説』を未読だったのですが、今はようやく読み終わり、天皇関係の著書も少しずつ読もうと思っています。ちなみに、chikiは今年、某大学の渡部直己さんの授業に潜ってます(笑)。



ところで、前回はそれほど触れなかったのですが、『ニッポニアニッポン』の主人公が「ひきこもり」であるということに着目し、「ヒキコモリブンガク史」みたいなものを作ったら面白いかもしれないとふと思いました。女性文学史、プロレタリア文学史というものがあるなら、ヒキコモリブンガク史というのも、あくまで一つの試みとして見れば面白いのではないかと。もちろん、以前紹介した「ロリ文学」のように「それっぽいもの」を網羅して終わるのではなく、日本=ひきこもり論として一考察していく試みと考えれば多少意義のあることなのかもしれないと感じています。読書量の少ないchikiにそんなこと…できるわけないですけどね(汗)。誰かー(笑)。



さて、ニッポニアニッポンの「・」を、すが秀実さん『JUNKの逆襲』にならい、性=「自我理想」と名=「理想自我」の境界の破壊としてみてみると、『ニッポニアニッポン』というタイトルにこそ、ひきこもりの問題が記されていると読むことが出来ます。斎藤環氏は『OK? ひきこもりOK!』の中で、「脱」ひきこもりに不可欠な自己信頼回復の問題として、自我理想と理想自我の問題のバランスの重要さを指摘しています。「この自分でOKというのが理想自我」、「自分はかくありたいと願うモデル」が自我理想であり、齋藤氏によれば、ひきこもりの場合このバランスを取るのが非常に難しく、「究極の難問」であるとのこと。



前回示した朱鷺=「・」の考えに基づけば、主人公鴇谷春生が「・」を取り去ろうとすることは、自らの「自我理想」と「理想自我」のバランスの問題に向き合うことを意味します。朱鷺の問題に取り掛かることで、鴇谷春生が徐々にコミュニケーション能力を回復し「充実感」を得ていくことと強く関係するでしょう。



ただ、彼の「・」を取り除こうとする試みは「監視カメラ」等の警備システムによって阻まれてしまう。これは、監視型権力の時代における「・」除去の困難さを如実に表しています。生権力化したデータベース社会に抵抗する手段は、「リアル」から攻撃するテロ的なものか、想像界へと逃げ込む「ひきこもり」的(比喩)なものしかない。子供が親に反抗するとき、口を紡ぐことで反抗になるのが、仮に象徴界への参入の拒絶として表れるごとくでしょうか(誰かがこのようなことを言っているかどうかは知りませんが)。



ニッポニアニッポン』において、鴇谷春生の「不敬テロ」(大逆!?)は「監視」によって阻まれます。「・」=天皇、朱鷺、日の丸…の問題を解消しようとしたとき、あらたな「・」=監視型権力が立ち表れる。東浩紀さんがblogの中で監視技術の道徳主義的利用について危惧なさっていましたが、ひきこもりも監視社会と無縁の現象ではなく、根強く絡み合ってくる問題でしょう。もちろん同小説においてはひきこもりは天皇=「・」だけでなく/の代わりに監視=「・」によって「分断」された主体のメタファーでもあります。



この「分断」を日本の問題として突き詰めれば何処にたどり着くのでしょうか。おそらく宮台真司さんが「天皇!」と叫ぶ地平、及び北一輝三島由紀夫の問題に突き当たるのだろうと推測していますが、一方で「ヒキコモリブンガク」によって資本主義批判の文脈が見出せるのではないかと夢想しちゃってます(宮台さんと言えば「団塊世代はどこがダメなのか?」という文章を読んで唸ってしまったchiki。一方でコメント欄には純粋に「世代論」として読んでいる人が多いことにも驚く)。



とりあえず、もう少し勉強しながら考えてみようっと。「この本を嫁!」というのがあったら教えてください。勉強するジェイ。








※ちなみに、あれから『シンセミア』も読みました。機会があれば戯言したいんですけど、『ニッポニアニッポン』の方が個人的には好きだったりするのでつい(笑)。




※ひきこもりといえば、id:ueyamakzkさん(上山和樹さん)が、はてなで大変参考になる考察を繰り広げています。昨日リファーされていて初めて知ったのでお邪魔してみたのですが、ひきこもりに関する本も出されている方だと知りビックリ。「初日から今日の分まで目を通してしまった」とか言われて、さらにビックリ。お眼汚しを…(ノД`)。「公開討議場+公開遊技場」を目指すというスタンスにもとても好感がもてます。