本日のメインディッシュ

「J」への眼差し ―阿部和重ニッポニアニッポン』―

【あらすじ】
トキの字「鴇」を自分の性に持っているため、以前からトキに関心があった17歳の主人公鴇谷春生(とうやはるお)。彼は故郷で好きな女の子との仲が絶望になったため(ストーカーをしていた)、都会で一人暮らしをしてインターネット漬けの毎日である(ひきこもっている)。そんなある日、中国からヤンヤンとヨウヨウを迎えての保護増殖計画を知り、その「欺瞞」に対して違和感を覚える。インターネットで情報を集め、「ニッポニア・ニッポン問題の最終解決」という周到な計画を立て、トキの純血と名誉を守るため武器を持ち、佐渡の保護センターに侵入する。選択肢は「飼育、解放、密殺」のどれかしかない。

学名の「Nipponia nippon」が作中では「ニッポニア・ニッポン」とカタカナで表記され、「トキの学名たる「ニッポニア・ニッポン」が、作品タイトルでは「・」抜きで「ニッポニアニッポン」と記されている」(「」内、すが秀実『JUNKの逆襲』による指摘)ことや、「トキ・天皇・金山という貴のトライアングル」を本文中で取り上げていること、そしてその描写のされ方などから、「トキ」をめぐる「欺瞞」が日本的構造の、そして「トキ」が「天皇」のメタファーであることは誰もが想像したでしょう。少なくとも、誰にでも「ニッポン」を描いた小説なんだな、とはピンとくる小説です。



とっても単純なchikiは、大方の予想通り(?)「ニッポニアニッポン」を読んで、消されている「・」を日の丸、即ち「」と(安易に)連想しました。何故か。



「トキ」は朱鷺、つまり「朱」い鷺(サギ)と表記しますが、言うまでもなくこれは日本語表記においては白鷺(「白」い鷺)と差異化されています。この色の対比は、現行法で「国旗」と指定されている「日の丸」の「中心=朱」と「周縁=白」に対応しています(「朱鷺」はあたかも「天皇」のように管理され、その報道のされかたはあたかも皇室報道のよう)。ところが、「中心」である「朱鷺」は、もはや生殖を行うことが出来ず(「父」の死?)、中国との「混血」を迫られています。そのことに「欺瞞」を感じ取った春生は朱鷺(=「・」)を無化しようとする。(「Nipponia nippon」ではなく)「ニッポニア・ニッポン」の「・」を「中抜き」することでその構造、即ち「ニッポン的」なニッポンの問題を暴こうという「テロ」を決行しようとします。もちろんこの「テロ」に「意味」はありません。「ただなんとなく」、「中心」と「されているもの」に一撃を加えるという問題提起は「父殺し」と違い、既に死んだ「父」を曖昧なまま保存しようとする構造自体への眼差しとして考えられます。



この小説の主人公は、親にスポイルされたネットジャンキーでヒッキー、しかも悪質なストーカーで「17歳」という、いかにも(この「いかにも」を理由に阿部を嫌う人も多い?)現代のジャンクなクソガキ(!)です。また、ヒロイン(?)の「本木桜」という名、佐渡島で出会う少女が主人公に対し無根拠に信頼を寄せるところなどがそれぞれ現代的、サブカル的、ギャルゲー的感性によって作られているような気がしました(当然なんですが)。



ちなみに、ここでの「ギャルゲー的感性」については単純に次のように考えています。「AIR」「痕」など、何故か出てくるキャラ全てが主人公に優しかったり、「夜勤病棟」「one」など、どんな悪行を働いても結局「調教」されてしまい主人公は許されてしまったりします。つまり、自分を決定的に「去勢」する存在が描かれない。『ニッポニアニッポン』に出てくる「佐渡の少女」は、「低年齢」「どじ」「怖がり」「主人公を兄的に信頼」などの要素から、典型的な「妹キャラ」と思われます。初対面の少女と同じホテルの一室に泊まるあたりなどは『BOYS BE…』以降様々な美少女もののシチュエーションに酷似しています(『三四郎』にもあったけど)。阿部和重東浩紀の親友ですから当然狙っているでしょう(笑)。※ギャルゲーについては全く詳しくないので、フェミの「母性」をめぐる議論とあわせ、今後少しずつ検討していきたいと思いました。



「・」の話に戻れば、タイトルにおいて既に「・」(=日の丸=朱鷺=天皇)が消されているこのテクストで、それこそ「ジャンクなガキ」が「J」なる「天皇」を問題にすることが、そしてそんな子供が思い立った「計画」ごときで「中心」を揺るいでしまう([]が[○]になる?朱がなくなるの日本の国旗は真っ白ですね)という筋書き自体が「J天皇制」(浅田彰)への批判として成立している(天皇制批判にはなるのか?)。このように見れば、「J文学」の旗手(『Deep Love』はJ文学!?)と呼ばれている阿部和重ですが、『ニッポニアニッポン』は――JはJAPANでありJUNKであるとするすが秀実さんの図式に当てはめてみれば――それがJUNKであるがために「現代」を反映し、まさにジャンクなクソガキ主人公に「トキ=天皇」を問題化させることで「J天皇制」を批判しつつ新たな着地点を摸索しているようにも見えます(すがさんは、このテクストが「・」をタイトルから抜き去っていることから、性=「自我理想」と名=「理想自我」の境界が破壊されたごとくであるとして、日本と中国の、特に「満州」の問題へと関心を向けています(前掲書)。もちろん歴史に無知なchikiはそこまで思いつきませんでした:汗)。それでは、『シンセミア』は一体何処に着地(または不時着、墜落)したのか? 






























…まだ読んでないから、いつかまた(逃)。







追伸
加藤典洋『テクストから遠く離れて』では、90年代以降の「テクスト論破りの小説」として『ニッポニアニッポン』をあげ、多重人格(乖離性同一性障害)やメトニミー概念を使って論じているらしい。chikiはあれだけ批判しておきながら、まだ読んでいない。



芥川賞候補作に何度も上がっては落とされる阿部だが、島田雅彦村上春樹吉本ばなな山田詠美はもらえず、柳美里はもらってますから、もらわないほうがいいんです(笑)。




関連リンク
トキの保護センター
浅田彰「『J回帰』の行方」
東浩紀×伊藤剛「オタクから遠く離れてリターンズ」
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