「啓蒙のイロニーからイロニーの啓蒙へ」へのお返事を枕に、最近考えていることをつらつらと。

『表現者 2007年 03月号』触れたエントリーにおいて、「八木さんの、『基本法が悪いから○○とか××などの問題が生まれているのだ』ということは実はあまり信じておらず、“為にする議論”なのは分かっていたが基本法改正を実現させるためにあえて繰り返していたというような発言は、いろんな意味で貴重」と書きました。その部分について、id:NEAT さんより以下の指摘を戴きました。

おそらくchikiさんが引かれているのは下記の箇所ではないかと思います。

マスコミが議論していた愛国心だとか伝統、文化だというのは、私は目くらましだと思ってきたんです。

もしかしたら、 chiki さんの引かれた箇所とちがっているかもしれません。ですが、もしそうだとしたら、 chikiさんが指摘されているようにまで、解釈して良いかどうかは「微妙」ではないでしょうか?読者の判断を待ちたいと思います。

ところで、私には実は頭の良いネオコンと頭の悪いネオコンの区別がついていません(笑)。そもそも、良し悪しを、誰がいつどういう基準で判断するのか?というのがあるんですが、良し悪しなんか関係ないよ「やったもの勝ち」で勝ったものが「良し悪し」を決めるというのが私のネオコンのイメージです。だとすれば〈宮台真司〉が「本当に」動員したもの勝ち、勝てば官軍と思っているかどうかは「微妙」だと思います。その意味では、 chiki さんの仰るとおり、「いろんな意味で貴重」だといえるでしょう。いわゆる啓蒙がシニカルへの耽落しか生まないとすれば、そうした事態をこそ反啓蒙するための「あえて」…、いや、あまり纏めてしまうと、それが「啓蒙」だと怒られてしまいそうなので、この辺でやめておきます。

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