本日のメインディッシュ

『ディープラブ』についてマジメに考えてみる。
以前、サイトで紹介したこともあるケータイ小説Deep Love』。近々映画も公開されるとのことで、巷で再び話題になっているそうです。未だに、毎日数人は『Deep Love』や『ディープラブ』等の検索で飛んでくる人がるあたりから、その話題性の高さをうかがい知ることが出来ます。「ディープラブ」で検索すると、ほとんどが媚薬の紹介サイトにつながるのでこのサイトに来るしかなかった、というのが理由のひとつですが。





さて、この小説、公式サイトによれば、「1000万人が涙した衝撃の問題作!」だそうです。1000万人は流石に泣いてないと思いますが、単行本も100万部以上売れたらしく、特に「今までほとんど本を読んだことのない」という購買層がほとんどだとか。要するに、大した比較対象を持たない人が「最高」と言っている、ということでしょうか? 判断が難しいところです。



そんな『Deep Love』ですが、ネット上でいくつかの掲示板を見る限り、評価が真っ二つに割れています。簡単に言うと「読む価値なし派」「私は泣いた派」です。(参照掲示板、その1その2その3その4その5



「読む価値なし派」は読書経験を武器に「もっとまともな本を読め」とか「こんなので泣ける奴なんて無知」と野次りますが、「私は泣いた派」は「私の感動は事実」「泣けない人に興味はない」ときっぱり。一通りのフレーミングの後、大抵水掛け論のまま終わります。




基本的に、chikiは「誰がどんな本で泣こうが勝手だ」と思います。ただ「感動した(面白い)/感動しない(つまらない)」で何かを語ることは出来ない、という立場を取らないと対話は成立しません。面白いなら「何故面白いか」を、つまらないなら「何故つまらないか」を、根拠を明らかにしなければならない。もちろん「いいよね!」「うん、いいよ!」で通じ合う場合もありますが、それは本人同士が単に「通じ合っている」と思い込んでいるだけですし、身内で「共感」出来たとしても「面白くない」と思っている人と「共有」することは難しい。え?別にしたくないって?




また、いくつかの記事や書評が単に「くだらん」だけで済ませていましたが、それも少しまずい。『Deep Love』という小説の物語内容は、基本的に論ずるに足らないものだと思います。しかし、大上段に「文学ではない」「くだらん」と言っても、「いいよね」と言っている人と何も変わらないし、何も伝わりません。先ほども申し上げましたように、chikiは個人的には「くだらん!」の一言で切っていいくらいの物語内容だと思っていますが、その一言で「なかったことにする」のは単なる言葉の放棄です(もちろん、既に自分の立場を明らかにしているような―例えば渡部直己さんとか―が「くだらん」の一言で済ませるのはアリだと思いますが。というか、渡部さんは「くだらん」の一言すら発しないと思います)。




さて、chikiはこのたび、『Deep Love』を読んでみました。簡単に内容をまとめます。(あらすじ)


可愛く、スタイルも抜群の女子高生アユ(17歳)は1回5万円で援助交際をしています。売春が悪いとは思っておらず、口癖は「タルイ」。アユは中学生の頃、義父や義兄らに何度も犯され、母親もアユの目の前で自殺したという暗い過去を持っており、いつも無表情で、感情を決して外に出しません。
アユは家に帰らず、高校にもたまに行くだけです。唯一の友達レイナは、レイプされて妊娠してしまいます。ある日アユは、一人の老婆と知りあい、捨て犬のパオと一緒に老婆の家に暮らすようになります。老婆はかつて空襲で妹を亡くした話をアユに聞かせます。
物語が進み、アユが頼りにしていた男友達も老婆も死んでしまいますが、老女との約束で売春はやめることにしました。そんなアユは老女の養子だった義之(15歳)に憧れをいだき、心臓移植が必要な彼のためにアルバイトでお金を稼ぐことにします。ところが、義之の父親にセックスを強要されたり、エイズが発覚したりします。
エイズがアユのからだを蝕みはじめ、クリスマスの日に一人死んでしまいます。



なんだか、思いつく限りの通俗的「不幸」エッセンス盛り合わせ弁当といった感じです(笑)。




同作は、東浩紀の定義した「萌え要素」概念のように、「不幸」の要素を散りばめ、繋ぎ合わされたガジェットな小説です。作者のYoshiは「リアルな物語にするために実話を出来るだけ盛り込む」と述べていますが、これらの「要素」が事実であろうとなかろうと小説の出来に関係がないことは言うまでもありません。「事実」を武器にすれば「リアル」であるというのは、小説について何も考えたことのない人間か全く才能のない人間が言う台詞です。その意味でYoshiさんには小説家の才能は全くありません。




しかし、Yoshiさんの本が多くの人の支持を集めたのは事実ですし、サイトに来る人の数や映画化の話などから、未だにその「現象」は続いていることも確かなようです。また、ケータイ小説というものに着目し、根付かせるのに一役買ったのも確かでしょう。もちろん、そのことがYoshiさんの才能を表すということでは全くありませんが、その事実は無視できません。その意味で、「通俗さ」を貫く才能はあるのではないかと思います。映画化や海外翻訳は、心から止めた方がいいと思いますが。




そこで、chikiなりに、いくつかの視点から『Deep Love』について考察したいと思います。そのことで、ある種の社会性などが浮き彫りになればいいなと思います。





長くなったので、続きは明日♪






今日のネタ

「英女子大生、8400ポンドで落札」
(  Д )  ゜ ゜


「まだまだあるヘンな和製英語」
根付けば「ヘン」じゃなくなりますよね。


「こういう人がネットでは嫌われる」
議論好きも、まったり派には嫌われますよね。


「飲めない男はイヤ!女性の60%の“考え”だそう」
なんてマッチョな…。下戸には生きづらいでしょう…。


「伝説のプログラマたち」
伝説です_| ̄|○


「人気再燃、過去のTVゲーム 古くても“新鮮”」
久々に、あの遅い画面に突っ込みながら友人とファミコンやりたくなってきますた。


「オンナ部」
オンナがオトコに劣るのだから、素直に認めたうえで見習おう、だそうです。(ノ∀`)アチャー


「ミステリーサークル画像集」
うーん。キレイです。


「「機動戦士ガンダム不思議のダンジョン」登場!」
すごいコラボレーションです。やってみたい!


「書評ホームページ」
皆で構築して行く書評のネットワークです。


「Muller photography」
写真をどんどんめくりたくなります。


「《LADY PEARL》」
一人一人の個性を重視したキャラクター性の高いRPG、かなり高質のフリーソフトゲームです。(・∀・)イイ!!