ハッキングされる美術批評 ──黒瀬陽平さんロングインタビュー

2008年5月某日、渋谷にて美術家・黒瀬陽平さん(id:kaichoo)のインタビューを行いました。黒瀬さんといえば、ミニコミ『RH』の編集委員であり、『思想地図』に掲載された公募論文「キャラクターが、見ている ―アニメ表現論序説」などでも注目を集めている、「新進気鋭」という言葉がストレートに当てはまるような批評家です(黒瀬さんは1983年生まれ)。インタビューでは、『思想地図』論文の背景にある、黒瀬さんの問題意識や生い立ち、手法への意識などを中心にお話を伺いました。


『思想地図』論文を読んですぐに話を伺いにいったのですが、公開が少し遅れてしまいました。すみません。それでもなお、鮮度たっぷりなインタビューを、どうぞ一気にご覧くださいませ!(「インタビュアーのくせに喋りすぎ問題」は、今回は平気なはず!)




■プロローグ:『思想地図』論文への問い 渋谷のカフェにて
荻上:今回は、黒瀬さんが、その批評言説の供給源をどこに求めているのかといったお話を伺いたいと思っております。一つは黒瀬さんの出自や手法について、そしてもう一つは、黒瀬さんが現在の批評の磁場、すなわち一種のエピステーメーに対してどのような観察をしているのかといった論点です。


今回の黒瀬さんが『思想地図』に寄せられた論文、「キャラクターが、見ている。」において、分析の対象とされていたのは「萌えアニメ」でしたが、僕は現在、「萌えアニメ」という特定のジャンルに対するある種の語りが、ある「批評」の場において特権化されるのは何故なのかが素朴に気になっています。例えば黒瀬さんも取り扱っている『らき☆すた』や『あずまんが大王』などは、ある意味で既に「語っていいもの」として受け入れられているわけですよね。そういう磁場のようなものをどのように意識しながらお書きになっていたのか。あるいは、その上である種の作品群を選択するというのはどういうことなのか――例えば黒瀬さんの論文の切り口で言えば、今ならアニメ版『絶望先生』をさらに加えるような気がするんですが――。


黒瀬:ええ、当初は入れようとも思っていました。ぼくは新房ファンですからね。『ぱにぽにだっしゅ!』についての言及は、作品の重要度から考えると短すぎる、と感じられた方もいると思います。でも『絶望先生』に関しては、その時点ではどうしても狭い意味での「ネタアニメ」分析になりそうだったので、それならば『らき☆すた』のほうが射程も広いだろうと。執筆中に『絶望先生』第二期が始まって、正直よくわからなくなった、ということもありますけど。


ご存じのように、新房昭之あるいはシャフト作品のおもしろいところは、アニメ映像としての許容度の高さというか、「黒板ネタ」に象徴されるように、プロダクトとしてのTVアニメでは捨てられてしまうようなネタがたくさん入っているところですよね。金巻兼一さんや高山カツヒコさんのお話なんかを聞いていると、たしかに脚本レベルでとっても厳密な構成があるんだけれども、出来上がった映像を見ると、「えっ、こうなるの?」みたいな(笑)。それこそイメージの文法というか、言語で記述できるレベルとはズレたところに、どんどんイメージを差し込んでるような印象がある。それを可能にしているのは新房監督のある種の「寛容さ」だと思いますが、一番重要なのは、そうやって出来た映像が「実験的」「前衛的」に見えないということです。奇抜な演出をやってアートっぽくしたり、オシャレにしたりするのは美大生でもできるわけです(笑)。

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