本日のメインディッシュ ――イベントメモ:すが秀実講演:文学/大学/教育―1968年の視点から

7月30日、東京ガーデンパレス(御茶ノ水)にて、近畿大学公開講座「リスク社会を生き抜くために〜安全と豊かさを取り戻す道〜」が行われました。そこで、文芸評論家のすが秀実さんが「文学/大学/教育―1968年の視点から」というタイトルで講演を行いました。



公開講座、ということで、幅広い年齢層の方がいらっしゃいました。また、宮澤正顯さんによる医学の話とセットになっているので、関心領域が文系でない方も多くいらっしゃったように思います。そのためか、極力テクニカルタームを使わない平易な語り口によって「68年」の視点から現代について考える、という内容になっており、或る意味では「スガ秀実入門」とも呼びうる講演だったのではないかと思います。大学や文学の問題だけでなく、就労問題や女性、マイノリティ問題にも関わる内容であったように思います。



講演は、「今日の公開講座の総タイトルは「リスク社会を生き抜くために〜安全と豊かさを取り戻す道〜」となっているが、これからお話しすることは、もはや安全と豊かさを取り戻せない、というお話になるのではないかと恐れています(笑)」という、いかにもすが秀実さんらしい前置きからスタートしました。以下に簡単に要点をまとめます。





要点メモ:「68年」とは何か
○今日の講演は、「文学/大学/教育―1968年の視点から」、ということになっています。「1968年」とは何か。僕のような者がこういうところで話す、ということ自体が68年の帰結でもある(笑)。
○今年は一般的には戦後60年ということで、一応、ジャーナリズムではさばいでいる。1945年に日本が敗戦した、それが歴史の節目だという考え方だと思うが、それはほとんどグローバルスタンダードではないんですね。日本人にとっては大きな節目としてついつい考えがちなんですが、むしろこれからお話しする1968年のほうが近代史、現代史を区分してみる時の大きなターニングポイントになるのではないかと思います。
○イマヌエル・ウォーラーステインは「世界革命はこれまで二度あっただけである。一度は1848年に起こっている。二度目は1968年である」といっています。誰でも知っているのは、パリ五月革命。但しこれは世界的な動乱であって、アメリカではコロンビア大学を中心にあった学生の動乱、日本では全共闘運動と呼ばれている(あんまり印象がよくないですね)。「学生革命」といわれているが、学生を中心に先進諸国でそういうことがあった。
○ただ、確かに中心的には学生の大騒ぎあったわけですが、その背景には色々な問題があった。アメリカが北ベトナム空爆するのは68年ですが、ベトナム反戦運動アメリカや日本に広がり、学生運動と連動して存在していた。あるいは中国の文化大革命が、毛沢東の支持によって――現在では毛沢東の実権に反対する権力闘争だという意見もありますが――ありました。
○これらの動乱は一過性のものだとも言われています。学生は生活に帰ったじゃないか、むしろ保守化したじゃないかとも言われる。ただ、68年が世界的な――物の考え方を含めて――パラダイムチェンジを形成しているのだという考え方が、世界的に色々言われているわけです。しかし日本ではあまり言われず、僕だけがギャーギャー言っているので、一部では「スガの脳内革命だ」といわれていますが、そういうことじゃない(笑)。
○68年で提起された問題は色々ありますが、今日の「大学」というテーマでは、当時「大学解体」がスローガンだったわけですね(笑)。大学は解体していないじゃないか、という意見もあるかと思いますが、一方においては大学は既に解体されていると僕は思っています。




◆要点メモ:「68年」と世界資本主義のバランス
○68年のいくつかの例。小泉純一郎首相が靖国に行くとか行かないとか騒いでいますね。僕は行けないと思っています。行かない、じゃなくて、行けない、と。新聞等でご存知の通り、現代では日本の企業、資本主義は、中国に依存しておりますがが、経団連奥田会長などは「行かないでくれ、そのような些細な問題で日本の資本主義を落ち込ませないでくれ」と言っている。それでもあえて行くことで日本の経済を落ち込ませることが小泉首相に出来るでしょうか。行ったとしたら、まあ少なくとも中国との関係はしばらく沈殿する。これも68年のある種の帰結だと思います。
○これは冗談のような話ですが、中国のプロレタリア革命において、毛沢東が「東風が西風を圧しているんだ」と言った。当時はそう見えたようです。しかし、小泉が靖国に行けないとしたら、これは東風が圧しているわけですね(笑)。但し、これは中国の共産主義が勝ったんじゃなく、中国の資本主義が勝利した、ということですが。
○世界資本主義の変動は何によって現れているか。それは、71年のニクソンショックに現れているのではないかと。ドルが基軸通貨でなくなり、変動相場制に移行した。アメリカの没落、西風を圧したことのひとつの流れとしてある。ニクソンショックは、単にドルが変化したということではなく、ニクソンが訪中しているわけです。米中の国境回復、米中関係の再建と、ドルの変化がリンクしているわけですね。ドルが基軸通貨でなくなったとき、中国というマーケットなしにはアメリカ資本主義はやっていけなくなった、ということと表裏一体の関係にある。
ウォーラーステインは、アメリカのヘゲモニー国家からの脱落に変わって、おそらく日本が世界の資本主義のヘゲモニー国家になるのではないかと、なぜか80年代後半に言っている。これは時期的にトンチンカンだと思いますが、幸か不幸か、今のところそうはなっていない。しかし、70年代、確かにそういう芽はあったわけですね。それは、田中角栄の日中国交回復ですね。米中関係に変わり、日中関係を機軸に世界資本主義を再建しようとしたわけです。
○ここで有名なロッキード事件と云うのがあるわけですが、かつては立花隆氏が田中角栄氏の汚職を暴いて失脚させた、ということになっておりましたが、いまや、単に首相の汚職を暴いた、という話ではないということは、多くのジャーナリストが指摘していますし、実は当時から言われていることではありました。むしろアメリカによる日本バッシングの最初の形態であると。単に「首相は金貰っちゃいかんよな」という正義感の問題ではないわけですね。もう少しグローバルな問題であったと。




◆要点メモ:「68年」とマイノリティ運動
○一方で、当時アメリカには公民権運動というものがありました。黒人の人権運動ですね。それと同時に、黒人だけでない様々なマイノリティの問題と云うのが提起された。一番大きいのは女性ですね。フェミニズム。女と男は数としては同数ですが、存在としてはマイノリティなわけですね。或いは障害者、或いは日本では被差別部落の問題です。これらの権利要求が68年とともに勃興した。
○例えば近畿大学にも「セクハラガイドライン」というものがありますが――これ自体には異論もありますが――「セクハラをやっちゃいかん」というのは現在ではほぼ常識になっているわけですね。あまりに行き過ぎて、一部で「男女共同参画をつぶすべきだ」というリアクションもやや出ておりますが、世界の趨勢としては、「68年」の、フェミニズム的な勢いというのは、基本的にとどめようがないわけですね。
○僕の感じでは、今の自民党系の、保守系も…例えば男女共同参画を一生懸命つぶそうとしている八木秀次君は僕はちょっと知ってますが、八木君も、少なくともフェミニズムが問題提起される前の学生達よりはフェミニズム的です(笑)。一応は、女性の権利というのを前提にしているわけですし、自民党の政治家だって、一応は、セクハラはまずいと言うわけですから。68年――正確には70年――以前のものとは違っているわけですね。その意味で浸透はしている。
○当時の学生運動はニューレフト、新左翼と言われていますから、既成の社会主義共産主義国家に反対だったわけですね。実際に全部つぶれてる(笑)。当時はソ連も東欧もあったが、89/91年につぶれて資本主義になったわけでして。その意味で、反スターリン主義と云うのは実現されているわけですね。
○このような形でも68年の問題提起は実現されていると。但し、これは積極的に実現されているというよりは、受動的に実現されているという捉え方がいいと思います。




要点メモ:「68年」と文学について
○それでは文学の話を。文学も68年を中心に大きく変わったんですね。日本の近代文学史と云うのは、明治18年坪内逍遥が『小説神髄』を書き、それに触発され二葉亭四迷が『浮雲』を書いた。それ以降、研友社、自然主義私小説新感覚派などが出てきた、というように、文学史というのは、世界的にも文学流派の栄枯盛衰によって語ることが出来るわけです。戦後でしたら戦後文学、第三の新人、純粋戦後派などですね。
○ただ、大体68年あたりを境にして、文学流派というのがなくなるんですね。最後の文学流派は一応内向の世代と言われている方々。古井由吉さん、近畿大学人文科学研究所の中興の祖でもある後藤明生さん、黒井千次さん、阿部昭さんなど、色々いらっしゃる。実際に内向的な文学かは怪しいところですが(笑)。
内向の世代以降活躍した小説家、例えば中上健二、金井美恵子村上春樹村上龍吉本ばなな山田詠美高橋源一郎、最近で若い方が読んでおられるのは舞城王太郎など。一人として「〜派」「〜主義」として記述されませんね。内向の世代以降、文学史というのが書けなくなった。文学の歴史が書けなくなったんですね。これは非常に奇妙な現象ですが、世界的にそうなっている。ポストモダニズム文学といわれているものはありますが、あまりに大雑把すぎて文学流派とはならないですね。
○文学の歴史だけでなく、享受の仕方も変わっています。60年代、文学全集がブームでした。60巻前後で、第一巻が坪内逍遥二葉亭四迷でして、最後に戦後派、野間宏武田泰淳、椎名林蔵、安岡章太郎吉行淳之介、石原新太郎、大江健三郎開高健と続き、現代名作選みたいなので終わると。出版社は景気が悪くなると世界文学全集、日本文学全集を出してしのぐ。
○それが読まれもせずに書架に飾られていたりしたわけですね(笑)。それがひとつのブランドであったりして。背表紙を眺めているだけでも勉強にはなった。文学史順に並んでいるわけですから。世界文学全集だと、ホメイロスから始まってヌーヴォーロマンで終わるとか。
○それは60年代でほとんど終わり、いまや文学全集、あるいはそれをセットで買う人はいないですね。文庫で買っちゃう。文庫は安くて便利ですが、流れ、歴史は分からないですね。
○68年あたりまでは歴史があった時代、リアルに受け止めることが出来た。それがどうも希薄になったと。それで今の学生の質が落ちた、とは思いませんけれども、歴史を知らないですね。文学で言えば、入学試験に文学史が占める比重、配点はとても少ないが、文学史は膨大なので、予備校の教師などは「文学史は捨てろ」という指導をしていますね。
○まあ、文学全集並べて格好つけなくなるってのは、それはそれで健全だと思いますが(笑)。でも、そのデメリットと云うのもある。最も驚いたのは、早稲田の学生が坪内逍遥を知らないんですね(笑)。坪内逍遥は『小説神髄』を書いたということで、日本の文学の先端を築いたので、知らないとちょっと文学の授業は難しい。しかも、坪内逍遥は早稲田の文学部を作った人であるわけで、いかんともしがたい(笑)。
○偏差値に関わらずいくつかの大学で試したところ、トロイの木馬を知らない人が半数以上、ドン・キホーテも半数以上、セルバンテスなどはもちろん知らない。いくら知らなくても、トロイの木馬ドン・キホーテさえ知っていればなんとかそれを中心に教えることは出来るんですが、それを知らないとちょっと難しい。そういう意味でも、大学が内実として解体しつつあるとも言える。歴史性が変わった、と。
○それは様々な言い方で言われておりますね。フランシス・フクヤマが「歴史の終焉」といったり、フランソワ・リオタールがポストモダンと呼んだり。そういう意味でも68年が大きな結節点として言えるということがお分かりになったかと思います。
○文学部だけでなく、世界史を知らないで法学部に入ったりなど、あるようですね。ロシア革命について話すとき、100人の中でレーニンを知っている人が3人、トロツキーを知っている人が1人、というところで授業をしたことがありましたが(笑)。「大学解体」が現実的に実現しているということの証といえば証ですね。これは決してネガティブな意味だけで言っているわけではないんですけどね。




◆要点メモ:「68年」と大学について
○受験戦争、ぎゅーぎゅー詰め込んでいたから学生が騒いだのでないかというような総括がありまして、一方で「ゆとり教育」の流れがありますね。
○教育と云うのは、そこで一生懸命トレーニングをするということ。ディシプリン(規律訓練)を受け、基礎体力をつけたということが重要になると。それはつまり、大学を出れば職があるんだ、市民社会で生きていけるんだ、というライフサイクルが、世界的には68年くらいまで、日本では80年代に景気がよくなるので遅れますが、それまではあったわけですね。68年くらいまでは学校は職業安定所だったわけで。
○ところがそれ以降は、職業安定所ではない、というものになったわけですね。日本で言えば、終身雇用制の崩壊ですよね。例えば早稲田でも、就職してる学生は少ないわけですが、現在就職は派遣社員が増えていますね。数ヶ月で労働契約が変わるのでアルバイトと同じ、但し労働用保険はきっちり徴収され、失業者には含まれないわけですね。これは、良い/悪いではなく、資本主義の形が変わってきてるんですね。終身雇用制のようなライフサイクルを維持することが出来なくなっているわけです。
○これも68年の「成果」だとすれば、学生は「どうも資本主義が変貌している」ということを敏感に察知していたわけですね。大学で規律訓練を受けて、終身雇用のコースに乗ることを拒否すること、ディシプリンを拒否すること、労働者になることへのサボタージュだったわけですね。それは、68年ムーブメントは、世界的にはヒッピー、ドラッグ、サブカルチャーなどと結びついたということにおいて明らかですよね。市民的主体になることへのサボタージュであったと。
○国家の側は、それに応じてか、「ゆとり教育」的なもので応じる。ところが、それを進めれば進めるほど教育が機能しないというディレンマ、悪循環が始まった。ネガティブな話ばかりしているように一見見えるでしょうが、しかし我々が現在前提としている条件、コンディションですから、否定してもしょうがないですね。
○しかし、大学に変わるもので、成功した例はないですね。大学と云うシステムを使った中で、現代の情勢に見合った形でやっていかなくてはならないわけです。一方においては、坪内逍遥、トロイなどを知らないとまずいのでディシプリンを注入することは避けられないわけですが、一方でポストヒストリー、歴史が終わったという感受性の中で生きているという前提があり、その両方のバランスの中でやっていくしかないですね。近畿大学でもそういうことをやろうとしている。僕も四谷でコミニティカレッジをやっておりまして、そこではハードなこともやっていますが、啓蒙的なこともやる。大学はその中でやってかざるを得ないですね。




◆要点メモ:質疑応答
――68年を機軸に変動が受動的に進んでいる、とおっしゃられましたが、あえて能動態にしたら主体は誰になるのでしょうか?
○能動態に出来ない、ということではないでしょうか。アントニオ・ネグリマイケル・ハートは『帝国』の中でマルチチュードといいましたが、見えているようで見えていないですよね。



――四方田犬彦さんが三島の死と昭和の終わりというようなことを書いていました。
三島以降、というよりは、60年代くらいから確かに西暦がリアリティをもつかもしれませんね。「60年安保」とは言いますが、昭和何十年安保、とは言わないですね。戦後まもなくの日本はある種の鎖国状態と言えるが、サンフランシスコ条約以降でしょうか、西暦がリアリティを持ってきた、とはいえるかもしれませんね。






※本講演は、近畿大学の資料として文字化される可能性もあるので、そちらのほうもチェックするようにしてみてください。
※ノートを頼りにした要点メモなので、一時ソースにはなりません。読みやすく口語体にしましたが――加えて、内容には忠実になるよう努力しましたが――実際の言い方と異なるところがあります。
※今回の講演内容は、「en-taxi 第10号」に掲載されている、「タイム・スリップの断崖で:「革命無罪」から「愛国無罪」へ−「東風」計測の新・尺度−」の内容とリンクしています。また、「革命的な、あまりに革命的な―「1968年の革命」史論」「大衆教育社会批判序説」「知の攻略シリーズ:1968」などと合わせてご覧になると、内容がよりクリアに把握できることと思います。
※昨年のすが秀実さんの講演レポ、「21世紀の問題を考える」も参考になるかもしれません。
※本講演内容と直接の関わりはないかもしれませんが、「ユリイカ 2005年8月号」に、すが秀実さんが「『受動的革命』の地平  一九六八年と文芸雑誌」を寄稿なさっております。併せてどうぞ。