今日のネタ

「浅田彰さんによる、先日の「北田×東対談」に対するコメント(?)」
東氏による「誤解をばら撒く行為」への批判であり、ブロガー全体への「誤解をばら撒く行為」批判でもあります。chikiも、自分への批判として読みました。正直、イベントレポの是非については未だに悩んでおり、現在は多くのイベントに足を運んでいても、ここで公開することを控えているという状況です。先日「東×北田対談」を補足という形で(冒頭のみ)書いたしたのは、対談を拝聴した者として「ここは違うかな」という部分を指摘したかったからなのですが(加えて、その内容に多大なインスパイアを受けたから、でもあります)、それを訂正する資格があるのか、むしろ広範にばらまく結果になっているのではないか、それを指摘する君は何様であるのかと問われれば俯かざるをえませんし、余計なお世話でしょう。イベントレポを勝手に行い続け、ある時期までそれをサイトの目玉としてきた者として(そして現在も、既にあるネタを紹介するという、他人の褌で相撲を取るようなサイトであることには変わりないわけですが)、憂国呆談での発言(一番下)と合わせて、浅田彰さんの批判は、その行為(講演レポ)のリスクと魅力(不可避的でもあり、メリットでもあること)を目の前にして、重く響いています。


「子供が減るのは、「危ない」のか」
男女共同参画」や「少子化」に関する赤川学さんの意見です。chikiは個人的に、「少子化問題」と言ったとき、「子供をいかに増やすか」「老人の年金を誰が払うのか」のみが中心的なテーマになることには首を傾げていました。政策に携わっている人は、当然ながら消費税や年金削減も視野に含めていると思われるし、移民対策も視野に含めているはずですが、より多数の情緒を代表するメディア討論などは――道徳レベルであれ「政策」レベルであれ――既に前提が固まっているように思える時があります。パフォーマンスなので、しょうがないのですが、その場合、「子供を増やせ」と言っても、「老人を減らせ」とはなかなか言わない。この「老人を減らせ」とはもちろん「年金をどれくらいカットするか」の比喩ですが(姥捨て山をやれ、とはさすがに誰も言わないでしょう)、得票の問題もあり、議論の土台を作ること自体が難しいのでしょうか。そこで、赤川学さんのアクチュアルな意見は、賛否あると思いますが、(例えば、一律カットか、高所得者のみカットか等も含めて)早急に議論が必要なテーマだと思います。


「Kaichiro MORIKAWA website」
オタクや建築に造詣の深い、森川嘉一郎さんのHPです。東浩紀さんのメールマガジン波状言論」にて、あるいは『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』にてその名を知っている方も多いでしょう。HPでは、森川さんがお書きになった文章を多く読むことが出来ます。それ以外には、以下のようなものもありますので、あわせてお読みください。


「第1回 「近代様式」と日本の都市風景」
「第2回 日本の美術教育の諸問題」
「第3回 日本の未来化とディストピア化」
「第4回 〈おたく〉という概念(前編)」
「第5回 〈おたく〉という概念(後編)」



「データで見るブログこの1年」
アメリカの動向と比較しながら2004-2005の日本のブログ動向をデータで振り返っています。ブロガーは確実に増えている様子で、経済的にも言論の雰囲気にも影響があるかもしれません。もちろん、これがあったから画期的に変わるとは到底思っておらず、例えば「差別的言説が増えた」という指摘についても、増えたのではなくむしろある側面が顕著になった、と捉えています。また、ブログは発言の場を与えてくれますが、誰もがフラットに発信者になれるわけではなく、一般的には毎日10〜30ヒット(自分で踏みました、を除く)、くらいのブログの方が圧倒的多数だと思うのですが、そこまでは調べられないのでしょうか。



「エロゲでの5頭身キャラが全面禁止になる?」
これはガセなのでしょうか、ガチなのでしょうか。どちらにせよ、最近の雰囲気では、どうも「ありそうなことだな」と思ってしまいます。この手のニュースが報じられるときは、(もちろんケース・バイ・ケースですが)言葉のみを禁止しても、発するものの意識や差別構造が変わらなければ効果はなく、むしろ別の差別を生むからやめた方がいいと一貫して思います。


「キタ辞典」
「キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!!!!」のAAが、これでもかってくらいたくさんあります。