福島市「常円寺」による除染活動を取材しました

2012年2月18日。この日は、福島県福島市にある「常円寺」の阿部光裕住職(僧侶名が鶴林=かくりんのため、ついたあだ名は「つるりん和尚」)と除染ボランティアの方々を取材した。




和尚は原発事故後、地元の除染活動をしながら、線量が高い土を、人気のない所有地の一角で一時的に預かっている。和尚にはお忙しい中、活動のいきさつや内容などを、丁寧に教えていただいた。


和尚「今回、原発事故が起きました。これはもう、どうしようもない。現実に降り注いできている。手も足も出ない。なんとかしよう、というレベルまでなかなかいかない。でも、やれる努力はやろう。しょうがねえなあ、って言いながら、やれる努力だけはやっていこう、と。
『除染なんてやってもムダだ』って言う人もいるじゃない。わあった。あなたは言ってろと。俺達はムダだって分かってる。だから、参ったなあってため息つきながら、でも、(線量の高い土を)ほうっといたってしょうがないだろうって。そしたらば、これをとって、人が住んでいないところに一旦置くくらいは、させろよって話なんだよ。
『ムダだ』って言うのはいいけど、それを選択してやってる以上、それくらい、させてくれって。『そんなことしたら被曝するぞ』、そりゃするよ。でも置いておきゃそれでも被曝するんだから、運ぶくらいはさせてくれって。
私は仏教だから、無常観、だね。喜びは続かないけれど、哀しみも続かない。絶えず入れ替わって変化していく。思い通りに行かなくて深いため息をつく、しょうがないなって言いながら、(除染を)やってくっていう選択をしている」


かつて病気で入院している旦那さんを支えながら畑仕事を続けてこられた、80歳ほどになる檀家さんのおばあちゃんがいる。和尚が「ばあちゃん、偉いねえ」と言うと、「偉くもなんともねえ。旦那がせっせとやってきた、あの畑を荒らしとくわけにはいかねえ」「身体が持つ限り、この畑を耕すんだ」と返すような方だ。旦那さんを看取ってからも、おばあちゃんは畑仕事を続けてきた。


その元気だったおばあちゃんが、原発事故後、「こんなことになるんだったら、こうなる前に死にたかった」と和尚に言ってきた。この話は象徴的なんだと、和尚は語る。

和尚「そこの土地は単なる土地ではなくて、先祖伝来、人の命がそこにあったというもの。理屈としてではなく、感覚として持ってる。それが、こんなことになって、『作るな』とか『作れ』とかって争いが日常になって。(そこにきての)その言葉は、とても重い。(でも)こういうおばあちゃんの感覚と、いま子育てしているお母ちゃん(の感覚)とは、やっぱあわないんだわ。(お母ちゃんは)「今こんな状況で作るなんて、信じられない」というわけ。でも、その気持も分かるわけ。(でも)作ってきた方の気持ちも分かるわけ。日常の中で、色んな対立の構造を生んでいって、それに荒らされてきたのが今の福島の現状で。非常に辛いよね、毎日がそれだから」


そこにあるのは、「ただの土地」ではない。特に、年齢が上の方になるほど、ふるさとや土地への愛着は強い。そんな中、自分たちが手を動かすことで、少しでも現状を改善し、そのうえで「行政をその気にさせる」のだという。


※参考:福島大学が行った避難住民へのアンケートでも、高齢者ほど「元の居住地に戻る意志」がはっきりと高いことが分かる。




※元データはこちら→「双葉八町村災害復興実態調査」 http://bit.ly/Hu9ADN
※報道された記事→「『故郷に戻らない』4人に1人 原発事故避難8町村調査」 http://www.asahi.com/national/update/1108/TKY201111080497.html





和尚は車で、仮置き場の場所へと案内してくれた。除去した土は袋に入れられ、大きな缶の中に密閉されて保管されている。

和尚「6月時点で、こうして(自分の敷地に)置きだしたの。(…)感覚的には、(みんな)生活圏に置いておくというのは嫌でしょう。だったらこういうところに(除染した土が)あったほうがいいというのが、私たちの判断なの。仮置くぐらいならね。永久に置くってなったら、話は別だけど」


和尚「この缶に近づくと……(ピーピーとアラーム音がなる)こうやって線量計が鳴る。でもこうして(一メートルほど)離すと……(アラーム音が止まる)こうやって、鳴り止む。缶の上でこうして測ると……12〜13μs/h前後だね。この缶の蓋をあけると、(土が)袋に入ってる。この土の上で測ると、15…16…まだあがるね。17μs/h。だいたいこのあたりだね」
――この缶にはどれくらいの量が入るんですか?
和尚「200だね、200キロリッター。重さにするのは難しいかな。水分含んだりで、結構変わるからね」




土の真上で測ると、多くの線量が計測されるが、1メートルほど離すと、それだけで1μs/h前後まで下がる。さらに10メートルほど離れると、1μs/h以下に。数センチ、数メートルの距離で、線量が大きく変わることがとてもよくわかる。

和尚「ちなみに、寺だけに、<TERAA>っての使ってるの(笑)」
――本当ですか?(笑)
和尚「当然(笑)。いや、色々使ってみたんだけど、これがなかなかいいんだよね。精度もいいし、時間もいい、すぐ(数値が)出てくれるからね」


和尚はたまに、こうした冗談を言うので愛らしい。


仮置き場に続き、和尚には除染活動の模様を取材させていただく。



取材時は、朝の9時頃。数人のボランティアの方が、朝から活動していた。




写真は、除染ボランティアの方々が作った、移動しながら線量を測るためのカート。キャリーカートや距離計などを活用し、クリップ、量り売りされているチェーンに、手頃な箱で自作。

――普段はどういうお仕事を?
A「普段は主婦をしています」
――カウンターの使い方は震災後に覚えた?
A「はい。普段使わないです。でも、必須科目になっちゃうかもしれないですね。もう小学生にも必須でいいと思うんですよね」

――普段はどういうお仕事を?
B「普通の会社員です。エンジニア」
――カウンターの使い方は?
B「震災後ですね」「日本中でこんな調査が必要になるなんて誰も思わないから。こんな(自作の計測)道具、もともとないからね」


ボランティアの方々は、みなさん震災後に、計測の方法や除染の方法を覚えた方ばかり。ちなみにこの時、マスク無しで取材していたことを、除染ボランティアの方に叱られてしまう。すみませんでした。






側溝や、水の流れやすい場所など、線量が高いところを探し、数字をチョークでマーキング。数値が高めのところにはゼオライトをまく。ゼオライトは、「ここは線量が高いぞ」という注意喚起にもなる。こうして、少しでも「ホットスポット」を「見える化」していく。


学校側には、子どもたちに、「ゼオライトを見たらそこから離れて歩くように」と指導するように依頼。土やゼオライトは、後ほど剥がし、袋につめ、缶の中へ入れ、仮置き場へ。

和尚「側溝なんかは、子どもが探検気分でよく歩くでしょう」「こういうところはどうしても高くなる」「子どもは道の真ん中を歩かないですよね。端っこを歩くでしょう。で、これ(高い線量の状態)がずっと続くと、バッジにきちっと現れちゃうので」「子どもが通う以上は、そこを少しでも下げてやろうと。それだけのことなんだ」「重機が入る行動は行政がやってくれるだろうけれど(入り組んだ山道はやってくれない)。でも、そういうところが、高くなるわけだから」


今でも地元の学校には、多くの子どもが通う。だからこそ、通学路などの子どもたちがよく通る道は、優先的に、丁寧に除染する。「全部(の道路)はできないんで、とりあえず子どもが通学するところだけはなんとかしようと」。通学路の一つは、かつては約60μs/hほどもあった。場所によって大きく数字も変わるため、高めのところを丹念に探し、線量を下げる努力を続ける。「行政から見たら笑っちゃうようなことでも、我々にできることって、そういうことだからね」と和尚。



除染に使う道具の一部


「ボランティアに除染をさせるなんて」という声も多い。ただ、除染ボランティアの方は、「子どもたちのために」とこうした作業に自発的に参加する人も多く、また一方で、現状の「ゼネコン除染」「行政除染」に疑問をぶつけるボランティアの声もある。曰く、除染方法が雑である、運搬の時にシートを被せるなどの配慮が足りない、運搬先の仮置き場は災害時に土砂流出の可能性が指定されている場所である、きめ細やかな動きができていない、といった批判だ。


和尚による、「ゼネコン除染」「行政除染」批判エントリ
http://blogs.yahoo.co.jp/oharuzizo/archive/2012/03/16


雑な除染では、むしろ逆効果にもなる。また、いくら行政が「やるやる」といっても、道路によって管轄が異なるなどの理由で、対応が遅れることも。「だからやるわけですよ。ここにあるより、あそこ(仮置き場)にあるほうがいいじゃない。そんだけのこと」「(これを)ほっとけ、黙ってろって言われる方が、苦痛でしょう」(和尚)。


和尚と車で移動中、つけていたラジオ(ラジオ福島)から、一度は子どものために避難したが、結局は福島に帰ってきたという方の話が流れていた。


その方は避難先で、「浪江とかならともかく、線量が低い福島市なんだから、福島市に帰れ」と言われ、グサッときたという。「そういう思いをして避難生活を続けるのと、福島市に戻ってくることと、どっちが我々の健康にとっていいのか、悪いのかと考えると、やっぱりストレスを我慢するほうが、直接的に体調に現れるんですよね」。そのため、たった五ヶ月で避難生活を終え、福島市に戻ってきたという。


福島市内では、線量の高さは気になるし、食べ物にも気をつかうけれど、住み慣れた場所なので、リラックスして暮らせる。避難する人、避難しない人、非難したけど戻ってきた人といるけれど、どの選択をしても簡単ではない。それぞれの選択に、それぞれの苦労がある。ラジオ番組で其方は、そのように語っていた。それを車中で共に聞いていた和尚は、「(自分と)同じようなこと言ってるね」とつぶやく。見えにくい問題が、まだまだ山積みだ。


※なお、後で調べてみたところ、この番組はラジオ福島の『獨協の絆』という番組だった。検索したところ、podcastが見つかった。「第7回/平成24年2月18日放送」というところで聞ける。
http://www.dokkyo.com/news/030/001761.html


和尚は取材中、次のようなことを語った。

和尚「しょうがないんだよ。影響があっても、甘んじて受け入れなきゃって状況だから。それが嫌なら、出ていってもいい。それは悪いことじゃないからね、ちっとも。だけど、とどまってそれを受け入れるという選択も、別に自殺行為でもなんでもないんだよ。人間が過ちを人間が受け止めるということだから。」


また、和尚は僕が取材をさせていただいた翌日のブログで、次のように記していた。

今日も除染活動をします。
悲しいけれどさせていただきます。
自然に濃縮されてできてしまったホットスポットのみを除染します。
それは儚い行為かもしれませんが、
生きていくために最小限必要ではないかと思うものを
とりあえずさせていただきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/oharuzizo/archive/2012/02/19


そして、その次の日のエントリーでは、以下のような記述がありました。

生活区域、特に子供目線で行動範囲を考えて計測します。
見つけた場所にはゼオライトを撒き、
小学校などを通じて子供たちが近寄らないように注意を促してもらっています。
そして、ボランティアの皆さんと除去していきます
(…)
子供を避難させる親の気持ちが十分過ぎるほどに解ります。
留まることを選択した人は、防護のための徹底した智識の習得も必要です。
なおかつ、精神的負担の軽減を図ることも大事です。
そのいずれも中途半端にしか支援しない行政は必要ありません。
自分たちの理屈だけで、民間人の意見をほとんど集約できない
温室育ちに何を言っても無駄かもしれませんが、
それなら邪魔だけはしてほしくないと思うのです。
まだ福島は非常事態中なのですから・・・


「避難か除染か」と単純化できるわけではない。避難する人も、留まる人も、それぞれの選択に、それぞれの事情と苦労を抱えている。除染活動も、今回のような方法論だけではない。場所や担い手などによっても様々で、除染活動の実態や事情でさえ一括りで論じることは難しい。


参考:「除染ボランティア」はこんな活動をしている
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111114/223830/


でも、「外」からの大雑把な論議が止むことはない。このギャップを埋めるためにこそ、まだまだ報じるべきことはたくさんあると思わされる。



【リンクなど】
常円寺のウェブサイト
http://www.oharu-zizo.jp/


「つるりん和尚」のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/oharuzizo


和尚の除染活動を取材した方のブログ
http://asama888.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-62ee.html


福島の「見えない雪」は今:ロイター通信
http://bit.ly/zIE1jF


原発震災に対する支援とは何か ―― 福島第一原発事故から10ヶ月後の現状の整理 猪飼周平
http://synodos.livedoor.biz/archives/1891136.html


福島県二本松市郡山市での取材記録:荻上式ブログ
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20120329/p1


youtubeに、和尚を取材した方の動画があがっていたので紹介。