すが秀実さんセミナーのおしらせ

「或る覇権的知識人と新左翼の歴史――吉本隆明を例にして」


セミナー概要
「知識人の終焉」が宣告される一方で、「知識人」という呼称は、いまなお頻繁に流布している。言うまでもなく、「知識人の終焉」を宣告したのは、「新左翼」のムーヴメントとしてあった世界的な「1968年の革命」であり、それ以後、「知識人」は以前とは異なったありかたを問われているはずである。しかし、それがどのように可能かについては、いまだ明確な解答は出ていない。本セミナーでは、古典的な知識人の理念型としてあったサルトルの日本的な定在と見なしうる吉本隆明を例にとる。新左翼の歴史に沿いながらその足跡を追うことで、今日の知識人問題にもひとつの照明を与えたい。
言うまでもなく、日本の新左翼は60年安保闘争を以って大衆的に登場した。吉本隆明は、それに実践的にも理論的にも積極的にコミットすることで知識人界のヘゲモニーを掌握していく。本セミナーでは、まず、吉本が知識人としてのヘゲモニーを確立していくことになる50年代後半からの花田清輝との論争の再検討をつうじて、そのヘゲモニー確立が新左翼にとっていかに必要な作業であったかを見る。それは、内容的には決して勝利ではないにもかかわらず、「勝利」として現象しなければならないものだった。続いて、60年安保闘争の総括をめぐって、吉本は丸山眞男黒田寛一武井昭夫との論争に次々に勝利していくが、これは、実は60年安保で解体したブント(共産主義者同盟)の再建問題と、実は深く関わっていたのである。しかし、ブントは再建に失敗した。吉本は「自立の思想」を掲げて理論活動に専念していくと見なされているが、そう簡単に言えないところが多い。新左翼学生への影響力を喪失しては、知識人としての存在が危機に瀕するからである。このようななか、「68年」が勃発するが、そこで吉本は、日本のさまざまな「68年の思想」(廣松渉から津村喬まで)との対決を迫られる。これを、吉本はどう乗り切ったか。これまた、吉本の勝利とは言えないにもかかわらず「勝利」として現象するのである。「68年」においては、学生には吉本が良く読まれたというのは、後世に作られた神話だが、そのような神話が流布することによって、日本における知識人概念が誕生した。しかしそれは、知識人概念の空洞化を代償としたものでもあった。


すが秀実(すが・ひでみ) 1949年新潟県生まれ。文芸評論家・近畿大学国際人文科学研究所教授。著書に、『革命的な、あまりに革命的な』(作品社)、『「帝国」の文学』、『「超」言葉狩り宣言』、『昭和の劇』、『必読書150』『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』などがある。

応募はこちらより。芹沢一也さんと私が司会&聞き手となり、少人数ならではの有意義なセッションにしたいと思います。

http://kazuyaserizawa.com/synodos/seminar/index.html#13