就職サイトのアーキテクチャ

本田由紀さんが「就職情報の大学間格差生成装置としての就職サイト」というエントリーを書いて、ちょっとした話題になっている。以前「読書会チャット」をしたとき、実は就職サイトの話になって、いつかエントリーを書いてみたいと思っていたので興味深く読む。そのとき、就職サイトに登録して画像を集めたりしたので、せっかくなので簡単にご紹介。


その前に、大学名によってくるDMの数が違ったり、大学への斡旋が少なかったりすることはこれまでもあったし、某大手保険会社の人事部、某広告代理店の人事部の話では(どちらも友人)、面接をしてもよほどのことがない限り偏差○○以下は落とす、という話も聞いていたので、今も変わらないんだなぁと思わされている。東京大学の法学部出身の友人は、面接のとき一人だけ別室に案内され、社長に「よろしく頼むよ」と頭を下げられたりしてたっけ(もちろん特に面識があるわけでなく、ただ履歴書を提出しただけ)。


同様に、登録する大学名によってメールの数が違うことは、登録している人もある程度分かっている部分でもある。例えば就職サイトによっては「お知らせ箱」のほかに「ドラフト箱」というものがある。「お知らせ箱」には、希望した職種の募集があるとお知らせのメールが来るのだけど、「ドラフト箱」は、登録者の才能を見込んだ企業から是非きてくれという趣旨のメールが届く…というのはタテマエで、実際はある一定の登録条件をクリアした人にコピペの文章が自動的に届くようになっている。この「ドラフト箱」には、露骨に学歴や資格が関わってくる。というのも、就職サイトでは、次のような登録画面がつきものなので。










これら登録した情報によって紹介される就職情報が異なるのは、amazonが紹介する本を人によって変えているように当然のように行われていて、しかもそれが「便利」だったりする。もちろん「学歴」での区分けは、先も言ったようにこれまでもあったし、これからもあるとは思うけれど、気になるのは就職サイトの登場で(ここ10年くらいで)「就職活動」のステージが結構変わったように思うということ。これを、これまでの暗黙のルールが単に可視化されたと捉えるべきか、やはり大きな違いが生まれると捉えるかはまだ考え中。


ただ、これだけの技術を多くの人が利用することは、結構大きな影響を持つとも思ったりする。これらは単に「企業のニーズ―媒介―雇用のニーズ」という視点ではなく、「媒介」自体の変容に注目する必要はあるだろう(メディアは伝達のためだけに利用される透明な道具ではない)。また、これは例えば「環境管理型権力」などの議論と重なるだろうし、あるいは昨今の「大学の自治」問題の変容と考えていく必要はあると思う。というわけで、こういう動向を追った論文とかがあれば是非読んでみたいと思うし、意義あることだと思います。