ハッキングされる美術批評 ──黒瀬陽平さんロングインタビュー

2008年5月某日、渋谷にて美術家・黒瀬陽平さん(id:kaichoo)のインタビューを行いました。黒瀬さんといえば、ミニコミ『RH』の編集委員であり、『思想地図』に掲載された公募論文「キャラクターが、見ている ―アニメ表現論序説」などでも注目を集めている、「新進気鋭」という言葉がストレートに当てはまるような批評家です(黒瀬さんは1983年生まれ)。インタビューでは、『思想地図』論文の背景にある、黒瀬さんの問題意識や生い立ち、手法への意識などを中心にお話を伺いました。


『思想地図』論文を読んですぐに話を伺いにいったのですが、公開が少し遅れてしまいました。すみません。それでもなお、鮮度たっぷりなインタビューを、どうぞ一気にご覧くださいませ!(「インタビュアーのくせに喋りすぎ問題」は、今回は平気なはず!)




■プロローグ:『思想地図』論文への問い 渋谷のカフェにて
荻上:今回は、黒瀬さんが、その批評言説の供給源をどこに求めているのかといったお話を伺いたいと思っております。一つは黒瀬さんの出自や手法について、そしてもう一つは、黒瀬さんが現在の批評の磁場、すなわち一種のエピステーメーに対してどのような観察をしているのかといった論点です。


今回の黒瀬さんが『思想地図』に寄せられた論文、「キャラクターが、見ている。」において、分析の対象とされていたのは「萌えアニメ」でしたが、僕は現在、「萌えアニメ」という特定のジャンルに対するある種の語りが、ある「批評」の場において特権化されるのは何故なのかが素朴に気になっています。例えば黒瀬さんも取り扱っている『らき☆すた』や『あずまんが大王』などは、ある意味で既に「語っていいもの」として受け入れられているわけですよね。そういう磁場のようなものをどのように意識しながらお書きになっていたのか。あるいは、その上である種の作品群を選択するというのはどういうことなのか――例えば黒瀬さんの論文の切り口で言えば、今ならアニメ版『絶望先生』をさらに加えるような気がするんですが――。


黒瀬:ええ、当初は入れようとも思っていました。ぼくは新房ファンですからね。『ぱにぽにだっしゅ!』についての言及は、作品の重要度から考えると短すぎる、と感じられた方もいると思います。でも『絶望先生』に関しては、その時点ではどうしても狭い意味での「ネタアニメ」分析になりそうだったので、それならば『らき☆すた』のほうが射程も広いだろうと。執筆中に『絶望先生』第二期が始まって、正直よくわからなくなった、ということもありますけど。


ご存じのように、新房昭之あるいはシャフト作品のおもしろいところは、アニメ映像としての許容度の高さというか、「黒板ネタ」に象徴されるように、プロダクトとしてのTVアニメでは捨てられてしまうようなネタがたくさん入っているところですよね。金巻兼一さんや高山カツヒコさんのお話なんかを聞いていると、たしかに脚本レベルでとっても厳密な構成があるんだけれども、出来上がった映像を見ると、「えっ、こうなるの?」みたいな(笑)。それこそイメージの文法というか、言語で記述できるレベルとはズレたところに、どんどんイメージを差し込んでるような印象がある。それを可能にしているのは新房監督のある種の「寛容さ」だと思いますが、一番重要なのは、そうやって出来た映像が「実験的」「前衛的」に見えないということです。奇抜な演出をやってアートっぽくしたり、オシャレにしたりするのは美大生でもできるわけです(笑)。


そういう意味では、『ひだまりスケッチ』はすごいと思う。あの映像を見て「まったり」してる人達がたくさんいること自体がすごいでしょう。だいたい、『ひだまりスケッチ』ではどういうロジックで絵作りやカット割りがされているのか、正確にはわからない。もちろんビジュアルのアナロジーでつないでるとか、そういうレベルでは説明できるだろうけど、たとえば同じシャフトで大沼心が監督した『ef』と比べてみると違いがわかる。『ef』の演出はすごく理屈が通ってるし、原作のテーマを十分に理解した演出で、とっても見応えがあったし、美少女ゲーム原作ものアニメの、ひとつのスタンダードになり得るものかもしれない。でもその分、とっても優等生的に見えるわけで、『ひだまりスケッチ』のような謎はほとんどない。


これは論文中でも何度も強調していますが、ひとつ大きなテーマとして、アニメ批評における「消費分析」あるいは「コミュニケーション分析」の拡大に対して、「表現論」を持ってくるということでした。そのおかげで結果的に「萌えアニメ」に対して楽観的な、いささか能天気な論文になってしまったとは思いますが、荻上さんがおっしゃる「アニメ批評の磁場」のようなものこそが、消費分析やコミュニケーション分析が支配的になることによって生まれているのだろうという直感がありましたから、まずはその状況を打破するために表現論の強調は必要だったと思ってます。


ですから、『ひだまり』や『絶望先生』といった作品についての個別の分析は、これから書く「アニメ表現論<本説>」での大きな課題ですね。


荻上:(笑)。そういった作品群を表現論的なフレームで分析する、その欲望はよく分かるわけです。限定的な趣味共同体での解釈論争、あるいはある思想的な枠組みの再確認のようなもので済ませるものであれば、「批評」という言葉でとりたてて語るべき必要もなく、それこそコミュニケーション、現象として分析すればいいわけですね――もちろんどちらがいいという話ではないですが。でも、黒瀬さんの論文はそうではない。表現についての分析に向けられていて、しかしそのまなざしは「萌えアニメ」に対して限定的なものというわけではないことが伺えるわけです。表現論を選択することは、「ジャンル的思考」への批判を必然的に含むはずですから。


黒瀬:そうですね。もちろんぼくの表現論には「萌えアニメ」をジャンルとして囲い込むような、アカデミックな動機はありません。重要なのは、ぼくの分析が萌えアニメに限定的なものではないといっても、「アニメ」全般には適応できないということです。論文後半を読んでいただければわかるように、ぼくが萌えアニメから読み取った表現の原理は、美術批評のフォーマルな作品分析によって明らかにされる技法(例えば「逆遠近法」)と似たものであって、分析の手つきとしては完全に美術批評です。なので、対象が萌えアニメでなくなれば、たとえ同じアニメであっても同じ原理が適応されないのは当然で、そのつど個別の技法、技術について分析されなければならないでしょう。そういえば『思想地図』公募論文の最初の打ち合わせで東さん、北田さんにプレゼンしたときも、まっさきに口にした文献が、E・H・ゴンブリッチとかですからね(笑)。


■美術への関心
荻上:その黒瀬さんの問題意識の背景を本日は伺いたいと思っています。もちろん、今回の論文だけでなく、黒瀬さんが編集されているミニコミ『RH(レビュー・ハウス)』などの背景もあわせて。そうですね、まずは黒瀬さんの、これまでの歩みなどから教えていただけますか?


黒瀬:じゃあ、簡単な生い立ちから。僕は高知県出身なんです。これは高知から離れてわかったことですが、高知ってちょっと「異国」的なところがあるわけですね。北には険しい四国山脈があって、南はすべて太平洋で、ちょっと沖に出れば激しい黒潮が流れています。昔から高知は、入るのも出るのも困難な山と海に囲まれた隔離された場所なんです。いまでも四国には新幹線通ってませんからね(笑)。昔は流刑地だったらしいし、高知に行くのは罰ゲームみたいなもんですよね(笑)。つまり、生まれた環境は全然「ポストモダン」ではないわけです。農業と土木と自民党が中心の、きわめて封建的な土地だった。


そんな環境のなかで、ぼくはアニメオタクにはならずに、絵画オタクになった。昔から絵描きになろうと思っていたんです。中二のときに、自宅にあった美術全集の中からピカソの分析的キュビズムの初期作品「パイプをくわえる男」を観て、衝撃を受けたんです。こんな絵見たことがなかった。こんなものがこの世にあるなら、絵描きになるしかないと。それで、全集にある絵を片っ端から真似したんですね。それはもう、一人で美術史をやるくらいの気持ちで、模写したり、お気に入りの画風で絵を描いたりして。そのころから理屈っぽいヤツではありましたから、描くだけじゃなくて、言葉でも美術史も勉強しようとしたりして。もちろん教科書は高階秀爾先生監修の『カラー版 西洋美術史』ですよ(笑)。


中学のときはそうやって美術史を学びながら、ひたすらスケッチブックをためまくっていたわけですが、同時に村上龍村上春樹なんかを読んだりしながら、同時代にどんな人がいるかが気になりだしたんですね。田舎にいると恐ろしいもので、美術を勉強していても同時代の作家というものが目に見えないから、中学のあいだは横尾忠則岡本太郎にハマっていました。高一の時に横尾忠則風のコラージュ作品を作ったところ、高知県の「県展」で、最年少入選したんですね。そのときに自分の美術の先生はそれに落ちてしまって、微妙に気まずい関係になったという、なかなかいい話もあったりするんですけど(笑)。とにかくそのあたりでひとつの区切りがありました。


それから現代美術に興味を持ち出して、大竹伸朗の真似を1年くらいしていた。それから高三のときに、県展で洋画、デザイン、立体の三部門を制覇したんです。その時、「なんとなくもういいかな」という感じがした。達成感というよりは、このやり方の先にはもう何もないなと思って。ちょうどその頃に9・11が起こったんですが、そのショックでかなり色々とモノを考えるようになったわけですね。ここがふたつ目の区切りです。元々左翼っぽい少年ではあったわけですけれど、それをきっかけに一気に左傾化していくわけです。


家でニュースを見てても、素朴な右である父親と大激論になって(笑)。それで、ネットでアフガニスタンのことをガンガン調べて、父親を徹底論破するために証拠を集めまくった。でも、いくら証拠を積んでも父親は認めてくれないので、毎日不毛な口論を食卓で繰り返していました。あのときの母親の、何とも悲しげな目は今でも忘れられませんよ(笑)。


左傾化してゆくのと平行して、PC(ポリティカル・コレクトネス)アートと呼ばれるものに強烈に惹かれていきました。そのころのぼくは、美術は政治的でなければダメなんだとすら思っていて、政治的な意味を持つ作品ばかり作っていた。「美術の政治性」と作品の「政治的メッセージ」を短絡させていたあたりが、なんとも恥ずかしい過去なんですが。そんな調子で受験勉強もロクにせずに作品を量産して、高三の最後に友人と二人展をやったんだけれど、それでまた政治的な作品に対する興味も区切りがついたんですね。やはり「もういいかな」みたいな感じで。


荻上:その間、絵画以外のことは何かやってたんですか?


黒瀬:バレーボールやってました。エースで、キャプテンで、中学の時は県代表に選ばれてましたよ。


荻上:華やかですね(笑)。では、PCアートの文脈について、もう少し教えていただけませんか?


黒瀬:いや、毎日毎日練習ですからね、華やかなことなんて何もなかったですよ(笑)。
PCアートについては、世界的に見ればハンス・ハーケとか、60年代のコンセプチュアル・アートを受けて出てきた人達がPCアートのハードコアなんですが、日本にはそういう激しい人はあまりいなくて、ぼくが表現レベルで興味があったのは『ヒノマル・イルミネーション』の柳幸典とか、『ゼロ戦』の中ハシ克シゲとか、『遠近を抱えて』の大浦信行とかでした。彼らは厳密な意味ではPCアートとちょっと文脈がちがうかもしれませんが、芸術の外部に表現の根拠を求める、政治的正当性をもって作品の自律性を主張するような作品であるという意味で、ぼくのなかでPCに分類してました。


荻上:なるほど。文学批評においても9・11以降、例えば小森陽一さんに象徴的なように、文学の正当性を政治(批判)に、あるいは政治(批判)の正当性を文学に求めるような動きはありましたね。ある種の基礎付けをそれまで批判していた側の人が、露骨な意味の無限後退にぶつかったとき、逆に強力な基礎付けに傾くというような。


黒瀬:もちろん、表現の根拠を外部に求める作品については、歴史家がどのように位置づけするかによっても変わりますよね。PCアートだからといって、特定の政治性に置いてしか評価できないというわけでは必ずしもないわけですよ。コンセプチュアルアートでもフェミニズムアートでも、一度、歴史的言説に回収されると、そういうプロジェクションをその後もされがちだけれど、その起源においてさえ複数の問題が交錯していることはあるわけですから。


荻上:「表現」である限りはそうですね。


黒瀬:ちょうど去年、ロサンゼルスに行ったときに、たまたまMOCAで「WACK! -ART AND THE FEMINIST REVOLUTION」という展覧会を見たんですが、これが素晴らしい展覧会だった。出展作品はだいたい60年代から70年代のフェミニズムアートが中心に構成されてるんですが、とにかく作品に強度があるものが多い。表面的にはどう見てもド真ん中のフェミニズムアートなんだけれども、見れば見るほどいろんな問題が作品の上で交差してくる。日本の言説では、ルイーズ・ブルジョアとかエヴァ・へスとか、フェミニズムアートのなかでも、あからさまにモダニズムのフォーマルな造形意識が読み取れる作家を評価することが多いですが、そのへんはもう当たり前という感じで、もっとノイジーな傑作がたくさんありましたよ。


絵画でも、Louise Fishmanの『Angry』シリーズはとてもいい作品だったし、Joan Snyderの70年代の作品なんか、こういう展覧会で見るとより魅力が引き出されるんだけど、日本だとうっかり単にポスト抽象表現主義の一作家として紹介されかねない。まさに複数の言説が交差した結果生みだされた作品だと思うんですけど、日本ではあまりそういう作品を見る機会がないですよね。
オナニーする女性器のドアップに、時々風景がオーバーレイする、みたいな映像作品をボーっと見ていると、えも言われない不思議な気持ちになってくる(笑)。


まあそうは言っても、80年代くらいからは初期PCアート影響を受けた、本当に政治的正当性にしか作品の根拠がないようなインスタレーションや、「回答先にありき」的なアーカイブ系の作品が、日本だけでなく世界的に量産されたようですが。


荻上:先ほどの文学批評の例は「批評する側」の例ですが、表現と批評の応答によって、そのようにモードが閉塞していくこともありうる話です。


黒瀬:もちろんそういう人たちは、もはや忘れられているんですけどね。ぼくは高知のような、ヘタをすると前近代的な土地に育ったために、思春期にはとりあえずちゃんと「モダニスト」になろうとしていたわけです。だから、9・11の影響で高揚していた左翼精神が落ち着くと同時に、PCアートのような他律的な表現からは自然と興味が失せていったという感じですね。


サブカルチャーへの欲望
荻上:高校卒業以後、黒瀬さんは大学でどのような研究をなさっていたのでしょう?


黒瀬:ぼくは美大に行きましたから、基本的には作品をつくってました。批評は独学だったし、研究と呼べるようなことはしてなかったんですが、大学に入ると、本当のモダニズムの言説に触れることになりますから、そうなるともう王道のグリンバーグやロザリンド・クラウスなんかを素直に読んでましたよ。それでも言説そのものに興味があるわけではなかったから、アメリカ型のフォーマリズムどっぷり、という感じではなかったです。京都だから、村上華岳とか須田国太郎とか好きだったし。それに、大学には美術批評史の授業って全くないんですよ。シラバス読んで、いちばん通史的っぽい美術史の授業に出てみたら、半年間シエナ派の話を聞かされて、え?これで終わり?みたいな(笑)。


まあ、独学でやっていると、自分のまわりにそういう仲間がほとんどいないから、逆に変なやる気とかが出てきて、京都での学部時代はアニメとかあんまり見てませんでした。自分のなかに、サブカルチャー的なものに対するある種の抑圧が働いていたことも事実だと思います。


こういうことは事後的に振り返ると明白なんですが、さっき語っていた中・高校時代から、ずっとアニメに対する欲望を抑圧していたんです。中学から画家を目指して、とりあえずモダニズムに没頭していったという流れがある一方で、ぼくはたしか『エヴァ』放映時、シンジ君と同い年で、まわりはエヴァブームですごい盛り上がってた。ぼくは表向きには美術少年だったから、エヴァの影響で、にわかにナヨナヨと内向的になっていく同級生たちには本気でムカついていたんだけど、よくよく思い出してみると、当時、アスカの同人誌とか買ってるんですよね(笑)。しかも加持×アスカとか、ヌル〜いカップリングのね。『エヴァ』なんてものに価値があるわけない、しかしアスカはかわいい、みたいな(笑)。


決定的だったのは小学校の頃から興味を持ちつつ、ずっとできなかった、というかどこに売っているかわからなかった(笑)エロゲーをやったことですね。そのときはむろん、単にエロいものとしてやった。高校2、3年のときに同級生に、エロゲーを百本くらい持っている神みたいなヤツがいて、そいつがある日、おもむろにJellyfishから出ている『GREEN 〜秋空のスクリーン〜』というエロゲーを貸してくれたんです。いきなりそのソフトをセレクトしたそいつは、今から振り返っても本当に神だと思うんですが、たぶんこの経験が決定的だったんだと思います。『GREEN 〜秋空のスクリーン〜』という作品は、Hシーンがすべてアニメーションになっている名作で、ものすごく嬉しかったわけです。これからエロゲーはこっちの方向に進化していくんだ、と思って感動したんですが、その後エロゲーをやらずに、しばらくたってどうなってるんだろうと思って見たら、歴史が結構切れていてビックリしたという。


荻上:性的な文脈をカッコにくくった上で話を進めれば(笑)、サブカルチャーに対するある種の親和性があったというわけですね。対象に向けて隠し持っていた感情があからさまになったとき、語りの欲望みたいなものが前景化したと。


黒瀬:それが今みたいに前景化するのは、大学院に入って上京してからですね。京都にいると、街を歩いてもサブカルにあまり触れないで済むんですよ。ぼくは銀閣寺とか「哲学の道」のすぐそばに下宿してましたから、むしろハイカルチャーに触れる機会が多くなるわけですが、上京してケーブルテレビを引いて、深夜にアニマックスとかキッズステーションとかを眺めてたりすると、もう目覚めますよね。どうやら動画が、つまり画像が動くことに対して快楽を感じるのだということを思い出して。


そういうことを自覚しはじめてからやっと、自分の作品のなかでもアニメ的なものが表面化することに躊躇がなくなったんです。それまでは、やっぱりすごく抵抗があった。
美術批評のなかでも、いまだにマンガ・アニメ的な要素のある作品に対してのボキャブラリーが極端に少ないんですよ。ちょっとでもそういう要素が見えると大雑把にひとまとめにされてしまうようなところがあって、ぼく自身もそういうことを気にしてた。いまは自分なりに、ある程度解釈のレイヤーができたので、もうそういう悩みはないです。だいたい、作品にマンガ・アニメ的な要素が見えることと、単にマンガやアニメを引用することは全然ちがう。当たり前のことですけど。


最近は硬直したようなイラストレーターの絵が流行っていますけど、ぼくはどっちかっていうと、原画家の絵が好きなんです。その前後の動きを線の中から予感させる、運動を線や画像に圧縮する技術があるわけです。そうしないと原画と原画の間をつなぐ動画マンが困りますからね。アニメ雑誌のグラビア絵とかはだいたいアニメーターが書いてるから、線に動きを感じますよね。その違いは一見しただけで明らかなわけで、そういう技術を人が獲得することについて考えてみたかった。
大学院の修了制作の絵はそんな感じの問題意識でやってました。


荻上:どうしてそれらを批評しようと? 元々批評に対する欲望といったのはあったわけですか?


黒瀬:描線論的なことには興味はありましたけど、どうも論理的にならないし、実際に作品でやった方が早いということはわかっていたので、まずはアニメ抜きにして美術批評に対して自分が何を出来るかを考えていました。そのときから美術批評は、素人目に見ても閉鎖的で停滞していましたから。しかしそうは言ってもぼくはただの学生だったし、美術の業界で実作者が、直接批評に関わることのデメリットはとてつもなく大きいので、作品を発表することで介入するしかないのかなぁ、とか思ってたんですけどね。


そんなときにちょうど、アニメに対する気持ちが戻ってきて、同時にアニメ批評っぽいものを読んでいたりすると、何となくこっちのほうが可能性があるのかなとか思った。まあその直感は完全に間違っていたわけですが(笑)、でもそのときは美術批評と比較して考えているから、ある程度の妥当性はあったと思うんです。


どういうことかというと、アニメ批評にしても美術批評にしても、マイナーで閉鎖的であることには変わりないんですが、それぞれの履歴が全然違うわけです。美術批評というのは、いちおう日本だけではない歴史があって、その継承性というのはある程度目に見えるかたちで残っていますよね。だから美術批評内の言説の布置そのものを変えることはなかなか難しい。


それに比べると、アニメ批評というのは、ただ単に発展途上であるように見えたわけです。よきアカデミズムがないかわりに悪しきアカデミズムもないので、これまでの言説に対するレファレンスをちゃんとして、人がやっていないことをどんどんやればいいんじゃないか、と思った。今思えば全然そんなことはなくて、アニメ批評はアニメ批評で、歴史が浅いなりにがっつり閉鎖していて(笑)、それはもはや批評の内容レベルの問題ですらないわけですが、とにかくそのときは、美術批評と比べればまだ、介入する余地はあるんじゃないかと思ったんです。


たとえば伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』は2005年に出ていますよね。それを受けて『ユリイカ』で「マンガ批評の最前線」という特集が組まれたのは記憶に新しいですが、同時にその時、『美術手帖』でもマンガの特集があって、伊藤剛×椹木野衣対談とかやってるんですよ。ぼくはリアルタイムでそういう動向を見ていて、美術手帖ですら反応してるんだから、これはまちがいなくアニメ批評でも新しい表現論がどんどん出てくるだろうと思ったんです。それこそアニメ版『テヅカ・イズ・デッド』が書かれるだろうと。でも実際は、1年経っても2年経っても目立つものは出てきませんでしたよね。じゃあぼくがやってもいいのかなと。 


■美術批評とアニメ批評を越境すること
荻上:今回の論文をお読みになった方は、あるアニメ批評圏の仕事を――伊藤さんや東さんといった文脈を――意識していたのではないかと感じるように思いますが。


黒瀬:伊藤さんや東さんらのような、見通しのよい言説を前提にしなければいけないと思っていたことは確かです。要は、「使える」論文を書きたかったんです。萌えアニメの話ばっかりしていても、表現分析としては開かれていたかった。つまり美術にとっても他人事ではないと。美術の中にもそう感じている人はたくさんいるにもかかわらず、どうも論理的な仕事が出てこない状況に介入するためには、「使える」論文を書くしかないと思っていたし、一読者として、そんな言説さえ周辺の消費分析の隆盛に押されて、本来のポテンシャルが引き出されていないような気がしていた。そういう状況に介入するために書いたのが前半の「物語論」vs「表現論」ですね。


荻上:美術系で育ってきた背景から、ある問題群への意識があり、その考察のためサブカル系への言説を経由することによって、その問題群への見通しを立てることが出来る、と考えたわけですね。美術批評のためのブリッジとして、アニメ批評を行うこと。


黒瀬:そうですね。その美術系の問題群ということでいえば、椹木野衣さんのデビュー当時の仕事から『日本・現代・美術』、「日本ゼロ年」展を経て、『爆心地の芸術』くらいまでは、やはりとても革新的で、「ブリッジ」になる可能性があった。


椹木さんの仕事がよかったのは、戦後日本美術を記述する方法が新しかったということです。日本の戦後美術というのは、原爆の記憶をトラウマとして「爆心地(グランド・ゼロ)」の上で反復している、「戦争画」なんだという見方ですね。廃墟の上に何を作るかということを考えた場合、未来そのものも廃墟の上に成り立ってしまうから、構築的なものが全て瓦解してしまうという繰り返しがあると。そういう言い方はやっぱり新しかったし、なぜ日本で前衛や大文字の美術が流産し続けたのかということを説明する一つのモデルになり得た。とくに浅田孝や小松崎茂成田亨といった新しい固有名が戦後美術史に組み込まれたインパクトは大きかったと思うんですが、ぼくから見ると、それは歴史認識の問題から出ないんですよね。その歴史認識は確かに有効であると思うけれど、彼が日本的だと思っている作品の中にも、表現レベルで日本近代化のいびつさのようなものが現れている以上、それをどのようにして語るかという方向に関心が向くわけですね。


椹木野衣さんは歴史の反復を言いながら、ロジックの反復をしてしまう。美術というのはそもそも戦後日本に輸入されたもので、翻訳語であり、様々な不純物が交差して出来たものであると言う。これは北澤憲昭が『眼の神殿』(89年)で言っていたことですね。それを戦後日本美術に適応したところにオリジナリティがあることは間違いないし、その「適応」してゆく過程が非常にスリリングで面白いのですが、最近の彼の仕事を見ていると、それを説明するためのケーススタディを繰り返しているように見えてしまうんですね。「美術の不確定さ」を反復するための論証。


それがなぜまずいかといえば、テーマ批評にしかならないからです。彼が扱うのは戦争画であったり万博だったりするわけですが、結局はいわゆる「サブカルチャー」しか扱わず、同時に、明示的に戦争が取り扱われている、ガンダムやヤマトやアキラといったものしか扱えない。でも、僕らが生きている今明示的に戦争を描いているものというのは、ことごとく失敗しているわけですね。最近でいうと『ガンダム00』とかでしょうか。そういうものしか扱えないとなると、たとえば日本近代における美術の「怪物性」などを指摘しようとしても、テーマ批評的な着地点にしか到達できないのではないかと。


つまり現代に限らず、少なくとも戦後日本美術の「怪物性」のようなものは、テーマ批評的に回収しきれるものではない。表現レベルで散り散りに飛び火し、また潜在していて、その継承性を言語化するのはテーマ批評では限界がある。実際に「日本ゼロ年」展以降、成田亨高山良策らの造形に注目が集まり、展覧会も開かれたけれど、では彼らの造形のどのようなところがすごかったのか?戦後美術批評という射程を意識した上での本質的な分析はまだ出ていないと思う。


荻上:テーマ批評的な手つきが、戦争の美学化、つまり「詩としての死」いう形をとって暴力を否定的なしかたで温存することについては、表現論的な批判は可能ですよね。もう一つは、「45年トラウマ説」という歴史観や文法への批判もありうる。


黒瀬:「45年トラウマ説」以前の椹木さんの仕事、たとえば91年に出た『シミュレーショニズム』についての議論はとてもいいと思っている。なぜならひとつは、消費と流通の問題を美術でどのように扱うかという点について、しっかりアンテナが張られていたからです。消費社会化が、もはや後戻りできないくらい進行してゆくなかでの美術について考えていた。それはもちろん当時の世界的な流行ではあったとは思いますが、たぶん当時としても相当緻密な仕事だったんじゃないでしょうか。


しかしもちろん疑問もあって、『シミュレーショニズム』では<サンプリング>、<カットアップ>、<リミックス>という3つの手法を上げ、それらはコラージュという手法とは決定的に違うんだという議論をしている。コラージュというのは自分のため、主体のために構築されるのに対し、サンプリングは自らの主体性をバラバラにすると書いていますが、それのどこが違うかは書かれていない。同じじゃないか、という批判が可能になってしまう。


荻上:事後性に頼らざるを得ませんからね。


黒瀬:そうなると、結局シミュレーショニズムを徹底させることができないわけですよね。実際にその不徹底は90年代後半くらいから、日本の現代美術のヌルさとして露呈してくる。
もちろんそれらは椹木野衣の責任ではないし、おおかた理解はそのヌルさこそが日本美術なんだ、という方向だと思います。でもぼくはそうは思わない。なぜ日本では、コアなシミュレーショニストが持っていた「厳しさ」が失われてしまうのか?という問題は興味深いですが、ネットが普及することによってむしろ、消費と流通の原理が作家の外側で「厳しさ」を担う状況になってくると、シミュレーショニズムやアプロプリエーション・アート以後、という射程が当たり前になるはずで、だとすればそれらの語の定義についてコンセンサスが取れていないとマズい。そういう意味でも、いま『シミュレーショニズム』が読み直される必要はあると思います。


■アニメ表現論の可能性
荻上:その読み直しの作業と、アニメ表現論との関係について、もう少し詳細に伺ってもいいですか?


黒瀬:ぼくは元々、アニメにしか通用しない批評というのはすごく嫌いなんです。「アニメ表現論」を標榜しているぼくがこんなことを言うと矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、これはオタク批評圏全体の体質の問題だと思います。


オタク批評圏内での批判の傾向として、相手の論旨を乱暴に要約、図式化しながら、あいつは分かっていない、自分には分かっているというふうに門外漢を排除するという体質がある。自分にとって異質な批評があらわれたときに、ひとまずそれを引き受けた上で検証するということがほとんどなくて、大体がアレルギー反応をおこして排除する傾向にある。これは自分の論文が世に出て、もっとも痛感したことです。もちろん美術批評のなかでもそういう反応はあるけれど、オタク系の批評ほどではないんですよ。


たとえば最近、文芸評論で「小説のことは小説家にしか語れないか?」みたいな問題が盛り上がったと思いますが、これも同じような話ですよね。その点、美術ではそういうことはあまり問題にならない。そんなこと話しても面白くないから(笑)。たまにそういうことを言い出す人がいないわけではないですが、まあだいたいは正しく無視されます(笑)。昔から美術家は自分の美術論を持ってるし、哲学者は絵画を見て哲学を語りますよね。当たり前のことです。


荻上:文芸批評でも、だいたいは正しく無視していると思いますが(笑)。「小説〜」云々は、本来はテクスト論のテーマである「作者の死」問題の小さな反復なわけですが、ここで黒瀬さんが言っているのはそれと別の文脈の、既存の語りの磁場を強化するだけの作業としてのみ、外部性が呼び起こされるような運動への批判ということですね。


黒瀬:だから、ぼくの「アニメ表現論」というのは、アニメ批評圏を含めた「アニメ」というジャンルをバラバラにするための方法なんです。そもそも、ジャンルとしてのアニメなんてどこにもない。これまでアニメは、いわゆる「アニメのモダン」と呼ばれた人たちがそうだったように、主に映画のシミュラークルを借りてジャンルとしての全体性を捏造していたわけで、そのシミュラークルが外されてしまえば必然的にアニメはバラバラになる。現に今のアニメの状況はそうなっているわけで、多くの人が映画館やテレビではなく、パソコンでアニメを見ている状態で、これまでのような素朴なジャンル論はもはや有効ではない。


そういう前提を受け入れてはじめて、アニメ表現論は意味を持ってきます。アニメ分析で個別の表現論をやればジャンルの全体性は崩壊する、そこでジャンルの全体性を回復しようとするからむしろ変なことになるわけです。これは現状でいえば、マンガ表現論がそうなっているんじゃないかと思うんですけど、いま表現論を自称するほとんどの論者が「コマ割り」というオーダーにマンガのジャンルとしての固有性を求めているわけですが、その「コマ割り」だって無視されて、オーダーとしてはキャンセルされる可能性があるわけで、そこに固執するとむしろ、これまでマンガ表現論の強みだった記号論としての厳密さが失われるような気がする。その結果、よくわからない専門用語ばっかり増えてる。


ぼくが思想地図論文で、映画批評の言葉を退けたのも似たような背景があって、映画批評も専門用語がすごいですよね。映画用語辞典みたいなのを見るとわかりますが、もう百科事典みたいになってるわけです。まったく淘汰する気がない(笑)。


荻上:うーん。機材や手法が増え、ジャーゴンも増えているかもしれませんが、多くの批評はそういう言葉抜きでも成立します。黒瀬さんが、映画文法を取り入れることで得るものも多いように思うのですが、それをあえて退けることで、見えてくるものの核心的な部分とは何でしょうか。


黒瀬:良質な映画批評の持っている精密さは、マンガ・アニメ批評も取り入れるべきだと思います。たとえば、P・ボニゼールの『歪形するフレーム』なんかは美術の人間にもよく読まれてます。しかし、ぼくが「使える」論文を書きたいと言ったことにも関係すると思いますが、まずはセオリーやテーゼを描きたいという思いがあって、思想地図論文ではそのための最短ルートを選択した、というイメージです。


さっきも言ったように、ぼくは思想地図論文では「萌えアニメ」の話しかしていない。これまでアニメという名前のもとにやられてきた表現の範囲からいえば、萌えアニメというのは技法的に考えても、あまりに局所的なものです。しかし、表現論をやるのならばそういう局所性にとことん付き合うしかない。


やっぱり京アニなんかは、そういう状況にもっとも敏感だったんじゃないでしょうか。たしか誰かが「京アニのアニメはニコ動で見る用に作ってある」というようなことを言ってましたが、本当かどうかはともかく、その指摘はけっこう核心をついていると思います。昔からTVシリーズと劇場版では作り方が違うわけですが、今やテレビで放映したってすぐにネットにアップされて、MADが際限なく作られてゆくのを、アニメーターのほうが固唾を呑んで見守っているという状態ですよね。そういう過酷な「ネタ的・MAD的空間」のなかで、アニメーターはどうやってアニメを作るのか、というのが思想地図論文の大きな主題でした。



■美術批評を(再)ハッキングすること
黒瀬:しかし一方で、それぞれのアニメーターは、自分が信じるアニメの全体性を持っているべきだと思います。そうでなければ、ものを作ることはできない。村上隆は昔、日本人である自分がアーティストとしてアメリカに乗り込んで勝つためには、日本美術のレギュレーションをアメリカに受け入れさせなければダメだ、と言っていました。つまり相手のルールで勝負していては絶対に勝てないということですね。これは圧倒的に正しい。この村上の発言は、マーケティングをベースにした彼の世界戦略として理解されていますが、ぼくはこの発想こそ表現論的に解釈すべきだと思う。それぞれの表現、いや、個々の作品にはそれぞれのレギュレーションが書き込んであるはずなんです。


たとえばぼくがアニソンを、とりわけ「電波ソング」を好きなのは、ぼくが知る限りもっとも効率よく、そのレギュレーションを提示しうる表現だからです。そのレギュレーションを受け入れたとき、世界中のすべてがアニソンとして聞こえる、アニソン好きのひとなら誰しも、そんな瞬間を知っていると思います。作品を経験するということはそういうことなんです。


そう考えたときに、今の美術にそれくらいの強さがあるのか?ということは深刻な問題です。村上のように日本とかアメリカとかいうことを抜きにしても、自分の作品に独自のレギュレーションを埋め込み、それをいかに他者に受け入れさせるかということを考えられる作家がいったい何人いるのか。


たとえば濱野智史さんは、ニコニコ動画を「アーキテクチャ」として分析していますが、ニコ動というアーキテクチャをひとつのレギュレーションとして解釈することも可能だと思います。ニコ動で流通しているコンテンツはすべて、ニコ動のレギュレーションによって書き換えられています。そのネタ元がアニメであろうとゲームであろうと、ひとたびニコ動にアップされ、コメントをつけられたり、タグを貼られたりすることで自動的に「ニコ動的なもの」へと変わってゆきます。それはネタ元であるアニメやゲームからみれば、もともとは自分のレギュレーションに基づいて制作されたはずのコンテンツが、ニコ動というレギュレーションによってハッキングされている状態だと理解できるわけで、そういう状況をうまく受け入れて出てきたのが『らき☆すた』だった。そういうふうに考えてみると、ニコ動以前では、「萌え」というものが従来のアニメをハッキングして書き換えたとも言えるし、文学にとってのケータイ小説も同じような存在だと思います。


それでは、美術はいま、何によってハッキングされているのか?いや、実作者として考えるならば、なにを作れば従来の美術をハッキングし、書き換えることができるだろうか?ということが問題になるはずです。ぼくは絵を描いているし、いちおう絵画論が得意なので、絵画について考えてみると、絵画史において「タブロー」という発明は、いまでも大きなアーキテクチャとして、レギュレーションの枠組みとして機能し続けているわけです。たとえば、日本でもっとも絵画についてわかっている岡崎乾二郎さんは昔、よくヴェネツィア派の絵画の分析をしていました。彼が言うには、そのころの絵画は一枚のタブローの中に複数の言語ゲームが描き込まれていて、謎がたくさんあっておもしろいと。それに比べて現代美術の絵画はロジックが単純で、すぐにわかってしまうからおもしろくない、という。それはまったくその通りだと思いますが、だとすれば、絵画においてタブローを書き換える、あるいはそれに変わるものを発明しなければいけないと思うんです。


ここで誤解してもらいたくないのは、ぼくはなにもジャンルとしての絵画が死んだとか、これからは新しいメディアの時代だとか、そういういかにも言い古されたことを言っているのではないということです。タブローを破棄したとしても、タブローが生み出した問題群を無自覚に、同じやり方で反復しているかぎり同じことです。たとえば「空間」や「平面性」、「筆触」、「構成」といった問題です。思想地図論文では、「遠近法的空間」と「データベース空間」の違いについて書きましたが、これも空間の問題ですね。要は「キャラクター」と「データベース」によって支えられた「データベース空間」を、ラディカルに描こうとしている一部の萌えアニメが、これまでのアニメの空間表現を大きく書き換えていると思ったから分析してみたんです。この分析は、これまであまりにも「キャラクター」や「データベース」といった問題を直視してこなかった絵画の議論にこそ取り入れられるべきだと確信してるんですが…。


荻上:それは東浩紀さんのデータベース論について、批判的に検証するということでもあるわけでしょうか。データベースが記号的、言語的な産物である以上は、データベースが動的に生成されるプロセス、およびその消費文脈などについての検証が求められるわけですが。


黒瀬:そうですね。たとえば画家は誰しも、画像的教養のようなものを身につけているわけですが、それが画家にとってのアーカイブだとすると、絵を描くときにリアルタイムで参照しているのがデータベースだと思うんです。アーカイブに収納されているお気に入りの画像は、そのままでは使い物にならない。画家は絵を描いてゆくことによって、自分のデータベースを組み立てる。アーカイブの画像は、データベース内で検索したり、出力したりしやすいように保存形式が変更されて組み込まれる。さらにだんだんと絵が増えてくると、描いた絵の集積がアーカイブ化してきますね。そうするとここからが重要なんですが、作品のアーカイブの方が、画像のアーカイブよりもデータベースからのフィードバックを直接に受ける。つまりデータベースと作品のアーカイブとの、密接な参照関係が作られてゆくわけです。


ということは描かれた絵を見て、まずはじめに分析されるのは、画家のデータベースとその生成プロセス、運用のシステムです。単に画像の引用元や、作品制作の外側にあるアーカイブを調べただけでは何もわからない。いまのところ、ぼくのなかではこういう方向で美術におけるキャラクター論、データベース論を考えてます。


しかしこういうことは、東さんのデータベース論を批判的に検証する、というよりも東さんがやらなかったから、たまたまぼくがやってるという感じなんですよ。たしか一年くらい前に、東さんがどこかで「ぼくの良き読者がやってくれるであろうことは、ぼくがやらなくてもいい」と言っていたと思いますが、これは嫌味でもリップサーヴィスでもなくて、とても論理的な発言だと思うんです。


いま水面下で進めているプロジェクトがあって、ぼくと文芸評論家の福嶋亮大さんと、濱野智史さんの3人で集団による批評をしようという構想です。過去にあるモデルでわかりやすいのはブルバキとかですが、福嶋さんと最初にこのプロジェクトの話をしたときに、彼は「CLAMPみたいな批評集団にしたい」と言ったんです。ぼくはもう、彼と組むしかないと思いましたよ。ホントに。つまり集団の固有名があって、そのもとに一時的にロジックを共有した匿名的なメンバーが活動する。こういうスタイルは、たとえば戦後日本美術研究のように、まだロクに手がつけられていないおかげで何が飛び出してくるかわからない対象にこそ有効だと思う。ある程度強度を持ったセオリーやテーゼを仮設すると同時に、膨大なリサーチやケーススタディを繰り返し、行き詰ったらやり方をかえてまた最初から、という作業ですから、集団でやったほうがいいんじゃないかと。


さっきの話でいうとこのプロジェクトは、たとえば東さんのような人がいて、その「良き読者」が「劣化コピー」になることなく、あるいは両者間の無益な論争を避けつつ、効率よく批評の成果を挙げることができるような方法をイメージしてるんです。


荻上:なるほど。ちなみに、『思想地図』における、東さんによる紹介を兼ねた整理はあってるんですか?(笑)。


黒瀬:ブログでもちょっと書きましたけど、岡崎乾二郎の読者と椹木野衣の読者が分裂状態にあることは事実だと思うし、お互いがお互いのことを知らないで、なんとなく避けたり、バカにしたりという状態が、ここ数年の美術評論が活気づかない原因のひとつだと思います。あっているかあっていないか、というより、本当はそうではないのに、現時点ではまだ「(いわば)モダニズム派」と「(いわば)日本ゼロ年派」は分離しているように思われているし、その分離は非常につまらないところで起きている、それが問題なんです。ぼくの論文ではその「本当はそうではない」というところを強調しているつもりなんですけどね。だから、はっきりとした「補助線」を引いていただいてとても感謝してます。


■これからの「批評」に向けて
荻上:その点について今後書いていくとしたら、どのような形になりますか?


黒瀬:美術批評が中心になることは間違いないですが、アニメについてはとりあえず<本説>を書かなければいけないと思ってます。<本説>が書けたら「アニメ評論家」の看板も降ろしますよ。アニメ評論家でいても何のメリットもないことがよくわかりましたから(笑)。


荻上:黒瀬さんの、批評家としてのゴールイメージはなんでしょう?


黒瀬:ぼくは基本的には作り手だし、作らなくなれば批評もしないだろうから、批評家としてのゴールイメージはないですね。というか、ぼくは批評家ではゴールできないと思いますよ(笑)。


荻上:ありがとうございます。最後に、忘れてはならない『RH』の問題意識と、創刊のきっかけや経緯などを教えていただけますか? そして、今後の活動についても。


黒瀬:えーと、もともとは今の編集長・伊藤亜紗さんと、大学の友達だった筒井宏樹くんから誘われて参加したんですよ。それが07年の夏くらい。その時点で、もう雑誌をつくるってことと、レビュー誌にするってことは決まっていて、あと細かいところどうするかっていう話だったと思います。


当初、編集部で共有していた問題意識はきわめてシンプルで、とにかくちゃんと作品をレビューする雑誌を作ろう、ということでした。ジャンル関係なくどの紙媒体も、レビューと言いながら作品を見ないで書いていたり、ほとんどプレ・ビューになっていて、個別の作品に対するレビューが少ないと思っていたんです。だからとりあえず「見開き2ページ」で4000字ぐらいのレビューをひとつのフォーマットとして、一気に並べたら面白いかもしれないと。


今年の2月に出した創刊号では、編集部の経験不足もあっていろいろと課題が残りましたけど、いま準備している2号ではある程度新しい流れを提示できると思ってます。まあ、いい意味で開き直ったというか、どうせミニコミ誌なんだからそれぞれが我を出して、私物化してナンボだろと。
今の段階で言えるコンテンツを紹介すると、ぼくの担当する企画の目玉として、建築家・磯崎新さんへのインタビューと、美術家・中ザワヒデキさんへの公開インタビューが掲載される予定です。どちらもすごい大御所ですが、ただ単にエラい人に話を聞くのではなくて、インタビューではどちらも「キャラクター」や「データベース」の話をぼくなりにぶつけさせてもらってるつもりです。
だから『RH』2号の企画は、あきらかに美術批評の現状への介入になっていると思うし、ぼくとしては、思想地図論文の次の展開として位置づけています。


はっきり言って、2号はそうとう自信がありますから、ぜひ期待して下さい。


荻上:ありがとうございました。これからも期待しています!


(インタビュー/構成:荻上チキ)
【リンク】
インタビュー:「普通にできたらええねん」 「らき☆すた」「かんなぎ」のアニメ監督・山本寛さん(聞き手が黒瀬陽平さん)
生活の柄/C h a r a c t e r i n t h e E x p a n d e d F i e l d黒瀬陽平さんのブログ)


関連エントリー
「ゼロ年代の批評」のこれから──宇野常寛さんロングインタビュー



NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本

NHKブックス別巻 思想地図 vol.1 特集・日本