「いじめ急増報道」とネットいじめ、および学校裏サイトについて

平成18年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について」によれば、2005年に比べて2006年のいじめ件数が6倍に跳ね上がったらしい。これは、いじめの定義が、

(1)自分より弱い者に対して一方的に、(2)身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。」

というものから

当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない

へと変化したこと。そして「平成18年度から公立学校に加えて、国私立学校も調査」するように変化したことが大きな影響を与えている。社会的な変化を分析することも重要だが、この数値から昨年までの数値と単純に比較できるわけではないことを注意したい。さもないと、

いじめ125倍…95%は解消 県教委調査
文部科学省の二〇〇六年度全国調査で、熊本県内のいじめ認知件数が一万千二百五件に上った。前年度の九十件に比べると百二十五倍という増加ぶりで、子ども千人のうち五十人以上が被害を受けたという全国的にも“突出”した数値になったが、県教委は、「丁寧に実態把握をした結果」と冷静にとらえている。

熊本はすごく「凶悪化」していることになってしまう。熊本やべー。また、決してこれが「実態」ではなく、報告されない数値=学校が認識していない件数はさらに膨らむことは予想されるだろう。個人的には、数字を把握した先に、どのような議論をするつもりなのかが気になるところ。「増えた/減った」の議論が、いじめそれ自体の問題ではなく、不可思議な文化論、精神論、メディアバッシングなどに繰り返しつなげられてきた歴史があるからだ。


さて、今回特に注目を集めているのは「ネットいじめ」と「学校裏サイト」。例えば産経新聞の記事が定義の変化などに一切触れずに「見えないネットいじめ 「パケット定額と時期重なる」」、「いじめ12万件 増すネット攻撃、陰湿化」と煽るほか(どちらも内容は同じ記事だ)、「いじめ急増 メール脅迫や「裏サイト」まで」(読売新聞)、「2006年度の「ネットいじめ」は4,883件、文部科学省調査」(INTERNET Watch)など多くのメディアが取り上げている。


ネットや学校裏サイトが「いじめの温床」であると、一面的な報道を行っているメディアが多いのが気がかりだ。私はここしばらく、多くの「学校裏サイト」を調べ、インタビューを続けているが、多くの学校裏サイトでは大抵は「普通」のやりとりが行われているし、ネガティブな書き込みが見られるサイトでも、これまでに比べて(よく言われるような)「陰湿化」しているという印象は受けない。同時に、掲示板を使っていじめについての相談をしている人も多くいる。問われるべきは、その文脈なのだ。


そもそもネット攻撃が「陰湿」であるというのは、どのような点だろう。いじめの場合、陰口が本人には分からない形で行われたり、匿名のメモなどが配布されたり、当人に見せ付けられたりということはこれまでもあった。ネットによってある種の悪意が「可視化」されただけの部分も多くある。ネットによって変化した部分を明らかにすることは重要だが(その中で「陰湿」と呼ばれうるようなものも含まれるとは思うが)、「陰湿」というような感覚的な言葉による過剰とも思える反応は、むしろ冷静な議論を阻害する。


にもかかわらず多くの論者は、「大人」たちがネット世界を知らないということをいいことに、誇張気味にネットの「現実」を煽った後、自説にひきつけるということを繰り返している。そのような極端な例を元に、「ネットはこういうものなのだ」というそれこそバーチャル(架空)のリアリティが形成されてしまい、それが政治性を一定以上帯びてしまうことに懸念を抱いている。


というわけで今後、学校裏サイト、およびネットいじめの問題についていくつか記事を書いていくつもり。前提としては、インターネットによって「可視化」されることとなる悪意がそこにある以上、「学校裏サイト」的なものの存在を前提にするしかないと考えている。ネット世界に漂うテキストは突然生まれるものではなく、私たちの世界の延長線上にあるものだからだ。