振り返りみれば「女性運動」の共感できなさ

id:macskaさんの「館長雇い止め」を「バックラッシュ裁判」として闘ったことの帰結とか読んだり、「安部内閣を振り返る」系の動画を見ながら、ふとこの動画のことを思い出した。

http://video.google.com/videoplay?docid=1736033721345027499


「館長雇い止め」の件同様、このケースもまたフェミニズム系のML等でかなりヒートアップしていたもの。「敵失をいかに利用するか」という議論が熱く交わされ、結果として出てきたのがこの替え歌。これは、誰に向けて、何をしたかったのか、さっぱり分からなかった。「街行く国民よ、覚醒せよ!」系の右翼街宣車とか、労働組合によるデモとかなら、選択されている方法が見合ったものかどうかはともかく、一応「何がしたいのか」は分かるんだけれど。一部の“運動体”のモチベーションアップと、社会的効果を天秤にかけても、他の例に比べてあまりに不釣合い。


macskaさんは、要因の一つとして集団分極化を挙げている。では、なぜある議論は分極化しやすく、ある議論はそうではないのか。ジェンダーに関する議論は、なぜ極端なものとして「写りやすい/移りやすい」のか。近々行うあるディスカッションでは、この辺りのことも話し合えるといいなと思う。