井上孝司さんへの追加説明とちょいレス

上のエントリーに対して、井上孝司さんから「いわゆる「福島発言」の件と「成城」へのレスポンス (2006/6/15) 」というエントリーでお返事をいただきました。これまで「成城の主」とやや揶揄的に書かれていたのが、「chikiさん」と呼んでくださったことはとても嬉しかったです(笑)。但し、いくつか誤って伝わっているところ、あるいはいくつかの間違いがあるので、再度レスポンスさせていただきます。


普通、「確定してよさそうです」と書かれれば、「100% とはいえないかもしれないが、それに限りなく近い」という意味と受け取れる。実際、同じエントリで「この発言はネタ、デマの可能性が極めて高いと思います」という記述もある。


私自身は「100% とはいえないかもしれないが、それに限りなく近い」と判断していますが、現実問題として論理的には「確定」ではないので変更したんですね。ただ、既に説明したとおり、そのことによって井上さんへの批判部分の論旨が変更されるわけではありません。

その時点では、「福島コピペ」の信頼性に疑義を呈することで、記事全体の趣旨に疑義を呈するつもりなのかと思っていたため (chiki さんのコメントによると、それは違うそうだけれど)、


ええ、違います。私のエントリーは、記事全体を批判するようなものとして書いていなかったはずです。私は、ある一点のほころびを脱文脈的に取り上げて茶化すことで論全体や論者そのものを否定するような「ちゃぶ台返し」には批判的ですし、過去のエントリーでも何度も批判してきました。そういう意図は一切ありません。テクストもそうはなっていないはずです。

なお、「(件の発言が存在しないという) 結論が一人歩き」という記述は、この「ガセビアと確定してよさそうです」の部分に適用するつもりで書いた。実際、「やじうま Watch」の記事にしろ 2ch の検証スレッドにしろ、「福島発言はガセと確定してよさそう」という結論を受ける形で真贋論争の部分に重きが置かれている状況があるから、「(真贋論争が) パフォーマンスの面で機能してはいない」という認識には疑問がある。


これは誤読です。私が2ちゃんねらーによる検証作業などを例示しつつ説明したのは、私のエントリー自体が検証対象になっているので(つまり激しい真贋論争がおこっているので)「(件の発言が存在しないという) 結論が一人歩き」していませんよね、ということ。真贋論争にはなっていませんよね、などと誰も言っていないのに、どうして「(真贋論争が) パフォーマンスの面で機能してはいない」などと不要な括弧を入れたのでしょう。ご指摘されるまでもなく、「やじうま Watch」の記事や2ちゃんの検証スレッドをみれば、真贋論争に重きが置かれているのは誰でも分かります。検証のまとめエントリーまで作ったのに、わからないはずがない。そういう現状があったからこそ、わざわざ「chiki自身は実は「真偽」のレイヤーのみでこのネタを使われるのは好ましく思っていません」と書き加えたのに。



「時系列としては〜コメント加筆の動機としては強い」部分は、動機の表明としては了解しました。リンク除外の理由は既に説明したとおり。加えて、1つのサイトだけリンクを残すのもアレですし、「真贋論争」の文脈にのせて特定の人を祭り上げて非難することは本位ではなかったため、とりあえず全部リンクをはずすことにしました。もちろん、この行動も批判の主意とは関係ありません。さて、「真贋論争」の部分に関して。

今回のようなケースでは、「ある」にしろ「ない」にしろ、まず過去動画を全部リストアップして、再生しながら検証しなければならないという点で、手間はまったく変わらない。…「ある」の証明の方が簡単であるかのように論じるのは、「真偽確認」という言葉に対して「証拠調べ」と「結果提示」を混用した、一種の詭弁ではないか。

これは前提が間違っています。仮に何も前提条件を与えずに、発言の真偽のみを確認するということであればいずれにせよ全てチェックしなくてはなりません。しかし「今回のようなケース」とは、発言の真偽が確認されないままに疑い(コピペ)が流通している状態。通常、説明責任は疑いをかけた側にあるのですが、発言が「あった」と主張する人は、実際にみた、あるいはソースが配布されていたと主張すること、あるいはそういう主張を信じることによって事実性を主張していたのですから、あるはずのソースを提示するか、記憶を頼りに放送回を限定すればよく、必ずしも全てをチェックしなければいけないわけではない。しかしソースが提示されないのであれば疑いは不当なもので、「ソースがない」と判断されざるをえない。対して「ソースがない」と証明するためには、過去動画全てをチェックすることが必須条件になっている(しかも全部チェックしただけでは信じてもらえない)。この非対称性を考慮せず、検証作業自体の難易度をフラットに語ることは誤っています*1。これはおそらく、私の「ソースの真偽確認」と、井上さんの「真贋論争」とで意味するものが異なっているのでしょう。「真贋論争」の文脈では「調査の進展を静観するしかないのでは」という結論もOKですが、「ソースの真偽確認」の文脈では井上さんは自らの誤りを認めなくてはならなかったんですよね。この点は既にお認めいただきましたし、この応答で随分事柄が明らかになったかと思います。


なにしろ現状は、chiki さんがどこか他所の blog に依頼して「私の反論を取り上げてください」と依頼して、自身は沈黙を守るようなもの。


今回の件は私が気になったからメールして、そのメールにたまたま答えてくれたわけで、福島事務所から私に依頼が来たわけでもなんでもないですよね。よってこの比喩は不適当かと。「取り上げてくれ」というのも私が「サイトに載せていいか?」と聞いたことへの返事ですし、この点で事務所自体にそれほど大きな説明責任が生じるとは思えないんですが。ちなみに社民党はネット対策自体にほとんど気がいっていないようなので、そもそも対処するという発想自体なかったのではないかと思っています。本件でそのことが浮き彫りになったという見方も可能だとは思いますので、それはそれで批判してもいいと思いますけれども。


おまけに、当該エントリには「『福島瑞穂の迷言』という都市伝説について」というタイトルがついている。これでは、書き手にその気がなくても「福島党首を擁護するために書いたエントリ」であるかのように見られても仕方ない。しかも、福島事務所から「ぜひ取り上げてください」といわれた、という内容を含んでいることでもあるし。
もっとも、Web や blog に載せる記事は冒頭の「つかみ」が大事だから、こちらが「つかみ」として冒頭に福島コピペを使ったのと同様、「迷言」「都市伝説」という刺激的な (?) 言葉をタイトルにしたのも「つかみ」だと解することもできる。しかしタイトルがこれでは、「コピペ依存の問題点」より「福島発言の真贋」が主題なのだと思われても仕方なかろう。


うーん。タイトルが「福島瑞穂コピペに関する一論考」であったとしても「真贋論争」は起こったと思いますけど(笑)。「ガセビア」などの表現は再考すればよかったと思っていますし、既に表明したようにいくつか反省点もあります。個人的には「『福島瑞穂の迷言』は都市伝説!」ではなく「について」としたのがポイントだったり(笑)。ただ、このあたりは今回のやりとりで改めて表明できたようにも思います。



とりあえずお返事は以上です。なお、私はいただいた返事の内容を、井上さんがchikiに疑心暗鬼を抱いた理由をいくつか表明していただいたものとして理解しており、他に回答しなくてはならない根本的な懐疑や論点はなかったように思っているため、おそらく本件をひっぱるのは井上さんにとっても本位ではないでしょうし、私もこの点に関して議論を続けるのは検証作業とは異なり「ためにする」ものになってしまいそうなので、このあたりで議論を終わりにしたいと思っています。

*1:ご自身も、「これをやり始めると、当該発言を記録したビデオでも出てこない限りは、ソースを追求する無限ループになって話が終わらない。「ある」ということを立証するよりも、「ない」ということを立証する方が、はるかに手間がかかることでもあるし」と書いているのに。検証作業自体も証明作業自体もアシメトリーでは。