「新しい歴史教科書を作る会」会長&名誉会長コンビが出した「ジェンダーフリー・バッシング本」の面白さ。

ジェンダーフリー」という言葉があります。さて、ジェンダーフリーとは何か。ジェンダーフリーとは、簡単に要約すると「性差(ジェンダー)の押し付けから自由(フリー)になる」というような意味の和製英語で、男だから○○しなきゃいけない、女だから××しなきゃいけない、といった固定的な性差関係を押し付けられないですむようにしましょう、という言葉です。学者や役人の間で議論されている言葉と思っている方も多いですが、最近では経営用語やファッション用語、ボーイズラブ用語(笑)としても使われています。(参照:ジェンダーフリーとは


さて、ちょっと前に話題になった本として、『新・国民の油断 「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を亡ぼす』という本があります。数日前、「googleのキャッシュで一部が読める」と紹介しました。一言で言えばジェンダーフリーを目の敵にしている本でして、タイトルを見て「おお、ジェンダーフリーは日本を亡ぼすのか。ついうっかり油断してました、てへへ」と思ったものですから、先日、最初から最後まで熟読してみました。もちろんちゃんと、色々な経緯があって回収された第一刷を読みました。



感想。とても面白くて感動しました。以下、話題が話題なので、ネタとベタの違いが分かる人だけお読みください。


この本は、新しい歴史教科書を作る会の会長、八木秀次さんと名誉会長の西尾幹二さんの対談です。同著は、八木さんの「ジェンダーフリーは狂気の思想である」というまえがきからはじまります。お二人と同じく保守の立場の渡部昇一さんが『男は男らしく女は女らしく』にて「ジェンダーフリーは狂人の思想」と書き始めているので、このフレーズはどうやら流行っているようです。なぜ狂気の思想なのか。お二人によれば、ジェンダーフリーは日本を崩壊させようとする左翼とフェミニストの陰謀だったのです。な、なんだってー!! ノストラダムスもびっくりです。


西尾幹二、以下西)成人式に紙つぶてを投げる子どもの荒れぶりや十七歳の凶悪犯罪者が野放しになっていたりする放埓さも、日本を密かに壊そうとする背後の作為があるのだと思えてなりません
(西)すべてがどこからかの指令によるもので、末端の教師の意思ではない。こうしたことが実地される背景には、フェミニストが官僚機構を抑えているということがあるからでしょう。
(八木秀次、以下八)校外宿泊合宿で、男女が同室に宿泊した小学校は沼津市だけではなく、仙台市山形市にもあったことが後に判明しています。どうも組織的な指導があるものと思われます。
(八)(ピル推奨じゃないか、として「回収された」パンフレットが)その後、そろそろほとぼりが冷めたということで再度、配ったところもあります。現在、地下文書として流通しているようです。
(西、あとがき)(「ジェンダーフリーの行き過ぎた性教育」は)規模といい、巧妙な計画性といい、根が深く、決してただごとではない。特定の政治勢力が背後にあって、しかも、それがいままでのような反体制・反政府ではなく、「男女共同参画社会」というよく分からない美名の下に、政治権力の内部にもぐりこんで、知らぬ間にお上の立場から全国津々浦々に指令を発するという、敵ながらあっぱれ、まことにしたたかな戦術で、日本の国家と国民を破壊する意図を秘め、しかもその意図は遠く七〇年代の全共闘連合赤軍、過激派左派の亡霊がさながら姿を変えて、自民党政府を取り込んで新しい形で現れた、にわかには誰にも信じられない、おどろおどろしい話なのである。
(西)彼らはみんなグルなのです。他の官僚たちは、騙されて手玉に取られたことは明らかです。もう、本書の巻末付録2に掲げた、男女共同参画会議、審議会など中心になっている部署のメンバーを全員解任して、大掃除する必要がありますね。これをやるには、つまるところ政治権力しかないのですが、とにかくこうしたメンバーを一掃して、この法律(男女共同参画基本法)を骨抜きにしてしまうしかありません。
※引用部分は、連続した発言ではありません。順不同。連続しているやりとりのみ明記します。以下、同様


他にも「教祖」「陰謀」「悪魔」という言葉が並びます。これはおそろしい。うっかり油断してました。



なるほど、お二人の脳内によれば、ジェンダーフリー=性差否定だったのです。フリーとは、辞書には載っていませんが、実は「否定」を意味する言葉だったのです。ジェンダーレスとの意図的な混同ではありません。つまり、ジェンダーフリーとはお二人の脳内では混浴や中学生とのセックスがOK、という考え方なのです。政府やフェミニストが「それは違う」と言っても、それは嘘をついているか、隠しているのです。誰がなんと言おうと、証拠はありませんが、そうに違いありません。どうやら政府とフェミニストはエロい人の味方のようですが、エッチなのはいけないと思いますちなみに宗教用語や運動用語が多く並んでいますが、ゲーム脳とは違って、お二人のリアリティの投影では決してありません



また、ジェンダーフリーが進むと、以下のような現象が起こるそうです。


(八)少年非行が凶悪化しているのは、子供たちがその「権利」を侵害されているからではなく、逆に「権利」の名の下に彼らのわがまま勝手で未熟な要求まで大人社会が許容しているからなのです
(西)そもそも、なぜ「国語」の教科書でこんなこと(最近は看護の仕事に就く男性も増えている、などの記述)を学ばなくてはいけないんですか? 先ほど紹介された(妊娠中絶に言及のある)「家庭科」の教科書と似たようなことが、「国語」の教科書に場を移して、違う著者によって書かれているだけじゃないですか。
(八)(上に応えて)まさに、科目を横断した多面工作ですね。(…)なぜ(ジェンダーフリーについて触れた)このようなイデオローグの"アジ"をわざわざ「国語」の教科書で学ばなければいけないのでしょうか。どおりで若者の活字離れが進むはずです。


お二人によれば、少年非行も活字離れも性行為の若年化もネットで性情報が蔓延するのも、みんな左翼とフェミニストが悪いのです。証拠はありませんが、二人の偉い先生がおっしゃっているのだから間違いないです。ちなみに、「少年非行が凶悪化している」というのは、「このデータ」などを見る限り、そうでもない気がしますが、マスコミもアレだけ煽ってますし、きっと左翼の社会学者がウソをついているのだから無視しましょう。ボーリングフォーコロンバイン? なんですかそれは?



ちなみに、「つくる会webニュース」によれば、作る会は「強化方針・新規事業」として、次は国語、家庭科の教科書も作るようです。八木会長自ら宣言していますが、あっちはアジでも、こっちはアジのためでは決してありません。あっちは科目を横断した多面工作ですが、こっちは違います。右翼、保守はエライんだから、左翼なんかと一緒にするなやい。



お二人は「ジェンダーフリー実は性差否定であり、実は国家を解体する運動なのだ」と豪語します。え? 妄想? 失礼な。ソースはありますよ、ちゃんと。ほら、「カタツムリは、雌雄同体。“結婚”すると、両方の個体が土の中に白くて小さな卵を産みます。同じ一匹で雄の気持も雌の気持も良く分かるなんて、ちょっぴりうらやましいような…」と書いているチラシをみつけたんです(千葉市男女共同参画の広報紙)。これはどう見ても「皆でカタツムリになろう」「性差をなくそう」と書いてあるんです。「ちょぴりうらやましいような…」は、タツムリが理想だと解釈するのが正しいんです。国語力? なんですかそれは。基本法より、こっちの自治体が作ったこのフレーズのほうが本心に決まってます。



このレベルのソースがいくつかあることから分かるように、絶対陰謀です。では、なぜそのような陰謀が出てきたのでしょう? そこで西尾先生は、次のように仰ります。


(西)人間の幸福は男が女を愛し、女が男を愛するということで成り立っていて、これは万古不易なのです。ジェンダーフリーの思想は、女としての幸福が得られない女の主張なのです。
(西)少し乱暴かもしれないが、最初にジェンダーフリー派に言っておきます。私は、上野千鶴子さんや大沢真理さんの顔を見たことはありませんが、多分、愛されないタイプではないでしょうか。ここであえて断言しておきます。女性には4つのタイプがあり、(1)同姓にも異性にも愛される女性、(2)同性には好まれるが異性から相手にされない女性、(3)けっこう一部の異性には相手にされるが、同姓から毛嫌いされるし、本人も同姓が嫌いでたえられない女性、(4)同姓にも異性にも無視される女性、の4つです。失礼ですが、ご本を拝読していて、上野さんは(3)のタイプ、大沢さんは(4)のタイプなのではないでしょうか。
(西)繰り返し言いますが、上野千鶴子さん、大沢真理さん、あなた方は、結婚もしていないし、子供も育てていないし、家庭も持っていないのでしょう。そういう女性は他のどんな分野で発言することも許されていますが、家族・家庭・性教育・子育て・女性労働・女性学などには発言する資格はなく、発言すれば、バランスを欠いた反逆的な議論、アウト・ロー風の発想になるのは生理現象かもしれません。社会的には、はた迷惑です。おそらくあなた方は、子供の頃から勉強はよくできた女の子で、ここから先は推測ですが、男に対する優越感はあったけれど男から本当に愛されなかった、それだけで復讐心が肥大化しあという、そういうタイプの女性でしょう。
(西)私は、上野千鶴子大沢真理氏も女じゃないと思います。(…西尾氏の飼っている柴犬は西尾氏の妻を守るそぶりをみせ、雷が鳴ると自分のところににげてくるから…)犬にも人間の男と女、オスとメスの役割分担、男らしさ、女らしさが分かっているということなのです。大沢真理上野千鶴子両氏は、私に言わせればうちの柴犬以下です。
(西)いかに大沢真理氏や上野千鶴子氏が男に愛されない女で、その歪みと僻みが破壊的な運動になって、美しい、かわいい女の子をいじめるという運動が始まったとしても、世の中はそれを認めるというふうには簡単にならないと、私は信じております。そんな単純ではないと。

大沢・上野両氏はブスで柴犬以下でフェミニストは醜い、という意味のことを繰り返し仰る西尾先生。顔に自信がおありのようです。もちろんこれも根拠が(多分)あって、決して「ブース、ブース」って言ってるようなガキの喧嘩ではありません。もちろんこのような発言をするのは、西尾先生がフェミニストへの復讐心を肥大化させたからでは決してありません。先生に限って、まさかそんなことは。



ちなみに、「フジテレビ『報道2001』の様子」を見る限り、八木先生も「男らしさ・女らしさ」についてはよく分かっていないようですが、そこは国民性を大事にする保守として、あえて日本人の国民性「あいまいさ」を大事にしているので、追求してはだめです。



上にもありましたが、西尾先生は次のように仰ります。


(西)結婚もしてないし、子どもを育てたこともない。(…)そういう女性はジェンダーフリーや子育てや夫婦がらみのことや女性の労働問題などに口をだす資格がないわけで、これらの討議からただちに退場してもらいたい。


ちなみに、このルールは漏れなく左派にだけ適用されます。保守の女性は、保守だからいいのです。それと、男性の場合は資格があるようです。となると、その他の性別の方はどうでしょう? お二人は次のように述べます。

(八)同性愛をあたかも男女間の関係と等価値であるかのように教えるのも、ここ(ジェンダーフリー)に由来します。
(八)はなはだしいものでは、「女装家」と称する人物が授業をするケースがあります。(…偏見をなくすためのこの授業では)「女装家」が登場して体験談を語らすと、目の前に現れたオカマを見ても、子供たちは違和感を覚えなくなるというものです。
(西)(上に応えて)女装家など、子どもが気持ち悪がるのが自然なのに、その子供に気持ち悪がらせないための意識改革までしてから講師として授業をさせるというのは、手が込みすぎているし、やり方が悪辣ですね。
(西)両性愛を認めると、これは不倫のすすめになるんですよ。両性愛というのは「男女」「男男」または「女女」ということだから、奥さんのいる男が別な男と愛し合ってもいい、夫のいる女が別な女と愛し合ってもいいということです。つまり両性愛を認めるということは、不倫のすすめになるわけです。
(西)こういう一部の勢力―私に言わせると、「一部の勢力」というのは、変態者のグループだと思っています。変態者と言うのは性的変態者ですよ。
(西)大家族が一番いい家庭で、あとはみんな仕方がなくてばらばらになっているだけです。とくにオカマ夫婦は絶対にあってはいけない家族だということを申し上げておきます。


「変態」はそもそもダメなようで、ゲイやレズビアンバイセクシャル、オカマもダメとのことです。八木先生は「ブレンダと呼ばれた少年」という扶桑社の本のあとがきを書いておられます。ただし、セクシャルマイノリティという「気持ち悪い」人を助ける意図ではないようです。気持ち悪く思うのが「自然」ですから、人権のためでもありません(参照)。そうではなく、フェミニストが許せなかったので、ご都合主義政治的大義のためです。でも、左翼と違って復讐心ではないです。



ちなみにchikiはペドロ・アルモドバル監督の映画、橋口亮輔監督の映画、ジョン・キャメロン・ミッチェルヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』などが本当に大好きで何度も繰り返し見ています。また、chikiがゲイの方と話しても気持ち悪くならないのは「不自然」のようですが、これも左翼の洗脳でしょうか。ところで、西尾先生によれば両性愛者は必ず二人以上の人と付き合うそうです。知りませんでした。



洗脳といえば、次のようなやりとりもあります。

(八)これ(自治体HPやパンフレットの「ジェンダー・フリー度をチェック!」という採点ゲーム)を捉えて土場学氏は、男女共同参画社会では、「ジェンダーフリー指数」が公式に定められていて、彼らの指示する所定のテストで優秀な成績を収めるまで日々精進しなければならないのか、と指摘しています。
(西)(上に応えて)それは共産党の洗脳のやり方ですね。


ということは、「ツンデレ・アナライザー」なども、アニメ業界の洗脳だったんです! な、なんだt(ry そういえば、以前方々で話題になった「君が代チェック・愛国心チェック」というのがありましたが、これもきっと共産党の洗脳のやり方ですね。通信簿と、HPのコンテンツという違いはありますが。



さて、どのような「洗脳」か。コンドームやピルの使い方の書いたパンフレットを配ったり、「男女同室着替え」が行われているようです。「男女同室着替え」については、「ジェンダーフリーとか言われる昔からあったし、同室ですっぽんぽんになるわけじゃなくて、スカートの下からブルマを穿いたり、家から水着着てたりしてたよね」とか、「これのどこが<性教育>やねん」とか、「実際、フェミニストはむしろセクハラ対策として更衣室を要求してね?」という突っ込みがあると思いますが、そう突っ込むのは実は洗脳されているからです。目を覚ましてください。



また、男女同室着替えに関しては、『南日本新聞』が追跡取材をし、そのような実態がなかったという記事を出しました(参照)。この点に関しては、八木先生が次のように一蹴しておられます。


(八)ここで『南日本新聞』が取材した結果、男女同室着替えの実体がなかったことがわかったとの話はデタラメです。川崎市の県立高校は『南日本新聞』の取材では否定しながら、『世界日報』の取材ではこれを肯定しています。「証拠はない」のではなく、あるのです。


2つの意見が出たからといって保留はしない潔さ。これぞ日本男児です。確認取材をした地元紙『南日本新聞』などより、きっぱりと世界紙『世界日報』を信じましょう。だって、南日本新聞フェミニストとグルなんです。現在、「ジェンダーフリー」でgoogle検索すると、世界日報がスポンサーリンクだったり、世界日報を引用したサイトがいっぱいでてきます。そのサイトの多くは、記事と並んで西尾先生、八木先生の言葉を支持・参照しています。でも、こっちはグルではありませんし、組織的なものではありませんので、邪推はやめてください。もちろん、「最近話題のこの記事」との関係もありません。



組織的な関与と言えば、「二人はつくる会じゃないか」という突っ込みもあると思います。しかし、お二人は次のように述べます。

(八)急にここのところ、(ジェンダーフリーが)批判の対象になったものですから、「何で、いまごろ?」という思いとともに、過激な性教育をつぶそうとする組織的な動きがあるのではないかと邪推して、「この背景には『新しい歴史教科書をつくる会がある』と必ず書いています(笑)。」
(西)(上に応えて)書いてありますね。あなたと高橋史朗さんが槍玉に挙がっています。この次は私も槍玉に上がりますね(笑)。
(八)しかし、私たちは個人として関心のあるテーマの一つとしてジェンダーフリー問題を取り上げているだけで、つくる会」の運動として「バックラッシュ」に携わったことはありません。


そうそう、陰謀論はいけませんよね。ところで、「つくる会webニュース」には、作る会のシンポジウムでバックラッシュに携わっているお二人の姿がバッチリ載っていますが、これは公人としてではなく私人としての発言ですから、つくる会とは関係ありません。多分。西尾先生は、共同体と切り離された「個」などないという批判をしましたが、それはそれです。また、巻末に「作る会」の入会案内や趣意などが付録で掲載されていますが、これもあくまで個人的に載せただけですから、作る会とはかんけいありません。なんとなく載ってるだけです。



では、具体的にどのような教育が望ましいのでしょうか。西尾先生が以下のように力説してくださいます。


(西)男の子が萎縮して気力のない子が増えるのは、男女共学が続きすぎるからであって、男女別学にすると男の子は男の子らしくなるし、女の子は女の子の特徴をより強く持つようになるだろうと思います。
(西)性的なものが学校で一切教えられることもなく、教育の中から排除されていれば、性的なものに後ろめたさが発生します。それが抑制力になるのです。
(西)子供は、徹底的に子供として扱うなかで訓練を繰り返すのが一番いいことではないのか、私はそう信じています。
(西)高橋史郎さんが、「子供というのは、学校で配布されるものは基本的に疑うことなく受け入れる。セックスを奨励するような冊子が配られれば、中学生もセックスをしていいんだ、と考えるのは理の当然だ」と言っていますが、まったくそのとおりです。
(西)あの時代(1960年代)の就職先の社長や商店主というのは、縁結びの神でもありました。どんどん来る中学生の男の子、女の子が年頃になると、「お前とお前は一緒になれ」とみんなに対してすすめました。彼らは何も文句を言わないでどんどん家庭を作って、うんと子供を生んで、そういうとき、日本は生命力にあふれていました。個を無視するからいけないとか、自己決定がどうとか、そういうくだらないことは誰も言わなかった。(…)そして、そういう夫婦、親子は愛情が深いですよ。孫まで含めてずっと強い絆ができて、東京で暮らしているはずです。
(西)宮台真司東京都立大学助教授が、学問めかして援助交際をかつて社会の公認テーマとしてオープンにしたことの害毒は大きいですよ。ああいうものは、隠しておくべき恥ずかしい話でしょう。世界で、援助交際という中・高生を巻き込んだ売春が行われている国は日本だけですから。


つまり「教えなくていい。《するな!》の一言で十分」ということでしょうか。こういう見識の元、宮台真司さん、尾木直樹さん、藤原和博さんらを真っ向から批判しているわけですから、西尾先生の勇気に感動です。西尾先生の信念には、学術データや理論的裏づけなど不要なのです。日本人らしく、曖昧にいくべきなのです。



さて、「純潔教育」の根拠に、「ゴムは失敗率が高く、我慢できない男がつけなければ意味がない」のだから「結婚まではセックスをさせない」という主張があります。ゴムをつけることすら我慢できない人に、結婚までセックスを我慢しろ、と言うのは相当無理がある気がします。でも、それは刑罰と道徳がなんとかしてくれます。学生は先生の言うことを聞くので、我慢しろと言ったら我慢するんです。我慢しないのは左翼のせいなんです。決して、見たくないものを見ようとしていないわけではありません。



では、なぜ西尾先生はかくも純潔教育を力説するのか。断じてアメリカのサルマネではありません。一部ではヘタレ保守と呼ばれていますが、そんなことはないです。それは、次のようなエピソードに裏打ちされています。


(西)とくに思春期においては、男には非常に激しい性欲があって、オナニーをしない男はいないし、私は自著「わたしの昭和史」(新潮選書、平成十年)には少年期のオナニーの話まで書いています。男性は十七、八歳頃から非常に激しい性欲に襲われます。その処理についての悩みは当然あります。しかし、私の生きた世代といまの世代は違うので、同じにという要求はできませんが、ちょうど私の中学生から高校生は「青い山脈」の時代ですから、解放された男女交際などが叫ばれた時代なんです。それでも恥ずかしくて、男の子と女の子が口をきくということは難しかった。私はガールフレンドがいましたが、一メートル以上近づくことはできませんでした。一メートル以上、高校生の男の子と女の子は近づかなかったのですよ。それから、交際するときにはドアを開けておきましょうというきまりがあって、絶対、どっちの家に行ってもドアを開けておくという黙約があった。あるとき、彼女は正月に振り袖を着てやってきたのです。私はドキドキしちゃって、私が棚から本を取ろうとしたとき、彼女も立ち上がったために、十センチぐらいまでお互いの顔が近づいて、ほとんど髪の毛がファッとかかったかなあという瞬間の記憶は強烈でした。それが高校時代の青春の精一杯の思い出で、手を握ったりすることは絶対にあり得ないし、そういう時代でした。


西尾先生の青春時代は淡く、すばらしかった。それなのに、現代社会では誰もがイチャイチャしています。これは、誰がなんと言おうとけしからんのです。もちろんこれは「若者コンチキショウ」という嫉妬や恨みでは決してありません。国のことを憂いた大義ある発言なのです。



ですから、

(西)これは私自身が経験したのではなく、同僚の大学教授から直接聞いた話です。その先生が、学生と二人で食後のお茶を飲んでいたときのことです。たまたま先生の手が学生のカップに触れてそれが倒れ、学生の衣服に少し飲み物がかかってしまったそうです。先生が「ごめん、ごめん」と言ったら、その瞬間、学生はキッとなって「何をするんですか!」と言って気色ばんだというのです。先生がわてて自分のポケットからハンカチを出して拭いて、平謝りに謝りました。つまり、これまでの教授と学生、教師と生徒の関係が逆転して、青年が非常に怒ったので先生もあわてふためきました。しかし、三分も経たないうちに青年がケロッとして、ニコニコとしゃべり出したというのです。つまり、激昂しやすく、いったんキレると先生に対する学生という立場も忘れ、見境がなくなってしまう。それでいて本人は自分の以上に気づいていない、そういう青年が増えている
(西)子供を大人として早く扱ったためのダメージは、確実に大学に入ってきています。私が受け持っていた授業のことです。課題をいつもやってこない女性学生がいるので、「なぜ君はいつもやってこないのかね」と聞くと、彼女はかわいい顔をして悪びれることなく、私の顔を見つめて、「先生、私にもいろいろ課題があるんです」と言ったのです。これには二の句が継げなくて、その後、他の先生に話したら、「外国人と話しているみたいですね」と苦笑されました。


とあっても、これは決して、その時指摘できなかったからあとになって愚痴っているわけではありません。同僚教授の方も同じで、怒られるまでハンカチを出さなかったことを棚にあげているわけではありません。そもそも、お茶をこぼされても、学生は教師に怒ってはいけないのです。また、西尾先生的には、『話を聞かない男、地図が読めない女』は、決してあるあるネタではなく「学問的なきちんとした」本なのですが、そう主張するのも、


(西)これ(話を聞かない男、地図が読めない女)を見て、「ああ、そうだなあ」と思い当たらない夫婦はいないと思いますよ。私はこれを細かく分析して、私がバカだと言われたとき、「これは私が馬鹿だからではない。男と女の違いからくるものなんだ」と家内の前で例証しようと思った本です。


…と、決して私怨や俗情ではありません。仮に本人がそれっぽいことを言っていたとしても。



それ以外にも、左翼批判、ジェンダーフリー批判が、他人には決してまねできない高度な分析テクニックで展開されていきます。


(西)山谷(山谷えり子)さんによると、今の若者たちは矢沢あい著『NANA』という漫画が大人気で子供等は小学生から読んでるです。その漫画は恋愛物で、「ピルを呑まなきゃ危ないよ」なぞとピルを呑んで情交や変態性交も描かれ、子供達は小学校から見て知ってるそうです。中高生向け雑誌では、幾人との交わったかと言う棒図表まで示しているそうです。
(八)あの曲(SMAPが歌ってヒットした「世界に一つだけの花」)を作った槇原敬之氏は同性愛者ですけれども、あの歌にははっきり思想的背景があるんですよ、ジェンダーフリー同性愛奨励の歌としてです。現にいま、全国の小学校や幼稚園では組合系の先生たちがこの歌を盛んに歌わせています。
(西)ジェンダーフリーの思想は、社会的正義に名を借りて、いわば、平均から逸れた人が男らしい男や女らしい女を否定しようとする心理から発しているので、これは新しい差別になります。つまり、そうした思想を振り回す人たちは気がついていないかもしれませんが、日常生活でも魅力的な女性はいじめの対象なのです。ですから、女性らしい女性は、フェミニンな服装をしないように気をつけるほどです女は女をいじめるし、差別します。とくに身直的な女性は差別の対象で、女性社会から差別されています。こうした心理が働くので、男性が関わる商品には美人がコマーシャルに出ますが、主婦が買う家庭用品は、一般的に主婦の反感を買わないようなタイプの人が使われています
(西)(米田建三)氏は歯切れのいい言葉でズバズバと、時代遅れの役人や委員たちの考え違いをこっぱみじんに叩いたときの思い出を語ってくれました。「(…)私は(農家を後進家族と決め付けている)役人たちに言いました。お前たち本気なのかってね。いまの農家では財布を握っているのはたいてい主婦だし、年寄りと子供を家に置きっぱなしにして、遊びまわっているのが多いんだよ。

NANA』には変態性交が描かれているし、ピル推奨もしているのでけしからんです。先生が仰りたいのは、この『NANA』はNANAというよりNAMA、ということでしょう。SMAPの曲も、SMAPというよりSWAPを奨励しているのでけしからん、ということでしょう。この本があるのも、もちろん左翼とフェミニストのせいです。chikiが『NANA』を全巻読んでいるのも、多分ハチクロを全巻読み、アニメもすべてチェックしているのも、全部陰謀です。もちろん、「ちびくろさんぼ批判」と一緒にしないでいただきたい。



これらは小さなことに見えるかもしれませんが、「油断」してはいけません。なにせ、


(八)小学校低学年のときに父親や兄、おじから性的被害を受けるという設定のアニメビデオがあり、これを子供たちに見せる小学校が方々にあります。(…)そういう非道な親も居ますが、幾どの子供達はそう言う映像を見た時に親に不信感を憶えます。「不潔」と思います。女の子は父を嫌う様になるでしょう。


とあるように、現代では「家族の絆」は、どうやらビデオを一本みただけで壊れてしまうもろいものなのです。だから、出来る限り無菌状態にして、慎重に扱う必要があるのです。




長くなりましたので、そろそろ先生方の意見の紹介を終了したいと思います。いかがだったでしょうか。とても面白く、目から鱗の連続だったのではないかと思います。よそでは決して見聞きできない情報や発言が満載です。そういえば、先生方が仰るような主張を、chikiも少しだけ聞いたことがあります。



主に2ちゃんねるで。








そう思っていたら、西尾先生が次のように仰っていました。



(西)これが現場で行われていることの一つだということをご報告しておきます。以上はインターネットから拾ったものです。



以上はインターネットから拾ったものです。
以上はインターネットから拾ったものです。
以上はインターネットから拾ったものです。
以上はインターネットから拾ったものです。
以上はインターネットから拾ったものです。






妙に納得させられるフレーズでした。



ちなみに、西尾先生、八木先生は、議員や地方の政治家などに訴えかけて、これらの妄想主張を熱心に広めていらっしゃいます(一例)。皆で、お二人のことを、しっかり、温かく見守ってあげましょう。いい意味で。いい意味で。