今日のタネ

「『「ニート」って言うな!』読書会チャット報告」」
「読書会の補足」
先日の読書会について、上山和樹id:ueyamakzk)さんと井出草平id:iDES)さんがそれぞれ補足エントリーを書いてくださっています。是非お読みください。これからもお二人との読書会は続けていきますので、たまに議事録とか公開するかもしれません。なお、chikiと読書会とかしたいというレアな方がいらっしゃったら、是非気軽にお誘いください。(議事録、といえば、isedとiDESは似てるね)


「研究集会<死の法>―尊厳死法案の検証― 参加」
id:kwktさんのレポです。ネオリベ化や環境管理などの問題と重なるような形で今後大きなテーマになるであろう「尊厳死」について考えさせられます。


「<ニセ科学シンポ>血液型性格診断など議論 愛媛大で開催へ」
「血液型による性格診断など、社会に広く受け入れられている「科学的に見える非科学」にどう対応すべきか考える初の取り組みだ」…おお、血液型占いへの反撃がついに!(そこかよ)


「激突!! 中村俊輔VSデルピエロ」
「adidas Japan-「+10 共に戦う10人」募集キャンペーン」
今日サッカーを見ていたら、面白いCMがやっていました。中村俊輔デルピエロが、見知らぬ地でそれぞれ10人ずつメンバーをスカウトしてきて即席チームで対決するというもの。続きが気になったので探しました。和気藹々とした雰囲気がグッドです。

住基ネットについて再考するために

「住基ネット情報流出 北海道斜里町職員PCから」
よりによって住基ネット。というわけで、関連のあるサイトを以下に。


「週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談 全員がストリップで大丈夫?」
「櫻井よしこweb: 住基ネット・個人情報保護 アーカイブ」
「MIYADAI.COM住基ネットから見えてくるディストピア」
住基ネットつながりで、浅田彰さん、田中康夫さん、櫻井よしこさん、宮台真司さんの発言をご紹介。当時の議論で想定されていたのは、基本的には監視社会≒環境管理型権力の是非というものだったと思いますが、今回はそれ以前の話かもしれません。ただそんな中、「利便性と安全性」を強調する相手の土俵にあわせて宮台真司さんが行っていた批判が今回は的確かも。ということで一部紹介。

私は、読取り機やカードが安全でも、ヒューマン・ファクターが危険だと論じた。ある住民について、番号や個別付加情報を個別担当役人らが漏洩すれば、データ結合によって統治権力がその住民の総合データを構築できるからだ。(…)大山教授はこうしたヒューマン・ファクターは研修で対処せよという。今も国や自治体で絶えず公務員の職務倫理の研修が行われて、この体たらく。研修で対処できれば世話はない。大山教授の言に反し《うまく運用》するのを期待する性善説は無理な話だ。大山教授は、住基ネットなしの電子政府はありえない以上、住基ネットを《うまく運用》するしかないと言う。デマゴーグがよくやる手。アレかコレかの二者択一に単純化した上、アレが無理な以上、コレしかないと言う。百歩譲って電子政府の必要性を認めよう。住民データの電子化を伴わない電子政府はなかろう。だとしても、現行型の住基ネットなくして電子政府が成り立たないことを意味しない。分権化時代に相応しい分散アーキテクチャを用いたネットもありうるから。


なお、最近「ネット社会の未来像―神保・宮台マル激トーク・オン・デマンド3 」が発売しましたが、こちらもヒントになりそうです。東浩紀さん、西垣通さん、水越伸さん、池田信夫さんがゲストで参加しています。文体は平易な語り口なのでとても分かりやすいです。

教科書検定についての日本経済新聞の記事

「高校教科書検定:父子・母子家庭に意見相次ぐ」
この記事には載っていませんが、2つの教科書から「ジェンダーフリー」が「明確な定義がない」と削除。この件については、30日の日本経済新聞朝刊が詳しかったので、一部引用。


検定結果発表、修正「家庭科」で最多、家族・結婚観、多様化で注文。
今回検定で教科書一点当たりの修正意見が最も多かったのは家庭科。百二十四・二カ所と二位の理科の百七・二カ所を大きく上回った。家族や結婚を巡る価値観の多様化に関する記述に神経をとがらせたようだ。
家庭総合では二点の教科書が「結婚のプラス面とマイナス面」を考えさせる課題学習を盛り込んだところ「プラス・マイナスという分け方が理解しがたい」との意見が付いた。一社は削除し、一社はよい面だけを考えさせる課題に変更した。
教科書会社側は「結婚するかも含め、自分らしく生きるとはどういうことかを考えさせようとした」と話す。文部科学省は「マイナス面を考えるなというわけではないが、男女が協力して家庭を築くことの重要性を認識させるという指導要領への配慮が欠けている」(教科書課)と説明する。
「家族」の定義の多様化を取り上げた記述にも注文が付いた。ある教科書は「ペットを家族の一員のように考える人もいる」と書いたが、意見が付き「家族の一員のように大切に思っている人もいる」と修正。
「さまざまなカップル」という題で子どものいる夫婦や若い男女と並んで肩を組んだ男性二人のイラストを載せた教科書には「日本の状況の説明として理解しがたい」との意見が付き、教科書会社が削除した。
ジェンダー」(社会的性別)の用語は現代社会など計三十八点の教科書に登場。前後の記述に意見が付いた例はあったが、用語の使用は認められた。ただジェンダーによる差別をなくす活動を意味する「ジェンダーフリー」は申請段階で二点の教科書が取り上げたが「明確な定義がない」などの理由で意見が付き、いずれも削除された。

過去の検定と比較してみないとなんともいえないので、しばらく教科書について調べてみようっと。

漱石・鴎外は教科書から消えたか?

上の記事で思い出しましたが、検定といえば、以前国語教科書で次のような「誤解」がありました(ということを、以下の本で知りました)。

なぜか教育に関する報道には、とんでもない「誤報」が少なくない。無理解なのか無知なのかはわからないが、ある種のキャッチフレイズが一人歩きするのである。その典型は高校国語で『国語総合』という教科書の検定検査が公表された、二〇〇二年八月の報道だった。一部のマスコミが色めき立って、いくつかの新聞は「漱石・鴎外が教科書から消えた」と大々的に報道した。特集を組んだ雑誌さえあったのである。
たとえば、「朝日新聞」は社会面に「教科書から消える文豪」(二〇〇二、八、二〇、朝刊)という大きな記事を掲載した。そして「現代国語の時代には全社載せていた鴎外の小説は、来春の教科書全てで消えた」と、意味不明の文章を書いているのである。ただし、二社の教科書に漱石の『夢十夜』が残ったことは付け加えている。これは事実なのだろうか。あるいは、正確な情報と言えるのだろうか。
(…)
二〇〇二年に検定を通過したのは新課程に対応した高校一年生用の『国語総合』という教科書だが、かなり以前から高校一年生用の『国語一』には、漱石の『夢十夜』を唯一の例外として、漱石も鴎外も収録されていなかったのである。だから、これまでと同じように高校一年生用の国語教科書には漱石も鴎外も収録されなかったにすぎない。消えたのではなく、もともとなかったのだ。(…)「漱石・鴎外が教科書から消えた」というキャッチフレイズが、みごとに一人歩きしたわけだ。
石原千秋『国語教科書の思想 』ちくま新書(強調部、元は傍点。)


これまで鴎外が掲載されていたのは3年生向けの『現代文』だったのに、それと1年生向けの教科書とを比べてどうするの、というお話。今年はどうなっているのかはまだチェックしてません。そんなわけで、「これまで」との実証的な比較は重要だなと思わされる次第。ちなみに「教育に関する報道」の「誤解」には、「若い者はだらしなくなった」系のものも多いですよね。