第二回チャットログ公開

今から約2ヶ月前にあたる12月12日にチャット大会が行われました。「前回のチャット」の続きとなる第二回チャットのテーマは、昨年の夏ごろから「荒川区問題」に端を発した「北田×林論争」(まだまだ更新中)や「24条改憲問題」など、最近何かと話題になる「バックラッシュ」です。



「北田×林論争」といえば、しばらくの間、一時のバーチャルネットアイドル・ちゆ12歳並に更新されなくなっていた北田暁大先生のBLOGが先日更新され(ぉぃ)、「特集・ジェンダーフリーたたきの深層」というエントリーが掲載されると、林道義氏も「自サイト」で反論(「『論座』は左翼政党の機関誌か ──あまりの偏向・不公正に唖然」)を掲載するなど、未だなお議論が継続しています(もっとも、林氏は――停年退職したことも手伝って?――「論争」とか関係なく毎日のように文章をアップしていますが)。



今回(12月ですが)は、いちブロガーとしてそんな「バックラッシュ」の問題が気になったので第二回チャットのテーマとさせていただいたわけですが、ただ「荒川区問題」もよく分からないし、そもそも「バックラッシュ」とはなんぞや、という方がchikiを含めてほとんどだと思いますので、文字通り「バックラッシュとはなんぞや」と考察するところからチャットは始まりました。今回の参加者は6名。Pinさん、shfbooさん、灯さん、kwktさん、しょこらさん、上山和樹さんです(参加者紹介ページ)。参加者Pinさんの素晴らしいレジュメを受けたちょっと長めのエントリーですが、その分有意義なものになっていますので、10分くらいかかるかもしれませんが是非読んでください。




それでは皆様、はりきってどうぞ。














はじまり、はじまり

kwkt:
こんばんわ(入室)


chiki:こんばんわ>kwktさん。(入室)


kwkt:皆さんが来るまでの小ネタですが、chikiさんに「カン様エピソード」を紹介していただいたおかげで各方面で(?)話題になってますね。



chiki:
人気エントリーですよね。トラバの数とか、すごくないですか?




kwkt:
はてなリンクでないのですが、けっこういろんなところにリンクが張られてるみたいです。それにしても僕の後ろに並んでた親子(母娘)は面白かったです。




chiki:
まず、母娘で見に来るってのがすごいですよね。




kwkt:
そうなんですよ。親子でそんな会話するのかな、と思いますよね。エントリーにコメントいただいた方お二人がどちらも女性というように、会場にはやけに女性が多かったです。




chiki:
イベントによって男女比や年齢層、ぜんぜん異なりますよね。もしかしたら、kwktさんのサイトも一緒に見てたりして。「あら、私たちだわ」みたいな(笑)。




kwkt:
それあると面白いんですけど(笑)>>私たちだわ




pin:
こんばんわ。(入室)




chiki:
ピンさん、レジュメお疲れ様です!



灯:こんばんは。(入室)




kwkt:
こんばんは>>灯さん




灯:
kwktさん、上山さん、pinさんのレポートを拝読しました。何となくフェミニズムの現状とバックラッシュの関係が見えてきたような気がしています。ただ、「見えてきた気がする」だけでは、不十分なので(笑)、色々教えて頂きたいと思います。まず伺いたいのは「バックラッシュ」という言葉についてです。これは「反動」特に「現在のフェミニズムの潮流に対する反動」という意味でいいでしょうか? それとも…って、まだ始まってなかったんですね、すみません。




chiki:
フライングだー(笑)



灯:スタートが苦手で(笑)



しょこら:こんばんは☆(入室)



灯:こんばんは、しょこらさん。




chiki:
卒論は大丈夫ですか〜>しょこらん



しょこら:だ〜め〜で〜す〜>chikiさん




shfboo:
遅れてごめんなさい、爆睡してました。おはようございます。(入室)




kwkt:
こんばんは>>shfbooさん






chiki:
それでは面子も揃いましたので、第2回チャットをはじめさせていただきますね。今日も司会を勤めさせていただきます、「成城トランスカレッジ!」のchikiです。よろしくお願いします。本日はこの6人で、司会のchikiを除けば参加者5人で行いたいと思います。これが伝説のゴールデンチャット*1です(笑)。




shfboo:
そうちきろう*2さん、よろしく! 参加者は欠席者合わせて8人。フィロソフィーアンダーグラウンド*3です(笑)。





*1:ZEEBRAKASHI DA HANDSOME、AI、童子-T、般若の5人で歌う「GOLDEN MIC」という曲がある。そのパロディ。ちなみに「こんな歌詞」です。

*2:田原総一朗のパロディ。公開しているログではほとんどカットされているが、実際のチャットではchikiが「次は○○さん発言願いします」「××さん、反論お願いします」「疲れたからおやつタイムにしましょう」「あと何分で終わらせましょう」などなど、とても強引に進行とまとめを行っている。実際に会うのと違い、チャットで議論をするのは発言がかぶったり論点の整理などが大変なのでしょうがないのだよ、と居直るchikiに対して名づけられたあだ名が田原総chiki朗。

*3:NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのパロディ。NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDBIGZAM、DABO、DELI、GORE-TEXMACKA-CHINSUIKENS-WORDXBSの8人から構成されている。分かりにくい洒落ですみません。

レジュメと前フリ

chiki:本日はお忙しい中、わざわざお集まり頂きありがとうございました。chiki自身も一時間前まで仕事がありまして(汗)、皆様のご意見を掲載するのが遅れてしまったことをお詫びします。今回のテーマは「バックラッシュ」とさせていただき、ピンさんとカワキタさんにレポーターになっていただきました。もちろんバックラッシュと一口に申しましても、昨今の状況ですと――特にネット上で、だとは思いますが――様々な意味合いをもっておりますが、今回はレポーターのお二人には特にフェミニズムとこれまでの/これからの行政(実践)との関わりを重点的に取り扱っていただいたと思います。

今回のレジュメの形式としては、カワキタさんがお書きになった北田さん、張さんの対談(こちら)をピンさんが受けて考察したものとなっているようです(ピンさん談)。この文字起こし(?)は大変読みやすく、有意義なものでとても助かりましたし、何よりカワキタさんの身近なエピソードに唸りました。




上山:こんばんは(入室)



しょこら:上山さん、こんばんは。




kwkt:
こんばんは>>上山さん



灯:上山さん、こんばんは。




chiki:
上山さんこんにちわ。風邪は大丈夫ですか?



上山:遅れてすみません。体調悪くてあまり発言できないと思いますが、ぜひ読ませていただきますね。よろしくお願いします。





chiki:
(上山さん>はい。お体を労わり、ゆっくり参加してください。続けますね)そしてピンさんのレジュメなんですが、かなり濃密な内容で驚きました。ネット上でバックラッシュについてコメントしている文章はイデオロギーや分量、質にこだわらない限りにおいては少なからずあると思います。簡単にではありますが、フェミニズムを歴史的に概括しつつ、横の関係といいますか、各時代ごとにあった緊張感や必要な批判などが記されており、本当に示唆的でした。とまあ、相変わらず内容に全く触れていない前ふりで恐縮ですが(笑)、このお二方のすばらしいレポートを受け、有意義な議論を展開したいと思いますのでヨロシクお願いします。

それでは、まずはkawakitaさんのイベントレポと、感想を紹介させていただきます。



 




「前フリ・個人的なことで政治的なこと」
「北田暁大×張學錬「バックラッシュの男性学」概要メモ(前半)」
「北田暁大×張學錬「バックラッシュの男性学」概要メモ(後半」
「イベント参加後記」
「鈴木謙介氏のコメント、「制度」か「ケア」か―バックラッシュの政治学」







chiki:
続いて、以下に女性学研究者でもあるPinさんにいただいたレジュメを公開させていだきます。








◆Pinさんのレジュメ


図.1 〔公私循環〕性別分業による総動員体制

〈理念モデル〉戦争・ナショナリズムモデル(バックラッシュ派のいう伝統的家族)

        ↑
        ↑
        ↑国家・経済上昇
        ↑
        ↑
公 「男性」/ 私 「女性」
   (生産)    (再生産)






図.2 〈変容モデル〉ネオリベモデルの支配

公(男性) ←←←←←←←←←← 私(女性) 

   ↓      労働力の参入(心理だけでなく公私両面、

   ↓    〈不況と家計〉からの経済的要請)

   ↓

   ↓国家・経済下降からより競争化、

   ↓   総合職/パート等 補助的な女性労働を導入

   ↓

公:競争社会からの脱落者の増加/私:競争社会への参入 

      →階級格差が明白になる。
      →男女エリートの挫折が構造的に発生する?

 







◆(女性)労働とフェミニズム


1.「戦後の男女平等」:教育の機会均等の矛盾

→高学歴女性の評価されない家事労働…能力閉じ込め・心理的追い詰め・鬱
→1963ベティ・フリーダン『新しい女性の創造』…家庭に入った高学歴女性の鬱を明らかに。
→70年代女性のジェンダー化された心理や身体を問い直すラディカル・フェミ、マイノリティ運動へ
→フリーダン:社会(労働)へ出ることが自己実現→NOW全米女性の組織(白人中心)…二重負担が課題。女性兵士=女性の解放。
→シャドーワークの賃金化、公私循環型に隠されていた労働を白日のものにする。
→競争社会進出を要請するフェミニズム⇔反近代・競争原理批判 非競争的価値観「女性性」の重視…家庭内の自己実現―母性・子育て神話と結託しやすい


日本…80年代言説「女性が元気になった」?
メディア…女性の活躍イメージ−社会進出の揶揄や男性優位保つための言い訳、社会進出の動機を不況になってきた市場ではなく女性の心理のみに求める。
男女雇用機会均等法…職能別で女女格差をつける。「ガラスの天井」や補助労働の増加(企業内性別役割分業の循環)
スーパーウーマン…「総合職」競争原理についていける名誉企業戦士/均等法による職能別選抜の増加「一般職」腰掛けOL・オヤジギャル



2.男性労働の「女性化」と女性労働の「男性化」競争に乗るor「女性のまま」競争から降りる

90年代〜現在
→若年層の離職率UP フリーター・ニートなど男性労働の「女性化」(女性の主な労働形態のメタファー:一般職、派遣など非正規雇用、パートアルバイト、など男性中心の正規雇用の隙間をうめる低賃金補助労働、また家事手伝いという名の無職)
→女性総合職が一般化するにつれ女性性と労働が対立しなくなる:優等生女の子の憧れ
→一方で女性排除の慣習は根深い:差別の実感―降りる選択肢
→女女格差 降りた女の子の憧れ「新専業主婦」階級変数




3.男女共同参画基本法までの流れ 

内閣府男女共同参画局 http://www.gender.go.jp/

女子に対するあらゆる形態の差別撤廃に関する条約(女子差別撤廃条約)―国連会議で報告義務 

1980年 女性差別撤廃条約署名
1985年 批准―男女雇用機会均等法
1986年 ナイロビ会議
1999年  改正男女雇用機会均等法
       男女共同参画基本法          
2000年 NY会議 "Gender equality" 


→国連会議に間に合わすためギリギリの採択や批准=一等国としてのメンツ・外圧の問題
→国際的流れを受けてフェミニズムの「主流化」へ―多領域での女性問題が政策課題となる
→労働の場において「ノイズ」ととられる女性の身体の課題化 
→近代合理社会において女性の「身体」やセクシュアリティは非合理―さまざまな言説化・抑圧/恐怖の回帰
→政策面:リプロダクティブヘルス・ライツや少子化問題が関連してくる






◆問題提起


バックラッシュ派は批判対象としているフェミニズムは「何」フェミニズムなのか?
鄯「俗情との結託」不安を掻き立てる下劣なフェミニストを捏造=「捏造フェミニズム」と名付けよう。
鄱左派系・市民派戦後民主主義への嫌悪感=「左翼フェミニズム」と名付けよう。
ネオリベと近しい性別役割分業を批判し社会進出(労働・兵士)を良しとするリベラルフェミニズムの流れ=「リベラル・フェミニズム」と名付けよう。



Ⅱどう対処していくか? 
バックラッシュだけでなく市場原理のネオリベ両方を回避しつつ、男女の自己実現を疎外しない=鬱にならないあり方。

①「フェミニズム」と市場・ネオリベ的価値の一致、混淆への批判である。
ネオリベと「フェミニズム」を分かつ理論の重要性。
ネオリベと結託あるいは戦略利用し主流化してきたリベラル・フェミニズムをどう評価するのか?

 

②公私循環モデルでは成り立たなくなっているにもかかわらず、バックラッシュ派の望む男女共同参画は公私循環を前提としている。
ナショナリズム批判



③若い層:労働と切り離された状況 優等生「男性化」orはなから降りている女女格差。差別実感しにくい。再就職の困難を知らない。
→労働からの切り離しを避ける。ネオリベ的労働価値の変革。
自由?―自己実現=労働というフィクションおよび自己責任の流れには疑義。
男女とも「女性化」した労働:ポジティブな提案。「働けない」壁を低くする―若年層の取り込み―教育・訓練。
    ⇔教育現場でのバックラッシュ(八木氏ら「新しい教科書をつくる会」メンバー草の根運動
例:藤岡信勝氏のサイトの「「ジェンダーフリー」 って 何でしょう?」



参考文献

「ザ・フェミニズム」
「結婚の条件」






chiki:そして、上記エントリーに対し、shfbooさん、上山さんからそれぞれ短い感想をいただいています。






上山さん
 

●「女は家にいろ」(労働に参加するな)が保守的男性に好かれるとして、しかし不況の中、その価値観を支持することで生き残ろうとする女性もいると聞く。また、「働かない奴は男じゃない」(降りることは許さない)は、働けない男を「働かない」という偏見によって二重に社会から排除してゆく。 → 国レベルだけでなく、個人レベルにおいても、これは「価値観論争」であると同時に「経済的生き残り論争」であると感じる。 

●「ジェンダー的枠組みに関係なく、誰にでも社会参加する権利はある」という主張を推し進める過程が、一時的にネオリベラリズムと連携しなければならないのはわかる。しかし、最終的(理想的)には、「誰にも≪参加の権利≫と≪降りる権利≫が同時にある」と言うべきなのでは。 

▼労働・結婚・専業主婦・出産――「する/しない」 

              → 【「参加の権利」と「降りる権利」の両方を】 

▼「参加したいのにできない」「降りたいのに降りられない」 

              → 【いずれも「できる」ための制度・支援を】 

しかし、いずれも≪参加する・引き受ける≫人が少なすぎれば、全体として破綻してしまう。 → 「引き受けるのが義務」「参加しないのは恥」と制度・イデオロギーで縛るべきか。 









shfbooさん
 

「権三(父)をいかに説得するか」 

林道義的価値観を持つ年配は、若い世代や進歩的知識人に無視冷笑され続けてきたと思い怨んでいる。彼らこそ女性やマイノリティを無視抑圧してきたのだが、その地盤から崩れてきた今、自分たちがまともに相手にされない事を逆手にとって展開したのがバックラッシュ運動(?)だ。無視されている内に同じ怨みを持つものを扇動し抑圧の制度をなし崩しに復活させよう、という訳である。この動きを支えているのが僕の父の様な同じ怨みを持つ者達だ。特に抑圧的ではない父だが、価値観はやはり無自覚に差別的だし、それ以上に若い世代から冷笑無視され好き勝手にやられているという怨みを強く持ち、それがバックラッシュへの共感となっている。それは無視冷笑していた僕の責任でもある。その被害者意識は自業自得であると共に僕らが多かれ少なかれ共有している説得を回避し冷笑切り捨てである種の人々を排除してきた(批評空間系やフェミニストの一部)事の負の遺産ではないか。ここで草の根扇動に抗する草の根説得運動展開の必要があるのではないか、と思う。怨みから来る行動は、単なる冷笑無視罵倒ではなくコミュニケーションで解消する以外には止められないのではないか。 






chiki:これらを受け、今回のチャットではkawakitaさん、pinさん、そして前回お休みした灯さんに積極的に発言をお願いしたいと思っていますので、よろしくお願いします。







バックラッシュとは何か。
chiki:では、最初に、できればshfbooさんと灯さんのお二人に、今回のレジュメの感想やご意見から伺いたいのですが、よろしいでしょうか。



灯:宜しくお願いします。まず、「バックラッシュ」という言葉ですが、これは「反動」特に「現在のフェミニズムの潮流に対する反動」という意味でいいでしょうか?




kwkt:
そうですね。古きよき思い出と男性の沽券を忘れられない方々の吹き上がりと表面上は見て取ることができると思いますが、pinさんはどう考えられます?





pin:
バックラッシュ」という言葉の設定はchikiがして。この言葉には幅広い意味があるとはおもうのですけれど、フェミの文脈で言うと、男女共同参画を各地で推進するに当たり出てきたフェミニズム的な言説に対する批判として「バックラッシュ」が語られるようになっています。




chiki:
バックラッシュ」が取り上げられるのは、特に「ジェンダーフリー・バッシング」としてが多いですね。男女共同参画化社会に対する批判、ということですが、具体的にはどういう形の批判でしょうか?>pinさん




pin:
chikiさんがいうようにジェンダー・フリーバッシングです。「ジェンダー」という聞きなれぬ言葉の解説から行政がパンフで教えたりするので、そのカタカナ語はなんじゃってレベルから始まって、ジェンダーつまり男女の性差をフリー=なくす=男女の区別をなくすって不安をあおる言説が出てきたり。




灯:
kwktさんのレポートを拝読した限りでは、高度経済成長期の家族モデル(働く父と専業主婦)への郷愁が混じった拘りが根本にあるようですね。




kwkt:
ええ。ただ、社会学やその他多くの学問が教えてくれることとしては、そのような高度経済成長モデル(働く夫―専業主婦)は一時代の環境要因に支えられた特殊な形態ということが明らかなのですが。>>灯さん



灯:それは全く同意です>kwktさん。僕は資本制の変容とフェミニズムの言説の変容はパラレルだと思っています。




pin:
高度成長モデルがおそろしく内面化されていて、一見それを崩そうかに見えるフェミへの批判が、男女共同参画基本法という場で、議論可能になったのかもしれません。




kwkt:
ちょっと話をブリッジさせるとすると、バックラッシュ〜の会場でも聞いたことでもあり、また今回レジュメでpinさんがまとめてくださっているように、男女共同参画基本法というものがそもそもなぜ制定されたかといわれれば、(pinさんのレポより参照しますと)国連会議に間に合わすためギリギリの採択や批准=一等国としてのメンツ・外圧の問題が大きいんですよね。それまでは男女の雇用機会が平等でなければならないという建前もなければ制度も存在しないという3流国だったものを、糊塗しようとして制度を整備した面があることは否めません。




chiki:
有名な突貫工事のエピソードですね。批准してから慌てている、という。



灯:だから、pinさんがおっしゃる「高度成長モデル」がいかに内面化されていようと、全体的な趨勢は否応無く先進的なフェミニズムが主張する方向に変わっていくでしょうね。




kwkt:
上山さんに前回紹介いただいた山田昌弘氏の「希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」に載っているのですが、欧米では70年代までにフェミニズムの言説が流通しており、社会に女性が進出した後にニューエコノミー(成熟社会の経済)が浸透したので、男女の問題はそう起きなかった(もちろんなかったわけではないと思いますが)。けれど、日本では80年代に入ってようやく制度を作り始め(もちろん意識は前のまま)現在の社会状況にいたる(バックラッシュやいまだ残る男女格差)、という結論でしたが、いまだ高度経済成長中の国々では、男女平等を考える暇すらないといえると。どの時点でニューエコノミーの洗礼を受けたか、さきほど灯さんが仰られたように、「資本制の変容」が見逃せないと私も考えます。





灯:なるほど。しかし、たとえpinさん−kwktさんがおっしゃるような政治的な問題が絡んでいるとしても、基本的な趨勢は変わらないでしょう。「反動」はあくまで受動的反応ですから。但し、ここで、「日本特殊論(いわゆる「悪い場所」としての日本」)という問題を視野に入れるならば、ジェンダーフリー派としては、バックラシュ派の動向は見逃せないし、そもそも、ジェンダーフリーの「成果」自体が、「外来のもの」として、なしくずしに「日本化=形骸化」されるという危惧があるのではと思いますが、如何でしょうか。




chiki:
なるほど。>灯さん ただ、先ほどpinさんが「(行動成長モデルをフェミニズムが)崩そうかに<見える>」とおっしゃったように、フェミニスト、あるいはフェミニズム運動それを「崩した」、すなわち灯さんの仰る言葉では「資本制」を「変容」させているのかどうかは果たして…というように思います。chikiも、例えば欧米に比べて日本は遅れている、という表現はあまり好みではないので――もちろん日本における試行錯誤も必要だとは思いますが――そこまでポジティブに言えるのかどうかちょっと迷っています。その点を、kwktさんの発言とあわせてピンさんに伺ってもよろしいでしょうか。




pin:
まずkwktさんの発言に対して。「70年代までにフェミニズムの言説が流通」といったとき、そのフェミニズムが意味するものは何でしょうか? 社会進出=フェミニズムという一般イメージあるいは主流の「リベラルフェミニズム」を指しているのではないですか。そう問題にならなかった「男女の問題」の意味するものは? 市場参入への平等ですか? ニューエコノミーの到来がなければ、男女の問題が出てこないとすれば、それは「経済発展」に一義的な価値を置いた言説に過ぎず、私的領域として瑣末なこととかたずけられてきた「男女の問題」こそが、第二派フェミ以降、フェミニズムが要求してきたことではないでしょうか。




kwkt:
そこは社会進出という面だと考えていただいてよいと思います。pinさんのおっしゃられるように男女平等とは市場参入の平等だけではないともいえますが、まず第一歩だともいえると思います。




pin:
はい。女性が市場参入するときに、女性だからと制限されるのであれば、それはおかしいので当然市場参入に道が開かれている必要はあるわけで、そういった運動がフェミニズムのひとつにあります。そこで問題になるのが、国家や市場原理とフェミニズムの共謀あるいは攻防をどうしていくのか、を注視していく必要があると思います。




kwkt:
僕は最近読んだ『希望格差社会』の議論に影響をちょっと受けすぎているのかもしれません。「ニューエコノミーの到来がなければ、男女の問題が出てこないとすれば」というのは非常に痛い点だと思います。




chiki:
上山さんの関心領域に近づいてきましたね。後ほどお話を伺いたいです。



上山:無理かも(泣)>chikiさん




chiki:
了解です!あなたの魂を引き受けます>上山さん





pin:
もう一点はレジュメで書いたように、参入した後の見えない差別「ガラスの天井」などなどもありますし、「降りる自由」が保障されない大変きついモノだという点です。『希望格差社会』は是非読みたいです。




kwkt:
議論を混乱させてしまいそうですが、『希望格差社会』を読むと、バックラッシュ派の矛先はフェミニズムとともにニューエコノミーの浸透のような気もしないではないのです。




pin:
同感です。フェミニズムとニューエコノミーが混在されて一般に理解されていると思います。レジュメにはリベラル・フェミニズムネオリベの価値をどう分かつのか、という問題提起をされていただきました。そこでは「捏造フェミ」と「左翼フェミ」と「リベフェミ」ってかいたのですが、kwktさんへの今のレスが「リベフェミ」の問題だとしたら、灯さんがさきほどおっしゃったジェンダー・フリーの話は、「捏造フェミ」の問題と思われます。ジェンダー・フリーの批判で「外来だから駄目」という話も出てくるのですが、ジェンダー・フリーを男女の性差によるバイアスからのフリー。「〜らしさで締め付けられるのをよそう」と考えれば、外来だから駄目ってことにはならないはずなのですが、「日本」的なカタカナ語嫌悪で不安を煽り、問題を単純化しようという動きがあるということを追記させてください。終わり。



しょこら:横から失礼いたします。上野千鶴子氏による第二派フェミニズムの位置づけでは、日本のウーマンリブは海外からの輸入ではなく日本の社会主義運動の最中に生まれた、とあります。もちろん、第二派フェミニズムは欧米のフェミニズムから大きな影響を受けている部分もありますけれど、ちょっと話の流れが「海外からの輸入」という雰囲気になりそうだったので、一言添えさせていただきました。




chiki:
それではそろそろ折り返しの時間ですので、まとはずれになるかもしれませんが、一度強引にまとめさせていただきますね。

ここまでのお話は、強引にまとめれば「バックラッシュは誰の・何への反応か」という議論だったように思います。灯さんが指摘してくれたように、現在日本(のごく一部)で起こっているバックラッシュがある種の不可避な流れに対する「受動的反応」だとして、それが「フェミ運動の前進」への受動的反応なのかどうかという問題がありますよね。それは例えばkwktさん、ピンさんのお話では、ニューエコノミー(あるいはネオリベラリズム)の流れとフェミへの混同がなされていて、そこで便宜的に、それこそ捏造的にフェミが叩かれている面もありうると思います。そこでは上山さんが腹案に記載してくださったような、二律背反を受けながらもどう制度化などを考えていくか、という大事な問題があるのではないかと思いました。ここまでの話に関連するヒントと、後半に触れたいテーマにつながる形で少し話をさせてください。たまたま昨日、バックラッシュに関して文芸評論家のスガ秀実さん、それから同じく文芸評論家の斎藤美奈子さんと直接お話することが出来たのですが(参照)、その二人の立場から考えると得るところが多いのではないかと思います。
Pinさんもレジュメで指摘していましたのですが、斎藤さんは今のバックラッシュは基本的に「ポスト・新しい教科書問題」だと捉えていらっしゃるんですね(「物は言いよう」参照)。そういえば面子もほとんど一緒ですし、それは、実はフェミニズムの文脈とはあまり関係のないものかもしれない。フェミ戦略への直接の批判というより、そういう言説がオヤジの慰撫、癒しになっているということかもしれません。その点に関して、スガさんはバックラッシュを支えているのは中産階級のメンタリティそのものなのだとおっしゃる(「en-taxi07」参照)。斎藤さんは、基本的にニートやひきこもりの問題も似ていると加えておりましたが、このような前半のお話を受け、出来れば後半では具体的で身近なところ、できればshfbooさんの腹案で頂いたようなお話を扱っていければと思うのですが、いかがでしょう。突っ込みを受けて、前半を終えたいと思います(なんてえらそうな文体なのだ、チキは…)。




灯:後半では、pinさんのレジュメの「どう対処していくか」、例えば「私的領域での男女問題」へと論点をシフトさせていって「男女の自己実現を疎外しない=鬱にならないあり方」という問題に対する皆さんの個別的で具体的な理念や方策をお聞きしたいのですが。




chiki:
賛成です。まさにそれが言いたかったのです。分かりにくくてすみません(汗)>灯さん では、休憩にしたいと思いま〜す。







ブレイクタイム〜ブレイクスルー
shfboo:お茶しよーと。



灯:タバコ、タバコ(笑)




pin:
休憩いつまでですかい? 紅茶が濃いのでお湯足そう。




chiki:
それでは、23時まで休憩しませうか。何かあれば今のうちにメモしてください。甘いものを食べなさい。>みんな 静養してください。大丈夫ですか?>上山さん



上山:ありがとうございます>chikiさん。朦朧としてて、流れに沿った発言が無理ぽいので、今フリーで独り言してもいいですか?




chiki:
ぜひ(わくわく)。



上山:さきほど「自己実現を疎外しない」という言葉がありましたが、先日大阪であったニート・シンポジウムで、玄田有史さんがおっしゃっていたのは、「好きなことをやりなさい、というのは、こんなに難しい課題はない、と。 つまり、「自己実現から≪降りてはならない≫」というプレッシャーを若い人は背負い込みすぎるし、大人も期待しすぎる、というようなことです。



しょこら:渋いですよね、濃いと>紅茶、pinさん



上山:それで、「女は家にいろ」というのは、「女は労働に参加するな(降りろ)」ということなわけですが、実は同時に、「子供を産むことからは降りるな」にもなっている(最近の「オニババ」論などは、自覚的ではないかもしれないが「女は降りるな」になってる?)。

さきほどchikiさんが少し触れてくださいましたが(鈴木謙介さんがルポで書いていたジレンマですが)、「女が参戦しようとする動きが、降りたがっている男を降りさせない」みたいなやりきれない事情がある。フェミニズムネオリベラリズムが、ともに「働けイデオロギー」になっていて、「降りる(参加できない)」人間を蔑視的に二重排除する、という話です。





pin:
「子どもを産むことから降りるな」って胸に来るなあ。 それでも濃い紅茶(泣)>しょこらさん




chiki:
なるほど。ふむふむ。(23時を過ぎましたので、上山さんの発言を受けて、緩やかに後半スタートさせたいとおもいます。皆様、ご都合があった段階でご参加ください)



上山:「降りてもいいし降りなくてもいい」という論点が、やはり核心的に気になります。(以上、休み時間オーバーしてごめんなさい)




pin:
降りたがってる男を降りさせないのは、結局、乗りたがってる女の首を絞めていくとおもうので、フェミと「働けイデオロギー」とが結託しないことが必要と思われます。>上山さん



上山:「労働」「子供を産む」「自己実現」のどれからも≪降りていいじゃん≫ってのは、やっぱり無理なんでしょうか、みたいな話です。 はい>pinさん。私からすると、「女性の権利が認められる」話は、「男でも降りていい話」として「ホッとする」のです。手前勝手で失礼かもしれませんが。)(以後、沈黙します、ごめんなさい)




chiki:
上山さん。大変示唆的なご意見ありがとうございます。これからみんなで検討させていただきますので、もし大変なら、無理せずお休みになったほうがいいですよ! 

それでは本格的に後半を始めたいと思いますが、出来れば具体的かつ個人的な問題(産めって言われても、とか、働けって言われても、とかそういうプレッシャーを含みます)などに関連して話できればと思いますので、腹案を提出していただき、かつ、前半はROMに回っていただいていたshfbooさんのご意見を伺うところからはじめたいと思います。よろしくお願いします。





shfboo:
ういっす。







バックラッシュとの付き合い方?
chiki:Booさんは、前半のお話を受けていかがでしたか? 今回の腹案は、実に身近なところから、しかしある意味では普遍的といいますか、多くの問題に共通するような、日常的なコミュニケーションを切り取っていただいた上で考察していると思うんですね。Booさんは常に、抽象の高みで議論するのではなく、身近な問題やスローモーな論を展開しようと心がけていらっしゃるので、なおさら後半の「私的な領域」のような問題の口火を切っていただきたいのです。まず、Pinさんのレジュメの感想からうかがってもよろしいでしょうか出来れば自身の関心領域(上記腹案)にひきつけていただければありがたいです。




shfboo:
フリありがとうございます。前半ではバックラッシュの担い手や攻撃対象、それが生まれてきた背景についての原因分析や現状分析がなされ、たいへん勉強になりました。それで、僕は今日はサブコメンテーターということなので、その本題とは少し違うことをBBSに書きました(上記引用参照)。そのことを後半で少しふれてくれるようですが、その前にkwktさんとpinさんのレジュメについて一つ言います。

僕はpinさんが下敷きにしている『ザ・フェミニズム』は読んでいたんですが、あんな図式が抽出できるとは思わず驚きました。それはそうとそこで上野さんは「自分は社会学者で社会を変えられるなどとは思っていない。ただその変化を記述するだけだ」と言い、それが自分の基本方針だとおっしゃっていました。こで林道義氏らに対しては社会の変化にアレルギーを起こしたいずれ消える者たちとして一笑にふす、別の言い方をすれば特にそれらと戦わなくても滅びるというスタンスをとっていたと思います。対してkwktさんのレジュメにおいて北田さんは、バックラッシュ派が草の根的に敵対対象にとんでもないレッテルを貼って反動を煽る動きは馬鹿にならない、として自ら言論戦に入っていったように見えます。つまりバックラッシュに対する危機感が上野さんと北田さんとは違うようです。僕は具体的草の根説得運動の必要性をBBSに書いたように後者の危機感を共有しています。

しかし仮にバックラッシュが勝手に滅びる類のものなら、僕の危機感はやや過大かもしれない。そこでバックラッシュに対して皆さんはどちらのスタンス、あるいは別のスタンスでいるかをお聞きしたいと思いました。





chiki:
ありがとうございます。余談ですが、北田×林論争は、肩書きとしてはどちらも「社会学者」なんですよね。シンポジウムの司会だった鈴木謙介さんもそうですし、また、いくつかのブログを見たときに、積極的に(よかれ悪しかれ)コメントしていたのは社会学系の方が多かった(というか、ほとんどだった)。その点に関して思うところあったりしますがそれはさておき、今のbooさんのご質問に関して、皆様のお立場を聞ければと思います。しょこらさんはいかがですか?



しょこら:はい、まず上野氏と北田氏の見解の相違についてなのですが、上野氏がバッククラッシュに危機感を持っていないというよりもむしろ上野氏の日本の第二派フェミニズムを牽引してきたという立場から、直接林氏のような方と論争することを避けたのではないかと思います。でもこれは別に重要な点ではないのでさておき、私はバッククラッシュ(ジェンダー・バッシング)については批判しつつ、でも社会には権威が必要であるとか、働けイデオロギーの問題とか、も「バッシング」として片付けてしまうのではなくそのあたりについては建設的な議論をしたいと思っています。「だから女性が家にいないと」「男が権威を持たないと」という事では、もちろんありませんけれど、現在の社会が信頼をどう得てどう作動するかということを考えなければならないという意味です。




chiki:
ありがとうございます。なかなか明快には言いにくい問題ですね。kawakitaさんはいかがでしょうか?




kwkt:
僕はバックラッシュには楽観的です(反対意見くださると認識が拡がるので嬉しいです)。先ほど申し上げましたように、高度経済成長モデル(働く夫―専業主婦)は一時代の環境要因に支えられた特殊な形態であるとするならば、その時代を生きていた人は別のモデルがあると言われても承認しないかもしれない。しかしその環境要因を復活させることはもはや不可能ですので、ニューエコノミーの浸透によって古い世代の幻想は何を主張しても壊されていかざるを得ない、というのが私の認識です。

先ほどpinさんに指摘されて痛かったように、ニューエコノミーの到来がなければ、男女の問題が出てこないとすれば」というのはその通りで、これを逆手に取れば、理念よりも経済的要因の方が社会認識の変化を起こす要因になるのではないかというのが私の認識です。ですのでネオリベ・働けイデオロギーにどう抗していくかが最終問題になってくるのかと。





chiki:
なるほど(もしかしたらchikiも「反対意見」になるかも…)。灯さん、いかがでしょうか?



灯:僕は討議の前半で言った通り、バックラッシュ派は資本制社会の変化の趨勢に対する郷愁の混じった受動的反応(反動)に過ぎないから、否応なく衰退−消滅するだろうという見解です。少し以前と意見が変わった点は、社会の変化とフェミニズムの言説の変化とはどちらかが、原因−結果という関係ではなくて、パラレルなものだろうな、という点です。そして僕は、各個人はそれぞれにとって最も快適な環境および最大の利益を求めて行動していいと思いますし、現にそうしている、と思います。ただ、その場合最も各人の利益が大きくなるのは各人の理性がその人に教えるところに従う場合だと考えています。




chiki:
ありがとうございます。interest(利害)をどう捕らえるか、非常に興味深いです。さて、聞くまでもないかもしれませんが、レジュメを書いていただいたピンさんはいかがでしょうか。




pin:
バックラッシュを楽観視できるか否か、についてから考えてみたいと思います。私は、高度成長モデルへの憧憬が若い世代にも共有され、内面化されていることと、つまりナショナリズムというか、chikiさんがトラカレで論じていたような「右傾化」とバックラッシュとは同線上におけるのではないか、と思います。前半の最後でchikiさんが教えてくれた、斉藤美奈子さんの「ポスト・新しい歴史教科書」という言葉がそれを示しているように感じます。つまり、公私分離を前提とするナショナリズムが、ジェンダーの公私循環を強化しようと、ターゲットを教科書からジェンダーに変えたという経緯があるからです。だから、確かに「慰み者」としてバックラッシュが受け入れられているという楽観もできる一方で、瑣末な批判としてというよりナショナルな言説に抗す意味で単純に楽観できないと思います。

それから、現実的な社会を動く上で、あるいは現実的に社会を生きるものの選択としてどう行動していくのかという点から考えますと、選択の多様化とよくいわれてきていることが、どういう文脈でおきているのかを分析していかないと、結局なんらかのイデオロギーに絡めとられる危険性を孕むということに気をつけねばと思います。具体的には、booさんが腹案でだされた身近なコミュニケーションから考えてみたいのですが、選択の多様化や女性の社会進出といわれるものが、既得権益を脅かしているものとして誤解して流通していることを、解きほぐしていく必要があると思われます。話がそれた気もするので司会に戻します。





chiki:
ありがとうございます。ここで少し、主にpinさんのご意見を受ける形でチキの意見を挟んで、shfbooさんに返したいと思います。よろしくお願いします。例えば柄谷行人さんは、ナショナリズムは不可避的に衰退していくと仰ります(昨日の講義でもしきりに言ってましたが)。もしかしたらナショナリズムの衰退と共に、パラレルな形でジェンダー規範のようなものも衰退していくと捉えられるのかもしれません(ナショナリズムジェンダー、ですね)。ところが、ピンさんが膨らませてくださった「教科書からジェンダーへ」という問題とも結びついていると思うのですが、例えば家族モデルが「衰退」していくといった場合、それが果たしていいものなのか(ポジティブなものなのか)。その「衰退」の後に例えば(暴力的な言い方ですが)「フェミニズムの勝利」のようなものはあるのかというのが当然気になります。chikiはちょっと楽観視は出来ないでいるのですが(この点はいわゆる「右傾化」とは別と思っています)、もうひとつ気になるのは、本当に家族的なものは衰退していくのかということです。そういう時にこそ「家族」や「共同体」を求めるという心情が働いたりするのではないでしょうか。これは会社の人と話したり親と話したり顧客と話したり、そういう身近な方と話しているときにこそ疑いが生じるという個人的な体験がありまして(笑)、Booさんの腹案を拝見して、同様のことを浮かべました。

ただし、shfbooさんのご質問に対して、重く受け止めるか、ポジティブに捕らえるかの差異はあれど、基本的には件の一連の流れが不可避的であるという認識はある程度共通していたと思います。ある意味で過渡期なのかもしれませんが、では今どういうコミュニケーションが行われているのか、というところは重要な問題ではないでしょうか。それこそ、権三(父)をいかに説得するか、というような。





kwkt:
まさに「個人的なこと『で』政治的なこと」ですね(このタイトルけっこう気に入ってます(笑))




shfboo:
だいぶ時間がたってしまっているので、なるべく手短に発言させていただきます。ボブディランに「時代が変わる」という曲があり、まさにロックやヒッピー黎明期に旧世代の反発に時代は変わるとさとすという内容でした。それから五十年、ロックは(たとえばREMやブルーススプリングスティーンのように)例えばアメリカで時代がリバタニアリズムに変わってしまいそうな中、草の根的にそれを押しとどめようとする活動になってきているように思えます(ケリー投票を呼びかけたツアー「vote for changes」など)。バックラッシュが時代が変わることによって滅びることは大いにありえる。しかし何もせずとも時代が(都合よく)変わるとすれば、いずれ時代は都合悪く変わるということでもある。僕は時代が自分にとって都合よく変わろうと悪く変わろうと、できるだけ公平にチェックし、コミットすることでよりベターに変えていくこと、その意思を形にできる仲間というか協力者を作ろうとし続けることが大切だと思ってしまいます。

前置きはこれ位で。だとすればはじめにできる実践とは何か、それは隣の他者とどうコミュニケーションをとっていくかということに集約されると思う。僕が例に挙げたのは父です。彼は旧世代で、時代が変わることを痛感し、だから恨みをもってバックラッシュに共感する。僕は彼に対して、その旧世代価値観は時代の変化によって滅びるといい冷笑無視することはたやすいとは思う。しかし、それはまず理解やコミュニケーションを実質的に絶つことになる。また、父を僕はそのような形で切り捨てることは凄い古い発言ですが、人としての感情が許さない。たしかに彼は旧世代の価値観で差別に加担してきた。今その報いを受けているのかもしれないが、そのことであなたの人生古くて無駄でしたとはいえない、ある部分を理解し肯定し、そのことで差別に加担してきたことを理解してもらい変わっていってもらう。そういう対話がなさすぎるのではないか。以上です。なんか感情的になって長くなっちゃった! すいません。





chiki:
ありがとうございます。ここで、できれば(「新」でも「旧」でもないような?:笑)灯さんのご意見を伺いたいですのですが、いかがでしょうか?



灯:僕が先に、各人は各々にとって最も快適な環境および最大の利益を求めてよいし、現にそうしている。そしてその為には各人の理性がその人に教えるところに従うのが最も良い、と言ったのは主に先の上山さんのご発言を受けての僕なりの回答のつもりだったんですね。「理性的に行動する」と言うと、それこそ抽象的だと思われかねませんが、実際には、各個人が自分の理性の声を聞くという事は、いつでもとても具体的な事柄なんですね。

例えば、僕は寝起きが悪いので、チャットは今とても楽しく興味深いもので、だから皆さんのご発言に対して個々にコメントさせて頂きたいけれど、明日は朝から会議があるので、そろそろ寝るべきだ、とさっきから理性の声が囁いている訳です(笑)。





chiki:
(ワラタ)




shfboo:
(ワラタ)



灯:という訳で、誠に恐縮ですが、今日はお先に失礼させて頂きますね(ごめんなさい!)




chiki:
理性の声が決断しましたね(笑)。冗談は抜きとして、お忙しい中本当にありがとうございました>灯さん




pin:
(ワラ)灯さんありがとうございました。



上山:(笑) お疲れさま!>灯さん



しょこら:灯さん、お疲れ様でした。




kwkt:
おやすみなさいw>>灯さん



灯:おやすみなさい。ありがとうございました>皆様(退出)




chiki:
灯さんに理性の声と笑いをもっていかれてしまった(笑)。



上山:灯さん、チャットから降りる権利の行使の図。




kwkt:
僕は理性より誘惑が勝ってしまうタイプですねw








対話の可能性と困難〜次回へ
chiki:それでは、もうそろそろ終盤、「締め」に入りたいと思います。よろしくお願いします。shfbooさん、それから灯さんに頂いた指摘は、例えばコミュニケーションや「決断(主義?)」に関するなどにおいて大変重要な問題だと思いますし、次回に予定をさせていただいている上山さん中心としたチャットの議題とも(おそらく)関係するのではないかと思います。もうそろそろ終わりも近づいてきましたので、ブーさんのご意見に対して、皆様のご意見を伺えればと思います。




kwkt:
確かに切り捨てることは簡単なので批判があがると思うのですが、ただ僕が例に挙げさせてもらった上司(30代ネオリベ)とかと話をするときに感じるのですが、立場(年上とか)の優位性に乗っかって発言する彼等は、自らのバックグラウンドを相対化することができない場合どうすればいいでしょうか。




shfboo:
本当にどうしてもできないのか、自分たちが長い時間をかけてでもやっていこうと意思しそのスキルを鍛えて実践していくことをしていないのか微妙なところですよね。ただその上司の方のようにどう考えても無理かもみたいな人はいるし、全員が説得できるわけではないのでケースバイケースで、この人はちゃんと話せるしわかってほしい、しかし考え合わないというような人にきちんと対話していくといのでいいのではないでしょうか。なんかえらそうな言い方になっちゃったな。すいません、そんな意図ではなかったのですが>kwktさん




kwkt:
いえいえ。>>shfbooさん




pin:
「わかってもらうが乞食の心」とリブの田中美津も言っている。これはコミュニケーションの放棄というよりも、対等な対話への覚悟といえましょう。「もらう」ではく、でもあきらめるのでなく。しんどいですけどね。あと有機的な人のつながりというものがあれば、意見は対立しようと、コミュニケートできるわけで、「家族」とかに肥大化した理想が詰め込まれると生き難くなってしまうので、家族モデルの衰退がフェミ勝利でもなく、ようは積み込みすぎたらパンクするでそれをやめよう、ということで。有機的な人のつながりから対話してこう、っちゅーことになるのではないかと思います。booさんの父の話は私にとっては母という具体的他者を想定して、考えさせられました




kwkt:
個人的には、例に出した方との関係は役割関係なので、異動とかあったらそれ以上僕は気にしなくなるのかなと思ってしまいます。それでいいのかという問題もありますが、個人の手に余るところでもあります。



上山:ひきこもり当事者の発言は、往々にして――「働けイデオロギー」というか、親世代価値観から――、「ボクのことわかってほしい」というコドモ発言として馬鹿にされます。




chiki:
(闇落)




上山:
pinさんやshfbooさんのお話は(失礼な言い方かもしれませんが)、「親世代の価値観との戦い」として繰り返されるひきこもり業界の話そのままです。「親を変えたい、でも変わるわけない」。って、あれ、chikiさん?




shfboo:
今焦ったチキより電話あり、パソコンフリーズした、五分まっててくださいとのことです(笑)。



上山:了解(笑)、その間に書き込みつづけますね>ブーさん。その場合、親世代のほうに社会的な発言力も経済力もあるのですから、「コミュニケーション(議論)」を断念するとしたら、既存社会で弱い立場に立っている者のほうが追い詰められてしまうわけです。逆説的なことに、「労働(or出産・自己実現など)から降りてもいいじゃないか」という意見表明(議論努力)は、相手に対して「この議論からだけは降りないでくれ」という要求を突きつけることになる。(shfbooさんの言うごとく、)親やバックラッシュ派は、自分の意見を「変えない」のではなく「変えられない」のだとしたら、それをこちらは許すのか。つまり(しつこいかもしれませんが)難しいのは、「コミュニケーションからすら≪降りて≫いいのか」ということです。「降りてもいい」とすれば、「すでに社会的に力がある」「わざわざ議論しなくても生きていける」「教育機会に恵まれて教養資本が多い」「才能に恵まれた」といった人たちが圧倒的に有利。




pin:
(よくわかります。ゲイやレズビアンなどセクシュアルマイノリティの親子あるいは社会関係でもよくあてはまるお話だと思います。)





上山:「議論から降りていい」という話が、いつの間にか既得権益層を優遇的に放置する話にしかならない。「議論(コミュニケーション)する」のは、≪お互いに変わる≫ことを求める面がある。 → 「議論拒否」(議論から降りる)は、「変化拒否]]でもあり得る。「降りてもいいじゃないか」という意見は、「この議論からだけは降りないでください」という自己矛盾を一度抱え込む。過日のチャットで、「自由なコミュニケーションの奨励にすら、ネオリベ問題があり得る」という話がありましたが、いま指摘したジレンマと合わせ、次回(?)以降、考えてみたいです。 




chiki:
ようやく入れた…すみませーん(入室)。主催者が荒らしてしまった…司会しなきゃ! 上山さん、ありがとうございました。そうですね。降りるためには、降りない人、そこにい続ける人がいないと不可能だというのが実際問題としてあるわけですから、どちらを推奨するという問題ではなく、バランスなども求められると思います。




pin:
とても切実な、個人的「で」ポリティカルなご指摘だと思います。




chiki:
イラクの人質事件では、Blogであっても降りる人ばかりが目立ったように思えたし、別の土俵では降りない人ばかりが目立ったり、というのが状況によってありますね。では、そろそろ「締め」たいと思います。今回は「バックラッシュ」ということでしたが、多くの視点が出たにもかかわらず、なにかしらの筋が一本と追っていたような、濃密な対話だったように思います。



しょこら:個人的には、フェミニズムのジレンマ産む/働くの問題が気になりました。またこの点についてピンさんのお話を聴けたら嬉しいです。と、一つ一つ興味深い論点を挙げていると二時になってしまいますので、また次回にいたしたいとおもいます。総チキ郎さん、締めをよろしく。






chiki:
はい。ありがとうございます。僭越ながら本日の締めをさせていただきます。本日、領域としての「フェミニズム」だけではなく話が「コミュニケーション」の方に向いていったことは―個人的な関心もありますが、重要なことではないかと思います。参加者の皆様も、各々持ち帰る「お土産」が出来、刺激的な時間をすごせたのではないでしょうか。文章としてもかなりのものではないかと思いますし(笑)。もちろん、今回もまた何かしらのデータを提示したり、結論を立てて方針立てしていく類の議論ではありませんが、そういったものの括弧をはずしたとしてもすばらしい(自画自賛?)。

何度かアナウンスしましたが、次回は「コミュニケーション」に関する問題を扱いたいと思っております。まさにここでみなさんとコミュニケーションを行っているということもあって、思また皆さんにも思い入れのあるテーマなのではないでしょうか。出来れば、今回のチャットに関しては、出席できなかったあむばるさん、ただものさん、途中で退出した灯さん、それから今日風邪をめしていた上山さんなどと、BBSの方で「後日談」などが出来ればと思います。まだまだ話したりないと思いますので、皆さんも書き込んでくだされば幸いです。

本日はお忙しい中、ありがとうございました。第二回チャット、以上で終了です。お疲れさまです!!!




しょこら:(パチパチパチっ)←って、聴衆ですかW




shfboo:
お疲れ様でしたー!



上山:お疲れ様でした!!>みなさん




kwkt:
おつかれさまでした。




pin:
ありがとうございました>皆さん 上山さん Be Safe!



chiki:それではまた次回!