曽野綾子氏が『新潮45』にて、産経コラムの一件を「愚痴」っていた

曽野綾子氏が『新潮45』(2015年4月号)の連載コラムで、産経新聞のコラムをめぐる騒動について触れている。南アフリカを例に出し、人種に基づいて居住区を分けた方がいいと主張する内容のコラムを産経新聞に記したことから、発想が人種隔離政策「アパルトヘイト」そのものだと批判を浴びた一件だ。


新潮45』での連載タイトルは「人間関係愚痴話」であり、今回のコラムのタイトルは「第四十七回 『たかが』の精神」となっている。何が「たかが」なのか。その答えは本文に書いている。

麹町の大使館に着くまでの間に、私はシスター(※引用者注:曽野氏が通訳を頼んだ知人)に「ねえ、『たかが』って英語でなんて言うの?」と尋ねた。
「たかが、って、どういうこと?」
「たかが小説家のエッセイです、と言ってほしいのよ。いい小説家もいるけど、悪い小説家もいるのが、この世界の特徴です。でもいずれにせよ、たかが、なのよ」

(…)ただ私は作家だから、どこの国にもこっそりと規則を破る人間はいるだろう、そういう人たちをある種の作家は好んで描くものだと思う。それも人間性の一種なのだ。その可能性を大使にご説明するのに、「たかが作家の書くことですから、本気になさることはないのです」とシスターに言ってもらう必要性を、私は予知していたのである。

(…)皆が情熱をこめて要求した、作家の「謝罪」とは一体どういうものなのだろう。作家は古来、いい人であるとか、学問的に正しいとか、徳の高い人であるとかいう保証はどこにもなかった。今もない、と私は思っている


つまりコラムの趣旨としては、「たかが」小説家の文章に対して騒ぎすぎだ、というもののようだ。そのため内容も、連載タイトルにあるように、自分を批判した者たちへの「愚痴」がメインとなっている。たとえば、「特定非営利活動法人 アフリカ日本協議会」をはじめとした数々の抗議文に対して、次のように記している。

しかし一作家が、誰かを代表するということもなく、自分の考えを書いていることに対して、さらに私が現実に人種による差別的行為をしたり、示唆したりしているのでもないのに、謝罪と記事の撤回を要求する、ということに私は驚きを感じた。今の日本はこういう国だったのか、と理解した。
(…)一人の人間の中にも、必ず悪魔と天使の要素が、それぞれに存在する。しかしその比率を、人間、ことに他人が断じたり裁いたりしてはいけない、と私は思っている。


また、メディア各社の取材、およびネット上での反応に対しては、次のように記している。

肩書一つ正確には書けなかった新聞や通信社が、こうやってヘイト・スピーチを繰り返し、そこに覆面のツイッターが群衆として加わって圧力をかけ、どれだけの人数か知らないが、無記名という卑怯さを利用して、自分たちは人道主義者、曽野綾子は人種差別主義者、というレッテルを貼ることに無駄な時間を費やしている、その仕組みを今度初めて見せてもらって大変ためになった。私は覆面でものを言う人とは無関係でいるくらいの自由はあるだろう。


曽野氏にとっては、自分が「アパルトヘイトを肯定した」と評価されることは「ヘイト・スピーチ」にあたるという認識のようだ。批判相手をひとまとめにし、聞く価値のないものだと矮小化するのは、流言拡散者もよく用いる手段ではある。ちなみに、「そういう意図はなかった」「自分を批判するのは時間の無駄」といった表現も、流言拡散者がよく口にする。


だが曽野氏の「応答」では、肝心の「自分の文章がアパルトヘイト肯定に読めるか否か」という点について論理的な説明がなされない。物書きであれば、自分の意図とは別に、文章がどう読まれるかが重要となるにもかかわらず、本人の意図や作家論などに回収してしまっている。これは「逃げ」のように思えるが、おそらく曽野氏の場合は「無自覚」だ。「天然」と表現する人もいるかもしれないが、この言葉は軽すぎるように思える。そもそも「黒人」という大括りなワードでその人の行動を語る行為そのものが問題ではないか――。以前、ラジオ番組で曽野氏にインタビューした際、そうした趣旨の質問を行ったが、氏はまったくピンときていなかった。曽野氏は、黒人は他の人種とは「実際に」行動様式が違うという認識で、そのことを前提に話をすることは「差別ではなく区別」であり問題ないと信じているようだった。


ところで、コラム冒頭では、曽野氏が南アフリカ大使館に招かれ、モハウN・ペコ駐日特命全権大使とやりとりしたことが紹介されたうえで、次のような話を聞いたということが記される。

まずその時、私が明らかに当時知らなかったことを大使に教えられたので、その点を私はここで真っ先に報告したい。それは「パス法」と呼ばれる明らかに黒人を差別した法律で、我が家の秘書に出してもらったウィキペディア(日本語版)によると、南アに住む十八歳以上の黒人すべてが、身分証明書を白人地区内では常に携行しなければならない法律だった。これはアパルトへイトの象徴的悪法だったので、一九九一年に廃止されている。私が南アを初めて訪問したのは一九九二年だから、この法律は前年から正式に効力を失っているので、私の説明役を買って出てくれた政府側の女性も、もう過去のことに触れる必要はないと思ったのかもしれない。しかしそれ以前には黒人はこの身分証明書を提示しなければ家の売買も居住もできなかった。従って一つのマンションにどういう人が何人なら住めるか、ということはパス法で厳しく管理されており、その検査に通った人も勝手に一族全員を呼び寄せて二十人も三十人もに【ママ】住まわせるなどということはできないし、そんな人は一人もあり得なかった、と大使は明言された。私はそういうお話は、私の書くものの中で一番早い機会に原稿にいたします、とお約束したので、その後一番早く締め切りが来たこの『新潮45』の冒頭でこうして報告するわけだ。


曽野氏は大使からは、コラムに書いたような実態は存在しないのではないかという指摘を受けたようだ。その事実を記すのは重要だ。たとえウィキペディアであっても、苦手なネット(曽野氏は僕のインタビュー時、ネットのことを「エレキ」と表現していた)を使ってまで確認しているようでもある。ただし曽野氏はその後の文章で、次のように記している。

近代的なマンションでは、使える水の量に制限がある。屋上のタンクの容量は、一軒当たり、四、五人が住む計算しかしていない。しかし(大使はそういう例はないとおっしゃったが)たまたまこっそり大家族を招じ入れる不心得な家族がいると、マンションの水はすぐ枯渇するだろう。私が聞かされた実例なるものは、例外か話の上で全くの虚構か今となってはわからないけれど、私自身は話を捏造していない。


自分は聞いた話を書いた。自分の意図としてはアパルトヘイトを肯定したつもりはない。そんな自分の文章に騒ぐなんて大げさであり、非難する側にこそ問題がある、ということのようだが、これでは先に大使の言葉を引用したのが台無しである。


確認しておくと、曽野氏は産経コラムにて、ここでいう「不心得な家族」を「黒人」という人種の特徴だと括り、「白人は逃げ出し」たと書いた。「聞かされた実例なるもの」を、自らの主張のために記したのは曽野氏であり、そこには氏の「思想」が宿る。ある時は大家族主義だと褒め、ある時は不心得な家族と難じているが、黒人と白人を「区別」して語っていることには変わりなく、その発想に基づいて提言する氏の態度・思想こそが批判されていることに、まだ無自覚のままでいる。また、聞いた話を書いただけだから責めるなというのであれば、あらゆる誤報もスルーされてしまうことになる。もしかしたら曽野氏にとって「記者と作家の区別」を行っているだけなのかもしれないが、もちろん僕はそんな「作家論」は支持しない。


さて、曽野氏のコラムには、僕の名前も出てくる。

私の方もインタビューを申し込んで来た各社の担当者に一つずつ質問をさせてもらうことにした。私はいつも仕事には義務だけでなく、人間探求に関する勉強や楽しみの部分も残しておきたかったからだった。私は談話を欲しいと言って来た記者自身が、私がエッセイの中に登場させた水のでないマンションに仮にいたとしたら、住み続けるかどうかに答えて欲しいと言った。別に「社を代表なさらなくていいんです。あなたの個人的なお答えでいいんです」と私は言い、イエスでもノウでも、返事をくれたところには、回答をすることにした。週刊文春共同通信のうちの一人、ジャパンタイムズ朝日新聞週刊ポスト、光文社、の記者たちは電話口で即答をくれた。読売新聞は、そのような問いには答えない、と言ったので、私も返事を書かなかった。テレビ局の女性は、散々条件を挙げ、苦悩を声ににじませたあげく、叫ぶように「私は住みます!」と答えた。また共同通信のうちの一人は「住み続けます」だったので、私は「どんなふうにして?」とつい尋ねてしまった。すると「水を運んだりして」ということだった。荻上チキ氏は、ご自分の名前のついたラジオ番組を持っていらして、それに出るようにと言われたので、私は同じ質問をした。すると「まず水が出るように試みる。水がないと自分はいられないが、それは人種差別の故ではない」という答えだった。そんな条件は改めて言わなくても誰もがやることだ。やはりこの方は、人道的ではない、と言われることが非常に怖い方なのだな、と思って聞いていたが、私は約束通り録音取材に応じた。


事実、曽野氏にインタビューを申し込んだ際、氏から条件として、「水のでないマンションにあなたは住み続けるか」という質問に答えろと伝えられた。僕はこの時まず、「馬鹿な質問をするものだな」と率直に思った。さらに、曽野氏の場合、仮に「はい」とでも答えたら、「ほれみたことか」とでも言いそうだ、それほどいちから説明しないと伝わらないのだろうか、と思った。そこで、「イエス/ノー」で答えることはせず、「改善の方法を模索した上で、水が出ない状況が続くなら引っ越しを考える。ただしそれは、隣人が黒人だから、ではない」と答えた。


氏の「人間探究」によれば、この答えは「人道的ではない、と言われることが非常に怖い」からだと解釈されたようだ。実際は、氏の問いに疑念を抱いていたゆえの回答だったのだが。ただ加えておくと、自分は特段「人道的」だと思わないが、それでも確かに僕は「他人から人道的ではないと評価される」ことを怖いとは思っている。そして、社会が「人道」を放棄することが怖いからこそ、産経新聞というメディアに曽野氏のコラムがそのまま載ったことも怖かった。だからこそアパルトヘイトの問題をラジオ番組で取り上げたし、シノドスでもとりあげている。それに対し、あくまで僕などが過剰に「人道的」ぶっているだけだと位置づける曽野氏の認識もまた、怖い。日本財団南アフリカ支援にも関わった人物でもある氏にしてこの認識……。逆に、氏のコラムを「怖い」と思った人たちが少なからずおり、抗議の声をあげたことは、とても心強く思える。


なお、産経新聞は、次のような見解を示している。

「コラムについてさまざまなご意見があるのは当然のことと考えております。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」
「コラムはアパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱したものではなく、曽野氏ご自身の体験から、生活習慣の違う人同士が一緒に住むのは難しいという個人の経験を書かれたものと受け止めています。ただ、このコラムを掲載したことで、不快な思いを抱かせてしまったことは私たちの望むところではなく、大変遺憾に感じています」
http://www.sankei.com/column/news/150306/clm1503060007-n1.html


一方で他記事では、曽野氏擁護の記事も掲載している。


http://www.sankei.com/column/news/150220/clm1502200007-n2.html
http://www.sankei.com/life/news/150222/lif1502220012-n2.html


今後、移民問題などがクローズアップされていく中で、様々な問題がごちゃまぜになり、個々のトラブルや事例を「人種」や「国」に還元して語る言説がますます出てくることが予想できる。その意味では、問題を先取りして提示して見せたコラムでもある……が。そうした「誤った語り口」を解きほぐしていくことで、誤った暴力や政策を生まないようにすることが重要なんだよね。というわけで、自分のメディアだけど、秀逸な論考なので下記をリンク。


【参考】
「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治
亀井伸孝 / 文化人類学、アフリカ地域研究
http://synodos.jp/society/13008

また上杉隆氏が(以下略

またまた、上杉隆氏の番組で誤情報を流された。今回はその拡散に、ロンドンブーツ1号2号の田村淳氏も加担している。番組では、次のような言及があった。

川島ノリコ:オプエドの中でも色々な意見があってっていう。
上杉隆:それがまた健全なんですけれど。番組内で意見が分かれて。
田村淳:そうですね。色んな意見があっていいわけですから。俺と反対の意見なんだからって、嫌いになったりしないですもん。普通の人って反対意見が一つあったら友達じゃなくなるみたいな感覚を持っているでしょ。
川島:小学生みたいな感じですよね。いま、中でも「いじめみたいだね」というつぶやきがいくつかあったんですけど。
上杉:普通の人よりも、もっと酷いのは日本のメディアの人なんですよ。僕と意見が違う人いっぱいいるんですけど、意見が違う度にどんどんどんどん敵が増えていくんです。でも、違うのは当たり前じゃないですか。だから、ぼくは人格攻撃してないのに、僕と意見が違うと「あいつはダメだ」「あいつは敵だ」となるんですよ。それがね、ジャーナリストの先輩に限って、全員そうなっていくんですよ。
田村:へえー
上杉:すごいなぁと思って。
田村:俺の中で違う意見を持っている人があらわれたら、「えっ、何でそういう風に思うの」って知りたくなっちゃう。
川島:そうですよね。いろいろ話していると、「あっ、そうか、そういう風に思うから、感じるのは、じゃああなたの意見ですよね」って。
田村:話し合うと意見が変わることもあるんですよ。当然、人間だから。その場合、意見を変えた時に、「お前は考えがブレている」と言われるんですよ。
上杉:はははは(笑)。
田村:そんなことないですよ。だって、はじめての意見に触れて、自分の考えが変わることなんて生きていて楽しいことじゃないかと思って。
上杉:本当にそう。
田村:それを、否定する材料を見つけるのが上手い人は、どんな角度からでも否定してくるんで。だから、俺が一番やりたいのは、俺の事、誹謗中傷してる人と直接会って話したい。どこまで理解し合える仲になるか俺は試したいですよ。
川島:その方たちが出てきてくれるかどうかですよね。
田村:でもね、目の前には来ないと思うから、電話番号を出したこともあるんですけど、かかってこないですよね。
上杉:来ないですよ。だって、僕も色々な批判をしているけれど、そういう意味では堂々と話し合いたいわけですよ。だから、池上さんにも4か月くらいやっているけど来ないと。これ、ジャーナリストの人がそうなんですよ。津田大介さんもそうだし、江川紹子さんもそうだし、荻上チキさんもそうだし。異論があるから、戦ったから、違う意見の方が面白いわけじゃないですか。でも、依頼すると、全部拒否。でも裏ではツイッターでは悪口言っているわけですよ。
田村:ははは(笑)。
上杉:だったら、話し合って、こっちが行くんだからと。来てもいいし、行ってもいいし、どういうやり方でもいいから、と言っても駄目なんですよ。
田村:会った方がプラスしかないですけどね。違う意見なんだということを確認し合うこともプラスだから。
上杉:意見の違いで論争するほど面白いことはないじゃないですか。だってタダですよ。自分と違う意見というのは批判とか異論ってのは、自分にとっての情報だから、自分を成長させるのに。同じ意見の人だけ固まったって成長止まっちゃうじゃないですか。
池上彰氏Dis、上杉氏新刊宣伝などあって)
川島:あともう一つですね、ずっとあった問題と言いますか、オプエドにもたくさんツイートが……淳さん少しだけ大丈夫ですか。上杉さんのことなんですけど。
田村:はい。
川島:「荻上チキさんについて上杉さんから取材申し込み自体無かったと本人がおっしゃっていましたが。」
上杉:うええええええええ?
川島:こういうつぶやきがですね、今は松本さんという方なんですけれども。その他の方も……
上杉:チキさんに今つぶやけばいいんじゃないんですか。
川島:はい。荻上チキさんに対しての問題が沢山呟かれて。
上杉:取材申し込みしましたよね。
川島:でも、荻上さんは「来てない」と。ネットで言っている。
田村:駄目ですよ。ネットで返しちゃ駄目ですよ。
上杉:駄目ですよね。
田村:直接お話しましょうよ。
上杉:自分で、事務所もちゃんと言っているんで、ぜひ。こういうね、嘘をついちゃだめだよ。やっぱり。
川島:そうですね。
上杉:それは無いでしょ。

川島:でも、それを信じていらっしゃる視聴者の方は……。それも私にも来るんですよ。
田村:へえー
川島:上杉さんはそういう風に言っているけど……
田村:ぼくはチキさんと一緒に番組をやったことがあるんですけど、まあ明快な解説してくれますよ。だから、そんな二人が相まみえたらどういう風になるのか、俺は見たい。
上杉:朝生で一緒に何回か出たことあるんだけど。
川島:だからきっと、間に入っている人たちが色々こう。
上杉:そうそう。あと、本人も確認していないでそんなことを言う。ぼくは荻上チキさんが朝生に出れなかった時の取材っていうのは、ウチのスクープを基に、テレビ朝日がなぜそういう風にやったかという。テレビ朝日は自主規制の取材をしたんですよ。田原さんとか5人くらい。テレビ朝日の取材だから、荻上チキさん関係ないわけですよ。「テレビ朝日が自主規制した」という取材をしてそれを書いたわけです。で、そこにいくらね、取材していないと言ってもそれは関係ないわけですから。だって小島慶子さんだってそうだし、していないです、それは。だってテレビ朝日側の取材だから。それを基に言っていると思ったら、それは荻上さんの勘違いだし、その後そういう勘違いが無いようにと。ということで出演依頼を含めてしているのには対しては、出演依頼をして、30秒くらいでしたっけ、30秒くらい? で……
田村:オプエドにチキさん来てもいいんですよね。
上杉:もちろんです。もちろん。もちろん。こっちも出てもいいんですよ。TBSとか。
田村:お互いに行きあうのが一番良いですよね。
上杉:それを断って来たんですから。出ないと。
田村:へえー
上杉:だから議論をしないと、話はつかないし、少なくとも他の業種と違って、ずっと言っているんですけど、ジャーナリストとか評論家は口で糊しているわけですから。これで商売しているわけですから。ここは、きちんと下げちゃだめだと思うんですよ。
田村:そうですね。チキさんぜひ、上杉さんそんな悪い人じゃないんで。ぜひ。
上杉:ぜひ。TBSでも、いつでも良いので。シノドスもなんでもOKと。オプエドももちろんOK。
田村:それでまた、オプエドが面白くなるし。
上杉:全然OK。
川島:そうすると、それを今まで問題というか、気にしていた視聴者の方も、スッキリするかもしれないですからね。
上杉:本当に、そういう様な、周りのね、噂だけでどんどんどん論が立っていく。
川島:そうですね。
田村:本当ですね。
上杉:デマもそうだけどね。僕がなんでデマと言われているのか、最初からもどって皆さんきちんと調べてください。


相変わらずのようで、以下、例によって箇条書き。


・まず、上で読まれたツイートはこちら

・川島ノリコ氏が読み上げたこのツイートはそもそも間違い。正解は「朝生の件では上杉氏からの取材は受けていない」「デマを流されたことをブログで指摘したら、唐突に出演依頼が来たが断った」であり、このツイートはこの両者の時系列を混同している。それをそのまま紹介する川島氏も問題である。
・上杉氏の「取材申し込みしましたよね」というのも間違い。「出演依頼」には「取材」の件は一切触れていない。メールには単に、「新しいメディアのありかたについて」というテーマで当番組に出演してくれ、という内容だった。
・そもそも、こうしたツイートでの伝聞を元に、他人に対して「嘘をついちゃだめだよ」などと評価するような人の取材を受けても、良質な記事になるとは思えない。
・上杉氏は、「テレビ朝日側の取材だから」僕には取材する必要はなかったという理屈を述べている。それならやはり、「取材依頼」は出していないということになるのだが。
・ちなみに、この上杉氏の理屈については首をかしげる。テレビ局と出演者の間にトラブルがあった今回、それぞれの言い分や経緯を確認するために、双方に取材しようとするのは普通だろう。実際、多くの記者が、テレビ朝日にも僕にも取材を申し込んできた。しかし、上杉氏はテレビ局側の取材だけで十分と考えたようだ。
・僕の主張に関しては確認をしないでいいと言いつつ、上杉氏は前回の番組中で、僕のことを「えー本人がなんか一生懸命、自分に圧力がかかったと言っていますが、全然違います」「取材しないで、思い付きをツイッターなどに書いていたのが荻上チキさんということで」と、デマと共に嘲笑した。僕の対応について調べもせずデマを流したわけだが、今回の動画ではそのことを誤魔化している。詳しくはこちら→ http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141202/p1
・今回の番組でも、「それは荻上さんの勘違いだし、その後そういう勘違いが無いように」と言っているため、上杉氏の認識は今でも変わっていない。取材どころか、ツイートさえ読めば確認できる事実すら確認できていない。
・というか、「ジャーナリスト」なのであれば、文章でレスしてもいいはずなわけだが、やたらと有料番組に出ろ出ろ言うのは、自己宣伝にしか見えない。
・上杉氏が「デマと言われている」理由は単純で、上杉氏がデマを流したからである。



最後に、田村淳さんへ。
僕は芸人としての淳さんを尊敬しています。しかし、いまあなたが加担しているのは、炎上ビジネスです。
デマを流し、嘲笑した人がいて、その人が「反論あれば番組に出ろ」と言っている。そんな状況であなたは、事情もよくわからないまま、「面白いから」「見たい」という理由で出演を促す。実に無責任な行為だと思いますし、淳さんの信頼も損なう行為だと思います。
当然、僕がその番組に出演しても何の得にもなりません。自分の関わるメディアに彼を呼ぶことについても、僕は損しかしません。見ている人への説明であれば、このブログで書いたほうがあの番組より多くの人に届きますから、これで十分です。
あと、当たり前のことを。「悪い人じゃない」ことは、仕事の良質さを保障しません。念のため。これからも何かと気を付けてください。


(2015年最初のエントリがこれでいいのかという気もするが、更新が少ないとこうなるのだ)



【関連】
朝生の一件で、上杉隆氏にデマを流された事案まとめ
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141202/p1


また、上杉隆氏のネット番組で誤情報を流された事案について
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141223/p1


「裏をとっている」とは何か
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20120323/p1

学習指導要領および保健体育の教科書において、性的少数者の存在が無視されている件

先日、「週刊SPA!」にも書いたけれど、大事だからブログにも書いておこうと思う。2016年、学習指導要領の改定が行われる。そうした中、「change.org」において、「クラスに必ず1人いる子のこと、知ってますか?〜セクシュアル・マイノリティの子どもたちを傷つける教科書の訂正を求めます〜」という署名企画が行われている。


日本の保健体育の教科書にはかねてより、性的少数者(セクシュアル・マイノリティ)に関する記述がないことが問題視されてきた。まず、実際の教科書はどうなっているのかをみてみよう。


  


【中学保健体育】

出版社 年度 書名 ページ 項目 主な記述
大日本図書 H23/24 中学保健体育 58〜59 思春期の心の変化への対応 異性に関心をもち、好きだと思う気持ちは心を豊かにしたり、毎日を生き生きと過ごす活力を与えてくれたりする面もあります。異性とよい関係を築くためには、男子と女子とでは性に対する考え方や行動が異なることを、おたがいが十分理解することが大切です。
学研 H23/24 中学保健体育 16〜17 性とどう向き合うか 思春期になると、性機能の成熟に伴って、性のことや異性への関心が高まったり、性的欲求が強くなったりします。また特定の人と親しく交際したいといった。友情とは違う感情も生まれてきます。
大修館書店 H23/24 保健体育 60〜61 性への関心と行動 思春期になると、心の面でも変化が起こってきます。自分が異性からどのように見られているか異性の目が気になったり、性についてもさまざまなことを知りたくなってきます。また、異性とふれあいたいなどの異性への関心も高まってきます。
東京書籍 H23/24 新しい保健体育 14〜15 異性の尊重と性情報への対処 思春期に入り、生殖機能が成熟してくると、自然に異性への関心が高まり、友情とは違う感情が生じてきます。また「異性のからだに触れてみたい」といった性衝動が生じる場合があります。/「【やってみよう】あなたが異性に求めたり望んだりすることはどのようなことか、例を参考にして、5つ挙げてみましょう。」

【高校保健体育】

出版社 年度 書名 ページ 項目 主な記述
大修館書店 H24/25 現代高等保健体育 66〜67 性意識と性行動の選択 思春期は性にかかわる意識も大きく変化する時期です。男女とも異性への関心が高まってきます。同時に性的な関心も高まりますが、その強さやあらわれ方には、個人差はもちろん、男女の間にも明らかに差があります。
大修館書店 H24/25 最新高等保健体育 66〜67 性への関心・欲求と性行動 「異性と親しくなりたい」という気持ちや性に対する関心は、思春期になるにつれて男女ともに高まってきます。しかし、性的欲求の強さやあらわれ方には、男女の違いがはっきりとみられます。
第一学習社 H24/25 高等学校保健体育 62〜63 思春期の心の成長 思春期は異性に対する関心や異性と親しくしたいという欲求が強くなってくる時期ですが、性に対する意識や行動のしかたは個人差も大きく、男性と女性でもちがいがあります。


http://nikkan-spa.jp/766230
こちらには、引用元である教科書の写真を掲載しております。あわせてどうぞ。


ご覧のとおり、いずれの保健教科書にも、「思春期になると異性への関心が高まる」と記されている一方で、性的少数者に関する記述は皆無だ。


日本では、学校教育法等に基づき、各学校でカリキュラムを編成する際の基準を定めている。その基準となる「学習指導要領」には、次のように記されている。

段階 項目 学習指導要領の記述
小学校 思春期の体の変化 思春期には、初経、精通、変声、発毛が起こり、また、異性への関心も芽生えることについて理解できるようにする。さらに、これらは、個人によって早い遅いがあるもののだれにでも起こる、大人の体に近づく現象であることを理解できるようにする。なお、指導に当たっては、発達の段階を踏まえること、学校全体で共通理解を図ること、保護者の理解を得ることなどに配慮することが大切である。
中学校 生殖にかかわる機能の成熟 思春期には、下垂体から分泌される性腺刺激ホルモンの働きにより生殖器の発育とともに生殖機能が発達し、男子では射精、女子では月経が見られ、妊娠が可能となることを理解できるようにする。また、身体的な成熟に伴う性的な発達に対応し、性衝動が生じたり、異性への関心などが高まったりすることなどから、異性の尊重、性情報への対処など性に関する適切な態度や行動の選択が必要となることを理解できるようにする。なお、指導に当たっては、発達の段階を踏まえること、学校全体で共通理解を図ること、保護者の理解を得ることなどに配慮することが大切である。
高等学校 思春期と健康 思春期における心身の発達や健康課題について特に性的成熟に伴い、心理面、行動面が変化することについて理解できるようにする。また、これらの変化に対応して、自分の行動への責任感や異性を尊重する態度が必要であること、及び性に関する情報等への適切な対処が必要であることを理解できるようにする。なお、指導に当たっては、発達の段階を踏まえること、学校全体で共通理解を図ること、保護者の理解を得ることなどに配慮することが大切である。


どの段階でも、誰もが「異性への関心が高まる」ことを前提としている。しかし、これには問題がある。実際にはこの社会には、異性への関心が高まらない者も多くいる。例えばコンドームメーカーの相模ゴムが国内で1万人以上に行っている調査「ニッポンのセックス」では、異性以外を恋愛対象とする者が6%〜10%程度は存在するという結果が出ている。



男性…異性のみ 93.6%、同性のみ 4.9%、両性 1.2%、その他 0.3%
女性…異性のみ 89.8%、同性のみ 7.1%、両性 2.4%、その他 0.7%
出典:『ニッポンのセックス』相模ゴム工業 / http://sagami-gomu.co.jp/project/nipponnosex/


他の類似調査でも、少なくとも5パーセント前後は当事者がいるのではないかと語られてきた。こうしたデータ見ても、「異性」以外に関心を持つ者は少なくない。さらには「その他」に含まれる、例えば性愛に興味を持たない「無性愛者」なども存在する。実際に多くの当事者がおり、数々の統計的裏付けがあるにも関わらず、《誰もが思春期において異性愛に目覚める》かのような記述を行うのは、「ニセ社会科学」だと言える。教科書が子どもに嘘を教えていることになるので、ぜひ記述を改めてほしい。


何より、多感な時期に性的少数者の存在が不可視化されてしまうことは、様々な問題を引き起こす。例えばメディアでも、性的少数者をネタする表現も多い。学校でも生徒が、時には教師も含めた大人が「オカマネタ」などを口にするなどして、性的少数者を嘲笑する空気をつくりあげたりもしており、被いじめリスクも高い。丁寧に啓蒙することで、差別を減らしていくという役割を、教科書策定や教育に関わる人たちには担ってほしいと思う。

また、上杉隆氏のネット番組で誤情報を流された事案について

上杉隆のネット番組で先々週、また僕について言及していた模様。今回も誤情報が多く含まれているようなのでまとめとく。番組内での僕についての言及は以下の通り。

上杉隆「先週、出演された小沢一郎さんも、被曝についてはっきり言ってましたね。小児甲状腺がんが出て――これ私の言葉じゃないですよ。小沢さんの言葉が、小児甲状腺がんが奇形児も産まれていると。こんなことを放置しているのはおかしいから、きちんとした選挙の時の、いわゆるアジェンダに、つまり政策の中に入れるべきじゃないかと、福島のことをと、そういうこといったら小沢さん叩かれてますね今」
鈴木博喜「そうなんですよ」
上杉「どっかのラジオ局。ま、TBSでしょうけれど。出て叩かれたり」
鈴木「叩かれてましたねぇ」
上杉「なんで、なんで、僕あの聞いてないんですけど、聞いてたんですか」
鈴木「あのー、この間……これ言っていいんですか全部?」
上杉「全然かまいません。これタブーあるのタブーあるのこれ?」
西谷祐紀子「ふふ、全然ありません」
鈴木「荻上チキさんのラジオに生出演されて」
上杉「あれ、なんて?なんて?なんて人ですか?」
鈴木「あれ聞こえなかったですか?お・ぎ・う・え・ち・き・さんです」
上杉「はあ、おぎうえちきさん、おぎうえちきさん…」
鈴木「生出演されてて、今と同じようなことを小沢さんはおっしゃっていたわけです」
上杉「言っちゃったわけ、ですか」
鈴木「それに対して、荻上チキさんは、『小沢さんそれは何を根拠に言ってるんですか。科学的根拠を出してください』と」
上杉「あれ、荻上さんは科学的根拠を持ってるんですか」
鈴木「いやいや、ないという根拠は持ってるんじゃないですか。要は、被曝の問題はないんだ、存在しないんだという根拠はあるんじゃないですかね。提示はしていなかったですけど」
上杉「へえーすごいなぁ。さすがですねぇ」
鈴木「で、TBSの記者も、似たようなことを言っていましたね。もう福島には、中通りには、被曝の問題はもう解決しているんだと、言ってましたね」
上杉「解決したんですね」
鈴木「解決しているらしいです」
上杉「それが日本の言論空間を狭めることって分からないんですかね。要はいろんな意見を言うと。そういう風に意見があってもいいんですよ、もちろん。荻上さん。だけど相手の意見をふさいで、私は正しいと言うことをずっとこの4年間繰り返されているわけですね、TBSから。TBSの出演者多いですけれど。ほんとに。で、そういうようなことが、言論の自由度、多様性を狭めて、そして、これ極端な事を言うようですれど、こういう特定秘密保護法とかに対しての政府への対策、要するに対抗もできなくなっていくんですよ。自分の首を絞めてるんで。で、だんだんとういう風にいって、自由な言論がなくなってると」
鈴木「僕がびっくりしたのは、要は、まあ、お父さんお母さんたちはやっぱり、不安があるから声を上げてくわけですね。その不安に立っちゃいけないって言うんですよ」
上杉「え」
鈴木「不安が前面に立っちゃいけないらしいです。」
上杉「なんで」
鈴木「先に進まないから」
西谷「不安になるなってことですか」
鈴木「そう、不安だけを強調しちゃいけないらしいです。荻上チキさんに言わせると」
上杉「あの、たとえば政府とか行政はこれずっと言ってますけど、そういう風に言うのは僕はいいと思うんですよ。あの、それは。そういう風に言う人もいるから。ただ問題はジャーナリズムが、そのね、政府の側に寄る必要はないわけですよね。不安が存在するんだったらそれを出してあげるし、そうじゃないひとも出してあげると、いうことをやらなくてはいけないのに。ジャーナリズムじゃないと言えばそれまでなんですけど。それを事前に手前からね遮断するのはよくない。不安ありますよね?」
鈴木「びっくりしましたよ。不安だらけだと思いますよ。もちろん、不安なんて抱いていないという人だって当然いますけど」
上杉「もちろんいます」
鈴木「それと同じくらい不安に感じている人もいるわけですから。それに立っちゃいけないってなると、その、お父さんお母さんたちはどうなっちゃうんですかね」
上杉「僕も福島は最近ちょっと行ってませんけど、2012年には一番多く行った年ですけど、不安ってのは行けば聞かれますし、こっちも知ってることは言うと、わからないことはわかんないと伝えると。で『やっぱりそうですね』と。常に不安と向き合ってきたわけですから。
鈴木「そうですね」
上杉「だからこそ移住するか、保養に行くかとか、そうやって日々悩んでるわけですよ。それを、現地にもちゃんと行かずに、一刀に両断するってのはよくないなと」
鈴木「えっ、行ってるんじゃないですか?」
上杉「あ、行ってんですか?」
鈴木「いや、行ってるから言ってるんでしょうね多分」
上杉「ということで、荻上チキさんから、ノーボーダー、オプエドから出演依頼をしています」
西谷「ふふ、はい」
上杉「残念ながらお断りされてますけど、まだ、いくらでも、毎日月曜日から金曜日まで平日午後4時、だいたい」
西谷「4時から5時の間でしたら」
上杉「歓迎しておりますのでいつでもお越しください」
西谷「いつでも、ふふふ」
上杉「ということで、こっちはフェアに。必ず裏では言いませんから。すべてこういう風に名前を出している人には出演依頼をしています。荻上チキさんの他にも、津田大介さんや東浩紀さん、それから江川紹子さん、池上彰さん。名前を出しているひとは全部出しています」


この番組内容を観た人から「被曝がないって何で言えるの?」的なリプが来て発覚。ここで言及されている「どっかのラジオ局」は、TBSラジオの「Session-22」のこと。


http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/12/20141209.html


内容は、各党の代表を番組に招き、1時間、質問をぶつけ続けるというもの。ここでは実際には、次のような議論になっていた。

荻上:被曝に関してはこんなメールも来ています。
南部:「テレビで政見放送見たら、小沢さんが福島の今後について、『チェルノブイリでは甲状腺がんや奇形が出ている。福島も甲状腺がんや奇形が問題になる』という趣旨の話をしていました。広島・長崎の被爆者の2世3世にそういう人が多いと言う話は聞いたことがありません。すでに福島では出ていて、隠されていると言うことなのでしょうか。」
小沢:福島では、事実上増えていると聞いています。
荻上:「事実上」。たとえばこの間検査をして、これからどうなるのかというテストの時、いろんな検査をした結果、もともと検査に引っかかったけれども、この影響だというところまでは、いま断定されていないというか、断定というか、そういった影響は否定されているという段階だと思うんですけれども。それの関係性はどうなんですか。
小沢:いや、あのー。いま言いましたように、放射能漏れのやつも、発表しないでいるんですよ。
崎山:大変、情報隠しがあることは、事実ですね。
小沢:こないだもどこかの新聞が一面で、また汚染水が大量に垂れ流しにされていると報じたでしょう。そのように隠しちゃっているんですよ、みんな。
崎山:その隠している場所と、実際に例えば子どもを産むお母さんたちのいる場所は全然離れていると思うんですけれども。実際には。
小沢:離れてるからいいんだっていう話では必ずしもなくて。
荻上:被曝の話は、体内とか、個人に対してどれだけ摂取されたのかというのがポイントになっていて、空間線量とまた別になっていますよね。そうなったときに、小沢さんが、かねがねからおっしゃっている、例えばチェルノブイリとか、被曝の影響がというのは、どういった所から得ている情報なんですか。
小沢:事実、事実、チェルノブイリの事は事実として出ていますよ。
荻上チェルノブイリチェルノブイリで。今回の影響について小沢さんはどういった情報から、いつもその、発言してるのかなという。
小沢:ん? 情報って? もう既にすでに出ていますよ。
崎山:たとえば、チェルノブイリでは、僕らも聞いているのは、甲状腺がんは間違い無く増えていると。日本は原時点で、福島で、甲状腺がんの人見つかっていますけれども、これは多分被曝の影響ではないだろうと。ゼロとは言い切れないかもしれないけれど、ほぼ全員ではない。これから出てくる可能性があるかもしれないから、だからちゃんと検査もしないといけないし、調査もしていかないといけないと。ただ、いわゆる「先天異常」の胎児の場合は、まず広島・長崎で、2世3世というのは基本的に変わりないというふうな結果も出ている。つい最近では厚生労働省の研究班でもですね、全員ではないですけれど福島の病院のデータから基本的に福島で普通の他の県よりも、先天異常の子どもが生まれているという現状は少なくともないと言う結果も出ていると、私は思ったんですが。だから、強い警戒の意味を込められと言われているんだったらまだわからなくもないんですが、それが「事実」かということとはまたちょっと。
小沢:厚生省の言っていることが「事実」だという証拠はありますか。
荻上:ん?そのデータがということですか。
小沢:そうそう。
荻上、もし仮にそうした子供がいたりとか、そうした影響があるのであれば、そうしたものがそのまま、統計データなり、その人の医療的なデータなりで証明していかないといけなくて。それはまだ出てきてないわけですよね?
小沢:だから、それは、すぐとかで現れるわけでは無いですから。
荻上:ええ。
小沢:長年月にわたって。
荻上:現状ですね、脱原発の議論をしたときに、被曝の影響を過大視して、「だから脱原発が必要なんだって」いう主張をする方もいるわけですね。でも、もしそうなった場合、仮に健康被害が出なかったら、今回大したことないんだ、みたいな形で、原発の議論が矮小化されてしまう可能性もあるんですね。
小沢:そのことだけ言ってるんじゃないんですよ。ぼくは。
荻上:もちろんもちろんもちろん。ただ、ここは気にする方が多くて。
小沢:最終的に高レベルの廃棄物をどうするんですかって。
荻上:当然。ただ、健康被害の話でも、小沢さんたちの党を入れるか入れないか、その論点で気にされている方も今回多いので、今日はその辺りもちょっと聞いてみたんですけれども。
小沢:ですから、今さっきも言ったように、放射能の今の、あの、福島の垂れ流しについても、じゃあ東電言ってますか、政府も言ってますか、って言ってるんですよ。それを、一部のマスコミがすっぱ抜いて自分で測量して、実は大量の垂れ流しがある、ということでしょ。そうすると、東電や政府の言ってるちゅうことは、全部隠しているということじゃない。
崎山:それは、そうだったと思いますけど。あの件は。
小沢:いやいま、あの件、って言っても、それがずっと続いているわけですよ。
崎山:ですけど、そこから80キロくらい離れた福島市で、事故の直後に、ある種の被曝をした人たちが、どれくらいの影響を受けているかというのは、ほぼいま結論がもう出ていると思うんですよ。3歳や4歳になっているから。
荻上:東電が隠せる話と、例えばホールボディカウンターなどで民間が調査をして、体内の状況などを確認している状況というのは、これはまあ、ひとくくりには出来ない議論ですよね。これからもし問題が出てくれば、ぼくはそれは大問題だと思うので、そうしたことは丁寧にやるべきだと思うんですけれども、やはり、根拠をしっかりと示していかないと、「不安だ不安だ」ってところばかりが強調されてしまうんじゃないかと。
小沢:放射能を封じ込める対策をやんなきゃっな、ちゅういう意味で言っているんですよ。
荻上:それは、大賛成ですね。
小沢:それは、徹底して、何十兆使おうがやらなきゃダメなんですよ。
崎山:ただ、福島の方から見ると、奇形の話とかをされると、「私たちはひどい目に合わなきゃ、世の中、脱原発が進まないのか」と。要するに、私たちのところに奇形が生まれていないという状況があっちゃいけないのかと、いう風に言う方もいらっしゃいます。
小沢:そういう恐れもあるということですから。それで、海外のあるお医者さんが来たんですよ。オーストラリアの。
崎山:カルディコットさんですか。
小沢:女性の。その人なんかものすごい心配してましたよ。
崎山:心配することは大事だと思います。
小沢:じゃあ、何でお前の話を証明するんだ、というけれども、実際にチェルノブイリは実際にそういう後遺症に悩んでいるんですから、それから類推する意外ないでしょ。「という可能性もある」ということだと。
武田:私は今まで何回か話したことありますけど、小沢さん変なところで変なこと知っているといったら悪いですが、ものすごい情報網があって。ただ、90年代のブレーンの人だって、いまだに自分が小沢さんと当時仲良くやってたと言わない人もいますしね。中国の話だってそうです。なんでこの人こんなことを知っているのかな、ということを時々知っていますから、非常に重要なんだけれども、私はそれと、また大きな話ばかり聞いて申し訳ないのですが――。
荻上:最後に一個だけ確認していいですか?つまり、「すでにそういった実例はある」というのが小沢さんの認識、というのは間違いないですか?
小沢:甲状腺がんが増えているというのは聞いています。
荻上:奇形に関しては?
小沢:いえ、それは分かりません。
荻上:それは分からない。あると不安だなと?
小沢:実証してません。
荻上:なるほど、分かりました。
崎山:さきほどのオーストラリアの医師も心配しているのは、心配してくれているわけであって。
小沢:ぼくも心配している。
崎山:現実に起きている事実ということではないですよね。
小沢:チェルノブイリでは起きていますよ。
崎山:でも、福島の事実ではないということですよね。
小沢:そうそうそう。それは、心配してるちゅうことですよ。
荻上:分かりました。意図が分かりました。


以下、ポイントまとめ。


・ここでのやりとりはそもそも、メールでの質問をきっかけに、「将来への危惧として言っているのか。それとも既にある事実として言っているのか」を尋ねたもの。
・質問に対し、小沢氏は特に根拠を明言をせず、厚労省や東電のデータがあやしいとのみ主張した。
・「被曝の問題はないんだ、存在しないんだという根拠はあるんじゃないですかね」→被曝そのものがないと主張しているかのように要約しているが、ここでの議論は甲状腺がんと先天異常が「既に」あるのか否かというものに限定されている。
・「TBSの記者も被曝の問題はもう解決しているんだと言っている」→言っていない。実際に論じているのは、先天異常のケースは出ていないということ。最終的には、小沢氏もそれを認めている。
・「不安が前面に立っちゃいけないらしいです」→言っていない。心配するのは大事だとしたうえで、小沢氏がどういう情報を元に主張したのかと尋ねている。また、一般の人が不安に思うのと、候補者が政見放送でアピールするのとでは話が別であるはずなのに、それがなぜか混同されている。
・「不安の声を事前に遮断するのはよくない」→野党の党首である小沢氏を招いたうえで、その主張内容についてオープンに尋ねているにも関わらず、なぜ「不安の声を事前に遮断」になるのかがわからない。
・「それが日本の言論空間を狭めることって分からないんですかね」→立候補した政党の代表が政見放送で訴えた内容について、ソースを尋ねることは当然のことであり、まして「言論空間を狭める」ことにはならない。もし仮に上杉氏が、好き放題に流言を広める自由とかまで「言論空間」に入れているのであれば、僕の考える「言論空間」はそれより狭くはなるだろう。
・「フェアに出演依頼を出している」→誤った情報を拡散したうえで、そのことを謝罪することもないままに、「反論する機会をやるから番組に出ろ」というマッチポンプを繰り返すことを、通常は「フェア」と呼ばない。
・ちなみに、依頼はすでにスタッフが断ってくれている。



以上なり。


【関連】
朝生の一件で、上杉隆氏にデマを流された事案まとめ
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20141202/p1

「裏をとっている」とは何か
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20120323/p1

朝生の一件で、上杉隆氏にデマを流された事案まとめ

こちらにトゥギャラれている件について手短に。


朝ナマ出演中止問題で上杉隆さん「荻上チキさんが一生懸命自分に圧力がかかったと言ってますが全然違います」
http://togetter.com/li/752544


上杉隆氏は動画内で、以下のように発言している。

上杉隆「取材しました。田原総一朗さん、司会やってますから、すぐ言ったら、第一声が、『あ、あれね。自主規制』」。
川島ノリコ「うっふっふ」
上杉「でほら、朝生終わった直後で、激論クロスファイア録った後だったんで、田原さん相当眠そうだったんです」
川島「うふふ」
上杉「気にせず電話鳴り…かけまくってたら」
川島「ええ、とってくださいました?」
上杉「かかってきて」
川島「はい」
上杉「『あれ上杉さんあれ、自主規制だから』。えー、いうことで、あまりにも眠そうだったので」
川島「ふふっ」
上杉「そこだけを聞いて、いきましたが、ほか、テレビ朝日の番組、の関係者などにずっと取材しました。言ってることはそれぞれ違うんですが、えー総合してその後も取材を重ねてみると、自主規制というラインがあっていますね」
川島「ふーん」
上杉「えー、自民党の圧力以前の問題です。それからまた、荻上チキさん、小島慶子さん。小島慶子さん何も発信していませんが、小島慶子さん、実際、先月も出る予定だったんですよ。ところがちょうどたまたま今オーストラリアに住んでいるから、日程が合わなくて今月になったというだけで、小島慶子さんに関しては、特になにかあるわけではないと。じゃあ荻上チキさんかというと、彼も関係ありませんでした。えー本人がなんか一生懸命、自分に圧力がかかったと言っていますが、全然違います
川島「あーそうなんですか」
上杉「単純に、あの、報道局と、選対本部、それから番組制作側の、連絡ミス」
川島「ふーん」
上杉「えー、以上。もちろん自主規制はありますよ。報道局とか選対の方に。要するに『政治家だけのほうがいいんじゃないか』と」
川島「ふーん」
上杉「という話と、いや、二人くらいは評論家がいいんじゃないかと。僕も出てますけど、だいたい二人くらい評論家おくんですよ。いつも」
川島「はい」
上杉「そういう並びでいいんじゃないかと、いうパターンだったんですけど、今回は、特に、自民党も、どの党も何も言わずに、勝手にテレビ朝日のほうが、評論家だけは外したほうがいいんじゃないかと言って決まったことなんで、政治圧力はありません。自主規制です」
川島「はい」
上杉「さらに荻上チキさんは、自民党のね、特に政府の審議会の委員やってるんで、はっきり言って安パイです」
川島「ふふっ」
上杉「これはもう言ってました、テレ朝も」
川島「ああ、そうですか」
上杉「ええ。上杉だったら来る可能性はあるけど、荻上チキさんだったら来ませんと。そんな圧力は。安パイの人にねだって、自民党側の政府委員やっている人間に、あいつは出すなって言うわけないじゃないですか、政治が」
川島「確かに」
上杉「単純に、勘違いですね」
川島「あー」
上杉「こういう風にね、取材すると、色々わかってくるんですよ」
川島「そうですね。知らないと、なんかそうなのかなって勝手に思ってしまいますけど」
上杉「でこれね、まったくテレビ出る人もねえ、そうだけど、まったく取材しないなあと思って」
川島「ええ」
上杉「で、テレビ朝日にね。関係者にバンバン取材しまくったら、『な、な、なんでそんなに取材するの?』って。取材するのは当たり前でしょう」
川島「普通な気がしますけどねー」
上杉「分かんなかったら」
川島「はい」
上杉「で、取材しないで、思い付きをツイッターなどに書いていたのが荻上チキさんということで
川島「ふふふ。そうです」
上杉「これは、残念ながら、政治圧力ではありませんでした。えー、テレビ朝日内部の、単なる自主規制と連絡ミスによるものだということで、どうでもいいニュースでしたー」
川島「ふっふっふ」


以下、箇条書きで。


・上杉氏の説明は、僕が朝生スタッフから伝えられたものと大きく変わらないものであり、個人的に新しい情報はない。
※ちなみに、今のところの「テレ朝関係者」の説明だけでは、なぜ今回「自粛」を強めたのかが語りきれていないという点は残る
・「本人がなんか一生懸命、自分に圧力がかかったと言っています」とあるが、僕は「自分に圧力がかかった」などとは言っていない。
・「取材しないで、思い付きをツイッターなどに書いていたのが荻上チキさん」とあるが、ツイートした内容は、朝生スタッフに一字一句確認し、その文言を「こういう説明を受けた」とツイートしていいという了承を得たもの。「思い付き」ではない。
・なお、いつも何かあるたびに「自分にあててない、取材がきていない」と騒ぐ上杉氏から、僕への取材は一切ない。
※もちろん、これから取材依頼が来ても断る
・そもそも取材以前に、ツイートすらまともに読めていない*1
・僕が言ってるのは「討論番組の形式を縛らないでほしい」ということであり、「自粛」だから「どうでもいいニュース」という話ではもちろんない。


あと別件で


・「上杉だったら(圧力)来る可能性はあるけど」とわざわざ入れるのイタい。

*1:追記。ノーボーダー編集部が僕のツイートを読んでいることは、こちらの記事で確認できる。

東日本大震災時に産経新聞が拡散した政治流言の再検証

前回のエントリ「東日本大震災時に拡散された『辻元清美が阪神淡路大震災時に反政府ビラを配っていた』という流言について」では、発災後に広く拡散されていた流言のうちの一つを検証してみた。既にご承知の方も多いようにこの流言は、産経新聞の阿比留瑠比記者が「辻元氏は平成7年の阪神淡路大震災の際、被災地で反政府ビラをまいた」と記事化し、辻元清美氏に訴えられた。裁判では、産経新聞・阿比留記者側の主張は認められず、慰謝料の支払いが命じられている。


判決文等資料を入手したので、この件もついでにまとめておこうと思う。


裁判において産経新聞・阿比留記者側は、「菅直人批判がメインであって辻元批判が主眼ではない」「批評の自由」という主張を行っていた。また流言の内容については、産経新聞・阿比留記者側は、辻元氏を含むピースボートのメンバーが「自衛隊違憲です。自衛隊から食料を受け取らないで下さい」と主張しながらビラを配布していたとし、それを「反政府ビラをまいたと短く表現した」のであり、「当時広く知られており、真実」「少なくとも主要な点において、事実に基づいた記事」だと主張した。但し、これらについての確かな根拠は提示されておらず、松島悠佐氏や産経新聞記者からの伝聞で知ったとしている。


これに対し辻元氏側からは、「デイリーニーズ」を証拠提出したうえでの内容説明のほか、自衛隊が長田区で給食支援をしていた1月23日から31日までの間にはそもそも辻元氏は現地におらず、東京で後方支援を行っていたこと、そして「デイリーニーズ」は自衛隊提供の入浴支援の情報を掲載するなどしており、その自衛隊の救援活動を妨げるような言動をとるのはあり得ないことが反論として述べられている。


こうした主張に対して、裁判所は次のように判断した。

  • 記事の記載は、災害ボランティア担当の首相補佐官としての原告の社会的評価を低下させるものであったことが認められる。
  • 原告についての記述が少なかったとしても、本件各記事によって原告の社会的評価が低下したというべき。
  • 松島氏の陳述書を出しているが、その松島氏も阿比留氏も、ビラを配布している様子を直接見たり、聞いたりしているわけではないし、この主張を客観的に基礎付ける証拠は存しないため、直ちに採用できない。
  • 「デイリーニーズ」は炊き出しの場所や時間、安否情報及び医療情報等の被災地の日常の情報が記載された情報誌。一部に被告指摘の記述があったことをもって反政府ビラを撒いたと認めることはできない。


つまり裁判所の判断もまた、前回エントリと同じく、「デイリーニーズは<反政府ビラ>とは言えない」としていることがわかる。



ところで裁判では、こうした「反政府ビラを配っていた」という流言に加えて、阿比留氏が書いた「カンボジアでの自衛隊活動を視察した際に、辻元清美自衛官に対し『あんた! そこ(胸ポケット)にコンドーム持っているでしょう』という言葉をぶつけた」という文言についても争われた。「産経新聞」2011年3月21日の記載は次のようなもの。

カメラマンの宮嶋茂樹氏の著書によると、辻元氏は平成4年にピースボートの仲間を率いてカンボジアでの自衛隊活動を視察し、復興活動でへとへとになっている自衛官にこんな言葉をぶつけたという。
『あんた! そこ(胸ポケット)にコンドーム持っているでしょう』
辻元氏は自身のブログに『軍隊という組織がいかに人道支援に適していないか』とも記している。こんな人物がボランティア部隊の指揮を執るとは。被災地で命がけで活動している自衛隊員は一体どんな思いで受け止めているだろうか。


記事にもあるように、このエピソードの出典元としては、宮嶋茂樹氏の著書があげられている。その著書は、1993年に刊行された『ああ、堂々の自衛隊』のことだ。その元の文章を確認すると、元となる発言は辻元氏のものとされておらず、「ピース・ボートの方々の質問」とされていることが分かる。

引き続き、駐車場で、ピース・ボートのメンバーと隊員との対話集会が開かれた。なんだか、その内容はオフレコとのことで、辻元さんはピリピリしていたが、結局この時のピース・ボートの方々の質問は産経新聞が書いてしまったので、私も記念に書いておこう。
従軍慰安婦を派遣するというウワサがあるが」
どうして私のひそかな計画が露顕してしまったのであろう。
「隊内でコンドームを配っているとか。(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるんでしょう」
いつもコンドームを持ち歩く軍隊も珍しいと思う。ちなみに、湾岸戦争のときは米軍は銃に砂が入るのを防ぐためにコンドームを使った。自衛隊もそれを応用せよというスルドク軍事的な質問か。ありがたいことである。


さらに、宮嶋氏の文庫版解説には、次のように記されている。

四年の歳月はもっと恐るべき変化を人々の身の上に与えているのである。
まず、辻元清美のボケ、もとい、先生である。ピースボートを率いてタケオ基地をウロウロしていた彼女が国会議員になると聞いた時には、私は思わず北朝鮮への亡命を考えたものであった。次のPKOが決まった時の国会論戦が実に楽しみである。やはり、「コンドームは持っていくのか」とおたずねになるのであろう。それに防衛庁長官が答弁するのであろう。帝国議会以来の議事録に、それが残るのであろう。後世の笑い物である。


産経新聞・阿比留記者側は裁判時、この文章をもって、元の発言は辻元氏がしたものであると主張している。但し、こうして読み比べると、元の宮嶋氏の文章にあった「(相手の隊員を指差して)あなたのポケットにもあるんでしょう」という記述が、阿比留記者によって「あんた! そこ(胸ポケット)にコンドーム持っているでしょう」と、より強い口調に書き換えられていることもわかる。


ここで宮嶋氏が「産経新聞が書いてしまった」と記している点が気になり調べてみると、1993年1月25日の産経新聞東京朝刊に、「ピースボートVs派遣自衛官 かみ合わぬPKO論議」という記事が掲載されていることが確認できる。

カンボジア・タケオの「日本施設大隊」には相変わらず各界各層からのお客が引きも切らないが、先ごろは「ピースボート」のメンバー約七十人が宿営地、採石場、作業現場などを見学した。
ピースボートは、大型客船で一般から応募した若者がアジア各国を回り、戦争と平和を考えるという市民運動。船には大学教授、作家、ジャーナリストなどが”水先案内人”として同乗することになっている。過去には小田実氏、筑紫哲也氏、今回は前田哲男氏が同行した。
以下はその時のメンバー自衛官との主なやりとりである。(中略)
メンバー 従軍慰安婦を派遣しようという人がいますが、どう思いますか。
自衛官 それこそ、小さな親切、大きなお世話ーという感じです。 
メンバー コンドームは配られましたか。
自衛官 まだいただいておりません。
メンバー いろんな人がタケオに来るのを、隊員は嫌がっていませんか。
自衛官 全部はわかりませんが、私は嫌です。こうして皆さんに説明しているのも、大変苦痛です(笑い)。ただし、実際に現場を見てもらい、理解してもらうことは重要ですし、ほとんどの隊員がそのことを理解していると思います。  
さて、みなさん、どちらに軍配を上げますか。(編集委員 牛場昭彦)


こうしてみると、産経新聞記事と宮嶋氏の書籍とでも、やりとりのトーンが少し異なっている。いずれにせよ、ここでも辻元氏の発言であるとは確認できない。


ところで宮嶋氏の著作には、先ほど引用した部分の前後部分に、次のような記述がある。

従軍慰安婦、来たる!?
部隊が最強の「敵」の来襲を受けたのは、暮れも押し詰まったころであった。大隊の情報網は、すでに敵の接近を察知していたとみえ、営内には様々な噂が飛び交った。噂は当初「ピチピチの若い女が来るらしい」という形態をとった。
とすれば『地獄の黙示録』に出てくる、プレイメイトの慰問のようなものであろうか。Tバックが何かでヘリから降り立ってくれれば、いい絵になる。おおいに期待した私であったが、やがて私のスルドイ情報網は、中隊によっては「その『敵』が来た時には、テントの外に出ないように」という指令が出たという話を補足した。
ピチピチの女、しかしテントの外に出るな。む、これこそ防衛庁が極秘裏に送り込む従軍慰安婦部隊ではないか。時まさに大晦日、そして正月。防衛庁もイキなお年玉を送るではないか。しかし、隊員でない私もその恩恵にあずかれるのだろうか。二週間をこえる禁欲は、長い私の人生の中でも初めてである。スカッド飛ぶイスラエルでも金髪を調達した私である。女の前にはUNTACレギュレーション何するものであろう。
私がさっそく交渉のために基地へ向かうと、太田三佐が緊張した顔で出かけるところであった。
「太田さん、どこへ?」
プノンペンへ人を迎えに行く」
やはり。例の部隊に違いない。
「太田さん、宮嶋を見くびっては困ります。情報は得ているんですよ」
 ハッ、とした表情で振り返る太田三佐。ワレ奇襲ニ成功セリ。あとは戦果拡大である。私は囁いた。
従軍慰安婦部隊でしょ?」
「宮嶋君」
 太田三佐は、腰に手を当てて仁王立ちになった。
「私に警務隊を呼ばせないでくれないか。君が隊員なら、鎖をつけて、明日来る人たちが帰るまで営倉に入れておくのだが。お願いだから、従軍慰安婦とかをその人たちの前で口走らないでくれたまえ」
 いつになく本気で真面目な三佐である。勇将・太田三佐をしてここまで真剣にさせるのはどういう人びとか。
「申し訳ありません。宮嶋、言葉が過ぎました。どういう方々が見えるか、差支えなければお洩らしください」
「愛国の花」――ピース・ボート来襲
「ピース・ボートの皆さんである」
電撃、五体を打つ。祖国に生を受け三一年。宮嶋、ついにその死地をみゆ。
天に二つの日は照らず。私にとって、件の方々は天敵であった。

「ピース・ボートの来襲はまだですか」
「なんでっか? そのピースなんとかって」
 私が詳しく説明しようとしたその時、ピース・ボート一行を乗せたバスが到着したのであった。
 ゾロゾロと一行はバスから降りる。私が予想したようには、毛沢東語録を持ったり、人民帽をかぶったり、資本論を背負ったりしている人はいないようであった。それどころか、若い綺麗なネーチャンもいるではないか。
 大和撫子を見ずして幾日ぞ。まさに輝く御代の山ざくら、地に咲き匂う国の花。
 わが愛唱歌「愛国の花」に教えられてきた私である。とりあえず、先入観は捨て、礼儀正しく接することにする。
 もっと近づいて驚いた。ネーチャンたちは化粧しているではないか。気温四〇度、あたりの山にはポルポト派がいるという全線で身嗜みを忘れないとは、さすがに大和撫子である。前線の兵士たちの気持ありちを和ましてくれようという心遣いなのであろう。ありがたいことである。
 さすがに自由を愛する方々である。一行はてんでんばらばらに行動され、まったく統制が取れていない。太田三佐が声を嗄らして説明しようとするが、その周りには人が寄り付かぬ。人だかりがしているのは、代表の辻元清美さんの周りである。
 無視されつつ頑張っていた太田三佐が、質疑応答を始めると、ようやく人びとが集まってきた。イスラエル兵に銃を突きつけられたガザ地区パレスチナ人のように、その目は敵意に輝いている。いまなおこんなに戦意旺盛な同法がいるのかと、私は感心する。

戦いがすんで日が暮れて。太田三佐は幽鬼のように憔悴し、一言私に呟くと、宿舎へと消えて行った。
「疲れた……」
 私はいつもの屋台に行き、隊員たちに今日の感想を聞いた。
「いや、ひさびさに綺麗な女性を見て、目の保養になりました」
「見るだけで手が出せなかったのは残念です」
 みんなはしゃいでいた。今夜、営内の天幕の中のベッドの上で、何十人もの隊員たちが、彼女たちの夢を見るであろう。ピース・ボートの皆さんは、まことに国家のために貢献してくださったのである。まこと、従軍慰安婦にも負けぬ、慰安をしてくれたのである。
 ああ、そのための頬紅。そのための口紅。この炎天下、辛かったであろう。厳しかったであろう。にもかかわらず、美しく装い、隊員たちを励ましてくれたのである。
 なんという美しい志であろうか。にもかかわらず、私は「天敵」などと思っていたのである。私は深い反省とともに、プノンペンの方角に頭を下げたのであった。


宮嶋氏の著作のこうした記述から、ピースボートへの対応は、終始「太田三佐」がしていたことが分かる。なおこの裁判では、産経新聞・阿比留記者側が、宮嶋氏の陳述書を提出している。宮嶋氏は陳述書において阿比留記者を擁護しているものの、コンドーム発言については太田氏から聞いたと述べており、宮嶋氏も誰の発言なのかを把握していないことが明らかになっている。


一方でこの裁判では、辻元清美事務所が太田氏本人に質問を送付し、返ってきた解答を証拠として提出しており、辻元氏側がその旨を陳述している。太田氏はその中で、「コンドーム」発言は辻元氏によるものではなく、別の人の発言であると回答している。阿比留記者が引用した宮嶋氏の書籍では、太田氏から聞いたことを書いたとあるが、その太田氏本人が辻元氏の発言であることを否定しているというのは、決定的なように思える。


なお、「コンドーム」に関する質問が出たことは、太田氏の回答からも確かであることが分かる。但し太田氏はその発言について、その場では「ジョークだと思われたのか少し笑いがで」ていたこと、太田氏が「どうしてご存じなのですか」と冗談を返したことでバスが笑いに包まれたと回答しており、やりとりのイメージがずいぶん違うようにも思える。


阿比留記者は2012年2月時点で太田氏に対して取材を行ったようで、太田氏はその際、阿比留記者にも「コンドーム」発言は辻元氏のものではないと答えたという。それが確かであれば、阿比留記者は「コンドーム」発言が辻元氏によるものではないと知ったうえで、裁判に臨んだことになる。というわけで下記は、「コンドーム」発言に関する裁判所の判断部分。

平成4年当時に自衛隊第1次カンボジア派遣部隊広報官として原告を含むピースボートの参加者のカンボジア訪問に応対した太田は、原告が当時上記発言をしていなかったと陳述していることから、本件著書の記載をもって、原告が上記発覚をしたとの事実は真実であると認めることはできない。

被告阿比留供述によれば、被告阿比留は、本件各記事を執筆するにあたり、原告、宮嶋及び太田に対して一切取材を行っていないことが認められ、上記のとおり、本件著書には原告が上記発言をしたと明確に記載しているとは認められないし、本件全証拠によっても、本件各記事に摘示された事実が真実であることを推認させる証拠はない。
この点、被告らは、本件各記事は政論であり、本件各記事を執筆するに当たり、原告への取材は必要ではないと主張するが、政治的な論評を中心とする欄に掲載された記事であるというだけで免責すべき根拠はないから、被告らの主張は採用できない。
したがって、被告らが本件各記撃で摘示された事実が真実であると信じたことにつき相当の理由はない。


このように裁判では、「反政府ビラ」部分に加えて、「コンドーム」発言部分に関しても、産経新聞・阿比留記者側の主張は退けられている。そのうえで裁判所は、次のように判決文を締めくくっている。

前記1及び2の判断によれば、被告阿比留の執筆した本件各記事を産経新聞に掲載して発行したことによって、原告の社会的評価は低下したと認められるから、被告らについて不法行為が成立する)
そして・被告会社が発行する産経新聞が全国で有載の全国紙であること(弁護の全趣旨)、前記1のとおり、本件各記事が災害ボランティア担当の首相補佐官としての原告の社会的評価を低下させるものであったこと、前記2のとおり、本件各記事が摘示した事実は真実であるとは認められないこと、原告等に対して一切取材を行わずに被告阿比留は本件各記事を執筆し、被告会社は本件各記事を産経新聞に掲載したことが認められる一方で、本件各記事は管元首相に対する批判を主な目的とし、本件各記事の全体のうち、菅元首相についての記事が大部分であり、原告についての記述はわずかであることが認められること、同記事が対象とする事実及び論評は市民の正当な関心事として広く議論されるべきもので、事実の公共性、目的の公益性が認められること、未曾春の災害である東日本大震災直後に、被災地復興の対応にあたる自衛隊との連携が不可欠な災害ボランティア担当の首相補佐官にどのような人物が任命されるのが適切であるかについて、様々な評価があり得ること、原告の陳述書(甲9及び11)によっても、本件各記事によって原告の災害ボランティア担当の首相補佐官としての業務に具体的に大きな影響があったかどうかが必ずしも明らかではないことなど、その他訴訟に現れた一切の事情を斟酌すると、上記被告らの不法行為によって、原告が被った精神的損害についての慰謝料は70万円、弁護士費用相当損害は10万円と認めるのが相当である.
また、上記認定事実によれば、本件各記事によって原告が被った損害を回復するためには金銭賠債のみで十分であり、産経新開に謝罪広告の掲載の必畏があるとまではいえない。したがって、原告の請求のうち、謝罪広告の掲載は理由がない。
4 よって、原告の被告らに対する請求は80万円及びこれに対する平成23年3月22日(最終の不法行為の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の限度で理由があり、原告のその余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。


災害時には、対応にあたる政治家に対する批判が多発するが、中には根拠のない流言も混じる。今回のケースは、多数が手に取る新聞がそれを拡散し、後に政治家によって訴えられ、事実でないと認められるという希少なケースになった。

【御嶽山噴火】「日本のマスコミは自衛隊の活躍する写真を(極力)報道しない」というメディア批判流言

御嶽山の噴火に関する報道を受けて、「日本のマスコミが自衛隊の活躍する写真を報じない」「海外の方が写真をちゃんと報じている」といった主張がtwitterの一部でみられた。まとめサイト「保守速報」が、「【御嶽山】日本のマスコミが極力報道しない、自衛隊やレスキュー隊の活躍を海外メディアが報道(魚拓)」というタイトルのエントリをアップしたことも大きく影響している。


この主張については、既に多くのTwitterユーザらが反論・批判している。例えば、「同様の写真は日本メディアが掲載している」「海外メディアが掲載している写真も、通信社などが提供したもの」といった指摘がなされている。


というわけで、この主張はすでに落ち着いているように思えるが、以下備忘録的に。とりあえず、2014年9月27日から30日までの各紙を並べてみる。(さくさく撮影したので、ところどころブレているのはご容赦を)


読売新聞:一面トップだけでなく、紙面内の特集面でも自衛隊活動を取り扱っている。


朝日新聞:一面トップ、および社会面で自衛隊らが捜索している写真を掲載している。


毎日新聞:連日のトップに掲載。社会面にも大きく掲載している。


日本経済新聞:他紙と比べて写真は小さいものの、連日掲載している。


産経新聞:一面トップのほか、写真特集内にも大きく掲載している。


東京新聞:こちらも同様。一面トップ、写真特集などに登場。


ご覧のとおり、各紙とも自衛隊らの活動する写真を大きく掲載していることが分かる。御嶽山は、2014年9月27日11時53分に噴火している。この日は土曜日であり、その日の夕刊で各紙が報道している。翌日28日は日曜日のため、朝刊では、噴火の写真や被災した方々の模様が中心に取り上げられているが、夕刊はお休み。そして29日の朝刊では、多くの新聞が一面トップで、前日28日の自衛隊らの救助活動の写真を大きく掲載している。もしかしたら、27日、28日の紙面の印象で、「自衛隊の写真がないな」と思った方も一部いるかもしれない。但し、29日朝刊では大きく取り上げており、テレビでも各社が現場の様子を伝えている。


「日本のメディアが報じていない」という主張をする人は、各紙が本当に報じているか否かを確認せずにそう述べている場合が多い。「広島土砂災害時にウェブ上で発生した流言について思うこと」でも取り上げたように、広島の土砂災害時にも、メディア批判流言が登場した。災害時、ネット上ではメディア批判流言が発生しやすいように思えるので、普段以上に注意したほうがいいかもしれない。メディアを十把一絡げにしたうえで、メディア全体をざっくり批判するような口調には、特に注意が必要だと思う。


ところで、「daily mail online」など、写真を大きく掲載している海外メディアがあり、見やすくてインパクトがあると評価しているネットユーザも多い。こうした写真特集にニーズがあるのも確かだろう。


但し、いくつかの日本メディアも、ウェブサイト上で写真特集を掲載している。例えば毎日新聞は、曜日別に、写真特集を掲載している。


毎日新聞
9月28日
http://mainichi.jp/graph/2014/09/28/20140928k0000e040175000c/001.html
9月29日
http://mainichi.jp/graph/2014/09/30/20140930k0000m040038000c/001.html
9月30日
http://mainichi.jp/graph/2014/09/30/20140930ddm001040203000c/001.html
10月1日
http://mainichi.jp/graph/2014/10/01/20141001k0000e040223000c/001.html


朝日新聞では、「御嶽山に関するトピックス」というページがあり、動画付記事へのリンクをたどることができる。加えて、時系列タイムラインページを見ると、写真付き記事も多く掲載されていることがわかる。なお、写真が見やすく一覧できるサイトが評価されるのはいいが、当然のことながら、海外より日本メディアの方が報道の割合が大きく、情報も細かい。写真の掲載の仕方をどう工夫すればいいかといった議論はもちろん重要だが、その一点だけで、「日本のマスコミ」をざっくり批判するのは不当だろう。それも、不確かな流言をまじえて。